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断てないネット
2007.10.04 Thu 13:11 | ネット依存症 | 心と身体
 このブログを始めたのは2007/8/18「ネトゲを引退した日」という書きなぐりからだった。その2日前ぐらいまでは、今から思えば幸せに淡々とネット中毒ライフを送っていたような気がする。いったい何があったのか、他人にとっては、そして私自身にとってもたぶん今ではもうどうでもいいような理由だったのかもしれないが、私はその頃いつもいたチャットルームを削除し、mixiのアカウントを削除し、メッセンジャーを削除し、オンラインゲームのキャラクターを封印した。

 私のうつ病が再びひどくなったのも、この頃からだったように思う。それまでは波があったものの、徐々に快方に向かっていて、たまに外に出たりしていた。それが突然ネットを断ってしまったこと、その「急激な環境の変化」に私が対応できなかったようだ。毎日泣いて泣いて、全身だるくて外へ出ることができなくなり、眠れなくなった。それまでどれだけネットに依存し、その頃のネト彼に頼っていたか、思い知らされた。

 薬を増やし、ほとんどの時間を寝て過ごす事1ヶ月半、ようやく精神的なパニック状態はおさまった。いろいろ考え始めても、途中で何もかもどうでもよく思えるようになった。本当にどうでもいい。
 今では何もなかったように、また新しくアカウントを取ったメッセンジャーをたまに上げ、新しく始めたオンラインゲームをたまにやり、元の生活に戻りつつあるようにも見えるが、内面は全く違う。なんというか居場所がないような落ち着かない感覚だ。
 いくら後悔しても、時間の流れは一方通行だ。自分で壊してしまった自分の居場所。同じ事をまた始めても、あの時のあの環境のあの場所は、もうこの世の中のどこにも存在しないのだ。

 今の私は、むしろオンラインゲーム初期の頃に戻ったようだ。もともと「ゲーム」自体がそれほど好きではなかった私がオンラインゲームを始めたのは、人恋しかったからだ。人の形をしたキャラクターが動いたりしゃべったりしているのを眺めているのが、面白かったからだ。眠れない夜中に、顔見知りのキャラが広場にあつまって、くだらない話を延々としているのを聞いているのが、ただただ楽しかった。
 だから、ゲームのプレイスタイルは、いつも1人で黙々と作業をこなすスタイルだった。誰とも近づきすぎず、固定パーティを作らず、大きなギルドに入らず、それが居心地よかった。
 でも、一度「居場所」を知ってしまった今、初期の頃と同じ事をまた始めても、あの時のあの環境のあの私の楽しさは、もうここには存在しないのだ。

 今の私には、今の環境でなにがしたいのか、今の環境でなにが楽しいのか、自分で探していくことしかできないのだろう。昔の楽しかったことを追い求めるなんて、未練たらたらで死んだことに気づかない地縛霊だけだ。早くそれに気づくべきだった。

 ああ、ここまで一気に文章に酔ってナルシストに書きなぐってきたが、どれが本音でどれが建前か、わからない。これはただのエッセイである。誰かにあてたメッセージといった類のものではない。

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ふろリアン
2007.10.04 Thu 09:47 | エッセイ | 小説・文学
 お風呂に関する気になる記事を見つけたので書き留めておく。「集まれ全国のふろリアンよ!」という、ライフコーディネーターの大谷美香さんと、TOTOのユニットバスの販売企画・安藤亘さんの対談形式のブログである。ふろリアンとは、全国のお風呂好きの人々の事を、大谷さんが勝手に命名した言葉らしい。

 私はお風呂が特に好きという訳ではないが、自律神経が狂いがちなので、半身浴をするように心がけている。以前にも書いたように、ぬるめのお湯で半身浴をすると、副交感神経が優位に働くようになり、体や頭をリラックスした状態にできるらしい。逆に、朝など意識をはっきりさせたい時には、熱いお湯に入ると交感神経が優位に働き、緊張状態を作り出すことができるとのこと。つまりお風呂で自律神経のバランスを整える事ができるのだという。
 ぶっちゃけると、うつ病の特徴の1つらしいが、体がだるくなると何をするのも面倒くさく、お風呂に入るのなんてもってのほかなのだ。何か楽しみを見つけないと、入る気がしない。だが、半身浴の効能を知ってから最近やっと少し、入浴という事に興味がでてきたという訳だ。

