今まで粉の薬を飲みづらいなんて、思ったこともない私だった。たまに ”粉の薬が飲めない” 人がいると聞いて、どうして飲めないのか不思議で仕方がなかった。ところがこの1週間、この粉薬がノドを通らない。いつもムセてしまう。水と一緒に流し込んでいるはずなのに、なぜか粉だけがノドに引っかかって詰まってしまうのだ。これは辛い。
まるで、突然花粉症になってそれまで他人を笑っていた自分を悔いたときのように、いま私はこれまで粉薬を飲めない人を笑っていた自分を悔いている。オブラートに包んで粉薬を飲む人の気持ちが、初めてわかった。
そうだ。こんどからは、セルベックス ”カプセル” にしてもらおう。
何のためにこんな思いをしてまで、この作業をしているのだろう。まるでそれをしないと罰でも受けるかのような気持ちで、黙々と数字を打ち込んでいるのはなぜなんだ。
家計簿をつけはじめたときの事をふりかえってみた。そう、たしかあれは、初めて買ったPCに家計簿ソフトがついていて、面白半分に自分の買い物記録をつけ始めたのがきっかけだった。けれども私は、そのソフトについている、各項目の月毎や年毎の集計グラフなど見たためしがない。家計を管理している訳でもなく、節約をしようという気もさらさらない。家計簿をつけている事など、まったくもって無意味だったのだ。
そういえば私はよく、毎日体重計にのってその記録をグラフにつけている彼を笑う。『日々の体重を200g単位で測定し管理をすることで、肥満を防ぐことができる。』という話を聞いてから、彼が続けている日課だ。けれども彼は体重を記録するだけで、その原因を探る事もしないし、何か特別な対策をとる事もない。だから私は彼を笑う。「体重の記録をつけただけじゃ痩せないのよー。」
家計簿をつけ続ける私は、そんな彼と一緒だ。むしろ、家計簿をつける時に、彼に向かってこれ見よがしに大きなため息をついたりするから、私は彼よりタチが悪いかもしれない。
私は思った。今日で家計簿をつけるのをやめよう。変なルールで自分を縛るのはやめにしよう。もうこんな事で苦しまなくてもいいんだ。何かから解き放たれたような私は、少しだけ気分が楽になった気がした。
昨日の北京オリンピックで、体操の男子個人総合決勝で19歳の内村航平選手が銀メダルを取った。私がテレビで生中継を見ていたときには、インタビュアーの人が 『具志堅監督につぐ24年ぶりのメダルですね!』 のような聞き方をしていたと記憶している。それに対して内村選手が以下のように答えた。
私は ”つぐ” の意味は、前後の内容から、”次ぐ” なのかなぁと思った。ちなみに上述のニュース記事では ”継ぐ” になっていた。それでもいいのかもしれない。「色が金じゃないんで、まだつげてないですけど、4年後にはこれが金になっているように、これからもっと頑張りたいと思います。」 (FNNニュースより)
ところが今朝のTBSのワイドショーを見ていたら、内村選手のインタビューの冒頭部分が省略されていて、以下のような字幕がついていた。
さすがにこれは違うだろうと思った。「(具志堅監督には)まだ告げてないですけど、4年後にはこれが金になっているように、これからもっと頑張りたいと思います。」
こんな字の間違いは本当にどうでもいいことなのだが、私はインタビューの内容とは全く関係ないところで、”編集” って恐ろしいと感じた。おそらく取材班と編集班は違う人だろう。ビデオを切り取った人と字幕をつけた人も違う人なのだろう。私の脳裏には、人から人へと情報が伝播していくうちに、誰かの解釈が勝手に入る様子が目に浮かんだのだ。そしてテレビなどのマスメディアでこうして字幕がついてしまうと、大衆がそれがすべてだと思って見るだろうからこわい。
私たちは、テレビや新聞やネットから情報を得るときに、それは他人の頭の中を一回通ったものだということを認識しなければいけない。ひとつの偏った情報源だけを頼りにせずに、いろいろな情報を集め正しい目を持って判断しなければいけないと、改めて思った。いい教訓になった。
北京五輪 体操男子個人総合で内村航平選手が銀メダル獲得 (FNNニュース)
