あけましておめでとうございます。

 毎年、年明けの除夜の鐘・・・ではなく、横浜港の汽笛を楽しみにしていた私だが、今日は家の前に若者がタムロっていて、しかも思い切りマフラー改造してある車のエンジンをつけっぱなしでギャーギャー騒いでいて、汽笛が全く聞こえなくて泣きそうであった。この怒りはどこにぶつければいいのだろう。でも空気が澄んでいるせいか、珍しくオリオン座とシリウスがキレイに見えた。これで我慢することにしよう。

 紅白歌合戦では、あんのじょう馬場俊英さんの歌で泣いてしまった。歌を聞く前に特集番組を見ていてよかった。「千の風になって」は今年は泣かなかった。最近、あの物真似をする人が多すぎて、逆に笑ってしまった。
 白組では母の歌を歌っていた歌手が何組かいたが、やはり母と息子の関係は母と娘のソレとは違うなとつくづく思った。男の人は母親に対してただ本当にありがとうとかの気持ちでいっぱいらしい。羨ましい。

 男の人と言えば。今に始まったことではないが、昨年は最後の最後まで男の人のデリカシーのなさにはビックリさせられっぱなしであった。狩猟の遺伝子を持つだけの事はあって、自分と目の前の事しか見えていない人が本当に多い。逆に女の人は、周りばかり気にして自分が見えていないとも言う。とにかく男の人の、他人の人間関係への心配りのなさには、驚かされっぱなしである。その爪の垢を煎じて飲ませてもらいたい。

 そんなこんなで怒りから始まった2008年も、波乱の予感である。明日からの実家や親戚への挨拶も、ただただ気が重い。
 今年もよろしくお願いいたします。

2008.01.01 ブログの気分
 ブログの「気分」や「話題」の傾向を簡単に解析してくれるサービスが、昨年の12月18日から登場していたらしい。そのサイトは「MyBoo(マイブー)β版」。ブログのURLを入力するだけで、すぐに解析が終わる。

 試しに私のブログを解析してみたところ・・・・

怒ってる感 がブログににじみ出てます。
話題に関しては 仕事 について多く書かれているみたいです。

あ、あたってるかも(汗) いやでも、似ている著名人ブログの筆頭が「長州小力のブログ 小力のなが〜い話」ってどうなんだろう。共通キーワードが「馬場」って、それは「馬場」違いだろう!と小一時間問い詰めたくなった。微妙。

 ブログお持ちの方は、是非おためしあれ。

2008.01.01 おみくじ

渦を巻く 谷の小川の 丸木橋
渡る夕べの こゝちするかな


初めは危ない谷の小川の橋を渡る様な心配事があるが驚き迷うことはありません 後には何も彼も平和に収ります 凡て小さい事も用心してすればよろしい

 今日は実家に帰って、近所の神社へお参りに行った。毎年おみくじを引いているのだが、ここ何年かはずっと小吉や末吉だった。学生時代はずーっと大吉だったのに・・・。
 でも今年は大吉だった。久しぶりの大吉。少し救われたような気がした。特に『病気』の項目。『信心すれば治る。』 本当に良くなるといいなと思えたのが、自分としては既に快方の兆しのような気がした。

 今日訪ねた親戚の子供が、オンラインゲームをやっていた。小学校5年生だ。私のネト友たちが今やっているのと同じゲームであった。複雑な心境だ。真剣に人間関係に悩むかもしれないようなネットのむこうの実態は、こんな落ち着きのない子供だったりするのかなと思うと、複雑な心境だ。

 そして2日間の親戚周りを終え、帰宅してポストに入っていた年賀状を1枚1枚見ているうちに、私はとてもウツになった。別に誰にも悪気はないのだろうが、「子供が増えました」「にぎやかなお正月です」「家族が増える予定です」「○○へ行ってきました」「転職しました」・・・。なにこの幸せアピール大会。もう本当に年賀状ってなんなの?近況報告という名を借りた自慢としか思えない私は、いつの間にか他人の年賀状の束を抱えて泣いていた。

 幸せの形なんて人それぞれ違うって事は、頭ではわかっている。私は私だけの幸せを、私だけの時間の流れの中で見つければいいじゃないって事も、頭ではわかっている。でもみんなは「普通」の幸せを「普通」に感じて「普通」に喜び「普通」に暮らしている。私の事なんてだれも気づかないまま通り過ぎて行く。涙が止まらない。心の血が止まらない。

 ふとMr.Childrenの『花』の歌詞を思い出した。

 Music & Lylic by 桜井和寿

ため息色した通い慣れた道 人混みの中へ吸い込まれてく
消えてった小さな夢をなんとなくね 数えて
同年代の友人達が家族を築いてく
人生観は様々そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら 生きてく

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ今

焦るよね。自分だけが置いていかれた孤独感にさいなまれるよね。私は『泣かないで。泣かないで。私がいるじゃない。』と泣いている心の中の自分に泣きながら語りかける。それしかやる事を思いつかない。

