2007.10.01
いったりきたり
なぜ私はこんなに意思が弱いのだろう。思っている事と言っている事とやっている事が、いちいち違いすぎる。何がしたいのかさっぱり不明。私も困るが、まわりのみんなもさぞかし困っていることであろう。
今日も、隠れて、しかし何かを期待しながらこっそりオンラインゲームをやっていたら、ネト友とネト男に見つかってしまった。散々ここで文句をたれてたくせに、気まずいやら恥ずかしいやら嬉しいやら。
でもやはりギクシャクする会話がどこか寂しくて。もう元には戻れないのだろうか。
あと別のオンラインゲームに久しぶりに入ったら、偶然、引っ越してやっとネット開通したネト友にバッタリ会えた。これは嬉しかった。やはり、オンラインゲームだと本当に「バッタリ会う」「偶然すれ違う」という状況がありうるのだ。キャラクターがあるとないとでは、感情の入り方が全然違う。本当に「あっ」と驚いたし、嬉しかった。
何度も書いているが、人の形的なもの。人の動きに似ているもの。こちらの気持ちの盛り上がりに、非常に大事な要素である。
話は変わるが、ネットで検索していたら、わりと近くに臨床心理士(カウンセラー)さんがいるメンタルクリニックを見つけた。1回予約をして行ってみようかと思いつつ、いつもの治りたくない気持ちと、体の重たさと、微熱のだるさと、そしてなにより多分自分自身のプライドが、電話予約をさせまいとしているようだ。
もう今さら守るものなど何もないのだろうが、頑固なこの私が、他人のアドバイスなど聞くだろうか。最初からなんでも決め付けてしまうこの私が、他人の結論を受け入れるだろうか。
逆に、ちょっとでも怒られたり否定されたりすると、ものすごく凹むこの私が、新しく知り合う他人と、立ち入った話などできるのだろうか。耐えられるのだろうか。
今夜もまたいろいろ考えすぎて眠れそうにない。
今日も、隠れて、しかし何かを期待しながらこっそりオンラインゲームをやっていたら、ネト友とネト男に見つかってしまった。散々ここで文句をたれてたくせに、気まずいやら恥ずかしいやら嬉しいやら。
でもやはりギクシャクする会話がどこか寂しくて。もう元には戻れないのだろうか。
あと別のオンラインゲームに久しぶりに入ったら、偶然、引っ越してやっとネット開通したネト友にバッタリ会えた。これは嬉しかった。やはり、オンラインゲームだと本当に「バッタリ会う」「偶然すれ違う」という状況がありうるのだ。キャラクターがあるとないとでは、感情の入り方が全然違う。本当に「あっ」と驚いたし、嬉しかった。
何度も書いているが、人の形的なもの。人の動きに似ているもの。こちらの気持ちの盛り上がりに、非常に大事な要素である。
話は変わるが、ネットで検索していたら、わりと近くに臨床心理士(カウンセラー)さんがいるメンタルクリニックを見つけた。1回予約をして行ってみようかと思いつつ、いつもの治りたくない気持ちと、体の重たさと、微熱のだるさと、そしてなにより多分自分自身のプライドが、電話予約をさせまいとしているようだ。
もう今さら守るものなど何もないのだろうが、頑固なこの私が、他人のアドバイスなど聞くだろうか。最初からなんでも決め付けてしまうこの私が、他人の結論を受け入れるだろうか。
逆に、ちょっとでも怒られたり否定されたりすると、ものすごく凹むこの私が、新しく知り合う他人と、立ち入った話などできるのだろうか。耐えられるのだろうか。
今夜もまたいろいろ考えすぎて眠れそうにない。
2007.10.01
考えすぎですか
本当に傷ついていたり、本当に怒っていたり、本当に悲しんでいたりしても、自分なりに我慢して元気を装って、理性で本性を覆い隠す。だが、周囲の問題は全く解決していないわけで、どんなに元気にふるまっても、また同じように傷ついたり、怒ったり、悲しくなったり。そのたびに、自分の中に不満が、ストレスがたまり、最後は本性を覆っていた理性が壊れかけてしまう。
いつも、理性が完全に壊れて爆発してしまう前に、その場から逃げ出し、そして心の修復ができたら戻るを繰り返し、たぶんほとんどの人に(特に男性からは)、「また機嫌悪いみたいだ」ぐらいにしか思われていないのだろう。結局その繰り返しを続けているのだと思う。そして繰り返すたびに、どんどん悪化して、もうどうしたらいいかわからない状態にまできてしまっているのだと思う。
