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顔色
2007.11.09 Fri 15:35 | アダルトチルドレン | 心と身体
 母と姉に呼び出されて、1週間ぶりに外に出てみた。と言ってもすごく近所だ。ショッピングモールのレストランに入って一緒にお昼ご飯を食べた。

 いろいろ話をしているうちに、私と姉とでどうでもいい話で盛り上がり、母の顔色が変わったのに気づくのが遅れてしまった。ふと見ると、突然母の顔から笑顔が全く消えていた。怒りのオーラが見える。よくわからないが、私の話に何か母を怒らせるような事があったのだろうか。いくつか心当たりがなかった訳でもないが、なぜ突然機嫌が悪くなったのか、よくわからない。
 とにかく私たちは雑談をやめて店を出ることにした。母が一人で買い物をしたいと言い始めたので、私はとにかく「ごめんなさい」を繰り返した。すると母は「ごめんなさいじゃなくて、私はマイペースで買い物させてもらいますから」と早歩きでどこかへ行ってしまった。
 どうしようどうしようと言う私に、姉は「気にしちゃだめよ、いつもああなんだから」と涼しい顔。家族の中で唯一母に言い返した事のある姉は、こういう時に強い。母はせっかちで、何かを思い立ったら動かずにはいられないタイプなだけだと、姉は言う。姉はそんな自分勝手でせっかちな母が嫌なので、わざとゆっくり歩いたりするそうだが、そうするといつも置いていかれるという。「かわそうな人だわ」と思えば何とも思わなくなると言う。

 なるほど。見捨てられる恐怖感の強い私は、小さい頃からそんな母に置いていかれまいと、いつもいつも母を見張り、顔色を伺い、先回りしながらついて歩いていた。はぐれると泣きながら探し回り、ごめんなさいごめんなさいと謝ってそばにいさせてもらった。
 そんな事じゃもたないわよ。と姉は言う。逆に姉に「ごめんね、本当にぐりえちゃんのせいじゃないし、気にしないで」と何度も元気付けてもらい、なんとか家に帰ってきた。

 私は弱い人間だ。人の顔色ばかり伺って生きている人間だ。どうしたら何も見えなくなるのだろう。何も感じなくなるのだろう。無心になりたい。無になりたい。

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ゲームオーバー
2007.11.09 Fri 11:33 | ネット依存症 | 心と身体
 なんだろう。もうネト友の事いろいろ考えているのが面倒くさくなってきた。
 昨日、一番仲のよかったネト友に謝らないと言う記事を書いたら、たまたま本人がその記事を読んでくれていたらしく、メッセをつないだら、早速「気にしてないから大丈夫だぞ」と言われた。それから前みたいに話ができそうな気がして少し話をはじめたら、あんなになって、こんなになって、彼がゲームを始めて、私がつっかかって、彼からの返事が全くこなくなって、私が泣きながら落ちると、まあよくあるパターンに陥った。

 パソコンを落としてひとしきりワンワン泣いてから、冷静になって考えた。また私が傷つけて怒らせてしまったのなら、とりあえず謝るだけ謝っておかないとと思った。のろのろと起き上がり、パソコンを再起動してメッセを立ち上げたら、彼曰く「えええええ」「シカトしたの?おれ?」「気づかなかった」「それログきてないよ」 え。MSNメッセンジャーのバグですかそうですか。わざとなのか本当なのかどっちでもいいけど、なんかもうあれこれ勘ぐるのが面倒くさい。
 あと、彼はキーボードの「W」「S」「A」「D」を使って前後左右に移動するゲームをやっているのだが、何か真面目な話をした時だけ、必ず「wwwwwwwwww」って返事してくるの、すっごいむかつく。わざとなのか本当なのかどっちでもいいけど、なんかもうあれこれ勘ぐるのが面倒くさい。

 こんなにムカつくのって、悔しいし恥ずかしいけど、やはりまだ彼の事が気になってしかたないんだろうな。でも今となってはもうどうにもならないし、どうでもいい。私が心の平穏を保つためには、(何度も失敗しているが)私が彼の姿の見えない所に行くしかないんだろう。と思うぐりえであった。少し疲れた。

なにげに人気のミスチルの隠れた名曲「Over」 特に意味はないけど・・・

心変わりを責めても むなしくて

のところがいつ聴いても「はうっ」となるんだこれが。

サバイバー
2007.11.09 Fri 00:01 | エッセイ | 小説・文学
 見るともなしに「奇跡の生還!!九死に一生スペシャル 」という番組を見ていたら、いろいろ感動する救出劇を再現ドラマ形式でやっていた。その中で、ちょっと違った意味で感動した話があった。団地の火災で4階に取り残された親子を助けたのは、近所の元とび職と鉄筋工だったという話。消防車が来る前に、2人でベランダづたいに現場までよじ登って、取り残された親子を助け出したという。
 ああ!手に職を持っている人、腕に覚えのある人の強いこと!すばらしい!

 私なんて、いざとなると何もできないと思う。口しか動かないであろう。一応製造業なので「ものづくりが大切!」などと声高に叫んではいたが、実際何か作っていたのかと聞かれると、単なる研究と試作設計しかしていない。しかも製品化までこぎつけたものは、そのうち1つしかない。
 家の中の電気製品が壊れても、今のようなIC化された製品はほとんど直せない。どこが壊れているのかぐらいはわかるかもしれないが、それも設計図とオシロスコープがないとお手上げだ。あとソフトが組めるといっても、パソコンがないと入力もできないし、ハードウエアがないと動くものがない。

 それより手に職がある現場の人は羨ましい。家族にも「あれは私がつくったんだ」と、触って自慢することができる。ここ実はちょっと失敗しちゃってね~なんて、実物をなでながら思い出話もできる。
 あと、飛行機で「お客様のなかにお医者様はいらっしゃいませんか。」そこで手をあげるお医者さんもカッコイイ。実際に、そういう場面に会った事があるのだが、ざわざわしてちょっと拍手が起こったりして。何も見ないでも自分で何かできるって、すごい事である。「お客様のなかに電子回路技術者の方はいらっしゃいませんか。」なんて一生言われないだろうな。
 例えば大災害があったとき、私は誰かの助けになれるのだろうか。映画の脇役に出てくるぐらいの活躍はできるのだろうか。今の私は、レシピをみないと満足に料理も作れない。困った。

 仕事とは。目で見える形で、誰かに感謝される労働の対価として、お礼の意味でお金をいただくようでなければいけないと思うのだ。そもそもそれが「仕事」の本来の姿だったのだ。それでこそ働くことの喜びが芽生えるのだと思うのだ。
 マネーゲームで数分で何億も稼いだとしても、そこで何か得られるものはあるのだろうか。人に怨まれこそすれ、感謝などされるであろうか。一人だけお金を設けて、幸せを感じるのだろうか。ああ良かったと思えるのだろうか。ちょっと前に「お金儲けは悪いことなんですか」と開き直っていた人がいたが、 何か間違っている。紙幣など、価値がなくなったらただの紙切れ。まして数字上のお金なんて、それこそ実体のないバブルである。何もかも無くなってしまうような非常事態に見舞われた時、それで一体何ができるというのだろう。

 私はもう少し、人間として生きていくための知識と能力を身につけたいと思った。その前にまず、サバイバーとしての体力をつけよう。体を鍛えよう。それから何か免許をとろうか。それとも毒キノコの見分け方でも学ぼうか。
 今気づいたが、うつ病にしては、いい兆しのセリフではないか?!薬が効きすぎているのかもしれない。