 さらに嫌な事には、年賀状の束の中に1枚、あからさまな業績自慢をしてきた叔父のものを見つけた。この叔父は昔から出世欲の強い人で、ちょっとしたことを大げさに、時には嘘までついて自慢するので有名な叔父だった。とうとう年賀状にまで、自己自慢を写真つきでアピールするようになったらしい。私も気分が悪かったが、もともとこの叔父の事をよく思っていない母の機嫌は、今頃最悪だろう。おそらく、全く出世欲のない父の事をなじり、今頃大喧嘩をしているであろう。それを想像しただけで、私は恐ろしくなった。次に母に会ったときには、きっとその話を延々と聞かされるであろう。たぶんこの先死ぬまで、その話を延々と聞かされるであろう。
 まったく人の迷惑を考えず、勝手に送りつけてくる写真年賀状なんか、早くなくなってほしい。もう誰が生きていても死んでいてもいいではないか。付き合いがなくなった知人は『死んだ』扱いでいいではないか。みんな私を放っておいてほしい。

 今、ヘキサゴン2のスペシャル番組を見ている。昨年はこの番組のおかげで空前のお馬鹿ブームであったが、基本的に女の子はバカな子の方がカワイイと言われるのは、いつの時代でも同じだ。司会の島田紳助さんだって、あまりにも難しい事を答える女の子がいると「お前絶対結婚できないぞ」とか、「絶対嫌われるタイプやわ」とか、しょっちゅう言っている。
 私はよく友人達から、『もっとバカになれ』『もっと頭をからっぽにしろ』と言われる。だから素直に天然にそうふるまえる「お馬鹿」な女の子達が羨ましい。別に私が賢いとか、そんな事を言っている訳ではない。私にだって知らない事もたくさんあるし、知ったかぶりをする事が多いし、クイズで昔の話が問題に出て答えを聞いても知らない時は、悔しくも恥ずかしくも何ともないので、気持ちが解らないでもないしあまり大きな事は言えない。だが、本気でお馬鹿すぎる今の若者達は、あらゆる事に関して、知らないことを恥ずかしくも何ともないと思っているように見えるのだ。逆にそんな中であえて「それ知ってる」などと言い出す人は、『空気読めない人』として嫌われていそうで心配なのだ。

 昨年は特に思った。たくさん考え、たくさん勉強し、たくさん覚えている人が報われないどころか損をする世の中なんて、絶対におかしい。もっとみんな考えようよ。知らないことを恥ずかしいと思おうよ。悔しがろうよ。別に失敗してもいいし、できなくてもいいし、まあ何だっていいのだが、せめて知らないことは自分で調べようよ。何も考えずにその場で適当に発言するのはやめようよ。自分のしたことに責任を持とうよ。『努力』をしようよ。
 自由であるべきだ、個性的であるべきだ、と初めに言い出した日本人は、一体誰だ?その前に日本人として最低限の節度と品格と常識を学んで欲しい。

 なんだか偉そうですみません。でもこういうどうでもいい事が無性にイライラして症状が重くなってしまうのも、おそらくうつの特徴なのだ。

2008.01.02 比べる
 暗い部屋にこもってフェレットを撫でていたら、「比べる」という行為さえなければ、少しは楽になれるのにな、と思って余計に涙が出てきた。
 他人と比べる。過去の自分と比べる。それが社会で生きるという事なのか。過去の記憶を背負って生きるという事なのか。たった今の自分ひとりだけを見つめていれば、私には何の不安も不満もないはずなのに、なぜ私はいつも泣いてばかりいるのだろう。なんと愚かなことだろう。なんと勿体無いことだろう。目の前の幸せを見てみぬふりをしているのだ。

 『比』という字を辞書などで調べたら、もともと「心を通わせ合う。」「親しく交際する。」の意味とあった。

『説文解字』は、「人」が2つあるものが「从」(従う)であり、それが逆向きになったものが「比」(親密という意味)という。ともかくも二人の人が並んでいる様子に象っている。wikipediaより)

例えば「〜の比ではない」という使い方の『比』だって、「同等に扱われる」といった意味で用いられている。だが、この世知辛い世の中では、今や『比べる』という言葉は、「差異や優劣などを調べて勝敗を競い争う」の意味で使われる方が圧倒的に多くなってしまった。

 人との優劣を競う事でしか自分の価値が見出せないなら、もともと自分の価値なんて無きに等しい。昔の私はそんな風に思っていた。そもそも人と比べる必要がなかった。私は自信満々で、夢があって、自分を信じていて、怖いもの知らずだった。こんな日が来るなんて、思いもしなかった。

 神様、せめて過去の自分を消し去ってもらえませんか。たった今の、この過ぎ行く時間だけを惜しめるような、それだけの事を幸せと素直に思える心が欲しいのです。