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グルグル
2007.11.13 Tue 18:28 | ひとりごと | 心と身体
 何かしないと愛されない、何かしてしまうと愛されない。こういう考え方にはほとほと嫌気がさす。でもずっとずっとこんなグルグル思考スパイラル。早く抜け出したい。
 一番イヤなのは、実は私もそれを求めているのではないかという不安。無償の愛を提供しているつもりが、無意識のうちに見返りを求めているのではないかという不安。それが誰かの負担になり、迷惑になり、だから愛されなくなるのでは・・・ ああまたグルグルハジマッタ。

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キーボード
2007.11.13 Tue 08:48 | トラブル | コンピュータ
 愛用していたミニキーボードが壊れてしまった。「N」が入力できなくなってしまったのだ。ちょっとだけコーヒーをこぼしたようなこぼしていないような。キーをはがして掃除をしてみたが、復活しなかった。仕方なく一文字ぐらいいいかとそのまま使おうかと思ったが、意外と「N」の頻度が多いことに気づいてしまった。まさになくなってから知るありがたさ。例えば今ここまでの間にも「N」は20回近く使っている。
 とりあえず一回パソコンを再起動をしてみたら、さらに大変な事に気づいた。ログインパスワードの中に「N」が含まれていて、Windowsがにログインできなくなってしまったのだ。さようならミニキーボード・・・・

 私はしぶしぶ前に使っていたSOTECのフルキーボード(5107)を引っ張り出してきた。横に長いのが嫌で、一度も使ったことがなかったのだが。特に何も考えずにPS/2タイプ(丸い)コネクタを挿してみる。
 ところが!どうせプラグインプレイですぐ使えるだろうと思っていたのに、何か様子が変だ。「ひらがな」キーに割り当てていた機能が使えない。そして何より「^」の入力ができない。これでは笑顔マーク「(^-^)」が作れないではないか。
 デバイスマネージャを見たらなぜか「101/102英語キーボードまたはMicrosoft Natural PS/2キーボード」になっている。ここは日本語キーボードでなくてはおかしいところだ。おそらくメーカー純正の多機能キーボード(特にSOTECの)なので、中身が純粋な日本語キーボードではないのであろう。それでパソコンの自動認識に失敗しているようだ。こんなときは手動で「あなたは日本語キーボードですよ」と教えてあげなければいけない。

 こういう時に一番簡単なのは、コントロールパネルのデバイスマネージャでキーボードを選択し、プロパティからドライバの更新を手動で行うことだ。ここは強引に
  1. 「ソフトウエアを手動で検索してインストール」を選択する。
  2. SOTECからドライバが公開されていないので、「コンピュータ上のデバイスドライバの一覧から選択」に進む。
  3. 「互換性のあるハードウェアを表示」のチェックをはずす。
  4. 標準キーボードの一覧に「日本語 PS/2 キーボード(106/109キー)」が出てくるので、これを選択。
  5. 「正常に動作しなくなりますよ!」など何度か脅し文句のような警告文がでてくるが、ここは自己責任で「はい」を押し続ける。
  6. パソコン再起動!

ドキドキ・・・
もし真似される方がいらしたら、自己責任でお願いしますね。
とりあえず今は日本語キーボードとして動いています^^ 

ひまわり
2007.11.13 Tue 01:56 | 槇原敬之 | 音楽
 昔の槇原敬之の歌がすごく好きだ。こんな事考えてる男の子ってあまりいないのではないかとすら思うほど、素直すぎる若者の心情をつづった歌詞。時に歌詞は女性的で、特に別れた後の気持ちをつづらせたら日本一だと思う。聞いてて胸がチクチクする。

 例えば、最初のアルバム「君は誰と幸せなあくびをしますか。」に「ひまわり」という隠れた名曲が入っている。「3日間2人きりの旅行はナイショだから、一緒に撮った写真はひまわりをバックに1枚きり」だったので、題名が「ひまわり」なのだ。そんな彼女とももう・・・・
 マッキー寝グセ寝グセ!


サビだけ歌詞を一部抜粋する。

1.
なんだか笑顔が 優しくなったね
友達になるって そんなに素敵なことかい?
くやしいから君を もっと笑わせよう
そして僕は 強くなってゆく

2.
ずっと一緒だよって かわした約束も
今は笑っちゃうくらい 恥ずかしい嘘だけど
そういったぼくらの本当の気持ちは
あの時間にちゃんとのこってる

僕が前よりも優しく笑えば
重ねた嘘は輝きつづける (by 槇原敬之)

 私にとっての恋愛は常に友情の延長線上にあるので、友達から恋人へ、そして恋人から友達へとあいまいに変わることが多い。だからこの歌を聴くととても苦しい。「友達になるってそんなに素敵なことかい」だって?そんな訳ないじゃん。頑張って笑顔作ってるのに、引きつってるのが見えないの?と呆れてみたり。しかもそんな風に笑わせたりして楽しい時間を過ごしたら、また期待しちゃうじゃないのと怒ってみたり。でもマッキーは全部わかって皮肉っぽくそう言ってるんだろうなと深読みしてみたり。

 時がたって大人になると、無邪気なままではいられなくなって、うわべを装う事も必要になってくる。時には嘘も上手に使い分けなければいけない。そういう知恵を身につけ始めた青春時代特有のせつなさが、初期の槇原敬之の曲には、どれもよく出ていると思う。
 そして、この時代の彼の曲にいつまでも共感している私はと言えば、精神的に大人になりきれず、そうした成長過渡期のあいまいさから抜け出せずに、もがき苦しみ続けているのだ。