「課外授業〜ようこそ先輩〜」の『失敗は未来へのリハーサル』を見た。今日の先生は、工学博士の畑村洋太郎先生だった。ロケット打ち上げ失敗、自動車のリコール多発、回転ドアでの事故など、様々な“失敗”の原因究明と再発防止に取組んできた、人呼んで”失敗学のパイオニア”である。

 畑村先生は、子供たちに最先端の科学技術の写真を見せてから、こう言った。

 うまくいく時もあるけれど、その前にたくさん失敗して学ぶから、うまくいくんだよ。
 もう散々失敗して、もう嫌んなっちゃうぐらい辞めたいとかね、お金損しちゃったりとかね、時間の無駄だったとかね、会社でいったら自分より上の偉いさんにボロクソに叱られちゃうとかね。そんな事がおこりながらやるんだけど、それで最後に成功すると、まるで初めからそこまでスルスルといったかのようにみんな話をするけど、それは違うよ。

 そして、先生は子供たちに、自分がやった失敗体験を書き出してもらった。重大事故につながる危険な失敗もあれば、誰もがやる”うっかり”の失敗もあり、痛い目にあって成長するために必要な失敗や、また友達関係の悩みなど心の中の失敗もあった。
 子供たちはその話をまとめて、どうしたらよかったのかを真剣に話し合い、寸劇などにして発表した。

 畑村先生が、最後に総評として子供たちに言った言葉が、印象的だった。

 本当にいい発表ができたなと思います。これ実は、他の人の失敗を自分の失敗として学ぶことができる、取り込むことができるっていうところまできたのね。
 失敗を失敗だと認めて、そして失敗した時の辛さというのをとどめること。はっきりとちゃんと自覚することができるようになると、他の人にすごく優しくなれる。そしてこの優しいということは、ただ簡単に優しくなるんじゃなくて、よその人と辛さをきちんと共有できるようになってることなんだよ。


 技術にも、そして人生にだって失敗はつきものだ。その失敗に正面から向き合うことが大切なのだと、畑村先生は教えてくださった。

 ザ・ドキュメンタリー『博士たちのワーキングプア〜ひとコマ2万5千円〜』という番組を見た。大学院を出ても就職難という壁にぶち当たる、博士課程修了者たちを追っていた。

 その昔、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』(1929年)という映画があったが、今は『大学院は出たけれど』とでも言うのだろうか。研究者たちを待ち受ける現実は厳しい。
 京都大学の尾池和夫総長も、今年の卒業式でこう述べたそうだ。

 日本の大きな課題は、大学院を出て博士学位を授与された重要な人材を、採用して本来の力を発揮してもらうための場所が十分用意されていないということ。

 ベストセラー『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』の著者、水月昭道氏は言う。

20代〜30代で専任の研究者はいない。みんな非常勤です。フリーターです。


 こうなってしまった原因の1つは、国の政策にもあるそうだ。1991年、国は科学技術立国をめざして大学院生の数を倍増させようと、『大学院生倍増計画』をうちたてた。教育機関は、補助金をうけて大学院を次々と増やし、博士達は増え続けた。
 しかしバブル崩壊後、雇用に積極的な企業は減り、結果的に今や仕事にあぶれた博士たちを大量に作る事になってしまったのだ。

 番組で密着していた佐々木祐さん(34)は、中米ニカラグアの歴史を研究している研究者だ。非常勤講師の相場は、90分の講義1コマで月約25,000円。8コマの講義をもっている佐々木さんだが、東京への交通費などを引くと生活費は15万円程度になってしまう。しかも、非常勤講師はいつ契約を切られても文句は言えない立場で、この秋から佐々木さんが受け持つ講義は4コマになってしまうという。生活費を計算すると、月に6万円程度の見通しだ。

 客観的なデータを見ると非常に惨めな暮らし。金はないし未来もないし、精神的な余裕もない。あきらめてるわけではない。なんとかなると思ってるから、さほど深刻にならずに楽しくやっているけど、あきらめたりするとうつ病になったりするかも。

と佐々木さんは笑う。

  佐々木さんの恩師、立命館大学の崎山政毅教授は、佐々木さんを激励しつつ、今の”研究成果をすぐに求められる時代”を嘆く。

 すぐさま結果を出せって言う風にいってきてますんで。(正規の研究職に就くためには)博士号をとり、業績がいっぱいあり、大学で教えている、これは拷問のような状況だとボクは思います。

