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人生に疲れた人へ
 さっきYouTubeで「人生に疲れた人へ」という動画を見て、なるほどと共感していた。「テレフォン人生相談」のパーソナリティ・加藤諦三教授(社会心理学者)の言葉を集めたものである。

 だが加藤先生は社会学が専門であり、心理学や精神医学の先生ではない。したがって著書はひたすら短文を積み重ねて延々と解説しているものが多く、分析書としては優れているが、癒しや治療のための本ではない。うつ状態がひどい人は、逆に読まないほうがいいかもしれないとの事。

 動画の中から、私に当てはまる言葉をいくつか書き出しておく。

生きることに疲れた人は、真面目な人である。努力してきた人である。努力しているときに、まさか自分がこのようになってしまうとは、予想もしなかった。自分の努力は、いつか報われると思っていた。皆から賞賛されると思っていた。まさか自分の人生が、こんな形で行き詰るとは予想していなかった。でも、いま、生きることに疲れて、何もする気にならない。
-『心の休ませ方』より

幼児の頃から献身を求められた人が、どうして大人になってもエネルギッシュでいられようか。そんなことは無理に決まっている。
-『自分のうけいれ方』より

せっかく生まれてきたのに、屈辱感を味わうだけで一生を終える人は多い。周囲にとって都合のよいときのみ、「良い子」として受け入れられた。人生の初期において周囲の自分に対する期待をかなえることばかりにエネルギーをつかい、生きることに消耗してしまった。
-『愛されなかった時どう生きるか』より

よくいじめられた子供に「言い返せばいいじゃないか」と言う人がいるが、それは言い返したときの恐怖を体験していない人が言う戯言である。そもそも権威主義的家庭に育てば「言い返す」などという文化は無い。いつも気持ちは萎縮している。いつも怯えている。
-『言いたいことが言えない人』より

「決断する」とは「捨てる」ということ。「あの人とは、うまくいかなくなってもいい」と覚悟する。その「捨てる」覚悟がなければ決断はできない。
-『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』より

じゃあそのためにどうすればいいの?それは自分で考えろということか。

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気付いて欲しかった
2007.11.01 Thu 12:37 | ひきこもり | 心と身体
 どこのコミュニティにも属さないって、こんなに寂しいことだと思わなかった。何も肩書きがないって、こんなに心細いことだと思わなかった。自分で選り好みして全てを切り捨てて、好きで一人になったのに、おかしなものだ。

 私はいつも誰かの声を待っている。誰かが引っ張ってくれるのを待っている。どうせ誰も来ない事をわかっているくせに、わかっている上で待ち続ける。そして当然誰も来ない。私が何も言わないからだ。それを他人のせいにして私は勝手に泣く。だから私は私が大嫌いなのだ。だったら、誰の声も聞こえないところに行こう。誰も手の届かないところに行こう。待ってても意味のないところに行こう。
 こうして現実の世界でひきこもり、ネットの世界でひきこもり、私は自分自身さえ愛することができずに、自己批判を繰り返す。自分を愛せないのだから、他人なんてなおさら愛することできるはずがない。ブログは心の内なる世界だと思っている。この世界の中では、私は自由だ。心が未成熟なまま、私の思いだけがどんどん広がっていく。誰の声も聞こえない。私の悲鳴も誰かに届いてるのかどうかわからない。

 本当は辛いんだよ。輝いていた頃の自分を知っているだけに、余計に辛いんだよ。でもそのプライドが邪魔をする。だからやっぱり、放っておいて欲しいんだ。

 暗い曲ですがこんな思いを歌った唄「未成年」

未成年 Music & Lylic by 柴田淳

ぼくらはただ 気付いて欲しかっただけで
誰も何も 壊すつもりはなかった
耳を塞いでいる 固く目を閉じている
ぼくらを受け止められず 逃げ出した弱虫よ
導いてよ どこまでも 孤独のない 温もりの場所へ
愛していて いつまでも 涙の流し方を教えて

思い出して あなたも歩いてきた路
触れられぬほど 脆くて美しい瞳
愛しさを知らない 愛し方を知らない
ぼくらに怯えている 出来損ないの背中よ
抱きしめてよ 痛いほど 鼓動を感じるくらいに 強く
耳を澄まし 向き合って ぼくらの魂の悲鳴 聞いて

こっち向いてくれないから 心を歪めるしかなかったんだ
導いてよ 叱ってよ 孤独のない 温もりの場所へ
思い出したい 淋しさを 泣けないぼくらに ねぇ 返して


おまわりさん
2007.11.01 Thu 11:16 | エッセイ | 小説・文学
 おまわりさんが来た。見回りながら住民台帳みたいなものを作っているらしい。新人おまわりさんらしく、つぶらな瞳がキラキラしていて、制服もピカピカだった。「最近はバイクによるひったくり事件が増えていますから、カバンは道路の反対側に持つように注意してくださいっ」などと、一生懸命お話ししてくれた。

 交番勤務のいわゆる「おまわりさん」、そういえばいろんな人がニュースになったなと思い出した。一番忘れられないのは、板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長。

2007年2月6日に、線路内に侵入した自殺願望の女性(39)を助けようとした警視庁板橋署常盤台交番の巡査部長〔二階級特進で警部〕(53)がときわ台駅を通過する急行電車にはねられて重体となり、2月12日午後意識が戻らないまま板橋区内の病院で亡くなられた。

 日ごろから温厚、真面目、優しいと評判だったおまわりさん。なんで神様はこんな素晴らしい人の命を奪って、不必要な人間を生かしておくのだろうと思ったものだ。こんなおまわりさんが居てくれた街は、とても安心な街だったのだろう。

 かと思えば、最近ではストーカー殺人を犯したおまわりさんもいた。この人の事件は衝撃だった。

2007年8月21日、東京都国分寺市東元町のアパートの一室で、この部屋の住人とみられる女性(32)が、腹部と胸など計3か所を拳銃で撃たれて死亡しているのが見つかり、そばに警視庁立川署地域課の友野秀和巡査長(40)が左胸から血を流して死んでいた。友野巡査長の手には拳銃が握られており、同庁は、友野巡査長がこの女性を殺害したうえで自殺したとみて調べている。

 この巡査長は女性が勤めていた立川市内のキャバレーに入り浸って度々女性を指名、ストーカーまがいの行動を取っていたらしい。おまわりさんだからと言って安心できない時代になったのか。

 昨日も色々な個人情報を台帳に記入しながら「この人大丈夫かな?」とふと不安になり、「本当におまわりさんですか?」「この情報は何に使うんですか?」と聞きたくなったが、それはいくらなんでも失礼だなと思い我慢した。自分がここまで人を信用できなくなっているとは正直情けなかった。なんとも寂しい世の中になったものだ。

 とにかく今は、若いおまわりさんの今後の活躍に期待する。敬礼!