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身内の言うこと
2008.03.31 Mon 12:51 | アダルトチルドレン | 心と身体
 母がよく言う父への文句の1つに、「自分と血のつながった身内の言うことばかり聞く」というものがある。要は、父が、母よりも祖父・祖母・叔母たちの事を優先するという、『構ってチャン』特有のやきもちから来る文句だ。
 しかも驚いた事に、その文句の出来事自体は何十年も前のことだからタチがわるい。父はそんな昔の事なんて忘れたと取り合わない。それもそのはず、祖父母は20年前ぐらいにどちらも他界しているし、叔母たちとも数年に一度あるかないかの冠婚葬祭で顔を合わせる程度なのだ。にも関わらず、毎日毎日同じ事で父に文句を言う母の記憶力には恐れ入る。ある意味、すべては母の脳内妄想だ。
 きっとこれも何かの病気なのだと思うが、私は専門家でないのでわからない。とにかく、そうねそうねと話を聞きながら、嵐が去るのを待つのみだ。私が口答えして父をかばおうものなら、今度は父と血のつながった子供である私に対して怒りの矛先が飛び火するのを知っているからだ。それだけは避けなければいけない。

 だが、私は最近、実は自分も父と同じだということに気づいた。母が「そんなに親の言うことは絶対命令なのかしら。」とプンプン言っているのを黙って聞きながら、そりゃあ親の言うことに逆うなんてできないわと思った。
 私は、たびたび書いているように、母の顔色をうかがって生きてきた。豹変した母に怒鳴られ見捨てられるのが何よりこわいアダルトチルドレンである。だから、今も彼より母を大優先して生きている。彼が「桜でも見に行こうか。」と言っても「えー面倒くさい。だいたい花粉症なのに外に出られるわけがない。」と断っているが、母が「ちょっと出てこれない?」と言おうものなら、万障繰り合わせて出て行きそうな勢いだ。そして外出疲れで家で倒れ、彼にまた迷惑をかける事の繰り返しだ。
 何かがおかしい。優先順位が違う。わかっている。でも体がどうすることもできない。

 母は、そのことに気づいていないのだろうか。彼は、そのことで怒っていないのだろうか。私はやさしすぎる彼に甘えてばかりいる。どうしたら償えるのだろうか。考えるとなんだか吐き気がする。ただひたすら、ごめんなさいと思った。

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生と死の旅
2008.03.31 Mon 12:23 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 録画しておいたETV特集いのちの声が聞こえますか~高史明・生と死の旅~』を見た。

 在日朝鮮人作家の高史明(コ サミョン)さん(74)。33年前、息子のために語っておこうと自分の波乱の少年期のことを「生きることの意味―ある少年のおいたち」と題して本に書いた。だがそれからすぐ、当時12歳だったその一人息子・真史(まさふみ)君は自殺してしまう。
 番組は、息子さんの死からさまざまな人たちと出会いながら命について思索する旅を続けている高さんの、今を追いかけるドキュメンタリーであった。合間に入る対談の相手は、爆笑問題の太田光さんにはじまり、元住職、精神科医、ホスピスなどさまざまな人々。眠気に朦朧とする私の頭には静かで重いテーマだったが、いくつか心に響く話や言葉があったので書き留めておく。



 高さんが、中学生に向けた公演会で語った、息子さんへの後悔の気持ちについて。
 中学生になった息子の真史君に、高さんはこう言ったそうだ。

 今日から君は中学生になった。これからは自分のことは自分で責任をとりなさい。他人に迷惑をかけないようにしなさい。自分の人生だ。自分の思いで生きていきなさい。

しかしその夏、真史さんは自殺した。今、高さんはこう振り返る。

 子供に向かって親が言っていいことであったのか。違う風に言うべきだったとと思う。
 『自分の人生だ。』と言う前に、『道が歩けるのは道を作った人がいるんだ。世界中の人がいて初めて道を歩けるんだ。その人がいるということを知るということが、まず自分ということにとって一番大事なんだ。他人に迷惑をかけないとは、他人の迷惑の上に自分が成り立っているんだ。』ということを、はじめに言うべきだった。

