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自分の気分
 「うつと不安の認知療法練習帳」のPART2「考え方」については以前少しとりあげた。今度はさらに進んで、PART3「気分」について読んでみた。

気分をコントロールし、変えていく方法を身につけるためには、まず自分が感じている気分を確認するところから始めるのがよいでしょう。

とのことで、気づきにくい「自分の気分」を特定することが必要だという。特定できれば、どの気分を変えていくかという目標を設定することもできるし、その気分に適した緩和行動をとることもできるからだそうだ。

気分一覧表
憂うつ不安怒り罪悪感
悲しい困惑興奮おびえいらだち
心配誇り無我夢中パニック不満
神経質うんざり傷ついた快い失望
激怒怖い楽しい愛情屈辱感
その他

 気分がうまくつかめないときは、毎日自分の気分を上記の中から3つ取り出す練習をする。例えば「落ち着かない」「ぼーっとする」という表現は「思考」であって、「気分」ではない。「気分」は上記のようなごく簡単な言葉で表現でき、「思考」は心に浮かぶ言葉や視覚的イメージのことである。変わるためには、まずこの区別ができるようにならなければいけない。そして、その取り出した気分を感じた時の「状況」、誰とどこで何をしていたか、何が起こったか、を書き出していく練習をする。
 まずは「思考」「気分」「状況」の区別ができるようになるまでこれを続け、その解明は、次の段階だそうだ。できれば「気分」のレベル(0~100%)も繰り返し測り、気分の揺れをみるとよい。

 とりあえず昨日の私の気分を3つあげると「悲しい」「傷ついた」「屈辱感」だろうか。状況はヒミツ。

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羊を数える
2007.10.17 Wed 10:06 | エッセイ | 小説・文学
 昔「夜ねむれないの」と私が言ったら、ネト彼が「羊を数えなさい」と教えてくれた。

 その晩、私は羊を数えたが、集中力がなくてダメだった。途中で他の事をもんもんと考え出してしまい、結局何匹まで数えたのかわからなくなって、また1から数えなおす作業の繰り返しだった。
 そんな事をしているうちに、そういえば面白い話を思い出した。

 私の義兄(姉の夫)は、記憶力は底知れず、頭の中で何でも計算できてしまうような天才なのだが、天才ゆえに少し変わっている所がある。その義兄は、羊を数える時は頭の中に牧場があり、とりあえず右側に羊を全部寄せておくことから始めるらしい。羊を1匹ずつ右から左に移動させて数えていき、どの羊も顔や模様が微妙に違っているので、一応全部覚えておくのだそうだ。しかし途中で、どうも「コイツさっき見たぞ」という羊が出てくるのだという。よく見ると、左に流したはずの羊が勝手にウロウロと右側に移動していて、ダブルカウントしてしまっているのだそうだ。
 義兄はイラッとして羊をもう一度全部右に集めて、「お前ら勝手に動くな」と命令し、再度1から数え始めるのだそうだ。しかし羊はバカなので、なかなか言う事を聞かない。結局イライラして余計に眠れないので、「眠れない時に羊を数えてはいけない」という結論に達したそうだ。

 天才の考えることはよくわからない。私は「数えた羊にスプレーとかでマークつければいいじゃないですか」と言ったら、義兄は「そんな事したら毛が売れなくなるじゃないか」とか言ってたような。

厭世的
 今の私の状態を一言で言うと「厭世的」とでも言うのだろうか。

えん‐せい【厭世】
世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思うこと。

えんせい‐てき【厭世的】
[形動]人生に悲観し、生きているのがいやになっているさま。

えんせい‐かん【厭世観】
  1. この世の中では幸福や満足を得られず、積極的な価値は認めがたいとする人生観。また、そのような人生観に基づく哲学上の立場。厭世主義。ペシミズム。⇔楽天観。
  2. 物事の成り行きを悪い方向にばかり考えやすい傾向。悲観主義。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

 「厭世」の意味に、「人と関わるのが嫌」という意味が含まれるかと思っていたが、そういう意味はないらしい。とにかく私は、厭世的であり、他人と関わりを持つ事から逃避的である。本当の自分を理解し受け入れてくれそうな人には心を許すが、そうでない人からは逃げ回っている。そして今、私を理解してくれそうな人は、数名いるかいないか、そういう状態である。

 ツレが朝、出勤する時に私を起こして「行って来ます」と言う。「何もしないで寝てていいからね」と言い残して出て行く。彼が夜中に帰ってくるまで、私は誰とも話をしない。その彼も「ただいま、疲れたぁ」と言い、黙々と夕食を食べてそのまま寝てしまう。
 平日はお互い干渉しないのが、2人の暗黙のルールだ。私が病気になった今でも、それは続いている。

 パソコンでインターネットにつないでいる事が、私の唯一の社会への接点だ。だが、最近ではチャットもオンラインゲームもしなくなった。たまにやるゲームも、会話のないものばかり。個人活動するものばかり。
 ハンゲームのかんたんゲーム、特にパズル系が好きだ。IEしか使えないのがとても不満だが仕方ない。この時だけはIEを起動する。もちろん「無言部屋」と書いてある部屋を選んで入室する。それか写真を投稿したこともあるジグソーパズルのサイト。ここもお気に入り。
 左脳をフル回転させていると、次第に無心になってきて、左脳すらも使っていないような状態になってくる。目と手だけが動いているような感じ。雑念がなくなりソレがいい。いろいろな学説によると、そうなるともう「中毒状態」「依存症」らしい。α波が出て、リラックスしている状態になってしまっていると言う。パチンコ中毒と同じだ。
 ああ、相変わらずネト男は、寝る前だけには「おやすみ」とメッセをくれる。同情?クセ?よくわからないが、それに「おやすみなさい」と返すのが唯一の他人との会話だ。

 こんな私には、もはや生きている価値がないと思う。が、価値はなくとも、肉親の世間体を守るために、私は自ら死ぬわけにはいかない。辛くても生きていかなければいけないのだ。それが神から与えられた試練なのだ。私は毎日泣きながら、死神を待っている。