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いつかきっと
2008.02.29 Fri 15:28 | エッセイ | 小説・文学
 実は今日から、『三國志Online』というオンラインゲームが正式サービス開始になる。昔、仲のよかったネト友と一緒にやろうねと言っていた事を思い出す。今はもう連絡を取ることもない。何をしているのかもわからない。

 遠い未来のことを、何も考えずに夢物語のように約束してはいけない。約束の8割は破られる。そして時間だけは過ぎ、約束の時は意外とあっけなくやってくる。物覚えのいい私は、約束を交わした時の会話の一つ一つを思い出し、あれは何だったんだろうとわからなくなる。そこで何かの封印が解き放たれればいいのだが、約束のキャンセルはされていない訳だし、でも現実的にはもうないという事もわかるし、なんでこうなっちゃったんだろうと思い返して悩む。後悔する。泣く。泣く。

 少しニュアンスは違うかもしれないが、こういう気分は、懐メロ『「いちご白書」をもう一度』という歌に似ている。ユーミンが作った歌だとは知らなかったが、会社のおじさんがカラオケで歌っていて、しみじみ聞き入ってしまったので記憶にある歌だ。

バンバン 『「いちご白書」をもう一度』

「いちご白書」をもう一度  Music & Lylic by 荒井由実

いつか君といった映画がまたくる 授業を抜け出して二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた 素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに 過ぎ去った昔があざやかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を 二人だけのメモリーどこかでもう一度

いつの間にか私もみんなも年を取って、自由な時間がなくなって、生活にしばられて、約束とか破らざるを得ない事情を抱えて、というかそんなもの守れる訳ないでしょと思うような、そんな大人になっている事が、無性に悲しい。

 それで思い出した!学生の頃、オーストラリアに旅行に行った時の事。泊っていたホテルのプールで、外人のおじさんと身振り手振りに会話をしているうちに何やら意気投合し、「10年後の今日、ここでまた会おうぜ!」と言われて、「絶対約束だからね!」と誓い合った事をふと思い出した。
 ああ、あれからもう10年たっているなあ。どうせ来てないとは思いつつ、もしおじさんが本当に待っていてくれてたのだとしたら、私、とても悪い事をしている。今となっては確かめるすべもない。

 もう1つ思い出した!同級生で、「老後もし一人だったら、茶飲み友達として同居しよう。」と約束している男友達もいた。もしかしたら、あっという間に老後がやってくるかもしれない。あの彼と同居はいやだなぁ。どうしよう。

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いい歌の見つけ方
2008.02.29 Fri 09:46 | 歌詞 | 音楽
 私は歌を聴くとき、歌詞をものすごく重要視する。
 一曲を通して脳裏に浮かぶストーリーとか、一曲だけでなく他の曲からも伝わってくるそのアーティストの世界観とか、そういうものまで含めて歌を聴く。

 だから、かっこいい言葉や思いついた言葉を羅列した(これは確か本人が言っておられた)だけの、KT氏が作るような売れ線狙いの歌は、”聴く”というより”聞く”感じだ。BGMのようで、あまり心に響かない。実は女性アーティストの歌詞も、あまり心に響かない曲が多い。よく女性の歌だと『女性なら誰でも共感する・・・』といった説明が加わるが、そういう歌詞のほとんどは情景描写と自分の心をストレートに綴りすぎていて、「私だったらこうじゃないなあ。」とか思ってしまうのだ。

 いい詩は、においがする。色が見える。人生観を問う。心が揺さぶられる。

 私は心の栄養を求めて、まだ見ぬ歌を探すことがある。今は、家にいながらにしてネットだけで、いい歌を探すことができる時代だ。最近よく聴いている”RADWIMPS”や”藍坊主”も、ネットで発見して聞きあさっているアーティスト達である。

 私が歌を探すとき、まず歌詞検索サイトで今の心境を検索ワードに入れる。たとえば「孤独な」とか「涙が」とか「一人ぼっち」とか「もしも」とか・・・。出てきた何百件という候補の曲と歌いだしのフレーズを見ながら、ピンとくる歌詞をながめる。いい詩に出会うと、こんどは音を聴いてみたくなる。動画投稿サイトで曲を探して聴いてみる。ついでに同じアーティストの関連する動画も聴いてみる。逆にその歌詞を歌詞検索サイトで読んでみる。そんな事の繰り返しだ。

