NEC_0143.jpg フェレットのどんぐりちゃんが今日で4歳になった。日付が変わった瞬間に「ハッピーバースデー♪」を歌って、プレゼントをあげた。プレゼントは特製おやつ。初めて口にするおやつだったけれど、好きな味だったらしく、まっしぐらに飛んできた。喜んでもらえて良かった。私もうれしい。
 そろそろ成人病にも気をつけないといけない年になったけれど、できるだけ長生きしてほしいなーと思った。これからも私に笑顔を分けて欲しい。

 もう一つプレゼント。誕生日にあたってアニバーサリービデオを作った。また親ばかですみません。
BGM:藍坊主「しあわせどんぐり」

しあわせどんぐり Music & Lylic by 藤森真一

恥、一生も捨て人のために 生きてる人がいる
それを知った僕は とっても情けない
「だりぃ」なんて言葉は もう絶対言えません
本当に苦労している人がいるから
小さなことで悩むより 大きいことで悩みたい
自分だけで楽しむより 大勢でよろこびたい
君がどれだけしあわせであるか知ってください

頭が悪く生まれました 顔が悪く生まれました
運動音痴に生まれました それでも僕はしあわせと叫びます
食べるものが無い子供 安心して眠れない夜
たった一人の逆恨みで 殺されたみんな
君がどれだけしあわせであるか知ってください
精一杯胸を張って 生きてやれ!!


2008.03.01 目が痛い
昨日は泣きすぎて目が腫れた。おかげで二重の幅が広くなった。
目が痛い。目の下まぶたが痛い。目が乾いて痛い。目の奥も痛い。
これらは全部、花粉症のせいなのかもしれない。
きっとそうだ。そうに違いない。

今朝は、顔になにかが触れて目が覚めた。
フェレットのどんぐりちゃんが、私の長まくらの上で
私の顔の真横で丸くなって寝ていたのだ。

いとおしくなって思わずギューっと抱きしめたら
嫌がられて逃げられた。
ツンデレフェレットめ。

 今日の「課外授業〜ようこそ先輩」は、『できるかな』の”のっぽさん”こと高見のっぽさんが先生だった。のっぽさんも今では73歳。「じいさんになってどうしても伝えておかなくてはならないことがある」そんな思いから、授業のテーマは「人と人がつながることの大切さ」だった。

 のっぽさんは授業にあたってこう語る。

今の子供達は、一人で生きられないとかそういう感じ方っていうのが希薄で自分勝手だから。自分以外にいろんな人がいて、その人たちと一緒に生きてかなきゃいけません、それが出ればいいなと思ってますけど。

授業の課題は、ロシア民話「おおきなかぶ」を劇として演じ、お客さんも呼んで見せるというものだった。劇を見せることは、ある種の交流のひとつだと、のっぽさんは言う。

 のっぽさんが作った「おおきなかぶ」の劇は、音楽に合わせて歌や踊りで物語を表現するもので、小さな子供でも楽しみながら演じることができるものになっていた。だが子供達はふざけてばかりで、なかなか本気になれない。「踊りとかちょっと恥ずかしい。」「”うんとこどっこい”とかちょっとガキっぽくって抵抗がある。」そんな事を口にする子供達。
 それでものっぽさんは、「けっこうです!」「大変けっこう!」と、ほめすぎかと思うぐらいに子供達をほめていた。

よかないんですけど、『いいよ』って言いながら『おまえわかってるよな?おれはちょっとお世辞で言ってるぜ?』っていうのは、ちゃんと向こうにわかるように言います。それはその通りですから。子供達はわかってますよ。でもけなすよりは、ほめたほうがいいですから。むこうもしょうがないから『え、ありがとうございます。』って言うんです。だから案外『頼むぜ!』っていうと『はい!』ってなるじゃないですか。

子供達のやる気を出させるには、まず自信を持たせることだそうだ。

 1990年に『できるかな』は終了したが、のっぽさんはその後もいろんな場でじかに子供達と向き合ってきた。その活動の中で、今の子供達は人と触れ合う機会があまりにも少ないことに気づいたのっぽさん。人とのふれあいを大切にしてほしいという思いをこめて作詞をしたのが「ハーイ!グラスホッパー」という曲だった。