 この高さんの言葉は、私の心に確かに響いた。今まで「他人に迷惑をかけてはいけない」と強迫観念のように思っている私に、「迷惑はかけていいんだよ。」「迷惑と思ってないよ。」と友人たちが諭してくれたり慰めてくれたりした。が、それでもガンとして考えを曲げることができなかった私の心のどこかに、確かに響いた。



 死後見つかった真史君のノートには、たくさんの詩が書き残されてあった。読めば読むほど、12歳にしてその豊かな感性と深い洞察力に驚かされる。

ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから

(「ぼくは12歳」)より

なぜこんなに「しなない」と連呼していた少年が、自ら命を絶ってしまったのだろう。

 高さんが言うには、真史君が死の寸前に読んでいた本は、夏目漱石の「こころ」であったのだそうだ。その本の中に、漱石自身の思いで「自分で自分が信じられない」という言葉がある。自分が信じられない自分は、なんびとたりとも信じることはできない。そんな思いでいた真史君に、「自分のことは自分で責任をとりなさい。」と言ってしまった自分の言葉がいけなかったのかと、今でも高さんは悔やんでいるようだった。

 だから高さんは、真史君の詩を読んで送られてくる、”死を肯定する”ような気持ちの子供からの手紙に、必ず返事を出しているそうだ。その高さんの強い気持ちが垣間見える言葉に、爆笑問題の太田さんは心を打たれると言う。

 『じゃあ夏目漱石のこの部分はどうだ?ニーチェはどうだ?』ともっと思考することを教える。『そんなところで思考を止めちゃだめだ、もっと君が思っている以上に厳しいし、それだったら興味でそれを追求しろ。』という意思が伝わってくる。

 私も、一人でひざを抱えて考えていると、思考の行き止まりを感じることがある。究極の結論が出てしまうと、そこからもう逃れられない事がある。けれども、たびたび聞くこうした「発想の自由度」って、とても大切な事だなと痛感した。追求するなら、ある一方向にばかりベクトルを伸ばすのではなく、自分のその結論にすら疑問をもちながら、色々な人の考えを取り入れていかなければいけないのだなと思った。



 多くの対談の中で、「生きることの意味」の新しい考え方を示してくださった方がいた。聖路加国際病院の小児科医、細谷亮太さん。小児がんと取り組んできた細谷先生は、幼くして死と直面してしまった子供たちと、その親たちのケアを日々行っている。
 細谷先生は「残された人は長く生きなくてはいけない。」と言う。そう思うきっかけとなったあるお話を披露してくださった。

 先生が医師になりたての頃に見送った患者さんで、十分なケアをしてさしあげられなかった”心のトゲ”のようになっている患者さんが何人かいるという。そういう患者さんのお母さんの一人から、30年ぐらいたって突然お手紙をいただいた事があったそうだ。一回も連絡もないから『きっと僕の事を恨んでらっしゃるんだろう』と思ったりしていた先生に、30年後初めて来た手紙にはこう書かれてあったそうだ。「実は先生は医者になりたてだったけど、うちの子は先生のことが大好きで、来てくれるのをとても楽しみにしてたんです。」

 そうするとやっぱり30年僕が生きてなかったら、そのメッセージは届かないまま、僕はきっとトゲを刺したまま死んだんだろうと思いますし。そういう亡くなった人からのメッセージが届くまでにとっても長い時間かかるっていうことが、それも僕は自分で経験して初めてそう思いますね。

さらにまた、細谷先生は言う。

 30年たったらお集まりになるお母さんたちが泣かなくなるかって言うと、そんな事はないんですよね。ただ、泣くその涙も最初の頃の涙とちょっと違って、お母さんに言わせると、涙を流すと気持ちのいい涙が流れるようになるというようなことを言ってくださるんで。

これに対して、高さんも大きくうなずきながら答えた。

 そうですねえ。時間かかりますねえ。でもそういうことがあるからこそ、人間の生死というのは深みが出る。人間って言うのは、長い時間をかければちゃんと立ち直れて、強く生きていけるんだっていうことを信用することができたりするんです。

