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笑って
2007.11.03 Sat 14:39 | 心に沁みる曲 | 音楽
 Mr.Childrenの「いつでも微笑みを」の歌詞にでてくる

いつでも微笑みを そんな唄が昔あったような

の元ネタがわからなくてずっと考えていた。すると同居のツレが「英語の歌なんじゃないの?」と言うので、ハッと思い当たった。
 これか!チャップリンの映画「Modern Times」の主題歌に誰かが歌詞をつけた「Smile

↑これはマイケルジャクソン版なので、少々歌詞の順序が違います。

Smile
   Music by Charlie Chaplin
   Lylic by John Turner & Geoffrey Parsons

Smile, though your heart is aching
Smile, even though it’s breaking
When there are clouds in the sky you’ll get by
If you smile through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You’ll see the sun come shining through for you

Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near
That’s the time you must keep on trying
Smile what’s the use of crying
You’ll find that life is still worthwhile
If you’ll just Smile

つたない語学力でぐりえ的に超訳してみると(※直訳ではありませんよ)

笑って 心が痛むときも
笑って 心が壊れそうなときも
空に雲があっても 何とかなるさ
笑って 不安なときも悲しいときも
笑って そうすればきっと明日は
太陽が照らしてくれるから

喜びで顔を輝かせて
悲しみの跡なんか全部隠して
涙が出そうでも そんな時こそ笑っていて
笑って そうすれば泣かないですむから
命はまだ無駄じゃないってわかるから 
だからただ 笑って

余計泣けた。

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心のコミュニケーション
2007.11.03 Sat 14:02 | ネット依存症 | 心と身体
 ネットで1人でいることにもだいぶ慣れてきた。それは時々ネト友のブログが更新されていること、時々ネト友からコメントがあること、そして時々見知らぬ人から「ブログ拍手」にクリックがあること。たったそれだけの事で、誰かとつながっている気がしてものすごく嬉しい。唯一の私のネット栄養剤だ。
 でも、もう連絡の取れないそれ以外のネト友にとっては、お互いにとってお互いが2度と会わない、いわば「死んじゃった人と同じ存在」なのかと思うと少し寂しい。

 精神科医の斎藤環先生が言うように、人には「自分がありすぎてコミュニケーションの下手な人」と「自分があまりなく他人とのコミュニケーションが得意な人」の2つのタイプがあるのだろう。そして極端に言えば、ブログを書く人と全く書かない人は、この2タイプにだいたい近いのではないのだろうか。
 私の考えでは、ブログ(ここでは主に公開日記のこと)は心の内なる世界だと思う。外にエネルギーが向かっている人には、なぜブログに自分自身を晒すのか理解できないかもしれない。言いたいことがあれば、本人に直接言えば?と思うかもしれない。でもそうではないのだ。この世界は心の中の世界なのだ。自分がありすぎる人は、自分の内面を深める方向にエネルギーが向かい、心の中で思いがあふれ過ぎるとブログに出したくなるのだと、勝手に分析している。
 昔は「テレパシー」でもないと、遠いところにいる人同士で心と心を感じあうことはできなかったが、いまではインターネットという便利な伝心手段ができた。ある意味、昔の人が想像していた「テレパシー」って、これなのかなと思う。

 私は確かに、人付き合いが下手だ。他人から見ると、私はすごく社交的で友達が多く人気者らしい。が、それは「役割を演じている」だけで、本当はすごく人付き合いが苦手なのだ。気を使いすぎて疲れる。人と多く会えば会うほど、家に帰ってから倒れてしまうことが多い。夜、眠れずに自分にダメ出しをしたりする。
 こんな私には、心の中に閉じこもっている今が安住の場所なのかもしれない。時々コメントを見て、拍手を数えて、そして他人の心の中をそっと覗きに行く。他人との外面のコニュニケーションが下手な私でも、誰かと心と心のコミュニケーションが取れれば、もう少し生きて行けそうな気がする。現実社会よりずっと上手に自由に、飛びまわれる気がする。

今日だけのお願い。
↓共感してくださる方、拍手お願いします。
いつでも微笑みを
2007.11.03 Sat 12:54 | Mr.Children | 音楽
 最近「損保ジャパン」のCMで流れるMr.Childrenの「いつでも微笑みを」が気になって仕方ない。口笛のところで一緒に、下手で音のならない口笛を私も吹いてしまう。とても馴染みやすいメロディーだ。

 自作でスライドショーを作成してくださったアップ主に感謝


 ところが歌詞を見てびっくりした。

いつでも微笑みを music & Lylic by 桜井和寿

狭い路地に 黒いスーツの人達 急な不幸がその家にあったという
命は果てるもの 分かってはいるけど
何もかも思い通りになったとしても すぐ次の不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷ついても
いつでも微笑みを そんな唄が昔あったような
今こそ その歌を 僕達は歌うべきじゃないかなぁ

いつでも微笑みを そんな歌が昔あったような
悲劇の真ん中じゃ その歌は 意味をなくしてしまうかなぁ

もし僕がこの世から巣立って逝っても 君の中で僕は行き続けるだろう
そう思えば何とか やっていけそうだよ
そう だからいつも いつでも微笑を いつでも微笑を いつでも微笑を

お葬式の歌かっ!いやあこんなに明るく見送ってもらえたら本望だ。

 ところで、「そんな唄が昔あったような」とあるが、どの歌のことを言っているのだろうか?いろいろ調べたのだが、有名な歌で「いつでも微笑を」が入っている歌はあまり記憶にない。私が「いつでも○○を」で思い出すのは、橋幸夫&吉永小百合のデュエットソング「いつでも夢を」だけだ。古い。古すぎる。

 まあこちらも悪くない曲なので、ついでに貼っておこう。貴重なカラーVTRを見つけた。中井貴一と南野陽子ではない。橋幸夫と吉永小百合である。


泣いて馬謖を斬る
2007.11.03 Sat 11:39 | エッセイ | 小説・文学
 テレビでニュースを見ていたら、昨日も書いた日本シリーズでの落合監督の「非情采配」について、なぜか石原東京都知事が定例会見で「どう思われますか?」と聞かれていた。石原都知事は苦笑しながら

石原氏は落合監督の采配について感想を聞かれて「実績で勝負している球団のCEOとしては、落合は見事だと思う。泣いて馬謖(ばしょく)を斬ったんですよ。絶対正しかった」と絶賛。白い歯を浮かべて「あれは本当のリーダーというものですな」と褒めちぎった。
SANSPO.COM

 いかにも小説家らしい回答の仕方。恥ずかしながら私は「泣いて馬謖を斬る」の意味がよくわからなかったので調べてみた。wikipediaによれば、『三国志』「蜀志馬謖伝」から引用された故事成語のひとつで

三国時代の武将である馬謖が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて独断で布陣し敗戦を招いた責任で処刑された。愛弟子であった馬謖の処刑に際し諸葛亮は涙を流したという。他の武将達の中には「馬謖ほどの有能な将を」と処刑を慰留する者もいたが、諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と処刑に踏み切った。

そして現在の日本における一般的な使い方は

「どんなに優秀な者であっても、私怨私情で法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多い。

 なるほど。いやちょっと待て。山井投手がなにをやらかしたというのだ。8回まで完全試合(ノーヒットノーラン)だったのに。どうせなら9回も続投させてほしかった。そこでもしヒットを打たれたら、その時点で交代させてほしかった。それだったら「泣いて馬謖を斬る」でもいいような気がするが。
 まあ、ひとつ言葉を覚えたので、それでヨシとしよう。


あれが本当のリーダー!石原都知事、落合采配を大絶賛 (SANSPO.COM)