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タトゥーを入れる女たち
 さっき夕方のニュース「リアルタイム」の『リアル目線』というコーナーで、「実録!タトゥーを入れる女たち」という特集をチラっと見た。

 タトゥーの是非はここでは述べないが、タトゥーを入れる女性で最近増えているのは、ただ興味本位やオシャレで入れているのではなく、やや精神的に不安を抱えている人が多いという話であった。
 背中全体に”大日如来像”を彫り続けているシングルマザーの女性は、”うつ”を患っていた。何かにすがろうともがいているうちに神仏に興味を持つようになり、お寺に通っているうちに背中に『一生離れないお守り』のような感覚でタトゥーを入れることを思いついたそうだ。背中に仏様がついていて下さると思うだけで安心すると言う。死にたいと思うような事がなくなったと言う。

 タトゥー入れはかなりの痛みと苦痛を伴うため、大きなタトゥーの時などには体力の消耗を考慮して、何回にも分けて掘っていくそうだ。
 診療内科医の酒井和夫先生は言う。人間の脳には強い痛みやストレスを感じると、脳から一種の麻薬成分が作られる。これらの物質には人間の感じる痛みやストレスをやわらげる作用があり、これが”うつ”などにもいくらか効果があるのではないかと。

 だが大日如来の女性は、自分の娘がもしタトゥーを入れたいと言ったら反対する、と断言する。「自分の体を傷つけるような事はして欲しくない。」と。やはり自分の体を傷つけているという自覚があり、という事は自分の体を傷つけたいという”自傷行為”の意味もあるのかなあと、私は感じた。複雑な思いだ。

心残り
2008.01.31 Thu 12:41 | ひとりごと | 心と身体
yun_361.jpg私は色々なところから逃げてきた。
もう二度と会わない人もいるかもしれない。
もう二度と話をしない人もいるかもしれない。

そんな人達にとっては、私は死んだも同じ人間なのだろう。
どう?少しは寂しい?少しは思い出してくれる?
それとも私がいなくなって、せいせいした?

得意の「試し行動」も、死んじゃったら確かめる事もできない。
それだけが心残り。

何が怖いのか
 こう見えてかなり落ち込んでいる。今回はうつ病というか、普通に落ち込んでいるような気がする。でもフェレットにさえ「ごめんなさい。」とつぶやいて距離をとっていたぐらいだから、やっぱり普通じゃないのかもしれない。うつ病のせいなのかな。
 昨夜は、寝るときまで涙が止まらなかった。いつもは脇に抱えて眠るフェレットも、昨夜はケージにしまって寝た。

 はらはらと涙を流しながら、『私っていつもそうなんだよね』とこれまでの失敗を振り返った。あまり考えずにきっと楽しいだろうと思ってやった事に限って、誰かに嫌な思いをさせていたり、誰かからひどく怒られたり、後から後悔する目に会うのだ。取り返しがつかないのだ。
 かと言って、考えすぎてもロクな事はないのはわかっている。私が考えすぎると、なぜか自分から大事な人を困らせたり不快がらせたりする「試し行動」に出てしまう。それをしないと、自分が愛されているかどうかわからないのだ。構ってほしいのだ。そんな事ばかり繰り返していると、いい関係も悪くなっていくというのに。自分で自分の場所を破壊しているようなものだ。

 なぜ私はこんなに不器用なのだろう。そして人一倍寂しがりやなのに、寂しくて寂しくて死んでしまいそうなのに、そんな事口に出して言えない。言ってはいけない。それぐらい我慢できなくてどうする、と自分を戒める。
 戦争もないし、飢えもないし、住居もあるし、世帯収入もあるし、何の悩みもないはずだ。私は幸せなはずなのだ。でも何を楽しみに生きていいのか、ちっともわからない。怖くて身動きが取れない。何が怖いのかもわからない。

 そんな中、東京海上日動のテレビコマーシャルが耳に入ってきた。

赤ちゃんA「君さ・・・・人生で何が楽しみ?」
赤ちゃんB「はい?」
赤ちゃんA「ボクはまず18になったらカッコイイ車に乗りたいなあ・・・」
赤ちゃんB「私は事故がこわいのでちょっと・・・」
赤ちゃんA「それから、世界中を旅して回るんだ・・・」
赤ちゃんB「旅先でのアクシデントが怖いので、遠慮しときます」
赤ちゃんA「いつかは自分の家を建てたいし・・・」
赤ちゃんB「地震にあったり火事にあったりしたら、ショックが大きすぎますよ」
赤ちゃんA「・・・じゃあ君、何を楽しみに生きるの?」
赤ちゃんB「さあ・・・」