 私が今流す涙は、絞り出すようにドロドロで、目が痛くて、苦い味がする。でも時間をかければ、時間さえかければ、ちゃんと立ち直れるのだろうか。人生を長く生きてきた方々がゆっくりした語り口調で微笑みながらおっしゃる言葉だけに、少しだけ信じることができる気がした。



 番組最後の対談では、爆笑問題の太田さんと、励ますと励まされるの関係の逆転を話していた。励ましている方が実は励まされている。救っている方が実は救われている。そういう事は、よくある話だ。
 その上で、高さんは、一人息子の故・真史君との今の関係を、こう話された。

 だんだん、彼が死んで宿題を残されて、自分とは何か文字とは何か、生とはなにか死とは何かとか考えさせられて。最初は彼は永遠に手の届かないところに行ったという感じなんですけど、その瞬間は今も持続的に残っているけれど、気がついてみると、だんだん帰ってきて一緒に歩んでいる気がするんですね。
 死んだ子供と対話を続けてくところに、自分自身が生きているということを本当に捕らえる道があったんだ。その過程がね、子供がだんだん近づいてそばに来る、そういう人生になっているんです。

真史君は、確かに高さんの心の中に生きている。そして高さんは、真史君によって生きていることを実感している。その意味が、強く伝わってきた。

 高さんは笑って言った。

 彼は今笑ってるんじゃないですかね、どっかで。いい気味だと。


風になりたい
2008.03.30 Sun 23:04 | | 小説・文学
久しく会っていない人が
今何をしているのかわからなくて悲しいとか。
生きているのか死んでしまったのか
それすらもわからなくて心配だとか。

知りたかったら自分で調べにいけ!
ネットコミュニケーションのようにpingを飛ばせ!
何もしていないのに連絡がないと文句を言うな!
常にアンテナをはりめぐらせておけ!
元気な頃の私は、そんな事を思っていた。

でも今の私は・・・
できない期待をして待ち続けるぐらいだったら
しつこくして嫌われるぐらいなら
自分の方から離れようと思う。

もうみんなは死んでしまったと思えばいい。
そして私なんて最初からいなかったことにしよう。
息をひそめて誰とも会わずにひっそり暮らそう。

だけどやっぱり人恋しくなって
たまーに少しだけ窓を開けて
誰かの存在を覗き見したり。
そうすれば話なんてできなくても
それだけで嬉しくなったりするのも事実。

誰かがどこかで生きている。
ああよかったと心から思う。
ストーカーみたいだけど
そんな事しか楽しみがなかったり。

本当は私も生きてるよって伝えたいけれど
突然現れても困らせるだけだよね。
風になりたい。
心から風になりたい。

曇天の空
2008.03.30 Sun 15:00 | 日記 | 日記
SNEC_0155.jpg 今日は鬱蒼とした曇り空。
 私の花粉症は、何度も書いているが、症状がなにやら他の人と違う。テレビで「今日は花粉が非常に多いでしょう。」と言われるようなカラッと晴れた日よりも、むしろこういう曇り空の日の方が体調が悪い。

 頭が痛い。悪寒がする。体の節々が痛い。筋肉が痛い。神経が痛い。春先の曇りの日だけ起こるこの症状。きっと花粉症なのだ。そうに違いない。
 内科の先生に言うと、たいてい「そういう症状は聞いたことないですねぇ。」と言われるが、他にも似たようなことを訴える人はいる。調べても他に原因が見当たらないし、花粉症歴10数年の私が決めて納得しているのだから、それでいいのだ。

 昨日からは、左耳の入り口のあたりが痛くなってきた。ひりひりと刺すように痛い。とりあえずメンタムをつけたりしていたのだが、1日経った今日になると余計に痛みが広がっているようだ。
 自分では見えないので彼に見てもらったら、ブツブツができてタダレているようだという。昔、アトピーっぽいタダレができた時にもらったステロイド系の塗り薬をぬってみたら、痛みはだいぶおさまった。これはいったいなんだろう。たぶんこれも、花粉症なのだろう。それでいい。