 そうしているうちに、何度かHITするアーティストが出てくる。それが、今の私の心を似たものをもっているアーティストなわけで、”RADWIMPS”の野田洋二郎さんであり、”藍坊主”の藤森真一さんである。メジャーなアーティストでは、”BUMP OF CHICKEN”の藤原基央さんであり、”ハイロウズ”の甲本ヒロトさん、ああ槇原敬之さんもそう。
 いっぱいいるなあ。というか男性ばかり。私の心は男性的なのだろうか。違うな。女性アーティストは恋愛の歌ばかりで、人生の歌はあまり書かないのだと思う。男性アーティストは人生観そのものを歌うことが多いから、今の私のモヤモヤした悩む心に訴えてくるのかもしれない。

 ちなみに、今日は4年に一度のニンニクの日。おわり。

視力が落ちました
2008.02.29 Fri 01:29 | エッセイ | 小説・文学
 目が悪くなった。
 どちらかというと遠視気味の私は、今まで視力で苦労したことがなかった。ところが、この数年ほとんど家に引きこもってPCばかり見ていたら、遠くを見る力が衰えてしまったようだ。少し前から、窓の外の遠くの景色が二重にぼやけて見えるのは感じていた。
 それでもまあ、家の中で遠くを見るといっても知れていて、せいぜいたまに数m先のテレビ画面を見るぐらい。だがそのテレビのテロップの字が、最近はボケて読めなくなってきてしまい、少し困ってきたのだ。

 近所にメガネ屋さんがあり、病院帰りにふらっと立ち寄って視力検査をしてもらった。すると両目とも0.6で、片方は乱視がひどく、さらに両眼視がすこし狂っていて遠くを見る(両目を開く)のに力がいる状態なのだという。私は愕然とした。今まで両目とも2.0だったのに、これはひどい。引きこもり生活は気力・体力のみならず、いつの間にか視力までも奪ってしまっていた。
 むしろ今までの私は、視力に関しては恵まれすぎていたのだ。だが後悔しても、悪くなってしまったものは取り返しがつかない。いつもそうだ。大切なモノは、なくしてから気づく。なぜもっと大切にしなかったのだろう。

 メガネ屋さんは、「これぐらいならメガネなしでも生活できますけど、どうされます?」と言う。えええ、こんなに悪くなっているのに?メガネ屋さんが言うには、これでも世間一般の近視の人に比べたら、全然いい方だと言う。でもなんだかハッキリ見えないのが気持ちの悪くなっていた私は、メガネを作ってもらうようお願いした。プリズム加工も入れてもらった。
 ここで私はふと思い出した。そういえばウチの彼は視力が0.1ないと言っていた。メガネがなければ何も見えないと言っていた。けれども彼は、その事に対して文句ひとつ言ったことがない。すごい人だなあと、妙に関心した。後で「よくがんばってるね。」と、誉めてあげようと思った。

 よく知り尽くしている自分の体。嫌なところならいくらでも思いつく。だが、欠点ばかり気にして文句をいうより、あって当然と思っていることにこそ感謝して、大切にしないといけないのだ。もうなくしてから後悔したくない。
 そこで私は、努力もしてないのに人より少し恵まれている小さなことを見つけてみる事にした。あまりないのだが、探してみるといくつかあった。髪質がサラサラしていること。まつげが長いこと。足首が細いこと。
 そして何より、五体満足で生まれたこと。

 ああ、大事な事を忘れていた。生きていること。

 命にメガネは作れないのだ。今まで粗末にしてごめんなさい。

会話術の不思議
 母から電話があった。またしても外出の誘いは断ってしまったのだが、今日は落ち込まなかった。
 実は、前から試してみようと思っていた、心理カウンセラーも使っているという手法”ミラーリング”、いわゆるオウム返しのように母の言葉を繰り返しながら話を聞く、という事をやってみたのだ。

 相変わらず父の文句を言い始めた母。それに対しても、今までなら黙って聞いているか、「パパだって・・・って思ってやった事なのかもしれないじゃない?」などとフォローに回っていた私だったが、今日は変えてみた。

