2007.08.18 注釈
※1:ネト彼
ネットゲームで知り合い、「時間を合わせて一緒に遊ぼうね」と約束したかもしれない、いや「時間が合えば一緒に遊ぼうね」だったかもしれない、いちばん話せるネットの男友達。いないと寂しい。リアルでどうこうっていうことはない。ネト彼という言い方に語弊があったらごめんなさい。他にいい言葉が見つからない。
→やはり語弊がありすぎるので「ネト男」に変更した。(2007/9/29)
→それも失礼なので「仲のいい異性のネト友」ぐらいにしておく。(2007/10/25)
→きちんとお別れ。(2007/12/08)

※2:三度の飯
私は三度の飯がこの上なく嫌いである。 私に限っては「三度の飯より好き」ではなく、「三度の飯より嫌い」という風に使う。

※3:引退
常時ネットに接続しっぱなしの状態から、ただパソコンを落とすために一旦ログアウトする意味。主にオンラインゲームで、いつもonline状態でいたのに突然「引退します」「さようなら」と騒ぐ人に限って、必ずすぐに戻ってくることからそう言われる。

 私は嘘つきである。いや正確には嘘はついていない。嘘はついていないけれども本当の事も言わない、実にコズルイ女である。

 テスト前に「ねぇ勉強すすんでる?」と聞かれれば「うーんあんまり」と言葉をにごし、飲み会の席で「ぐりえちゃんって彼氏いるの?」と聞かれれば「えーどうだろう」とあいまいな返事をする、そんな面倒くさい女である。別に謎めきたいわけでもないし、誰かを騙したいわけでもない。どうやらその場の空気を読んだ結果「この場では即答を避けたほうが周りの空気がゴニョゴニョ・・・」と勝手に考えるクセがあるらしいのだ。

 そんな私は、数年前からネットワークゲームにはまっていた。別段ゲームが好きという訳でもないが、ゲームの中のキャラクターになりきって別の世界で楽しく生活することに、この上ない喜びを感じるのだ。というのも、恥ずかしながら私はリアルの生活でうつ病を患っており、その原因が現代社会の不合理さにほとほと疲れ果てたことによるものだったため、ネトゲの世界=日常からの逃避という意味もあったのかもしれない。

 当然のことながら、私はゲーム内でリアルの生活の話など一切しない。ゲームの世界の空気を読めば、ゲームのキャラクターになりきって話をするのが一番自然だと思える。「ぐりえちゃんはお酒飲めるほう?」と聞かれたら照れるアクションを交えながら「ぐりえ子供だからお酒飲めなーい(´・ω・`)」などと三十路女が実に気持ちの悪いロールプレイングをしていた訳だ。

 ところがネトゲ歴が長くなってくると、これがだんだんまずい事になってきた。ネトゲと言えども仲良くなった友人同士、リアルの友達や家族よりも長い時間を共に過ごすことも少なくない。そうなるとネトゲのゲームの部分よりもチャットとしての機能が重要視され、私のようなロールプレイング派にとっては少々居心地の悪い空気が漂うようになってくる。誰が誰を好きらしい、誰と誰が仲悪い、などという普通の人間関係がそこにはあった。仕事が忙しい、家庭が忙しい、などという普通の社会生活がそこにはあった。

 そんな中、私だけが必死にリアルの生活を隠そうとしていた。嘘はついていないけれども本当の事も言わない。今さら全てをさらけだすなんてとてもできなかった。本当は30越えてますとか、本当は彼と同棲してますとか、実はもう籍も入れましたとか、たぶん他の人にとってはどうでもいい事なんだろうけど、どうしても言いたくない事が山ほどあった。言えば全てが終わると思い込んでいた。隠そうとすればするほど苦しくて、リアルの自分にますます自信がなくなって、余計に本当の事が言えなくなっていった。他人のリアルな話を聞くのもつらくなっていった。