 こんなふうに気分がもり下がっている朝だというのに、追い討ちをかけるように、仕事で知り合ったフランス人から悲しいメールが来た。今は定年退職されているかつての私の直属の上司が、先月肺がんで亡くなっていたとの知らせだった。
 とてもショックだった。その元上司は、配属面接のときの面接官をやっておられて、その時スカウトされてから私をかわいがってくださっていた。話のわかる人情味あふれる、部下から好かれる上司だった。
 そして、その訃報を会社の友人から直接聞いたのではなく、遠いフランスの国経由のメールで聞いたことが、私にとってはさらに何とも言えないショックだった。もう私は、会社の友人たちとつながりがなくなってしまったのかな。すっかり忘れられているのかな。

 まぁ、私から会社を辞めたわけだ。離れた元の居場所に何を期待しても仕方がない。私はただ、曇天の空に向かって、元上司のご冥福をお祈りするのみだった。

ゲーム脳なんてない
2008.03.29 Sat 08:55 | 気になった事 | ニュース
 先週おこった茨城の『JR荒川沖駅連続無差別殺傷事件』の犯人について、徐々にその人となりが明らかとなり、こんな報道がされるようになった。

 金川容疑者の自室には、100本近いゲームソフトがあった。23日に逮捕された際、リュックには3日前に発売されたばかりの携帯ゲーム機用のソフト が入っていた。東京・秋葉原で開かれたゲーム大会で準優勝した経験もある。
  :
 友人の男性会社員(22)は、「一緒に遊ぶときはだいたい自室でゲーム。勉強机、布団、テレビとゲーム機だけの殺風景な部屋だった」と話す。気に入っていたのは、格闘ゲームやゾンビを次々と殺すホラーゲームなどだった。もともと、自室にこもりがちだったという金川容疑者。今年1月にコンビニ店のアルバイトを辞めてからは、さらに閉じこもるようになり、ゲームに没頭する日々を過ごしたという。
  :
 自宅近くの複合遊技施設にいた男性(18)は、金川容疑者が格闘型ゲームをやっているのを何度か見た。「負けたり、思い通りにいかなかったりすると、ゲーム機をたたき、いすをけっていた」と振り返る。別の男性は「ささいな一言でも切れるから、何か言うには気をつけないといけなかった」と証言する。

YOMIURI ONLINE

このことを、あるテレビ局のニュースで「いわゆる”ゲーム脳”」と説明していた。

 私は、「またか」と思った。たしかにこの犯人は、人とのコミュニケーションが不足していたことは否めない。それが彼の全能感を増長させてしまった原因の1つなのかなとは思うが、ゲームのしすぎが犯罪を引き起こした訳ではないと思う。
 そもそも、この『ゲーム脳』という言葉は、日本大学文理学部体育学科の森昭雄教授が、2002年7月に出版した著書『ゲーム脳の恐怖』において提示した造語(wikipediaより)である。そしてこの本、専門家の間では科学的根拠のないトンデモ論であるとの見方が多い。

 たとえば、「ひきこもり」研究の第一人者として知られる、精神科医の斎藤環氏はゲイムマンのwww.tv-game.comというサイトで、森昭雄教授について『この人にはもうちょっと、ちゃんと勉強していただきたい。肩書は教授かもしれんけど、脳波に関しては素人以下ですから。』と指摘した上で、次のような発言をされている。

