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ヒトの定義
 「サイエンスZERO」の『シリーズ ヒトの謎に迫る⑫~再び統合された知へ』を見た。 シリーズ最終回のスペシャル版だったので、シリーズを全部見ていない私でも楽しめた。

 シリーズを通していろいろな先生方に”ヒトの定義”を聞き、「ヒトとは ~ である」の~を埋めてもらった答えが面白かったので、列挙しておく。
  • 山極壽一 教授(京都大学 霊長類社会生態学)

    ヒトとは 他者の中に自分を見たがる動物 である。
    -他者と自分のつながりを感じる心があったからこそ、私たちの社会や家族が生まれた。

  • 長谷川真理子 教授(総合研究大学院大学 行動生態学)

    ヒトとは 心的世界を持ち、それを他者と共有する動物 である。
    -動物でありながら心的世界をもつ。その共有が社会の礎なのだ。

  • 金沢創 准教授(日本女子大学 実験心理学)

    ヒトとは 深読みをする霊長類 である。
    -ヒトは相手の表情を深く読み、コミュニケーションに活かしてきた。

  • 田中啓治 博士(理化学研究所 脳科学)

    ヒトとは 自分を訓練する存在 である。
    -私たちは、訓練することによって自らを変えることができる存在でもある。

  • 黒崎政男 教授(東京女子大学 哲学)

    ヒトとは 他者を通して私とは何かを知る存在 である。
    -ヒトは他者と自分との距離を測る事によって、人間とは何かを考える存在である。

  • 石黒浩 教授(大阪大学 ロボット工学)

    ヒトとは 相手が心を持っていると信じる事ができる生き物 である。
    -私たちは、実体のない心、意識、感情、知能の存在を信じている。
     (いずれロボットもそうなるのか?!)

研究している学問はそれぞれ異なっても、”他者”という言葉や概念が頻繁に使われていたのが、興味深かった。やはりヒトは、社会の中でしか存在しえない動物なのかなと思った。

一茂さんのマニフェスト
 「太田光の私が総理大臣になったら...秘書田中。」に、長島一茂さんが出ていたので見た。一茂さんは、ご本人がパニック障害とうつ病を併発している。その一茂さんが提出する”マニフェスト”はどんなものかと思ったが

子ども手当を一部廃止し、学校の授業に“心のケア”の時間を作ります。

というものだった。
 いま子供たちは、『いじめ』、『親からのプレッシャー』、『将来への不安』など、さまざまなストレスにさらされているという。昨年度、小中高校生で不登校になった子は約18万人(100人に1人)、自殺した子は308人もいるそうだ。だからこその、このマニフェスト。

 うーん、でも私はこのマニフェストに反対である。私は、スタジオにおられた名越康文先生(精神科医)の

 教育現場っていうのは、成長していく子供が大人になっていく場としての規定がある。その場とは、『能動的に人と関わっていく』ということ。初めはルールがわからない中で、何とか自分で関係性を作っていくことで、大人になる。だからサービスしすぎるのはよくない。

という意見に賛成だ。私が大人になってからうつ病を発症したからそう思うのかもしれないが、子供のうちはストレス耐性をつける教育をしたほうがいいのではないかと思った。(それが”心のケア”の時間?!)

 ただ番組では、現代のうつ病の実態として、平成17年のうつ病患者が63万人いることや、うつ病潜在患者が600万人いるのではないかと言われていること(出典:朝日新聞、平成16年12月)、うつ病のサイン、うつ病の症状等々、いろいろな情報が明らかにされていた。こうした議論を通して、うつ病に対する正しい知識を広く知らしめることは、いい事だと思った。

助けてと言えない30代
2009.10.07 Wed 22:47 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 「クローズアップ現代」の『“助けて”と言えない~いま30代に何が~』を見た。

 今年4月、福岡県北九州市の住宅で39歳男性の遺体が発見された。男性は死の数日前から何も食べず、孤独死していたとみられる。しかし、男性は、困窮する自分の生活について、誰にも相談していなかった。
 いま、こうした命に危険を及ぼしかねない状況に陥っても、助けを求めない30代が増えている。彼らは「家族に迷惑をかけられない」「自分で仕事を見つけ、何とかする」と誰にも相談できずにいる。

(番組ホームページより)


 スタジオゲストの平野啓一郎さん(作家)によれば、30代半ばから後半にかけての世代は『団塊ジュニア世代』といわれ、人口が非常に多いそうだ。にもかかわらず、1999年~2000年ごろは就職超氷河期。思い通りの企業に就職できた人もいれば、就職できなかった人、フリーターになった人、10年たっていまその矛盾がかなり深刻になってきていると言える。
 さらには、『勝ち組』『負け組』という言葉が使われるようになって、勝ち負けを自分の問題として感じてしまうのだろうか。必ずしも自己責任とは違う別の問題なのに、状況の悪い人たちは、結果を出せない自分自身を責めるようになってしまっているという。