そして画面には「人生はたった1回」という文字が表示される。

 ああ、うつ病には堪えるわこの広告。何を楽しみに生きるの?って赤ちゃんに聞かれても、答えられない大人がここに1人いる。

花粉きてます
2008.01.30 Wed 14:28 | 花粉症 | 心と身体
 スギ花粉がきている。もう4~5日前から耳や目が痒くて仕方ない。喉が痛くてくしゃみが出る。ここから私の11ヶ月に渡る花粉アレルギー生活が始まるのかと思うと、少し憂うつだ。
 今年の関東南岸のスギ花粉飛散開始予想は、気象庁によれば2月上旬~中旬だとされていて、今週いっぱいの花粉予想(神奈川県)もずっと「飛散開始前」などと発表されているが、ニュースキャスターでも「もう飛んでますよね。」と言っている人も多い。感じている人は感じているのだ。

 私は「慈恵医大耳鼻科の花粉症のページ」が、昔からお気に入りである。きめ細かな解説や、各地での花粉観測量が毎日とても親切に更新されている。それによれば、品川ではこれまでにスギ花粉が観測された日が2日あると言う。

(1月16日) . 品川では1月11日(金)にスギ花粉が0.3個/cm2/日観測され、この日が品川でのスギ花粉初観測日となりました。
(1月18日) . 都内でもスギ花粉初観測が見られ、花粉症発症を疑わす患者さんもでてきています。
(1月24日) . 1月23日は雪が降り、そのあと雨が降る寒い日となりました.品川ではひさぶりにスギ花粉が0.3個/cm2/日観測されました。

やはり!敏感な私は、確かにあの雪の日の後ぐらいから、だいぶ鼻粘膜が白くなってきているのだ。鼻腔が狭くなって早くも息が苦しい。おかげで酸素が足りないのか眠い。ひたすら眠い。(またか。)

 この季節になると、いつも思う。花粉症でないテレビ・ラジオ関係者の方へ是非これだけはお願いしたい。天気がいいからと言って、「ポカポカして外へ出たくなりますね。」とか「お洗濯日和です。」とか「絶好の行楽日和ですね。」とか言わないでほしい。ただでさえ外に出られない私が、それに加えて花粉症まであるのに、そんな事を言われると余計に落ち込んでしまうのだ。
 実際、明るい声で花粉を無視したお天気発言をする人は、その瞬間、2000万人の全花粉症民を敵に回している。特にFMのDJに多いような気がする。私はそれを聞くと「ずいぶんと気遣いの足りない人だなぁ。」と思う。そんな事で人柄を判断するのも皮肉なものだ。

日本人の美学
2008.01.30 Wed 13:10 | エッセイ | 小説・文学
 日本人は、たぶん非常にわかりにくい人種だ。我々日本人には『日本人の美学』という独特の美意識があるが、それは日本国内だけで通じるものであり、外人には非常にわかりにくいものなのだと思う。
 こんな私も、外国に行くときや英語を使うときは、自己主張の強い人間に人格そのものを変えているような気がする。声も低く大きくする。日本では男性の3歩後ろを歩くが、外国では男性の3歩前を歩く。昔テレビで、バイリンガルの女性タレントを見ていて学んだ事だ。そうしないと、舐められて負けてしまうからだ。女の子がかわいく甘えていられるのは、日本国内だけだからだ。

 でも。私は基本的に古い人間である。せっかく日本に生まれたのだから、『日本人の美学』をいつまでも大切にしたいと思う。例えば日本語独特の言葉やことわざに、それは表現される。ざっと書き出してみた。

  • 自己主張をしない
    「言わぬが華」「沈黙は金」「不言実行」「以心伝心」「あうんの呼吸」
    遠慮がちで、表現があいまいであることを奥ゆかしいとし、黙ってやり過ごすことを美学とする。

  • 本音と建前
    「お世辞」「裏読み」「やせ我慢」「見栄を張る」「嘘も方便」
    不愉快を隠すために笑顔を見せたりするが、それでも日本人同士なら「察する」美学がある。

  • 我慢強い
    「武士は食わねど高楊枝」「質素」「倹約」
    空腹、枯渇、寒さ、猛暑、不眠その他の苦しみに対する忍耐力は信じられないほどである。

  • 謙虚な心
    「能ある鷹は爪を隠す」「尊敬語」「謙譲語」
    自分を卑下して相手を立てるという美学がある。ともすると自虐的になることも?