 子供がゲームに熱中することを快く思わない層には、すごくアピールするでしょう。単に「権威のある専門家が、ゲームをやると脳がおかしくなると言っている」という文脈だけで、それ以上誰も細かく読んでないというのが実状だと思います。だから、いかに人が、本をちゃんと読まないかってことの証明ですよね。
  :
 マスコミのみならず、文化人、知識人と呼ばれている人が、いかに理系の殺し文句に弱いかということがよくわかりました。誰も中身を理解なんかしてませんからね。ただ単に理系っぽい文章で、専門的な言葉で、「ゲームをやりすぎると脳がおかしくなりますよ」と書いてあるだけのことでしょう?
  :
 実際問題として、ゲームの普及率はどんどん上がっているわけですけれども、子供がどんどんキレるかっていったらそんなことないわけで、その証拠に、犯罪率はむしろ低下してるわけですから。そのへんをもうちょっとちゃんと、理論づけてほしいですね。環境ホルモンが話題になったときもそうでしたけどね。
  :
 新聞記事で子供がキレてるうんぬんみたいな話があったとしても、それは要するに、そういうことが珍しいからトピックになるわけであって。環境ホルモンにしてもゲームにしても、少年が凶悪化してる証拠は何もないんですよね。臨床場面で見てもそう思いますし、犯罪統計を見ても明らかなわけで。こういうこと言いたがる人は、この統計をどう説明するんですかね。

(『斎藤環氏に聞く ゲーム脳の恐怖』より)


 こうして、『ゲーム脳』という言葉は、論破されて忘れられた過去の言葉のはずだった。だがそれでも依然として、少年の凶悪犯罪のたびにマスコミに出てくる言葉として定着してしまった。意味もわからず使われる便利な言葉となってしまった。これがまた、さらに「ゲーム」に対する批判を呼ぶ。

 「ひきこもり」「ニート」「ゲーム」・・・そんな、社会の正しい大人にとっての”悪”の先入観は、何か事件が起こったときに『ほら見たことか!』と叩かれるカッコウの材料となってしまう。その属性の人すべてがひとまとまりに批判される。
 だが、それよりもむしろ私が怖いと思うのは、そうやって何でもかんでもひとくくりに簡単に批判する人のほうだ。一般論で批判をすることは簡単だ。だがすなわちそれは、一人一人の個性や存在をきちんと見てあげていない事なのではないかと思う。
 人間はみんな寂しいのだ。みんな孤独なのだ。本当の自分に気づいてほしいのだ。誰からも自分の存在に気づいてもらえない、必要としてもらえない、そう思ったときの絶望感ほど自暴自棄になるきっかけはない。強くそう思う。
 (だからといって、もちろん人を傷つけることが最もいけないことは当然であるので、誤解なさらぬよう。)



金川容疑者は殺りくゲームに没頭、自室の壁に「死」の文字 (2008年3月26日03時03分 読売新聞)
※リンクはなくなる場合があります。
泣けてくる
2008.03.29 Sat 07:28 | ウルフルズ | 音楽
 「なんだか泣けてくる・・・」 涙をポロっとこぼしながら、ふとつぶやくように歌っていた。
 そういえばなんだっけ、あの歌。アリナミンのCMで使われてるあの歌。私はYouTubeで探してみた。

ウルフルズ 「泣けてくる」


 だがこの歌、よくよく全部聴いてみると、ため息とともに歌うような歌詞ではなかった。

泣けてくる Music & Lylic by トータス松本

どんなに気持ちが小さくなっても 夢みていたい
胸の中 光が見えなくなっても 夢みていたい
それぞれの目の前の それぞれの景色を 信じて歩ければ

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる なにげない言葉が うれしい帰り道
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す

どんなに気持ちに迷いがあっても 忘れない
胸の中 僕を奮い立たせてくれる 熱い想い
はればれとした気分で 思い思いの世界を もとめて歩ければ

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 言えないひとことが せつない帰り道
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す

凹んでも疲れても 明日がやってくる
何からはじめようか どれくらいがんばろうか

なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる うれしい言葉が せつないひとことが
なんだか泣けてくる おもわず泣けてくる 明日もがんばろうぜって 笑って歩き出す


 どうやら、「なにげない言葉」が嬉しくて、「言えないひとことが」が切なくて泣いているようだ。私が勝手にCMのイメージで抱いていたような、『生活に疲れきって泣いている』わけではなかった。
 これはこれでいい歌だが。やはり物事は、一部だけ切り取って自分で勝手に解釈すると、本当の意味が見えなくなるものなのだなぁとつくづく思った。いつも全体を見るように心がけなければ。

 うれしくて泣く・・・か。もう何年も感じていない思いかもしれない。

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