 その一方で、見栄やプライドが邪魔をするのか。どうしても自分の今の姿を受け入れる事ができず、もうちょっと頑張ればなんとかできるのではないかと、『助けて』が言えない人々が多くいることがわかってきた。

かわいそうとかみじめと思われるのはいやだ。なるべく隠そうとしている自分がいる。
(32歳男性・無職)

公園で炊き出しなどを行っている、NPO北九州ホームレス支援機構の奥田知志さんは言う。

 助けてって言えない世の中ってさみしすぎると思う。だって基本的には誰も1人で生きていけないし、1人で頑張っても知れてるわけで。どっか助けてと言える、それをみんなで保障していく社会じゃないと、どんどん1人ぼっちに追い込まれてホームレス化していく、関係を失っていく、絆を失っていく、そんな人が続出すると思う。

スタジオゲストの平野さんも言う。

 トラブルは、当事者の力だけでは解決できないものだと社会が考えるべき。頑張るにしても、社会的なサービスを受けて安定したところから頑張るべき。行政サービスを利用することは、少しも恥ずかしいことではない。


 厳しい雇用情勢の中で、弱者が自分を責めて孤立するこんな社会。悲しすぎる。と同時に、毎晩ホームレスの人達に声かけをしておられる支援団体のみなさんには、頭が下がる。

<私>探し
 「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。『<私>探し』というテーマだったので、自分の居場所や可能性を見つけるような話かと思って見たら、そうではなかった。<私>という存在を、哲学的にひたすら追い求める話であった。

 爆笑問題の2人が訪ねたのは、日本大学の永井均先生(哲学)。先生は、幼稚園の頃から「なんでコイツ(自分)が僕なんだろう。他のヤツは僕じゃない。」と悩んでいたというから筋金入りである。
 しかし、番組を見ていても結局のところ答えは出ない。すぐ答えが出るような問題ではない。というか、答えがない問題なのだ。

 例えば17世紀の哲学者デカルトの有名な言葉に

我思う、故に我あり。

というものがある。森羅万象、全部幻で、自分の記憶や自分の体がなくても、それでも自分<私>ということだけは疑えない・・・と、デカルトは考えたわけだが、これは永井先生の言う「なぜ<私>という特殊なものが存在するのか?」という問題の答えにはならないのだそうだ。

 死ぬということは<私>の問題のひとつにあると、永井先生は言う。

 他の人が死ぬことは見たり経験したりできるけれど、自分が死ぬというのは、ある意味全く特別なことですよね。他の人の死っていうのは、世界の中で起こる出来事ですよね。でも<私>の死はそうではなくて、いわば世界そのものが消えちゃうことですから。無になっちゃうことですからね。

自分をとりまく世界は全部自分。自分はすべて。<私>は世界そのものなのだ。
 またおもしろいことに、<私>の世界は夢に似ている。

 夢は、全部自作であるにも関わらず、いろんな人がいろんなことを言う。意外なことを言う。自分の心の中なのにも関わらず、二重三重に自分の心以外のものがあって、さらに奥に他者の心っていうものがある。そういう構造を自分で作っちゃうわけですね。
 そうだとすると現実もそうなってますよね。すると現実と夢とどう違うのか。

もしかしたら、現実は、みんなの夢の集まりでできているのかもしれない。

 いろいろと難しかったが、ともかく<私>の世界では自分が主役だということ、自分が脇役である<私>などないということに改めて気づかされた。たとえオリジナリティなどなくても、他人とは全く異なる特殊な存在<私>が、確かにここにいる。そのことに、もっと安心していいような気がした。

自殺者リサイクル法
2009.10.06 Tue 11:19 | 世にも奇妙な物語 | テレビ・ラジオ
 昨日『世にも奇妙な物語』を見た。その中の1つ、『自殺者リサイクル法』というドラマには考えさせられた。

 つまらない理由で死を選んだと認定された自殺者たちが、自殺の直前で救助されて国の管理下に入り、国家のために命を再利用されるという物語。
 自殺者たちは、抽選での臓器提供、人体実験、ハイジャック事件の人質等、文字通り命がけの仕事をさせられる。そして仕事の最後には、自殺者リサイクル機構の管理官が、決まってこう言う。