逃げ出している間も、24時間ずっとずっと、どうしてこうなったのか、どうしたらみんなとうまくやっていけるのか、考えて泣いて眠れなくて、自分が嫌いになって、毎日だるい朝を迎えている。そんな事に気づいてくれている人は、きっとこの世にはいない。私がおかしいんだ。きっと私だけが変なんだ。
何も考えない人になりたい。
何も考えない人になりたい。
何も考えない人になりたい。
いつも、理性が完全に壊れて爆発してしまう前に、その場から逃げ出し、そして心の修復ができたら戻るを繰り返し、たぶんほとんどの人に(特に男性からは)、「また機嫌悪いみたいだ」ぐらいにしか思われていないのだろう。結局その繰り返しを続けているのだと思う。そして繰り返すたびに、どんどん悪化して、もうどうしたらいいかわからない状態にまできてしまっているのだと思う。
逃げ出している間も、24時間ずっとずっと、どうしてこうなったのか、どうしたらみんなとうまくやっていけるのか、考えて泣いて眠れなくて、自分が嫌いになって、毎日だるい朝を迎えている。そんな事に気づいてくれている人は、きっとこの世にはいない。私がおかしいんだ。きっと私だけが変なんだ。
何も考えない人になりたい。
何も考えない人になりたい。
何も考えない人になりたい。
2007.10.01
風林火山で泣く
今年の大河ドラマ「風林火山」が面白い。武田信玄(市川亀治郎)が主役ではなく、「ヤマカン」の語源ともなったといわれるあの軍師・山本勘助(内野聖陽)が主役というのがまたいい。山本勘助をはじめとする、戦国時代最強の武田軍を支えた「武田二十四将」とも呼ばれる軍師たちの物語が細かく描かれていて、非常に興味深い。逆に軍師たちの忠誠心をみれば、武田信玄の人柄が偲ばれる。
見ていない方や戦国時代に興味のない方には申し訳ないが、昨日(第39回「川中島!龍虎激突」)、武田晴信(のちの武田信玄)が言っていたセリフが胸にささったので、書き留めておく。
諸角虎定(加藤武)という70歳を越えた老軍師がおり、仲間の軍師や息子たちが見事な戦死を遂げてゆく中、なぜ自分だけこのように生きながらえているのだろうと、そういえば年とともに保身の気持ちに甘えていた自分に気づかされる。長尾景虎(のちの上杉謙信)(Gackt)との「第一次川中島の戦い」が勃発したとき、諸角は「このまま生き恥を晒すよりは」と、晴信の撤退命令を無視して、長尾軍を迎え撃ち死ぬ覚悟で、1人刈谷原城に篭城するのだった。
結果的に、諸角を見捨てなかった武田軍が、勘助の機転により逆に長尾軍を挟み撃ちにし、長尾軍が撤退するという形で、「第一次川中島の戦い」は終結した。
このあと、罰が下ると覚悟していた諸角に晴信が言う。うろ覚えなので少し違うかもしれないが、こんなニュアンスの言葉だった。
見ていない方や戦国時代に興味のない方には申し訳ないが、昨日(第39回「川中島!龍虎激突」)、武田晴信(のちの武田信玄)が言っていたセリフが胸にささったので、書き留めておく。
諸角虎定(加藤武)という70歳を越えた老軍師がおり、仲間の軍師や息子たちが見事な戦死を遂げてゆく中、なぜ自分だけこのように生きながらえているのだろうと、そういえば年とともに保身の気持ちに甘えていた自分に気づかされる。長尾景虎(のちの上杉謙信)(Gackt)との「第一次川中島の戦い」が勃発したとき、諸角は「このまま生き恥を晒すよりは」と、晴信の撤退命令を無視して、長尾軍を迎え撃ち死ぬ覚悟で、1人刈谷原城に篭城するのだった。
結果的に、諸角を見捨てなかった武田軍が、勘助の機転により逆に長尾軍を挟み撃ちにし、長尾軍が撤退するという形で、「第一次川中島の戦い」は終結した。
このあと、罰が下ると覚悟していた諸角に晴信が言う。うろ覚えなので少し違うかもしれないが、こんなニュアンスの言葉だった。
私は、この言葉を聞いて、まるで自分に言われているようで、不覚にも泣いてしまった。そちが無用かどうかを決めるのはこのわしじゃ。これを生き恥と言うのなら、これからも大いに生き恥を晒すがよい。これがわしの成敗じゃ!
