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こころの歌
 歌うこと、大きな声で歌うこと、これはかなりのストレス解消になる。カラオケに行くのもいいのだが、外に出られない私は、家で1人で歌う。YouTubeでお気に入りの曲を流しながら、うたまっぷで歌詞を見ながら、自宅カラオケだ。流行の曲でも昔懐かしい80年代90年代の曲でもいいのだが、そういえばこんな事を思い出した。

 私の姉は、義兄の仕事の都合でアメリカに住んでいる。西海岸だ。
 うつ病と診断されて、会社を休職していた頃、私は1人でアメリカの姉の家に遊びに行ったことがある。今では考えられないが、その頃は「気分転換で病気も治るのでは」とか思い、また「こんな長期休暇はそう取れないわよね」とか色々考えて、誘われるままにアメリカ旅行を決断したのだ。
 とはいえ、成田まで両親に送ってもらい、飛行機こそ1人だったが、アメリカの空港には到着ゲートに姉が迎えにきていてくれていたので不安はなかった。

 カリフォルニアは本当に空が青い。毎日カラっと晴れていて、気分もすがすがしくなる思いだった。姉の家では、時差のせいもあったのかもしれないが、ほとんど寝ていた。姉は私の体調をみながら、1日おきぐらいにどこか遊びに、または買い物に連れて行ってくれた。

 そして帰国をし、カイロプラクティックに行ったら、先生が驚いて「今回はだいぶ首の調子がいいですよ!何かしたんですか?」と言うではないか。首の調子とは、以前の「カイロプラクティック」という記事でも述べたが、

脳からのすべての神経の出入り口となっている頚椎(首の骨)の1番と2番が固まっていたりズレていたりすると、自律神経がうまく働かなくなる

あの部分だ。本来なら、長時間飛行機に乗って、知らない土地に行って、肩が凝って首が縮こまって仕方がないはずである。それがなぜか、その時はいつもより断然やわらかく動きがあったらしいのだ。

 思い当たることがいくつかあった。肉体的な事で言えば、姉の家には「バランスボール」があった。今でこそヨガやピラティスで流行っているバランスボールだが、当時はまだ珍しかったので、落ちないようにうまくバランスをとって乗ろうとするだけで楽しかった。練習をしていくうちに、だんだんと長い時間座っていられるようになった。
 そしてバランスボールに座ってやっていたこと。それは歌を歌うことだった。姉の家に、成田の売店で買ったという「日本のこころの歌」という小さな本があった。そこには、小さい頃歌った童謡・唱歌が200曲以上、楽譜つきで載っていて、ほとんどが知っている歌ばかり。懐かしくて、何も知らなかった子供の頃に戻ったように、朗々と歌い上げていた。全曲歌ったかもしれないぐらいの勢いだった。

 今では私もバランスボールを持っているが、バランスボールに乗って遊んでいるだけでは、状態が改善されることはあまりない。あの歌がよかったのだろうか。ふとアメリカでのそんな出来事を思い出し、また同じ本を買ってみようかと思ったりしている。

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なくなる午前中
 朝、起きるのがだるい。4時とか5時に一瞬目が覚める。うつ病でいうところのいわゆる「早朝覚醒」のようだ。
 しかも、その直前まですごくリアリティのある夢をみていて、夢の中で誰かを待たせていたりするので、早く戻らなくちゃと訳のわからない事を考える。立ち上がる力がないので布団の中でゴロゴロしていると、トイレに行きたいことに気づいてノロノロと這って歩く。トイレから出ると、フェレットが小鹿のような目をしてドアの外で待っているのが、本当に愛らしい。
 フェレットをダッコしてみて、体がだるくて仕方がないことに気づく。肩から背中にかけてズシッと重い。初めて声を出す「ああだるい・・・・」
 でも何があってもフェレットの朝ごはんだけは支度をしてあげようと思う。「よいしょっ」とフェレット食器をケージから取り出して洗い、新鮮なドライフードをいれ、新しいお水を用意し、「ごはんだよー」と呼ぶとフェレットが飛んでくる。これまた愛らしい。生きてて良かったと思える唯一の瞬間だ。
 結局、あまりのダルさに私は布団に戻り、フェレットがカリカリとご飯を食べている音を聞きながら、ストレッチやヨガの呼吸法などいろいろやってみるが、だるさは取れない。そのうちにまた寝てしまう。午前中はずっとこんな感じだ。

 たまに調子がいいと、そのまま起きて朝ごはんを食べる。そしてつい癖でPCの電源を入れてしまい、ネットサーフィンをはじめる。それからブログに今の気持ちを書きなぐり、このダルさを誰かにわかってもらいたくて・・・・そして今ここ。
 たぶんもうすぐ「ああだるい・・・・」と口に出し、また布団に戻ると思う。本当に人間的な活動できるようになるのは、午後1時ぐらいからである。半人前で嫌になる。

 「病は気から」と言うけれど、ついこの前も言われたけれど、うつ病はそれが通用しない病気である。なかなか理解してもらえなくて余計に辛い。それともやはり、私が甘えてるだけだろうか。そうだったら、本当にごめんなさい。どうしたらいいのかわからない。

サムライだったね
2007.09.29 Sat 17:38 | ウルフルズ | 音楽
サムライが大好きでした。

ふたりで歩く橋の上
駅の名前のネオンサイン
へなちょこでも気分はサムライや
そういうおれがおれは好きや
そしておまえが好き
めちゃめちゃおまえが好き
そうやって笑って見ててくれたら
おれは誰にも負ける気がせえへんわ - Lylic by トータス松本