 ところが驚くことに、TOTOの安藤さんによれば、この「入浴」という文化は、日本独自のものだという。

実は、「お風呂に入ってリラックス」という文化は海外にはないのですよ。日本独自のものです。疲れを取るという感覚がないから、欧米の浴槽は浅い。フランス人のバスルーム使用時間は1日当たり平均50分だけど、ほとんどが化粧などに使うというし。

だから、つかるという概念がないのですよ。洗い場とお風呂が別々のユニットバスは、お隣の韓国でさえ売れません。海外で売れるのは浴槽単体だけなんです。風呂文化がないわけです。

 なるほど、だから外国のホテルや、日本でもトイレが隣にある西洋式のお風呂は、バスタブがあんなに浅いのだ。あれは本当に困ってしまう。使い方を誰も教えてくれないので、自分なりにシャワーをチョロチョロ出して体をあらってから、バスタブにお湯をため始め、待っている時間がさむいのでバスタブに沿って寝てみたり。あまり人に見られたくない光景である。
 一度、初めて一緒に旅をした友達が、ホテルの部屋に入るなり「まずお風呂にお湯はっとくねー」と言ってお湯をためてくれたのだが、「えっ、体はいつ洗えばいいの?」と・・・聞くに聞けなかった。未だに西洋式のバスタブの使い方がわからない。

 それから半身浴を志す私に、おもしろそうな入浴剤の紹介があったので、列挙しておく。
  • とろとろ風呂 ←お風呂があんかけみたいになる
  • アロマオイル ←数滴なら風呂釜にも大丈夫とのお墨付き
  • すごい音がなる入浴剤 ←5分ぐらい爆竹みたいな音&スパイシーな香り
 アロマオイルはさっそくやってみたいと思う。ラベンダーかスイートオレンジを入れたいと思った。あとは爆竹のような入浴剤を試してみたい。どこに売っているのだろうか。

 次回は「癒しのお風呂」10/10更新予定との事。楽しみである。

猫のプレゼント
2007.10.04 Thu 00:44 | エッセイ | 小説・文学
NEC_0103.jpg 実家の猫「ゆうた」のお見舞いにいってきた。あと一週間の命を宣告されたそうだったが、思ったより元気だった。近寄って撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしてくれて、私の事がわかるのかなぁと、涙が出てきた。
(←最近の包帯はショッキングピンクなのである。)

 3日間の入院生活中、ほとんどオシッコが出なくて、腎臓の数値も悪化してしまった「ゆうた」だったが、母によれば帰宅したとたん家のトイレに駆け込んだらしい。そういえばこの子は本当に律儀な猫で、トイレ部屋のドアが閉まっていたりしたら、そこを誰か空けてくれるまでニャーニャーと鳴き、何日でも待っていそうな子だった。きっと家に帰るまでトイレ我慢してたんだね、かわいそうだったね、本当にいい子だね、などと、涙をポロポロ流しながら母と話してきた。

 そういえば、私は母と会うのも久しぶりだった。うつ病で外に出るのも嫌で、またその事にあまりにも干渉されるのが嫌で、これまで会うのを避けていた。自分と母親の関係を、アダルトチルドレン共依存だと決め付けて、頭でっかちになって、どうしたらそこから逃れられるのかばかりを、毎日毎日考えていた。
 だが、久しぶりに会った母に髪の毛をなでられながら、「あなたは大丈夫なの?」と言われて、私はなぜだか涙が止まらなくなってしまった。年老いた「ゆうた」を過保護なまでに一生懸命にお世話する母。私は母のこの深い愛情で育ったのだった。やはり私はなんのかんの言って、母の事が好きなのだと思う。母には敵わないのだと思う。

 そしてまた、母も私を頼っている。今日私が行くまで、「ゆうた」の事が心配で心配で、食事も満足にできなかったらしい。私がお見舞いに行ったことで、母は本当に本当に喜んでくれていた。笑顔が戻っていた。それは頭の中で考え込んでいた「依存」とは違う、少し心地よい頼られ方だった。
 不思議な事に、そんな母の明るい声を聞いたからなのか、「ゆうた」も盛んにゴロゴロ言ったり、歩き周ってみせたり、ご飯を食べたり、オシッコをしたり、少し元気になったように見えた。奇跡のようだった。その様子を見て、また泣き笑いする私と母。

 私はつくづく、自分勝手な思い込みや決め付けが怖いものだと思った。何を臆病になっていたのだろう。なぜあんなに母を疎ましく思っていたのだろう。考えすぎないで、普通の母娘関係だと思えば、何でもないことなのかもしれないのに。普通に受け入れれば、何でもないことなのかもしれないのに。

 「ゆうた」は最後に、そんなプレゼントを残してくれたような気がした。