夜中に夫が帰宅して、私の涙まみれの顔をなでてくれた。「ごめんなさいごめんなさい私さえいなければもっと幸せな人生を送れたのに。」と謝る私に、彼は「ぐりえちゃんじゃないと幸せになれない。」と言ってくれた。本当にいい人すぎて、余計泣けてきた。
映画「イキガミ」の主題歌、フィルハーモユニークの「みちしるべ
(歌詞抜粋)
生きるとはなんだろうか? 戦う事か 戦いを避ける事か
正しさとはなんだろうか? 間違わぬ事か 見失わぬ事でしょうか
優しさとはなんだろうか? 許せる事か 許さぬ事でしょうか
愛するとはなんだろうか? 思いやるだけか 疑う心をも隠す事でしょうか
生きるとはなんだろうか? 戦う事か 守り続ける事か
正しさとはなんだろうか? 踏み外さぬ事か 自分だけが失わぬことなのか
これから先歩む一歩が 死にゆく一歩でなく 生きゆく一歩であれ
これから先歌う言葉が 恥ずかしながらも 人の心を打つ様にと
それが私のみちしるべ
昨日、NHK「MUSIC JAPAN」で、森山さんがこの件に関してコメントしていたので、全コメントをメモしておく。
Q. コンビニでの店内放送自粛についていろんな人の意見があって然るべきだっていうふうに自分は解釈してるっていうか、そうせざるを得ないっていうところですよね。ネガティブなこう・・・僕は誰かを傷つけるためにこの曲を作ったわけではないから。
Q. この歌で本当に伝えたかったことなんかでも、俺はすごくいい判断なんじゃないかなとは思いましたけど。
一回歌って、その一回で全てが伝わればいいと思うんです僕。別に、何回もかかってどうだって音楽やってるわけじゃないんで。然るべき場所で、然るべき人たちと、この然るべき歌を共有できる事から、たぶんもっともっと向こうの世界につながっていくと思ってるから。
そういう意味では、コンビニの空気に合わなかったってのは、この曲の持ってる運命だろうと思って。
命が通ってないところにいってもしょうがないっていうか、息吹が吹き込まれていないところにいると、毒になるんですよ。誰かをムゲに傷つけてしまう。俺はそれだけはやっぱり嫌だ。100人聞いて99人がいいって言ってくれても。
曲って人から人へつながっていくと思うんですね。俺たちが作ったことってのは1つのきっかけであって、そこにいろんな時代性だったり、なんか歴史だったり、よくわかんないけどそういうことが相まって、曲って奥行きというか必然を増していくと思うので。だからもう聞いた人が感じた事が、俺はこの曲に関してはすべてだと思う。
音楽だけではなく、文章もそうだし、人間の内面が作り出すものはみな同じなのだと思う。受け取った人が感じる事がすべてだ。
私も誰かを傷つけるのは嫌だ。自分がよかれと思っている事でも、然るべき場所でないと毒になってしまうというのは、悲しいけれど現実的にそのとおりだ。なんかでも・・・うーん。難しいな。

自分のことをいちいち気にして見ている人は、案外自分が思うほどは多くないのだろう。そのかわり、自分のことを見守ってくれている人や生き物は、自分が思っているよりずっと多いのかもしれない。マッキーのこの優しい歌を信じたい。孤独に押しつぶされそうになっているすべての人に聞いてほしいし、歌ってあげたい。
言葉にならない感謝に、誰もが気づけるようになれればいいのにな。顔をあげてふりむいて・・・
このニュースを聞いても、私は正直言って「どうでもいいや」という感じだ。他人の声ならともかく、すばらしい本人の歌声には変わらない。そもそもテレビやネットを通して聞いている歌声は、全部録音なわけだし。現地で生で聞いた人の中には「だまされた!」と思う人もいるのかもしれないが、会場ではどうせマイクを通して電子化された音を聞かされているわけで、だったらそう変わらない。世界3大テノールと呼ばれ、昨年9月に死去したイタリアのテノール歌手ルチアーノ・パバロッティ氏が、最後の公の舞台となった2006年のトリノ冬季五輪開会式で“熱唱”したアリア「誰も寝てはならぬ」は健康状態を懸念して事前に録音されたものだったことが9日までに分かった。
ANSA通信などが伝えた。開会式でオーケストラを指揮したイタリア人指揮者マジエラ氏が最近の著書の中で明らかにしたという。
同氏によると、パバロッティ氏は06年2月の開会式の前に体調を崩し、開会式当日に声が出なくなることを恐れて事前に録音。開会式では録音した歌に合わせ口を動かすだけだった。オーケストラの音楽も別の場所で事前に録音され、開会式では楽団員らも演奏するふりをしていたという。
(東京中日スポーツより)
ライブだと歌い方が変わるのだろうか?それはあるかもしれないが、私はパバロッティ氏の間奏中の感極まった顔が忘れられない。
パバロッティ氏最後の“熱唱”は口パク 体調不良で事前に録音 (東京中日スポーツ)
※リンクはなくなる場合があります。
そういえばなんだっけ、あの歌。アリナミンのCMで使われてるあの歌。私はYouTubeで探してみた。
ウルフルズ 「泣けてくる」
だがこの歌、よくよく全部聴いてみると、ため息とともに歌うような歌詞ではなかった。
泣けてくる Music & Lylic by トータス松本
どんなに気持ちが小さくなっても 夢みていたい
胸の中 光が見えなくなっても 夢みていたい
それぞれの目の前の それぞれの景色を 信じて歩ければ
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる なにげない言葉が うれしい帰り道
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す
どんなに気持ちに迷いがあっても 忘れない
胸の中 僕を奮い立たせてくれる 熱い想い
はればれとした気分で 思い思いの世界を もとめて歩ければ
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 言えないひとことが せつない帰り道
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す
凹んでも疲れても 明日がやってくる
何からはじめようか どれくらいがんばろうか
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる うれしい言葉が せつないひとことが
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す
どうやら、「なにげない言葉」が嬉しくて、「言えないひとことが」が切なくて泣いているようだ。私が勝手にCMのイメージで抱いていたような、『生活に疲れきって泣いている』わけではなかった。
これはこれでいい歌だが。やはり物事は、一部だけ切り取って自分で勝手に解釈すると、本当の意味が見えなくなるものなのだなぁとつくづく思った。いつも全体を見るように心がけなければ。
うれしくて泣く・・・か。もう何年も感じていない思いかもしれない。
YUI 「Namidairo」
Namidairo Music & Lylic by YUI
嫌われているような 気がしてた 帰り道
見上げた部屋の灯り 今 どんな気持ちでいるのだろう?
ケンカになればすぐ謝る よわくて アナタハ ズルイヒト
なみだいろ 声が聞こえない夜は 困らせてしまうほど わがままになりたい
だいじょうぶ そう言ってみたけど そんなはずないでしょ・・・
水たまりに映る 哀しい顔 見慣れている
ムリ 言わないつもり わかってるから 苦しくなるの
優しくされると泣けてくる やっぱり アナタハ ズルイヒト
なみだいろ 声が聞こえない夜は 困らせてしまうほど わがままになりたい
だいじょうぶ そう言ってみたけど そんなはずないでしょ・・・
あなたの前じゃ 嘘つきよ 気づいてほしいと 思っているの
そんなに強いわけじゃないからね アタシ
涙こぼさない 決めていたのに 困らせてしまうよね? わがままになれない
だいじょうぶ? なんてまた訊くけど そんなはずないでしょ・・・