 今回もみなさまの命を有効にリサイクルさせていただきました。生き残ってしまったみなさま、残念でした。次回の仕事で死ねることをご期待ください。

こうして仕事を重ね、多くの死を目の当たりにしていくうちに、自殺者らの心の中には次第に「生きたい」という気持ちが芽生えてくる。「こんなことになるなら、もっとなんかできたんじゃないのかな。」と。
 
 ドラマを見ながら、いろいろと考えてしまった。私がときどき感じる「生きていたくない」「死にたい」という気持ちも、”つまらない理由”なのだろうと思う。私のような者は無駄に死ぬよりも、この命を何かに使ってくれたほうがずっと有意義だし、私も嬉しいだろうと思う。だから不謹慎にも、このドラマのような法律は頭がいいなと思ってしまった。
 けれども、ドラマを見終わった後、自分の心に釈然としないなにかが残った。もしも本当に多くの死を目の当たりにしたら、私は果たして同じことが思えるだろうか。私は、戦争も大災害も知らない。自分の身を危険にさらしたことなど、一回もない。誰からも傷つけられることのない温室のような部屋で、ぬくぬくと生きているだけだ。それなのに「死にたい」だなんて、もしかしたら、とてつもなくわがままな事を言っているのではないだろうか。
 私は、もう一度命の尊さについて考えてみなければいけない。なぜ生きているのか。なぜ生かされているのか。与えられたこの命を有効に使っているのか。包丁を手首に当てる前に、考えてみなければいけない。
 
眠れていますか?
2009.09.29 Tue 20:40 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨晩、FNSドキュメンタリー大賞の『眠れていますか?~自殺予防にかける~』を見た。

 全国の自殺者は11年連続で3万人を超える異常事態。特に中年男性が多いのが日本の特徴だ。この自殺の多い中年男性をターゲットに自殺対策を進めるのが、静岡県職員で精神科医の松本晃明。松本が注目したのは、うつ病の典型的な症状である不眠だ。自殺者の4割近くがうつ病と言われるが、うつ病で医者にかかるのは4人に1人しかいない。気づきにくいうつ病に気づいてもらうためにはどうすればいいか。(番組ホームページより)


 年間3万人を超える自殺者。これは約18分に1人が自殺している計算になる。番組冒頭でそう言われても、まだどこかピンとこない私がいた。番組内ではさらに、自殺に関するこんな数字も出ていた。

  • 自殺で亡くなる人は、交通事故で亡くなる人の5~6倍に当たる。
  • 静岡県の40代の男性は、癌より自殺で亡くなる人のほうが多い。

 確かにこうした具体的な比較を聞くと、いかに自殺者の数が多いのかがわかる。ではどうすれば自殺は減るのか。全国の行政が頭をかかえている問題だ。

 これに対して、元精神科医の松本さんが提案する自殺対策は、とても簡単なことだった。それは「眠れていますか」と声をかけること。松本さんが着目したのは、うつ病の症状として現れる不眠だった。2週間以上眠れない症状が続いていれば精神科へと紹介するのだ。はじめは、かかりつけの内科医から、また薬局の薬剤師から声をかけてもらうように呼びかけた。さらに、TVCMやポスター、パンフレットなどで、家族や職場の同僚が「ちゃんと寝てる?」と互いに声をかけ合うよう、うながした。
 眠れないことに着目した自殺対策は、全国にも例がなかったそうだが、実際、松本さんが力を入れた富士市はこの”睡眠キャンペーン”によって、2年間で40代50代男性の自殺が半分に減ったそうだ。

 松本さんは、この流れに手ごたえを感じつつも、まだまだと首をふる。

 将来的には、メタボ対策、交通安全運動、そういったものと同じで、睡眠・不眠の取り組みが国民運動化していかないと、本当の意味合いで、日本全体でうつの方が救われる、自殺の方が救われるという流れになっていかない。


 私もうつ病になりかけた頃は、夜なかなか寝つけなかったり、朝早くに起きてしまったりしていたことを思い出す。確かにそれだけでは精神科へ行こうとは思わなかったし、それがうつ病だという知識もなかった。あのとき誰かが教えてくれたら、もっと早く治療できていたのかなとも思った。
 けれども私は、松本さんたちの運動を聞いて感じた。睡眠障害やうつ病の治療もさることながら、むしろ”声かけ”を通して、『いつも誰かが気にかけてくれている』と思える事こそが、大事なことなのではないか。『1人じゃない』と思える事こそが、人を強くしたのではないか。
 声をかけあうことで、自殺は減っていく。そのきっかけとして、「ちゃんと寝てる?」この言葉はすごくすてきな言葉だと思った。