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でも今日は、少し考えた。この1年間、”生きる” ということの意味について考え続けてきたからかもしれない。決して豊かとはいえない生活の中で、それでもつつましく幸せな日々を送っていたであろう人たちの事を考えた。戦争で、無念の死を遂げていった人たちのことを考えた。
一生懸命体を動かして働いていた昭和初期の頃には、うつ病なんてそうそうなかったんだろうな。生身の人間同士の付き合いがあり、家族や近所の絆があり、きっとそれなりに将来に希望を持っていて、『こんな風に死にたくない!』 と思っただろうし、また家族や他人の死を心から悲しんだだろうな・・・そんな事を勝手に想像した。
それに比べて、今の日本は、今の世界はどうだろう。
戦争をやめましょうとか、平和は大事ですよとか、そんな事をいまさら声高に言うつもりはない。それよりも、うつ病による自殺者の方が多いぐらいではないかと、私は相変わらず絶望的な気持ちで今のこの国を斜めに見てしまう。なぜこうなってしまったのか。なぜ希望が持てない国民になってしまったのか。
”戦争” と ”生きる” という2つの言葉をきくと、必ず思い出すお話がある。今年の4月に『夜回り先生』こと水谷修先生が「R30」という番組で10代の子どもたちに向かって話された、特別講演会の内容である。先生は ”命の尊さ” について、沖縄での陸上戦のお話をされながらこう言われた。
生きて生きて生き抜いて・・・か。覚えておいてほしい。君たちが今生きているということは、人類の誕生から一度も命の糸が絶えることなく、紡がれてきたということなんです。君たちの人生の糸は、君たちの先祖祖先誰一人が死んでも途切れる。君たちの命を守るために、どれだけ多くの人が人類の歴史の中で命を捨てて守ってくれたか。
君たちの命は、そうやって歴史の中で、無念の死を遂げざるをえなかった数え切れないほど多くの人たちから、託された預けられた命なんだ。この命の糸をたやさないで。次の命につないで。だからお前たちは、生きて生きて生き抜いて。
命の尊さを絶対に忘れないでください。
ご先祖様が今のダラダラな私を見たら、『しっかりしなさいっ!』 と喝を入れられそうだ。ここまでつながってきた命のリレーは、やはり奇跡に近いのだ。私はもっとその事実を自覚しなければいけないと思った。
そして、たとえ私でリレーが途絶えてしまうとしても、絶望のうちに自ら終わらせてしまうなんて決してやってはいけない事なのだ。少なくとも私は、誰かの命のリレーを守らなければいけない。そうでないと、”無念の死” を遂げてまで私のご先祖様を守ってくれた人達に、とても申し訳ない気がした。
関西学院大学の野田正彰教授(比較文化精神医学)は、お父上が外科医で、小さい頃から人の大病や死、そして遺族の嗚咽を見て育ち、”人の悲しみに過敏になった”と自ら語るヒューマニストだそうだ。
その野田先生が、21世紀に入ってからの仕事場の変化に危機感を募らせているという記事であった。
野田先生が問題視しているのは、労働時間の増加だけではない。職場で「ほっとする時間」 「息抜きできる瞬間」が消えうせて、過度な緊張状態が延々と続く働き方が問題なのだそうだ。
なんだなんだ?これは私か?まるで、お風呂の中でも壁のタイルに回路図を描いていた、夢の中でも特許を書いていた、そんな昔の自分を見ているようだと思った。その緊張が仕事が終わって、帰宅してからもほどけない人が目立つ。『あれをしなければならない。あー、この点が欠けている』などと頭の中を仕事のことがぐるぐると駆け巡り、やむことがない。これは職場での残業時間がどうかといった問題の域を超えている。私は過剰覚醒社会になったとみている。
最近特にこんな人が増えていて、『とにかく寝かせてくれ、睡眠薬を出してくれ』と訊ねてくる患者さんが多いのだそうだ。その背景には、四六時中働く人を管理し、人がぼーっとする空いている時間をなくし、すべての時間を無駄にせず有効に使おうとする企業の姿勢があると、先生はいう。
まったくその通りだと、会社を離れてみて今さらながら思う。その通りなのだが、企業の中で働いている人は、なかなかその事に気づかないものだ。それはもしかして、心を型にはめて楽にするいわゆる『マインドコントロール』状態なのかなとも思う。そしていつしか「心の病」になってしまう人が最近増えているのではないかと思う。職場でぼーっとしてすごす時間が、やはり必要だ。最も大事なことだと言っていい。ぼーっとすると意識が自由になる。いろいろなことがとめどなく頭に浮かんでくる。(中略) そういういことを通して人は生きることを味わう。余裕がまったくないと、何のために生きているかわからなくなる。