母 「本当に頭にきちゃうわ!」
私 「それは頭にきちゃうよねぇ。」

私が生まれる前のケンカ話も、何度も聞いてきた事だったが、初めて聞いたかのようにこう答えた。

母 「・・・なこと言われたのよ!ひどいでしょう?」
私 「うんうん、それはひどい話よねぇ。」

こんな感じで対応していった。
 すると、不思議なことに、余計にカッカするかと思っていた母の声が、次第に明るくなっていくのを私は感じた。そしてそのうち、会話の内容も徐々に変わってきた。母の両親、つまり私の祖父と祖母の話が出てきた。祖父母は昔気質の人で、世間体をものすごく気にする人だった、という話であった。初めて聞いた話だった。

母 「いつも”そんな恥ずかしい事するな!”とか怒鳴ってる父だったのよ。」
私 「”恥ずかしい事”って言われちゃったのかぁ。」

母も、親の顔色を伺いながら育ってきたんだなぁと、改めて思った。

 そして最後に、いつものようにまた父の文句の話に戻ったのだが、その時は「でもいいところもあるのよ。」という雰囲気が漂っていた。そこで私はすかさず言った。

私 「今のパパがあるのは、ママの努力のたまものだね。」
母 「そんなことないけど・・・フフ。」

母は笑っていた。

 私は、人の話を一方的に聞くのは辛いことなのかもしれないという覚悟を持って、ミラーリングにチャレンジしたのだった。だが、笑う母の声を聞いて、自分の心もほぐれていくのを感じた。相変わらず『いい子』を演じている私なのかもしれない。でもこんな『いい子』なら、自分にとっても意味のある『いい子』なら、それもまたアリかなあと思った。
 1時間の電話が、いつもより短く感じた。夕方には外に出てみようかなと、少し思った。

そこに意味はあるのか
2008.02.28 Thu 01:38 | | 小説・文学
虫が死ぬ瞬間をみた

それは小さな羽虫だった
机の上で平衡感覚を失って
くるくる回っていた

いつもなら手で払ったりするのだが
何かただならぬものを感じて
私は虫の動きに見入ってしまった
ちょっと怖かった

しばらく見ていたら虫の動きが止まった
羽を横にして転がっている

そこで私はようやく気づいた
この虫は今まさに命を終えようとしている

指先で少しつついてみたら
虫はまたくるくる回りだした

苦しいのだろうか
それとももう意識はなく
ただの生体反応なのだろうか
そもそも虫に意識なんてあるのだろうか

私は静かに虫の最期を看取ることにした
というか
見ていても同じようにしか回らないので
少し飽きてきた

その時テレビから大爆笑の音が聞こえて
私はテレビに目をやった
テレビではお笑い芸人が
何かくだらないギャクをやっていた

一瞬虫の事は忘れて
私もぷっと小さく笑った

sinigami.jpg
映画「死神の精度」より

ふと思い出して虫を見ると
さっきまでそこにあったはずの命は
もう確実になくなっていた
そこには何かの抜け殻のように
黒いか細い物体だけが転がっていた

私はその抜け殻を片付けようと
そっとつまんだのだが
足が1本取れてしまった

テレビからは相変わらず
お笑い芸人の声が聞こえてくる
何一つ変わらぬ時間が流れていた

社会復帰の壁
 夜7:30からやっていた「クローズアップ現代」を見た。『“退院”と言われたけれど ~精神障害者 社会復帰の壁~』というタイトルだったので気になったのだ。

今、精神科病院からおよそ7万人の「精神障害者」を退院させる政策が進められている。対象は既に病状が改善し、医療の点では入院の必要が無いとされているにも関わらず病院で過ごしている「社会的入院」患者である。今回、国は障害者の自立支援や医療費削減などから、政策転換の舵をきった。しかし、長すぎた政策のつけは重く、障害者達にのしかかっている。
(番組ホームページより)

