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うつりにけりな
2007.10.21 Sun 18:13 | エッセイ | 小説・文学
 カイロプラクティックの先生によれば、起きた時に身体、特に背中が痛いのは、人間として当然のことだそうである。ただ少し寝返りが足りなかったか、身体が冷えてしまったか、寝すぎたか(←私はたぶんコレ)、というだけであり、そもそも仰向けに寝る姿勢は人間にとって決して楽な姿勢ではないのだそうだ。「ですから、そんなに気にせずにストレッチしましょう」と教わってホッとした。

 本当にいい天気の1日であった。昨日死んでしまった老猫「ゆうた」は、毎日縁側から庭を眺めるのが大好きだった。最期の日も、よろめく足をひきずって縁側に行き、庭を見ていたという。今日のすがすがしく晴れ渡る秋の空を見ることは、もうできないんだね。ごめんねゆうた。

 なぜかふと、百人一首の小野小町の歌を思い出した。

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身よにふる ながめせしまに
ああ、桜の花の色は色あせてしまったのね。はかないわ。
長雨が降っている間に・・・・。
私もすっかり衰えてしまったものだわ。
物思いにふけっている間に・・・・。(ぐりえ風 現代訳)

 これは一説によれば、小野小町が妻子ある男性に片思いをしていた時に詠んだ、ため息まじりの歌とも言われている。
 別の解釈をすれば、『世の中は移り変わっていくものだから、それを憂いても仕方のないこと』と取れないこともないが、それは深読みのしすぎであろう。女性にとってはそんな哲学的な事よりも、恋が適わない事と、気が付くと年を取っている事の方が、もっともっと深刻で重大な問題なのである。

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疲れました
 なんだかとても疲れている。

 昨夜は、死んだ猫の「ゆうた」に「私も一緒に連れていって」とお願いしながら寝た。
 それからずっと夢を見ていた。いろいろな人が死んだ夢だった。死んだという連絡をただ受け続けるだけの夢。聞いてもどうすることもできない。「へぇ」と思うだけだ。「いいなぁ」と思うだけだ。相変わらず私は生きていた。夢の中でぐらい、死なせてくれてもいいのに。
 起きたら全身が痛くて、だるくて、思わず「疲れた・・・」と声に出していた。天気予報は「絶好の行楽日和」と言っている。行楽ってなんだっけ。「行って楽しい」と書くから、一般の人にとっては楽しい事なのかもしれない。だが私にとっては、人ごみの中に行くと考えただけで疲れる行動だ。
 今日は日差しが強い。部屋が暑くなるからカーテンは締め切っておこう。

 そうだ、午後カイロを予約していたのだった。身体を調整してもらって、老廃物を出してもらおう。でも私は、カイロに行っても、元気そうに世間話をし、ついつい冗談の1つも飛ばしてしまう。外面がいいだけに困る。いつも家に帰ってから倒れるのだ。
 そういえば、話をするのが面倒くさくて、美容院ももう何ヶ月も行っていない。ショートヘアだったヘアスタイルが、セミロングになってしまった。カラーリングも伸び放題。まぁ誰に会うわけでもないし、どうでもいいね。

 なんだかとても疲れている。