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象の背中
 CHEMISTRYの新曲「最期の川」が主題歌となっている映画「象の背中」が、いよいよ明日から全国ロードショーだそうだ。
 公式サイトより

象は、自らの死期を察知した時、群れから離れ、死場場所を探す旅に出るという。自分の死を見せたくないのだろうか?それとも、この世への未練を断ち切るためだろうか?

 妻と2人の子供、幸せな家族4人。会社での地位も得て、順風満帆に暮らす48歳の中堅不動産会社部長・藤山幸弘(役所広司)は、今まさに人生の“円熟期”を迎えていた。だが、ある日突然、末期の肺がんと宣告される。
 余命半年という医師の言葉に戸惑いながらも、藤山が選択したものは、延命治療ではなく、人生を全うすることだった。残りの人生が僅かなら、死ぬまで有意義に生きていたい・・・それは「死」を覚悟するという意味ではなく、「生」への執着。彼は残された時間に、今まで出会った大切な人達と直接会って、自分なりの別れを告げようと決意する。

 さっきラジオで映画評論家のLiLiCoさんがこの映画を紹介していて、DJの人たちと余命半年って言われたら何するかなぁと話し合っていたのをボンヤリ聞いていた。

 日ごろ、「死にたい死にたい」と呪文のようにつぶやいている私だが、もし死期を確定されたらどうだろう?案外「そういう事なら、最期までしっかり生きよう」と思うのではないかと感じた。例えば「あと7日で死にますよ」と教えられたら何をしようか。そんな風に考えると、少しワクワクしてきた。悔いなく死ねるなんて、素敵な事ではないか。

 私はやはり、大事な人たちに「ありがとう」とお礼を言ってまわりたい。しばらく会っていない中高の親友、大学の親友、みんなに「楽しかった青春時代をありがとう」と言いたい。会おうなんて思ったこともないネト友たちにも実際会ってみたい。どんなに遠くても会いに行きたい。「いつもバカやってくれてありがとう」と、しっかり目を見て言いたい。あと、今は北海道にいる、尊敬する獣医さんのところにも行きたい。社交辞令ばかりで一度も訪ねていないのが気がかりだった。「あなたのようになりたかったです。ありがとうございました」と言いたい。

 そう考えると、本当は常にこれが最期の日だと思いながら生きていれば、毎日が輝くのかもしれない。うつ病も命も、どこか「終わりのないモノ」だと私が勝手に思いこんでしまっているという事に、改めて気づかされた。いつかは終わるんだよ。いつかは終わるんだ。考え方を変えるって、こういう事を言うのだろうか。

いつまでも 続くと思うな うつと命 (字あまり)
-ぐりえ


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Kとダンデライオン
2007.10.26 Fri 12:13 | BUMP OF CHICKEN | 音楽
 BUMP OF CHICKENの歌詞は、時々童話のようだ。彼らの曲を題材にした、有名な泣けるFLASHをYouTubeで見つけたので、2つ貼っておく。FLASH職人さん達の感動的な絵も、歌に味を添えている。どちらの曲もあまりにエンディングが短くて、バカな私はいつも1回目で意味がわからず、何度も見てしまう。

1曲目は『K』


 ナイトNight(夜)に『K』をつけてもらってナイトKnight(騎士)になったという意味に気づいた時、二度泣いた。

2曲目は『ダンデライオン』


 一応注釈をつけておくと、ダンデライオン=たんぽぽの意味である。

 BUMP OF CHICKENの曲は、その歌詞を読んでいるとイジメ、ひきこもり、うつ病の人の共感を呼ぶような歌詞が多い。作詞・作曲を全て手がける藤原基央自身そのような経歴があったのかと想像してしまうが、公表されているプロフィールや噂では、そのような事実はない。ただ高校は休みがちで、結局中退しているようだ。
 心に闇を抱えている人には是非彼らの曲を、というより歌詞を聴いてもらいたい。