みんなのうたより 「ハーイ!グラスホッパー」

ハーイ!グラスホッパー 作詞:高見のっぽ
  :
こども 「おじいちゃん おはようございます!」
のっぽ 「あ、どうもごていねいに。おはようございます。」
こども 「おはようデス」
のっぽ 「いや、じつにけっこうなあいさつですな。」
のっぽ 「さて、しょくん!あいさつがなぜダイジかおわかりですかな?」
こども 「うん!わたしはあなたとおなかまですよう。よろしくねぇ!ってコトでしょ?」
のっぽ 「そのとおり!」
のっぽ 「かわいいキミたちに『よろしくねぇ』といわれた私のむねはキューン!」
こども 「おじいちゃん おはようデス」
のっぽ 「キューン!」
  :
♪ みんな友達さ あふれる思いを伝えよう
♪ どうぞよろしく いつまでもね いつまでもね

のっぽさんは、このビデオを子供達に見せた後、こう言った。

人はね一人じゃ生きられない。みんなと生きていかなきゃいけません。で、みんなと一緒に生きていくためには、『私とあなたはお仲間です』という合図が必要です。この合図は、「おはようございます」だったり「こんにちは」だったり、「こんばんは」、「ありがとう」、「どうも」だったり。
練習しているお芝居も、これはお芝居ですけど、ある意味で仲間に対する挨拶なんです。私達がたとえば劇をやって面白かったら、その面白い感じを感じてもらって、お客さんに見てもらう。それが挨拶だと。そのつもりでやってくださいよ。


 発表会の当日。近所の子供達やお年寄りを180人も招待して、子供達が一生懸命演じた劇は大成功だった。練習時間は短かったが、みんな一生懸命楽しそうに演じていた。
 舞台が終わった後、のっぽさんにうながされて観客のみなさんに、感謝の気持ちをこめて握手をする子供達。「元気をもらいました。」「ありがとう。」そう言われた子供たちのほうが、むしろ元気をもらってうれしくなっていたようだった。「喜んでもらえたら自分も楽しくなった。」そんな事をいっている子供もいた。

 今朝の日経新聞の土曜版にも、会社で「これまでに遭遇した困った新人」の第一位は『あいさつがきちんとできない』と書いてあった。人間関係のみならず、仕事にも影響しかねない挨拶は、人と人とのコミュニケーションの基本である。
 どんなに面倒くさくても、どんなに機嫌が悪くても、敵意がない事の合図として挨拶だけは忘れないようにしようと、忘れないようにしてほしいと、私は思った。それだけで喜ぶ人もいるのだから。人に喜んでもらえば、自分も楽しくなるのだから。

 新聞を片付けていたら、ある見出しが目に飛び込んできた。

差をもって尊しとなす
日本経済新聞2008年3月1日(土) 1面コーナー記事「日本人とおカネ」より

私は目を疑った。

 新聞記事には、ある有名な日本人ファンドマネージャーが、日本の投資信託会社をやめてイギリス系ヘッジファンドへ転職したという話が書いてあった。その人は、日本の投資運用会社には運用の専門家がそろっていない現状を憂い、運用のプロとして生きたいと念じ、「日本」から去ったという。はい、さようなら。
 運用のスペシャリスト?お金を増やす腕を競い合う?そんな事を堂々と言ってて、恥ずかしくないのだろうか。何かがおかしいとおもいながら、記事のまとめを読んだ。

個人投資家にとっても市場で利益をあげるには、いかに多数派とは違った行動をとれるかがポイントだ。「『和』をもって尊しとなす」から、「『差』をもって尊しとなす」へ。根本的な発想の転換が必要となる。
(日本人とおカネ取材班)

 この文章を書いた記者は「うまい事言った!」とご満悦なのだろうか。「和をもって尊しとなす」は、言わずと知れた、聖徳太子が十七条憲法の最初に掲げた言葉であり、日本人の性質そのものをあらわす道徳観といってもいい。こんなすばらしい言葉を変な風にもじらないでほしかった。私はとても悲しくなった。

 こんな話のときに決まって思い出すのが、村上世彰氏(村上ファンド)の涙目発言。

お金儲けって、そんなに悪いことですか?

いい悪いは、もう個人の価値観の違いとしか言いようがない。だが、お金を元手に、お金を増やしていくということは、その裏では必ず誰かを出し抜いて、誰かを損させているということだ。必ずどこかに泣いている人がいるということだ。お金に困っている人を食い物にする”貧困ビジネス”と何が違うのだろう。

 私がブツブツ文句を言っていたら、彼が「ぐりえちゃんの考え方は社会主義なのかな。」と言う。そんな事を言っているのではない。人と人とは共に助け合って支えあって、成長して生きていくものなのではないのかと言いたいのだ。人は自分の努力に見合った評価と報酬を得てこそ、生きがいを見出せるものなのではないのか。正直者がバカを見る世の中でいいのか。そんなのおかしくない?

