

静かに世界平和を祈ろう・・・。
パーティでは人前なのにまたしても、あふれる涙を抑えることが出来なかった。うちの先生達、本当にすごいんだ。親身になって私の精神的不安を治そうとしてくれる。「私の人生を180度変えてくれてありがとう」、と私もいつか言えるようになれればいいな。
こういう時あるよね。彼女は一見明るくて能天気そうだが、すごく頑張り屋でかなり周りに気を使っていそうだ。あの空気の読み方と対応力のよさを見ればわかる。たしか昨年、「潰瘍性大腸炎」になって、一時期芸能活動を休止していなかっただろうか。あれはストレスでなる病気である。頭の中がごちゃごちゃしていて、自分らしいblogが書けそうもないので、少しblogをお休みさせて頂きます。
ブログって、最初は「何を書こうかな」とワクワクするものだが、そのうちに反響やアクセス数から求められる自分が見えてくる。こんなどうでもいいブログを書いている私でさえ、できるだけ正直に書こうと思っても、「こう書いたらどう思われるだろう?」とふと思って、書き直すこともないわけではない。
若槻さんは、そのブログがアメブロのトータルアクセスランキングでは開設以来常時1位を記録しているという、押しも押されもせぬ「ブログの女王」である。自身に悩みがあるとき、なにか考えたいとき、常に元気で面白いキャラを作っていくのも疲れちゃうことあるんじゃないかな。少しだけ、オンラインゲーム用語でいうところの「引退」(※)をしたかっただけじゃないかな。
まあこれは私の勝手な想像で、真相はわからないが。とにかく、そういう状態にある彼女を、もう少しそっとしておいてあげて欲しいと思う。
- ※引退
- 常時ネットに接続しっぱなしの状態から、ただパソコンを落とすために一旦ログアウトする意味。主にオンラインゲームで、いつもonline状態でいたのに突然「引退します」「さようなら」と騒ぐ人に限って、必ずすぐに戻ってくることからそう言われる。
以前、「悩みの階層」という記事で書いた、私の恩師の言葉を思い出す。
しかし、あたりを見渡してもたいした悩みが見つからない時、心の弱い者はどういう訳か、自分の欠点を探し出して自分を責める。そこで泣きわめいてしまえばいいのだろうが、無自覚だったり気持ちを押し殺してしまったりすると、不思議と体に異変が出てくるような気がする。人というのは不思議なもので、1つの大きな悩みが解決したと思っても、どういう訳かまた他の小さな悩みを探し出してきて「どうしようどうしよう」と同じように悩むものだ。それが大きいものでも小さいものでも、他人にとっては取るに足りない小さい問題でも、当人にとってはすべて悩みは悩み。同じぐらい深刻なものとして見てしまうものなのだ。
「ストレスは適度にあったほうがいい」と、よく聞く。自分を責めないですむ適度なストレスってなんだろう。軽く緊張感やプレッシャーを感じるようなもの。スポーツかな。無理だな。そしてまた私は、やはりただの怠け者なのではないかと自分を責める。
【追記】
自分の過去のブログに、偶然答えを見つけた。自分を責めないですみ、軽く緊張する方法。それは「笑い」だ。10/28の記事「人はなぜ笑うのか?」にはっきり書いていた。
これでつながった。双方の記事の謎が一気に解けた。
- 「笑いの正体ってなに?」
- 笑いは想定外の事が起こったときに出る生理反応である。そして笑っているときの体の状態は、手に汗をかいたり、心拍数が上がったり、意外にも「緊張」と同じ状態なのだという。さらに3分間の爆笑=2分間の歩行にも値する運動量であるという。
じゃあ笑いっぱなしだと緊張が高まって逆にストレスになるのでは?と私は思ったが、適度な緊張と運動が逆に爽快感を生むという事なのであろうか。その辺の根拠はよくわからなかったが、最後はどさくさに紛れて「笑うとストレス解消になる」みたいな話がチラっと出ていた。
その中で、一番気に入っていた詩がある。もう元データが消えてしまったのだが、今でも何を書いたか覚えている。確かこんな感じの詩だった。
あの頃は、今みたいに母娘の関係で悩んだことは無かったのかもしれない。この詩を思い出すと同時によみがえる感情は、普通に母に甘えたい気持ち、そして母への感謝の気持ちだと思う。どうして突然、最近になって「アダルトチルドレンかも」とか悩みだしたのだろう。うつ病だからそう思うのか、そう思うからうつ病なのか。みどり
長い旅に出かける私は
母に観葉植物を預けることにした
一人暮らしの相棒だった観葉植物
水のやり過ぎでもう枯れかけていたので
半分捨てるような気持ちだった
「枯れたら捨てちゃってもいいからね」
2週間後 旅から戻った私は驚いた
母の手には
見違えるように活き活きと葉を伸ばしている
あの枯れかけていた観葉植物があった
「枯らさないように一生懸命頑張ったんだから」
母はケラケラと笑いながら
少し誇らしげに言った
思い出した
私はこの人の大きな愛情に包まれて育ったんだった
私も時々 帰っていいですか
すっかり枯れ果ててしまう前に
8年前の私から、今の私に送ります。藍坊主の「瞼の裏には」
瞼の裏には Music & Lylic by 藤森真一
枯れないように枯れないように 君がくれた想いに水を与え続けた
両手広げ飛び跳ねても 覆いつくせないほどの大きい喜びに
ある日君のくれた想いは 花朽ちて葉が落ちて知らぬ間に枯れていた
それは水が足りないから? それともたくさんあげすぎてしまったから?
あの日僕のせいで悲しむ両目から 全部流れて枯れてしまったの?
君の怒ったそのそぶりも 君の笑ったその顔も
僕の何もない手が何もない手に そっと触れたことも
思い出しては口ずさむよ 君が歌ったあの歌を
うれしい時にだけ口ずさんでいた 君の声が聴きたくて