2007.10.02
母と猫
母から電話があった。またいつもの長い愚痴話を聞かされるのかと思って、ドキドキしながら受話器を取ったら、今回は少し違っていた。生後2ヶ月の時から飼っていた実家の猫が、腎臓の機能不全で入院してしまったという。うちの猫はもう15歳。人間で言えば90歳だ。もういつ亡くなってもおかしくない年だそうだ。
娘がみな家を出てしまった今、猫だけが母に四六時中寄り添う、唯一の子供みたいなものだった。「家に居つく」というより「母に居つく」と言った方がいいぐらいの、甘えん坊猫だった。私は猫もさることながら、母のことが心配になってしまった。
いつもは、疎ましいぐらいに思っている母である。私は境界性人格障害、特にアダルトチルドレンの気があり、母に見捨てられたくない一心でいつでも母の顔色を伺い、母の言う事を聞いてきた。大人になってからはそんな自分が嫌で、早く離れたい、なるべく干渉されたくない、と逆に変に母を避けてみたりもした。
だが、いざ母の窮地となると、私はいてもたってもいられなくなる。これが共依存の恐ろしさであろうか。
さらに最近では母と私の立場が逆転してきているような気がする。母が私を頼っているのが、手に取るようにわかる。「ぐりえちゃんはこの頃とっても頼もしくなったわ」と口癖のように言う。何かあると、すぐに私に電話をしてきて、私の意見を伺う。今朝も、起きるのがだるくて何も出来ずに寝ていた私が、電話ではキリっと母を励ましつづけ、助言をしてしまった。
実はこの立場の逆転こそが、共依存関係をさらに強めてしまうと、どこかで読んだことがある。今度は母が、私に対して「見捨てられ感」の恐怖を感じることになっていくのであろうか。
そういえば、母とその母、つまり私の祖母との関係も、こんな感じだったように記憶している。晩年の祖母は、母に「ごめんねごめんね」ばかり言っていた。この関係は、誰かがどこかで断ち切らない限り、世代をまたいで永遠に続いていくのだろうか。
娘がみな家を出てしまった今、猫だけが母に四六時中寄り添う、唯一の子供みたいなものだった。「家に居つく」というより「母に居つく」と言った方がいいぐらいの、甘えん坊猫だった。私は猫もさることながら、母のことが心配になってしまった。
いつもは、疎ましいぐらいに思っている母である。私は境界性人格障害、特にアダルトチルドレンの気があり、母に見捨てられたくない一心でいつでも母の顔色を伺い、母の言う事を聞いてきた。大人になってからはそんな自分が嫌で、早く離れたい、なるべく干渉されたくない、と逆に変に母を避けてみたりもした。
だが、いざ母の窮地となると、私はいてもたってもいられなくなる。これが共依存の恐ろしさであろうか。
さらに最近では母と私の立場が逆転してきているような気がする。母が私を頼っているのが、手に取るようにわかる。「ぐりえちゃんはこの頃とっても頼もしくなったわ」と口癖のように言う。何かあると、すぐに私に電話をしてきて、私の意見を伺う。今朝も、起きるのがだるくて何も出来ずに寝ていた私が、電話ではキリっと母を励ましつづけ、助言をしてしまった。
実はこの立場の逆転こそが、共依存関係をさらに強めてしまうと、どこかで読んだことがある。今度は母が、私に対して「見捨てられ感」の恐怖を感じることになっていくのであろうか。
そういえば、母とその母、つまり私の祖母との関係も、こんな感じだったように記憶している。晩年の祖母は、母に「ごめんねごめんね」ばかり言っていた。この関係は、誰かがどこかで断ち切らない限り、世代をまたいで永遠に続いていくのだろうか。
2007.10.02
意地と嫌味と皮肉
私はとにかく意地っ張りである。意地ってどこから来るのだろう。
私はとにかく意地を張る。本当の事を素直に言えないばかりに、嫌味を言う。皮肉を言う。当て付けをする。本当にわかりにくい行動をする。一度わかってしまえば、こんなにわかりやすい性格もない気もするが。
無理スンナって誰か言ってくれれば、素直になれるのになと思う。こうしていつも他力本願だ。
悪い意味ばかりで笑ってしまった。[大辞泉 提供:JapanKnowledge]
- い‐じ【意地】