京都大学キャリアサポートセンターの鱸淳一さんも、警鐘を鳴らす。

 こういった人の価値観を大事にしないと、日本の科学技術自体が弱まっていく。国力も弱まっていく。


 まったくだ。マネーゲームの成功者ばかりを崇めたてたのは誰だ?技術立国日本をこんなバクチ資本主義国家にしたのは誰だ?もっと堅実な価値観を持った人づくりを、国をあげてやってもらいたいものだと、私は憤りを通り越して悲しくなった。

2008.09.27 禁煙条例
 昨日の「特報首都圏」で、『たばこの煙はどこへいく?〜神奈川“禁煙条例”の波紋〜』を見た。

 私が住む神奈川県では今月、屋内施設を禁煙にする全国初の禁煙条例の骨子案が発表された。嫌煙家の私にとって、朗報である。だが、たしか春ごろ発表された話では、レストランもパチンコ店もすべての屋内施設が全面禁煙になると聞いていたのだが、今月発表された内容はこうだった。

受動喫煙防止条例(骨子案)
禁煙
学校、病院、官公庁、劇場、結婚式場
禁煙か分煙か選択する
百貨店、スーパーマーケット、レストラン、居酒屋、ホテル・旅館
(3年の猶予)パチンコ店、マージャン店、バー

規制の対象となる業界から反発が強く、一律全面禁煙は実現できなかったのだ。けれども条例には、玉井課長の頑張りで、なんとか『5年以内に必要な見直しをする』という文章だけは含んだ形となったそうだ。

 そもそも、神奈川県では松沢県知事が

受動喫煙の被害から県民を守っていくために、きちっとしたルールを作っていきたい。

という考えのもとに、違反した場合は罰則もある一律全面禁煙の条例を制定しようと頑張ってきたのだった。その先頭で旗をふっていたのは、もともと県立がんセンターで医師として20年間ガンの治療や研究に携わってきた、健康増進課の玉井拙夫課長だった。
 世界水準の禁煙条例を目指していた玉井課長は、少々残念がりながらも

 5年たてばもう少し世の中が勝手に進むとは思っている。意識もかなり進む。一歩を踏み出せばと今は思っている。

と、県民の意識の高まりに期待していた。

 海外では、国が法律で屋内を全面禁煙にする動きが広がっている。

 受動喫煙はガンになる危険を高めるほか、子供の健康、胎児の成長に深刻な影響を与えることが医学的に明らかになっている。

として、2003年にWHO(世界保健機関)で『たばこ規制枠組み条約』が採択され、日本を含む世界160カ国が参加しているという。このガイドラインは、”飲食店やオフィスなど施設の屋内を全面禁煙にすること”を求めているものである。
 しかし日本は、これに対して努力しているとは言いがたい。日本でも5年前に『健康増進法』が施行されたが、多くの人が利用する施設の管理者に必要な措置をとるよう求める”努力義務” にとどまっているそうだ。
 そこで神奈川県では、県民の死因の1位であるがんを予防しようという願いをこめて、日本ではじめて罰則のある条例を独自に作ろうとしているのだ。東京を始めとする首都圏は、神奈川県の取り組みを見守っている状況だと聞く。
 
 何事も、最初に常識や習慣を変えていくのは大変だ。粘り強く説明を続け、国際的なルールを県民や業界に理解してもらい、とりわけたばこを吸っている人たちの”自分さえよければ”という意識を変えてもらうしかないという。正しい事をしているのだという信念をもって、いろいろな団体の圧力に負けず、ぜひとも頑張っていただきたい。松沢県知事と玉井課長を、心から応援する。
 
 昨日の「爆笑問題のニッポンの教養」は、『デザインで世界を改造せよ』というテーマで、爆笑問題のお二人が大阪大学の川崎和男先生(先端デザイン工学)を訪ねていた。ヨン様風の容貌を持ち、話を脱線させながらよくしゃべる川崎先生は、その若々しさでありながらなんと来年還暦だという。さらに肩書きを見ていたら、”医学博士”だというから驚いた。

carna.jpg 川崎先生が一躍世界の注目を浴びたのは、28歳のときに遭遇した交通事故がきっかけだったという。事故の後遺症で下半身の自由を奪われてしまった先生が、その時デザインした車椅子が絶賛を浴びたのだ。
 好みで選べる車輪と、チタン製のフレームとエアクッションの座席で世界一の軽さを実現した『CARNA 生活の女神』という作品は、まるでスニーカーのよう。機能と美しさを兼ね備えながら従来の車椅子のイメージを覆したデザインは、1994年にニューヨーク近代美術館に永久収蔵された。