 きっかけは本当に些細なことで、ネト彼と言ってもいいぐらいいつも一緒にいる私にとって大事な人(※1)が、(この人だけは、私に彼氏がいることを見抜いていたのだが)、夜更かしして遊んでいた私にこう言った。
「思うに彼氏放置でかわいそうじゃね?」
改めて「かわいそうじゃね?」と言われたのは初めてだった。図星だった。終わったなと思った。

 そして私がとった手段は、ネットから姿を消すという一番安直で卑怯な手段だった。

 ブログの開設はとても楽しい。ハンドルネームを考え、タイトルを決め、背景を選び、メニューを設定し、ブログ作成の中で最も楽しい作業といってもいい。実際ブログの作り逃げばかりしている友人を何人か知っている。

 私がブログを開設したのはこれで二度目である。最初はネトゲの日記だった。ゲームの中のキャラクターになりきってRPをしていた私は、日記の内容ももちろんネトゲのみ。ネトゲで起こった出来事をSSとともに記録に残す形の絵日記を書いていた。恥ずかしいのでURLはリンクしないが、その日記を知っている人がこのページを見たら別人かと思うかもしれない。文章は短く幼稚で、顔文字ばかりの日記。それほどゲーム内のキャラは「キャラ立ち」していたと自分でも思う。

 その日記を放置して私がこのブログを立ち上げたのは、ネトゲ日記の人格があまりにも強烈すぎて、私本来の思っている事を言えなくなってきたせいかも知れない。本当はネト友に言いたいこと言わなければならない事が山ほどあった。だんだん苦しくなっていた。バカがつくほど真面目で完璧主義の私は、自分で決めた定義を破るのが大嫌いで、ネトゲ日記から逃げ出したのだった。
 だがいざ書く場所を失ってみると、前よりもっと苦しくなった。私は小さい頃から書くことが大好きな子だった。文章を書くことで自分の考えがまとまっていくのだ。
 そこで私は苦肉の策として、本当の私の思いを書き綴るためにこの場所を作ることにした。

 余談だが、「ブログ」は「日記」とは違う。「ブログ」とはもともと『自分が気になったニュースやサイトなどのURLを、寸評つきで紹介(Wikipediaより)』するウェブサイトである。ただ現在では、そうした目的のためのブログツールを、個人の日記として使用している人が多いというだけである。
 そして今回、私はこのブログツールを「エッセイ(随筆)」として使おうと思う。FC2のジャンルに「エッセイ」がなく、強いて言えば「小説・文学」なのかもしれないが、どうもしっくり来ないのでジャンルは「日記」にした。

 ネトゲ友達にこのページを見せたら何と思うだろうか?今の自分でも受け入れてもらえるのだろうか?でもずっと黙っていた分、無性に誰かに見てもらいたい、そんな気持ちもどこかにあるのだ。

 うつ病はこころの風邪です・・・今ではそう呼ばれるほど市民権を得た「うつ病」に、私はかかってしまった。4年前の事だ。果たしてこれが本当に「うつ病」なのかどうか疑問だが、今でも抗うつ剤を飲み続けていて、減薬するとうつ状態がひどくなる。

 その頃の私は、仕事でとても疲れきっていた。某精密機器メーカーの研究・開発職であった私は、その会社がそれまで手付かずだった情報通信分野を担当していた。社内では異端児で、いつもわけのわからない事を言っていると思われていたようだ。本部長や役員クラスにうっかり本当の事を意見しようものなら「君、何もわかっとらんくせに馬鹿なことをいっちゃいかんよ!失敬だ!」と叱られる始末。それでも一生懸命働いた。食事をする間もおしゃべりする間もトイレにいく間も惜しんで働いた。25人月分を1ヶ月やりぬいた。予算削減、人員削減、スペース削減、いろいろな圧力と戦っていた。部署内ではちょっとした事で仲間同士のケンカが起こり、ミスが増え、みんなの顔に生気がなくなっていた。
 さらに酷いことに、当時の社長が定年後のポストを有利にするためトチ狂ったらしい。株を高くするためなのだろう、新聞発表される経常利益は毎年過去最高を更新し、なぜか優良企業の仲間入りをしていたわが社。だが実際は過去の遺産を次々に売却しているだけで、セキュリティという名のもとに社員の軍隊式徹底管理が行われ、社員はみな悲鳴をあげていた。給料や福利厚生の締め付けは目も当てられず、2ちゃんねるの裏情報板の書き込み数は、いつも悪名高いF社とわが社のツートップ。社長の周りはイエスマンばかり。典型的な大企業病であった。
 理解ある上司達は早期退職制度を利用して続々と退職していき、新しい部長からは「お願いだから我慢して」といわれ、思い余って職場環境について労働組合に相談した私だったが、次の日とうとう人事部に呼び出しを受けるハメに。もう八方塞りだった。