 世界の長者番付万年2位のウォーレン・バフェット氏に代表されるように、世界的な大富豪にはファンドマネージャーが非常に多い。元手さえあれば、特にアメリカでは、簡単にお金が増やせるのだ。

全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう
  :
6人が全世界の富の59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍

世界がもし100人の村だったらより)

そしてアメリカの”成功者”の多くは、家族の命を守るための戦争には大賛成だと聞く。

 昨日は花粉症がひどかった。正確には、花粉症らしき症状がひどかった。

 というのも、私の花粉症は非常にわかりづらいので、”これぞまさに『ザ・花粉症』!”などというアカラサマな症状が出ないのだ。
 そもそも鼻水がほとんど出ないのがいけない。他人の同情がなかなか得られない。そのくせして鼻の穴はとても狭くなっているらしく、脳に酸素がいきわたっていないようだ。頭痛がする。ボーっとする。考えがまとまらない。眠い。これではうつ病の症状とあまり変わらないではないか。

 だから私は、何の薬を飲むべきなのか悩む。昨日は頭が割れそうに痛かったので、頭痛薬を飲もうとしてふと、待てよ?と躊躇した。もしかしたらこれは花粉症なので、抗アレルギー薬を飲んだほうがいいのかもしれない。こんなときに、すぐに「あなたの今の症状は花粉症ですよ。」と教えてくれる親切な人はいないものだろうか。病院に行って何時間も待って血液を採取して、1週間後にようやく「あなたはあの時、花粉症でした。」とか言われてもこまるのだ。気象庁の梅雨明け宣言じゃないんだから。

 花粉症もうつ病と同じで、その辛さに対して、発症していない人からはあまり理解の得られない病気の1つである。そもそも、花粉症で死ぬ人っているのだろうか。今のところ致死率0%かもしれない。それが「あらやだ、花粉症ですか?お大事に。ぷっ。」と、軽んじられる原因である。

 そんな花粉症患者たちを救うべく、私は恥ずかしい告白をしなければいけない。私は花粉症のせいで死にそうになったことがある。その原因は、運転中に突然やってきたくしゃみだった。
 花粉症のくしゃみは変だ。「ぶひゃっ、ぶひょっ、ぐひゃっ」などという恥ずかしいくしゃみが、いきなり何の前触れもなしに3〜10連発でやってくるのだ。
 ある時私のくしゃみ発作は、不運にも、高速道路の追い越し車線を運転中に起こってしまった。恥ずかしいから何とかこらえたいという理性と、そうはさせじと花粉を追い出しにかかる免疫とのハザマで、激しく揺れ動く私の体。こらえきれずに勢いあまって余計に大きなくしゃみになってしまった。そうなるともう「ぶひゃっ」という一つ一つの動きは、くしゃみの枠を超えた全身運動となり、もちろん目を開いている暇などない。幸い助手席の同乗者が「ちょっ!」と慌ててハンドルを支えてくれたので、私の車は事故という難を逃れたが、一人で運転していたらと思うと恐ろしい。
 私はその時、確信した。そのうち「花粉死」という言葉も出るかもしれない。

 日本には、既に2,000万人いると言われている「花粉症」。これだけ多いと、いろいろな病気、事件、事故に発展する可能性も見えてくる。
 花粉症に悩んでうつ状態になってしまう「花粉うつ病」。花粉症を苦にして自殺する「花粉自殺」。花粉症を理由に会社をクビになる「花粉解雇」。花粉症の人は入場をお断りされる「花粉差別」。隣の植木の花粉が飛んできたと訴える「花粉裁判」。花粉症か花粉症じゃないかでケンカとなり、ついカッとなってやってしまう「花粉殺人事件」。なんでも花粉をつけてみると、ありそうで怖い。実際、もういくつかは本当にあるかもしれない。

 逆にいいサービスもできればいいな。花粉症であることを証明する「花粉手帳」を見せると、公共施設が割引で利用できるとか。ないか。

 「ザ・ノンフィクション」という番組の、「負けんじゃねぇ〜神田高校に起こった奇跡〜」を見た。昨年7月に放送され反響が大きかった回の、再放送だと言う。

 それは神奈川県平塚市の県立神田高校野球部の話だった。神田高校は、市民から『平塚で一番悪い高校』『怖い』などと言われ、周囲の印象があまりよくない学校だった。
 実は神田高校の野球部は、それまでの10年間公式戦で一度も勝ったことがない。そこへ6年前、監督として新人教師・松山大介先生が赴任してきた。松山先生は異色の経歴の持ち主で、大学卒業後いったん大手通信会社に勤めたが、26歳のとき高校時代に熱中した野球をもう一度やりたいと決心。30歳で神田高校へやってきたのだ。
 その時の心境を、松山先生はこう語る。