だが、ひとくちに”自由になる”といえども、言うは易し、行うは難し。1人でもがいても限界がある。野田先生のおっしゃるように、『国のありかたも、経済大国志向はそろそろやめにして、大きくはなくても国民が幸せな国へと新しいプランを作るべきだろう』、というのも重要なことだろう。
最後に、野田先生のこの言葉が印象に残ったので、引用しておく。
私はしばしば引用するあの格言を思い出した。やはり働き方には人間性が大事だということだ。普通の人間として生きられる生活、働き方。そもそも人は生活の質をよくするために働いているはずなのに、現実は必ずしもそうではない。
生きることそのものが人生の目的なのだ。ただ生きていることを味わう幸せ。そういえば、もう何年もそんな事を思ったことはない。私の心が自由になるのには、もう少し時間がかかりそうだ。生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ ─ ソクラテス
姉は、私の返信メールの中の”ごめんね”に驚いていた。私はこんな事を書いていたのだ。
姉が言うには、『そんな事もあったっけ』程度で、すっかり忘れていたという。『そんな事ばっかり気にしてるから疲れちゃうのよ。』と優しく笑っていた。お姉ちゃんの就職や退職の頃を思い出しちゃった。お姉ちゃんもいろいろ(母に)責められてたよね。一番苦しんでるのはお姉ちゃんなのにねって思ってたけど、全然助けてあげられなかったね。ごめんね。
けれども私にとってはそれは強烈な記憶で、毎日鬼の形相で姉を責めたてる母と、泣きながら言い返していた姉と、同じ場にいながら何も言えずにうつむいて黙っていた私。今でもその場面を脳裏に描くことができる。今から考えると、『ああ、あの時の姉は1人でつらかったんだろうなぁ。』と思ったから”ごめんね”と書いたのだが、本人が忘れていたとは。
それから姉と『不思議なもんだね〜』と、しみじみ話をした。十年以上たっているのに、特に大きな出来事でもないのに、今でもふと思い出す『あ〜悪いことをしちゃったなあ』という気持ち。そんな思いが、姉にもあるという。
姉はまず、小さい頃私にいろいろとひどい仕打ち(?)をした事を謝っていた。私にはまったく覚えのない事だった。それから姉は、高校時代のささいな事が突然夢に出てきた事で自分の失言を思い出し、その相手に電話をして謝りたい気持ちになったとも言っていた。『でもきっと忘れてるんだろうなあ。』と笑っていた。
シークレットでコメントをくださった方にも、たまたまそんな方がいた。おそらく相手は何とも思っていないであろう事なのに、やけに自分だけ気になる後悔の記憶というものが、そんな小さな心の傷が、人間誰しもあるようだと感じる。
私には、今謝りたい人が2人いる。その事を思い出すだけで、口の中に苦〜い味が広がるような記憶がある。たぶんふとしたきっかけで思い出す”謝りたい人”は、これからもゴロゴロと出てくるのだろう。
謝る事で自分の気が晴れるなら、相手が忘れていようが迷惑だろうが謝らせてもらいたいものだと、勝手ながら思ったりもする。もちろん、年月がたったことで水に流してもらえるという計算があるから言える事なのだろう。その場で謝れなかった自分を恥じつつも、誰かに赦してもらう喜びで癒されたいだけなのかもしれない。ある意味、自己満足なのかもしれない。
が、今日姉から”小さい頃は本当にごめんね”と言われたとき、なんとも言いようのない暖かさを感じた。覚えていないなりに実はとても嬉しかった。自分の事を、自分が知らない間に思っていてくれた人がいたというその事実が、嬉しかったのだと思った。そういう事が、私が求めている本当の”コミュニケーション”なのかなと思った。
ちなみに、私の母のように『恨み』の記憶が強い人に唐突に『あの時はごめんね』と言うと、気分によっては突然いろいろ思い出して手がつけられないほど怒り出すことがあるので、注意が必要である。

