 ある朝、どうしても洗面所から立ち上がれなくなった私は、頬に涙がツーと流れている事に初めて気がついた。それがうつ病の始まりだった。

 思えばとつぜん体重が5Kg痩せていた。食欲がなく、またよく眠れなかった。37.5℃ぐらいの微熱が3ヶ月ほど続き、ダルさがあったので内科をいくつか回ったが、どこへ行っても異常なしだった。会社で倒れたこともあった。スペース削減のせいで休憩所のないフロアで、歩くこともできなくなった私は、実験室の床に打ち捨てられるように寝かされていた。誰かがスカートのところに作業着をかけてくれたのだけは覚えている。

 そんな私を唯一救ってくれたのが、ネットだったのだが・・・
 ここまで書いていたら気分が悪くなってしまった。続きはまた今度。

2007.08.19 世界一の子
 私はフェレットを飼っている。名前は「どんぐり」という。目の中に入れても痛くないほどかわいい。世界中のフェレットの写真をいろいろ見ているが、うちの子が一番かわいいと真剣に思う。

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 うつ病が酷かった頃、私はたまに当てもなくフラフラと街を歩いていた。周りにはリストラでもされたような初老の男性が、一人で散歩する姿が意外に多かったのを覚えている。そんな時、偶然通りかかったペットショップ。そこで目についたのが今のフェレットだった。神経質そうに毛づくろいをする他のペット達を尻目に、一人おなかを出して口を開けてスピースピーと寝ている赤ちゃんフェレット。その大胆さに思わず見とれてしまった私は、次の日にはもう、その子を家にお迎えしていた。

 名前は、植物の名前からつけたくて、いろいろ考えていた。色が茶色だったので、椎茸か団栗が候補にあがった。最後に決め手になったのは、小林一茶の俳句だった。

  どんぐりの ねんねんころり ころりかな

 本当によく眠るフェレット。こちらが構わなければ、ご飯とトイレ以外は常に寝ている。また寝相が悪くて、しょっちゅうコロンコロンと丸まったり伸びたり。見ているだけで飽きない姿が「どんぐり」にぴったりだった。

 イタチ科のフェレットは、頭がいいのか悪いのかわからない。私の事をなんだと思っているのかもわからない。ただ犬や猫みたいに鳴けない分、喜んでいるのか怒っているのか、苦しんでいないか痛がっていないか、常に見てあげないとと思う。どんぐりは今年3歳で、先日「副腎腫瘍」の摘出手術をのりこえたばかり。寿命が10年もないフェレットだからは、この子はたぶん私より先に逝くのだろうと思うと、今からとても悲しい。

 ネトゲを引退してから、ここ数日フェレットと遊ぶ時間がふえてきた。夜も一緒の布団で寝るようになった。今までどうしてもっと遊んであげなかったのだろう?かわいさが止まらない。

 まだ私がネトゲに没頭していた頃、ネト友のブログをサーフィンしていたら「うつ病に効くオンラインゲームの世界」という記事を紹介していたので、興味深く読んだ。当時は、こんな大義名分があるならもっとゲームしちゃうぞ!と喜んだものだった。
 しかしこれは病気の治療に限ったことではないが、何事もその人その人に合った方法というのがあると、今さらながらしみじみ思う。私から言わせていただければ、オンラインゲームでうつ病が治るという方が稀有な事例である。むしろオンラインゲームはネット依存症を誘発するので、これは非常に危険なことだ。