24歳で結構いい生活のほうだろう、でも全然自分は満たされてないじゃないか、だったら明日死んじゃうかもしれないし、倒れたときに笑って死ねるような死に方ができれば人間は幸せなんだろうな、みたいな事を色々考え始めちゃって・・・。
やつらにもよく言いますよね。どう生きるかだと思うよって。

けれども、選手達はそんな先生の期待にこたえるどころか、練習試合ですら簡単に負ける。その弱さはむしろ試合後、誰一人悔しさや反省の色を見せるものがいないというところに表れていた。

 大会10日前の練習試合で、相変わらず情けない試合をした選手達に、松山先生は、夏が終わるまでは言うまいと決めていた自分の去就を言わずにはいられなかった。実は松山先生は、この年で神田高校を去る事になっていたのだ。最後の夏だった。

言うつもりはなかったんだけど、この夏が俺の監督の最後だったんだよ。『たった2年半だけど、俺達は選手だから6年間やってきた監督の松山先生より意識が上です』ってのぞんでくれないと困るんだよ。俺もお前らと一緒に勝負してるよ。だからむかつくんだよ、変な弱気な事されると。だから怒るんだよ。こんなこと・・・話さなかったらまとまらないんだったら、やってけないぞ。

そして思わずあふれる涙と鼻水をぬぐいながら、先生は言った。

負けんじゃねぇ・・・
わかったな・・・

 この一言がナインの心に火をつけた。それから10日間、部員全員が自主的に夜間練習を始めたのだ。番組では何人かの生徒に密着していたが、その中で私の印象に残ったのは、ひときわ頑張る小柄な3年生、佐藤和成君だった。その小さな体ゆえ、一度も公式戦の打席に立ったことがなかった選手だ。
 佐藤君はキラキラした笑顔がとても印象的な子だ。「だたのやきゅうバカだよ。」と自分を笑う。実は佐藤君は、経済的な理由から高校2年生の修学旅行に行けなかったのだ。でもその事で親を恨んだりもしない。

だって別につまんないもん。沖縄別に好きじゃないし。思い出なんて野球で作ればいいから・・・

とニコニコしていたほどだ。
 そんな佐藤君は、夜間練習を終え自宅に帰っても、深夜までもくもくとバットを振っていた。なんでそんなに頑張れるの?とスタッフに聞かれると、佐藤君は相変わらずの笑顔でこう答えた。

野球が好きだからです!出てチームが勝ったらすごく嬉しいとは思うんですけど、その試合出れなくても、チームが勝ったら次の試合で出れるチャンスあると思うんで。
(野球は)人生そのものです!

 そして運命の2006年7月16日市営秦野球場。そこには、全国高校野球選手権神奈川大会の初戦にのぞむ神田高校野球部がいた。9回2アウトランナーなし。3-5で2点負けていた神田高校。もう後がないこの場面で、松山監督はなんと佐藤君を代打に起用したのだ。
 公式戦初のバッターボックス。最後のバッターになりたくないと無心で振った佐藤君のバットから放たれた打球は、レフト前へ転がった。最後まであきらめない!公式戦初打席で放った佐藤君のヒットはナインを勇気付け、これをきっかけにして神田高校は大逆転。6-5で劇的な初勝利をおさめたのだった。10年ぶりの勝利の瞬間には、選手も応援席も優勝したかのような喜びようだった。感激の涙だった。

 佐藤君は、笑顔で試合をこう振り返る。

人生で一番思い出深い夏ですね。やっぱあの夏をきっかけに、あきらめたらそこで負けなんだよ、あきらめなければ絶対勝てるって言う思いを、今すごく持てるようになりました。

キラキラした小鹿のような瞳に、おばちゃんメロメロである。また、番組の最後のナレーションが粋だった。

10年ぶりの一勝。それは偶然舞い込んだものではない。勝利の女神は、最後まであきらめなかった者にだけ、時々奇跡のようなごほうびをくれるのだ。

先生の心からのメッセージをきっかけに、一生の財産となる仲間と思い出を作ったナインたち。これから、つまらない社会に潰されてしまいそうなどんな辛い場面に出会っても、奇跡を信じて『負けんじゃねぇ』と自分自身に言い聞かせることであろう。
 すがすがしい感動をありがとう。

 私も大声で言ってみよう。人生はまだまだ長い。こんな病気なんかに 負けんじゃねぇ!!!