- 1.気だて。心根。根性。 「―が悪い」
- 2.自分の思うことを無理に押し通そうとする心。 「―を通す」「―を折る」
- 3.物をむやみにほしがる気持ち。特に、食べ物に執着する心。 「―が汚い」「食い―」
- 4.句作上の心... [さらに]
- 意地でも【意地でも】
- 行きがかり上、無理にでも。意地になって。 「―完成させよう」
- 意地に掛か・る【意地に掛かる】
- 無理にでも自分の意地を押し通そうとする。意地になる。 「―・っても事の真相を知りたくなってるんだ」
- 意地にな・る【意地になる】
- どうしても自分の主張や行動を押し通そうとする。我(が)を張る。 「―・って反対する」
- 意地を張・る【意地を張る】
- 頑固に自分の考えや行動を押し通そうとする。 「つまらないことに―・るな」
私はとにかく意地を張る。本当の事を素直に言えないばかりに、嫌味を言う。皮肉を言う。当て付けをする。本当にわかりにくい行動をする。一度わかってしまえば、こんなにわかりやすい性格もない気もするが。
無理スンナって誰か言ってくれれば、素直になれるのになと思う。こうしていつも他力本願だ。
[大辞泉 提供:JapanKnowledge]
- いや‐み【嫌み/×厭み】
- 人に不快な思いを与える言動。あてつけや皮肉。また、それによって不快感を与えるさま。「―を言う」「―たっぷりな口ぶり」
- ひ‐にく【皮肉】
- 遠まわしに意地悪く相手を非難すること。また、そのさま。当てこすり。「辛辣(しんらつ)な―を言う」「―な口調」
- たりき‐ほんがん〔‐ホングワン〕【他力本願】
- 自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。
2007.10.02
ペットの死とは
やはり実家の15歳の猫「ゆうた」の容態が心配である。獣医さんによれば、検査の数値が悪化する一方で、早ければあと1週間の命だと宣告され、自宅で家族とゆっくり過ごしたほうがいいでしょうと帰されてしまったらしい。「ゆうた」は2代目の猫である。私が学生時代のときに、1代目の猫が死んでしまって、あまりの寂しさにペットショップから連れてきた子であった。アメリカンショートヘアの男の子で、手足が太く体も大きいのにとても気が弱く、庭に来た野良猫を見ると、小さくなってカーテンの陰からニャーニャーとか細い声で鳴くような猫である。今もさぞかし不安がっているのではないかと心配してしまうが、『自分がやがて死ぬ事を知っている動物は人間だけである』というし、具合が悪い不快感はあっても、おそらく「怖い」という感情はないのだろう。そう願いたい。
1代目の猫は、友達からもらった雑種の猫だったが、生まれつき体が弱く、しかも途中から難病にかかってしまい、薬をたくさん飲ませないといけなかった。猫が薬を嫌がるあまり、家族はみんな世話をしたがらなかったので、私が1人で薬を飲ませていた。最後の方は猫も死に場所を探していたらしく、捕まえようとする私を本気で噛み、薬を飲ませるたびに私が血だらけになっていた記憶がある。本当に嫌われてしまったようでとても辛い役目だった。
でもきっと、わかってくれていたのだと信じている。今は天国で待っていてくれていると信じている。「ゆうた」が寂しくないように、友達を集めて待っていてくれるといいな。そして私の事も待っていてくれるといいな。
母が獣医さんに「もっと早く気が付いてあげていれば・・・」と悔やんで言ったら、獣医さんに「それは違います。」と言われたらしい。「野生動物は常に周りを警戒しているので、決して弱った姿を表に出しません。飼い主さんが気づかないのも仕方のないことです。」 我慢しているのとは違うのだ。ペットは家族の一員ではあるが、人間ではない。人間とは違う摂理にのっとって生きている生き物なのだろう。
今までどれだけ救われたか知れない、愛らしい「ゆうた」のしぐさに声に感謝し、暖かく送り出してあげたいと思う。
私の愛するフェレットもあと数年後には、天国へと旅立つ運命だ。同じような事を思う日が、そのうちやってくるのだろう。今はただ、「ゆうた」が苦しまない事だけを祈りつつ・・・・・