恐れるな
2007.09.29 Sat 16:53 | エッセイ | 小説・文学
 聖書には「恐れるな」という言葉がたくさん出てくる。その中でも少し元気の出る簡単な一節がある。

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。

(イザヤ書41章10節)

 見捨てられるのが怖い。孤独が怖い。今いる場所から動くことが怖い。みんなが変わっていくことを認めるのが怖い。居場所がなくなるのが怖い。新しい居場所を探しに元いた場所を出て行くのが怖い。一歩を踏み出すのが怖い。
 とにかく何もかも怖くて仕方のない私。ただのわがままだと言う人もいる。

 でも、ふとこの一文が頭に浮かび、少しだけ勇気が沸いたような気がした。繰り返し唱えよう。唱えながら前に進もう。「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。」そう言ってくださる神のみを信じ畏れよう。

 恐れるな。私には私の神がついていてくれるのだから。
 一歩ずつ進め。止まってもいい。歩くという字は少し止まると書くのだから。
 今が一番若い。今を考えた瞬間にそれはもう過去になっているのだから。

昔とは違う
2007.09.29 Sat 12:15 | ネット依存症 | 心と身体
 「もう昔とは違うってことだわ」と私が言ったら、「ぐりえだって昔と違う」とネト男が言う。ああ、ちなみにネト彼だった人、語弊がありすぎるので、ネト男に変更する。

 鳴り物入りの「三國志Online」というオンラインゲームが始まったので、わーっと盛り上がって昔みたいに楽しくできるのかな?と少し、いやかなり期待して、ネットに、そしてオンラインゲームに復活したのだが、結局ネトゲー仲間の参加者は少なく、誰とも会うこともなく、盛り上がることなくこのまま収束しそうな気配だ。
 もうこの1年ぐらい、ネトゲー仲間の「ゲーム不感症」はずっとこんな感じで、そのたびに期待を裏切られたような寂しさを感じる。みんなはもう大人になって、私だけ取り残されている、まさに「ピーターパン症候群」の気分だ。

 ネト男はそんな私に「IRC(チャットルームのようなもの)もたまにしかこないやん」と言う。今までずっと黙っていたが、この際はっきり言おう。私は、規約や法律を破る不正なことと、楽してお金儲けをする事が大嫌いだ。そんな話を聞くだけで、イライラする。今たまにIRCにINしても、不正な話とギャンブルの話ばかり。そんなリアルな話なんて聞きたくない。そして1人2人と女性陣が抜けていっても、「俺達は考え方とか変える気ないから、それがどうしてもイヤだって言うなら仕方ないね」「早く機嫌直して戻ってきてほしいね」という空気。
 ネト男がアドバイスしてくれた。
 「ぐりえが自分からみんなを閉ざしてる気がします
 「他の人とももっと交流とかとった方がいいと思うし
ごめん。たぶんゲーム以外の話は合わないと思う。価値観が違うのだろうか。これは勝手な妄想かもしれないし、決めつけかもしれない。でも何度か我慢して黙ってINしていたが、やはり耐えられなかった。

 あのIRCは、私ともう一人の女友達とで、とあるオンラインゲームの打ち合わせ用に作ったチャンネルだったのだ。ゲームの話だったら、男性陣ともいくらでも話題が合うし、連絡手段として必要だし、そのために提供した場所だったのだ。昔みたいに、何も考えないで「ひゃはあっはははは」って、バカみたいにゲームがしたかった。

 もう昔とは違うってことです。さようなら。

数文字のやりとり
2007.09.29 Sat 11:25 | ネット依存症 | 心と身体
 チャットで気持ちを伝えるのは難しい。
 面と向かって、目を見て話していても、誤解が生じるような人間の世界だ。チャットなんてなおさらだ。ほんの数文字のやりとりで、どうやって自分の正直な思いを伝えられようか。良いようにも、悪いようにも解釈してしまう自分がいる。伝えたいことが多すぎる故に、文字数が多くなっていく自分がいる。すると反比例するように、読むのも考えるのも、相手をするのさえも面倒くさくなってしまう相手がいる。

 チャットで素直になるのは難しい。
 面と向かって、目を見て話していても、誤解が生じるような人間の世界だ。チャットなんてなおさらだ。ほんの数文字のやりとりで、駆け引きをしようものなら、取り返しのつかない言葉として相手の心に深く残る。普段は内容のない、どうでもいい話しかしないチャットで、突然素直な言葉なんて言えない自分がいる。たまに素直な言葉を出すと、すぐにちゃかす相手がいる。

 結局は、パソコン画面も、自分を映す鏡なのかなと思う。ロボットもペットも人間も、みんなそう。相手の感情なんて、自分が想像して作り上げているものにすぎないのだ。
 ましてやパソコン画面の相手の感情なんて、ほんの数文字の漢字とひらがなとカタカナとアルファベットと絵文字から、勝手に自分が想像して作り上げているもの。そこに人間らしさを、血の通った暖かい人間らしさを求めるのが、間違っているのだろう。

我思う、ゆえに我あり
Je pense, donc je suis. - René Descartes

デカルトさん、本当ですか。私は本当に存在するんですか。仮説自体がもう、間違ってやしませんか。これが全て長い長~い夢であって、起きたら全部ウソだったらいいのに。

 さて。今日は何をして死を待とうか。

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