私が思っていた以上に、深刻な問題だった。しかもその歴史は長い。

 日本の精神医療政策は、1950年に『精神衛生法』が制定されてから、医師の数は一般病院の1/3でいい特例を儲けるなどして、とにかく精神病院の設置をおしすすめたきたそうだ。そうした”収容政策”のために、多くの精神障害者が病院に収容されていったのだ。
 ところが1960年代になると、抗精神病薬がつぎつぎと開発され、入院患者の中にも入院の必要がないまでに病状が回復する人が増えてきた。1968年には、WHO(世界保健機関)から精神障害者の社会復帰を促すよう勧告を受けるが、なぜか日本は”収容政策”の転換をしなかった。その背景には、政府が民間に委託して安い医療費と少ないスタッフで病院を作らせてしまい、病院の経営もあってなかなか入院患者を退院させることのできない仕組みができてしまったという問題もあったそうだ。
 1960年代以降、欧米各国が精神科の病床数を大幅に削減し、患者を地域でささえる体制を作り、積極的に退院させる政策をとってきたのに対し、日本では逆に病床数を増やし続け、社会復帰の施設は整備されないまま半世紀が過ぎたという。

 このように、症状が改善しているのに病院を出られなかった「社会的入院」と呼ばれる入院患者の数は、現在およそ7万人。中には半世紀以上を病院で過ごし、家族と音信普通になっている人もいる。
 日本政府は、ようやく2004年に政策の転換を発表した。今後4年間の間に、37,000人を退院させるという。だが、あまりにも長期にわたる「社会的入院」患者たちには、大きな不安がある。帰る場所がない、働く場所がない、理解してくれる人がいない。そして何より、患者本人たちが、外に出る自信や希望を失っている。

 東京のある高齢患者さんの社会復帰を計画していたソーシャルワーカーは、一人暮らしをしてもらおうと、介護保険を申請するときに一般の高齢者より介護への考慮を求めたが、要介護認定はレベル1しかもらえなかったと言う。これでは一人暮らしに十分なヘルパーをまかなう事ができない。それではと、精神障害者がサポートを受けながら暮らすグループホームも当たってみたが、数が少なくて順番待ち。老人向けの介護施設からは、精神障害者には十分なケアができないと断られたそうだ。
 外出訓練を続けるうちに退院を楽しみにしはじめていたこの高齢患者さんは、行き場がなくて結局いまだに退院できないでいる。

 「社会的入院」を解消していくためには、地域のサポートがとても大切なのだ。
 島根県出雲市は、地域全体で精神障害者の社会復帰を支え、全国屈指の成果をあげている地域として有名だそうだ。その影には、元看護士の矢田さんという女性が理事を勤める社会福祉法人「ふあっと」が手がける独自のネットワークがあるという。退院患者さん一人一人に、矢田さんらがコーディネーターとなってデイケア職員/看護士/市役所職員からなる支援チームを作り、患者さんが地域で自立できるようになるまで、きめ細かくサポートし続けるのだそうだ。
 最初は、地域住民の精神障害についての誤解や偏見も多かったそうだ。あるグループホームを作ろうとした時のことを、自治会代表の方は「普通の人じゃないということで、火災とかけんかとか心配した。」と振り返る。だが、矢田さんらは患者さんたちの病状が回復していることを説明し、支援チームの24時間対応や行政の全面的バックアップを約束し、そしてそのとおりに実行していくことで、地域住民たちも少しずつ理解を示してくれるようになってきたそうだ。
 実際、サポートする側のやりがいや金銭的援助の問題もある。きれいごとだけでは済まされない。矢田さんたちは本当に地道な努力をこつこつと20年間続けて、理解して協力してくださる方を1人ずつ増やして、ようやく今の体制を作り上げたのだ。その努力は並々ならぬものがあったと、頭が下がる。

 統合失調症やうつ病などの精神疾患は、誰でもなりうる病気である。そして、適切な治療をうけることで回復し、社会復帰が可能な病である。だが残念ながら今の日本は、まだ、精神疾患が治ったら当たり前のように地域に戻って暮らすことのできる社会ではない。その現実に、私はショックを受けた。自分もその当事者の1人なのだという事が、まだ受け入れられないでいるのかもしれない。考えが甘いのかもしれない。

 少なくとも、行政の理解と迅速な対応を望みたい。この日本が、精神疾患患者でも、『一人の人間として普通に生活できるのだ』という誇りぐらいは持たせてもらえる社会になれればのだが。

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