 私はどうやら、オンラインゲームでうつ病になってしまった。正確に言うと、うつ病だった私が演じていた「オンラインゲームの中の私」が、さらにうつ病になってしまった。
 私は今生きているこの窮屈な現実世界から逃げ出したくて、ゲームの中に新しい人格を誕生させた。その「オンラインゲームの中の私」はとても素直で、人を疑うことを知らず、みんなから愛されるべき純粋な少女、だったはずだった。けれども悲しいことに、オンラインの時間が長くなるにつれて、その少女も成長していく。それまで知らなかった大人の人間社会をそこに感じ始めるようになる。それがイヤで理想の社会がほしくて、できる限りの努力を始めた「オンラインゲームの中の私」は、最後には現実の自分と同じように力尽きて倒れてしまったようだ。

 前述の「うつ病に効くオンラインゲームの世界」を参照させていただけば
ゲームの中ではみんなが待ってくれた。きっと、それは遊びだから。現実の社会ならみんなせかせかしてしまうし、仕事が遅いと陰口を言われてしまう。
 これは違う。オンラインゲームでも、仲のいい友達どうしでは遅いときは遅いと言う。たかが遊びだから待っててもいいと思う人もいるかもしれないが、たかが遊びなのになんで待たなきゃいけないの?という考えの人もいる。
ゲームの中では表情が見えない分、自分の行動に対して相手がどう思ってるかわからない。だから、どうしたらいいんだろうって考えた。そうしたら、人から何かをしてもらったときに「ありがとう」っていう言葉が自然に出てきた。人には何かをしてあげれたほうが自分も楽しい、って思えた。
 これも逆だ。ネットでは表情が見えない分、相手の気持ちを理解しようとすればするほど、現実社会以上に苦しむことが多い。
 また人のために何かしてあげたい人は、オンラインゲームの世界ではある意味とても便利な人であって、そういうタイプの人はとことん尽くす役割を担う事になる。だんだん「ありがとう」という言葉を聞く機会が少なくなり、それに不満をこぼせば「好きでやってるんでしょ?嫌ならやめればいいのに」と言われるのも当然といえば当然だ。

 一つ断っておきたいのは、これはオンラインゲームをやっている人が変だという話ではない。オンラインゲームをやっている人もみな現実社会と同じ人間であり、オンラインゲームの世界は現実社会とおなじ一つの社会なのだということである。
 うつ病はそもそも、真面目で神経質で責任感が強いタイプの人がなりやすいと言われている。したがってうつ病の人がいくらオンラインゲームをやっても、新しい発見があるわけでもなく、社会の縮図を味わうだけなのである。私もこの事実に気づくのに数年かかった。

 最後にこれだけは注意しておきたい。
オンラインゲームのプレーヤーは学生が多くて、「仕事で嫌なことがあった」とまでは言わなくても、何か辛いことがあったときに「がんばれ」って励ましてくれた。
 うつ病の人に「がんばれ」とは絶対に言ってはいけない言葉であることは、あまりにもて有名である。うつ病に理解の少ない学生プレイヤーなどの多くは安易に「そんなのたいしたことじゃないじゃない」「がんばれ」と言うが、私はその言葉に何度傷ついたかしれない。
 
 「うつ病に効くオンラインゲームの世界」の筆者が快方に向かったのは、「数カ月間仕事をやめていた」こと、もともと「人とコミュニケーションするのが好きだ」ったこと、「ブログも始め」「文章を書くこと」で自分の考えを整理できたことであるに尽きると思うのだが、いかがだろうか?

 一応トラックバックを投げておくが、こんな批判的な感想文だけに「編集部の判断によりトラックバックを削除」されないことを祈る。