音楽は心を癒す
SIMG_1179.jpg 以前ここで紹介し、注文していた童謡の本「日本のこころの歌」が今日届いた。
 よくよく考えると、いい大人が童謡を歌って精神的なリハビリだなんて、ボケ老人かと思われそうだが、歌うことはいいことなのだ。バカにしてはいけない。

 脳科学者の大島清先生は「歌うとなぜ「心と脳」にいいか?」という本の中で言う。

 音楽は、聴いて楽しい。歌えば心が浮き立つ。楽しいのは、心が気持ちよくほころぶから。なぜ心は歌でなごむのでしょうか。この楽しい、なごむという感覚を生理学的に解説すると、音楽の三大要素である<メロディ><ハーモニー><リズム>が脳全体を刺激し、快感物質を放出し、体の新陳代謝をうながし、血液の流れをよくし、その結果心身ともに日常生活の重圧(ストレス)が取れ、軽快な気分になるからだろう、となります。とにかく音楽は心を癒してくれます。
 体が自然に動き、五感が刺激され、心のもっとも深いところが揺り動かされます。それが音楽。
 好きな音楽を聴いたり歌ったりすることで、その歌を聴いた時代、歌った時代、覚えた時代をすぐ思い出すことができます。

 したがって童謡を聴いたり歌ったりするという事は、幼い頃、つまりまだドロドロした思いなど何もしらなかった頃の気持ちを思い出させてくれるから、私の心を清々しい気持ちにさせてくれるのだろう。初めて母に執拗に怒られたのは、たしか幼稚園の卒園の時だったであろうか。それまでの私は、死ぬとか生きるとか考えた事もなかった。ただ毎日が発見の連続で、楽しかった。戻れるならば、あの頃に戻りたい。
 
 どうでもいい事だが、「どんぐりころころ」の歌詞、てっきり「どんぐりころころ どんぐりこ」だと思っていたのに、「どんぶりこ」だったとは。そしてこの歌は大正10年に発表された歌だそうだ。いい歌は、何年たっても歌い継がれるものなのだ。

パキシル
 最近、1~2週間前と比べると、だいぶ元気になってきた事を感じる。まず起きている時間が長い。全身のだるさが取れてきた。ネット依存についても、そんなに深く考えなくなり、どうでもいいかと思えるようになってきた。だがこれは、おそらく薬を増やしたせいであろう。
 うつ病は、自分に合った薬を探すまでがとても長い。抗うつ薬には、必ず副作用があるからだ。それは服用してみないとわからない。私は模索すること5種類目ぐらいで、(私にとって)副作用のほとんどない「パキシル」という薬と出会った。私にとってのパキシルの量は、10mgでは寝たきりのままで、20mgで少し動けるようになり、30mgでとても元気になる。しかし、元気になって焦って薬を減らそうとすると、必ずうつのリバウンドが襲ってきてものすごい絶望感が襲ってくる。そう、パキシルは減薬の難しい薬としても有名なのだ。服用の量を減らしては増やすことの繰り返しで、ここ数年は苦しんでいる。
 今また、パキシルを30mgに増やしてもらって数週間たった。だいぶ効果が出てきたのだと思うが、まだ元気ハツラツとまではいかない。もう少し連続した30mgの服用が必要であろう。

 アメリカに住んでいる姉が、昨日から一時帰国をして実家に帰っているので会わなければいけないのだが、外に出たいと思えない。どうしても外に出たいと思えない。1日中家にひきこもっていたい。誰とも話をしたくない。これが単なる怠け心なのかうつのせいなのか、相変わらずわからない。どうしようかなどうしようかな。自分から電話をして、会いに行くなんて、今の私にできるのだろうか。どうしようかなどうしようかな。今日はツレの車が自由に使える日なのだ。どうしようかなどうしようかな。今朝からずっと布団にくるまって考えている。