 私は、川崎先生の

 デザインってやっぱり理想主義なんですよ。極めてきれい事なんですよ。徹底してきれいごと言ってやろうじゃないか、みたいなところがあるんですよ。きれい事っていうのをモノで見せてやろうじゃないかっていうのもある。これきれいだろう?みたいなね。

というお話に、ハッとさせられた。どこまでもきれい事を追求してもいいじゃないかと、大真面目にやっている人たちがいるということに感動した。

 けれども本当に”デザイン”が追求するのは、外見のキレイさ、美しさではない。タレントさん達が『私がデザインしてるんです〜』というのとは訳が違うと、先生は言う。

 デザインは、性能とか効能とか、それから機能がすごく重要。
 効能って言うのは社会参加すること。社会参加もして、社会的にも認められて、性能もよくて、なおかつそれらを結び付けているところに、初めて機能があるんだ。それをデザインと言う。

たとえば、川崎先生が作った人工心臓は、心臓の鼓動方程式(完全な微分方程式)をトポロジー(topology)という幾何学によって3次元で表したもの。見た目にも論理的にも美しい、継ぎ目のない人工心臓は、医学会に衝撃を与えたという。

 そんな川崎先生が、いま真剣に考えている事は、デザインで戦争・貧困・疫病で苦しんでいる国々の人を救うことだと言う。その名もPKD(Peace-Keeping Design)。”デザインできれいごとの世界を作る” とも言えるこうした動きは決して夢物語ではなく、実際世界的に見ても、アメリカではHIVと人種差別をデザインからどうやって切り込もうかと考えいる人々がいたり、フランスではアルツハイマーを医学だけに預けていられないとデザインでどうにかしようと考えている人々がいたりするそうだ。

 PKDの第一弾として、先生はまず貧困地域での”ワクチン接種システム”を開発したという。

1.紙のパッケージから注射器を取り出す
2.患者にワクチンを接種する
3.感染症を防ぐため注射器を再使用できないように収納する

この一連の作業を誰もが簡単かつ安全に行えるようなパッケージをデザインした先生は、本当に楽しそうな顔でこうおっしゃった。

 俺は本当に国連に行こうと思ってるんだって。国連見てて、『あそこ段差あるな』とか、『あの段差どうやって解消さしたろか』とか、『車椅子で行くには困るな』とかね。『国連でストレートにネイティブに近い英語で話さなきゃな』とかね。
 そういうようなことが、いま自分の希望・・・というか、やるよ、俺。やりたい。


 ”きれい事”をあきらめるな。完璧な形で見せてやれ。かっこいいなと思った。少し嬉しかった。

2008.09.23 手話を使う人
 ETV特集 『手の言葉で生きる』 を見た。

私たちは“聴覚障害者”ではありません。“手話を使う人”です。

と言うのは、神奈川県立平塚ろう学校の加藤小夜里先生。

 普段「ろう者」の人たちがネイティブに使う独自の手話は、身振りと豊かな表情でコミュニケーションをとる、「日本語」の文法とは異なった言語なのだという。自らも「ろう者」である加藤先生は、このネイティブな「手話」を使って、二つ目の言語「日本語」を子供たちに教える授業を行っていた。
 子供たちは、お互いの目を見ながら生き生きとコミュニケーションをとっていて、こちらまで元気をもらうったような気持ちになった。むしろいまや、耳が聞こえる健常な子供の方が、死んだ魚のような目をしている子が多いのでは?と思えたぐらいだ。

 生徒の1人に、大橋優美ちゃん(8歳)という女の子がいた。優美ちゃんが”耳が聞こえない”と診断されたのは生後10ヶ月ぐらいのとき。優美ちゃんは3歳のとき、『耳が聞こえる人の社会で生きていくために、普通に会話ができるようになってほしい。』というお母さんの強い希望で、耳の奥に”人工内耳”を埋め込む手術を受けた。お母さんにはそのとき、『自分と同じになってほしい。』という気持ちしかなかったと言う。
 しかし、人工内耳でひずんだ音を聞き取るには、粘り強い訓練が欠かせない。訓練はなかなか上手くはいかず、会話をするために手術をしたはずなのに、かえって優美ちゃんの笑顔は減っていったという。
 そんなある日、ろう学校に手話を話す子供が2人転入して来た。彼らが手話で生き生きと話してるのを見て、優美ちゃんもお母さんも「なんで?」と驚いた。目が釘付けになる優美ちゃん。
 それからお母さんは、優美ちゃんの人工内耳の外部装置をはずし、訓練をやめ、手話を教えてくれるフリースクールに一緒に通い始めたそうだ。今では、何気ない親子の会話が普通にできるようになった2人。