  • 人情
    「和をもって尊しとなす」「向こう三軒両隣」「お節介」
    日本人は礼儀正しく冷静で親切である。お互いを信用した貸し借りはごく日常的なこと。

  • 潔さ
    「負けるが勝ち」「諦めの美学」「滅びの美学」「武士に二言はない」
    桜を美しいと思う日本人は、引き際が美しいことをヨシとした。言い訳をしない潔よさをもつ。

 しかし、こうして書き並べてみると、悲しいかな、今の日本人にさえもこうした特徴はあまり見られなくなってきたように思う。先日「さらば!キレる大人」という番組で『江戸しぐさ』という江戸っ子の礼儀を知り、「身につけよう!江戸しぐさ」という本を紹介したが、そのレビューの中に1つだけ悲しい言葉を見つけた。

年寄りの説教話, 2005/1/18 By お客様
半分くらい読んで、ゴミ箱へ直行。年寄りの説教話にこの値段は高い。

今はこういう時代なのだ。私の意見もきっと、年寄りの説教の1つなのであろう。

 そして、何よりインターネットのこうした匿名性が、日本人が元々一番嫌っていた「卑怯」という行為を助長してしまっていることが気がかりだ。人を嫌な気持ちにさせる言葉を一方的にぶつけるような事が平然とまかり通る。言いたいことがあるなら正々堂々と名を名乗れ!一騎打ちでも寅さんでも、それが日本人の礼儀だ。

人類の希望は美学
 今夜の「爆笑問題のニッポンの教養」は「人類の希望は 美美美 (ビビビ)」というテーマで、佐々木健一教授(美学)のお話だった。

 私は夕方、前の記事を書いてから精神的にどん底まで落ち込んでしまい、正直テレビを見ながらブログを書く元気が出なかった。だが、今日の先生は哲学科の教授で、ボーっと見ていたら、いくつか心に残るお話があったので、簡単にメモしておく。

 そもそも佐々木先生が研究している「美学」とは、絵を描いたりする事とは違うという。”美しい”と感じる心には時代や社会が深く関わっており、「美学」とは、その謎を追求する学問なのだそうだ。だから哲学科なのか。
 芸術は20世紀に入ると、”美しさ”を『感じる』ものから、廃品のオブジェやきたない絵で、我々の環境を表現した類のものを見せ、いわば『考えさせる』ものに変わってしまったそうだ。絶対的な”美”がなくなった、なんでもありの世の中がしばらく続く。だが、その『形の美学』ともいえる近代の美学ももう終わったと、佐々木先生は言う。

近代文明を支えていた根底にあるのは、人間の創造力。かつ、それを全面的に信頼して、自然を征服する。それはある種人間のおごりであったという事を、今我々は知りつつある。


 本当に”美しい”ものは、誰のものであっても、誰が見ても”美しい”と言えるものでなければならない。したがってそれは、我欲(がよく)を捨てるひとつの証拠たるものであるそうだ。テレビなどのマスメディアで洗脳されて感じるような「みんなが好き」という言葉と、「美しい」という言葉は、似て非なるものであるところに注意をしなければならない。

美は道徳的善の象徴である ~カント

逆に言えば、みんながみんな好きだと思わなくても、美しいものは美しい、良いものは良いのだ。素直に認める潔さも必要なのだ。そして万人に好かれなくても、善は善。それでいいではないか。少しだけ、私を絶望から救ってくれるヒントを、ここに見たような気がする。

 ”美しい”と感じる感性の教育は重要だ。と、佐々木先生は強調する。それを思うとき、佐々木先生は旧約聖書のある言葉を思い出すと言う。

 神様は6日間かけて世界を作ったが、その最後に『神様がそれまで作った世界を見ると、それが非常に良かった』と書いてある。神様は全知全能なので、作る前からいいものに決まっている。見なくてもいいものだとわかっているはずなのに、一番最後にその世界を見ると『良かった』と。
 ここで1つ重要だと思うのは、”美しさ”は作り出せないという事。”美しさ”はしばしば計算を超えたもの。知性を超えたものだという事。
 今の世の中、ある意味人間のおごりの行きすぎがあり、そんな時代だからこそ”美しさ”を提言するべきだ。”美しさ”は、我々人間を超えるものが存在するということを常に教えてくれるものなのだ。


 そもそも人間は、本当はとてもちっぽけで無力なのである。そういえば、私が今まで涙が出そうなほど”美しい”と思ったものは、月から見た地球であった。我々人間は、地球と言う星を素直に”美しい”と思い、自然の前ではいつも謙虚でありたいものだと思った。