聞こえなくてもいいじゃん?て言いたいですよね。

とお母さんは笑う。

 優美ちゃんは、久しぶりに"人工内耳”の手術をした静岡県立総合病院を訪ねた。担当医の高木明医師は、人工内耳を使わないでいた事に驚きを隠せなかった。

声を出さないの?3年ほど前は声出てたよね?

お母さんは、考えを説明した。

しゃべるよりもコミュニケーションの方が大事かなって思って。(手話を覚えてから)コミュニケーションがすごい取れるようになったんです。

けれども、高木先生は呆れた顔で、お母さんを咎めるように言った。

 せっかく手術をした方としては非常に残念。
 僕らが一番心配するのは、この子が大きくなった場合に、今日本語をしっかりやらないと、あとで日本語を覚えればいいやという発想ももちろんあるんですけどね、それが意外に難しいんですよ。
 今の時代ならば、人工内耳を活用するのが一番いいだろうに。使ってほしかったな。はぁ〜

先生がここまでこだわるのは、正しい日本語を身につけるには、音声から入るほうがいいと多くの人が考えているからだ。
 私は、先生の「はぁ〜」という大きなため息を聞いて、泣きそうになった。優美ちゃんも雰囲気を察知したのか、悲しそうな顔だった。

 そんなに、普通の人と同じようにすることが大事なのだろうか。障害というけれど、多数決で人数が極端に少ない人種というだけなのではないか。それは個性なのだ。耳が聞こえないことで、逆に感受性が豊かになったり、表情が豊かになったりする。もう無理に、型に押し込めなくてもいいじゃないか。
 以前、発達障害の後藤健治さんという方がおっしゃっていた言葉が、私の頭の中でオーバーラップした。

 二ヶ国語を使えるようになれって言う感じ。発達障害の世界の意味合いと全然違う2つの言葉の世界があるから、そういうことを学習して、意味があることを理解する。


 大多数を占める”普通の人”の中で生きていくのは、確かにむずかしい。けれども、無理して一緒にならなくていいんだ。それを自分自身の中で受け入れたとき、はじめて自由に生きられるのではないか・・・最近、ようやくそう思えるようになってきた。

 私も”うつ”という障害を持ってしまったが、無理して”普通”にならなくていいかなと思う。ネットにたくさんいる”うつ”の友人たちと、仲間だからこそ通じる言葉で語り合う。いたわりあい、なぐさめあい、許しあう。
 それはあきらめとは違う。違うと思いたい。

 全国学校音楽コンクールスペシャル「続・拝啓 十五の君へ 〜アンジェラ・アキと中学生たち〜」を見た。コンクールに挑む中学生をアンジェラさんが訪問して、子供たちとやりとりをしていくものだった。

 その中にいた一人の多感な少女、”くるみちゃん” の 『未来の自分への手紙』 が印象的だった。
 泣きながら朗読した自分への手紙。

”自分” ってなんですか?
素直になるにはどうすればいいですか?

”自分” とちゃんとむきあってね。
つらいときは休憩していいよ。
私はあなたを信じるからね。
二人で一緒にがんばっていこうね。

 これを、もらい泣きしながら一緒に聞いていたアンジェラさんは、言った。

 最後の 『二人で一緒にがんばっていこう』 って、すごいステキな表現だと思う。この 『手紙』 って曲を書いたときに、二人の自分っていうのがいて、励ましあって生きていかんといかんと思ったから。くるみちゃん自身が色んな苦しい思いしてるけど、強い自分がいるんだなって感じた。


 自分の苦しみも喜びも一番よく知っているのは、やはり他の誰でもない、自分自身なのだ。過去の自分が今の自分を励まし、未来の自分が今の自分を励ます。そうやって自分を頼るって、恥ずかしいことでもなんでもなく、大事なことなんだなと改めて感じた。
 ”日記をつける” ということも、ある意味それに近いものがあるだろう。自分をストレートに表現することを、ためらってはいけないと思った。未来の自分のためにも。