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昨日は花粉症がひどかった。正確には、花粉症らしき症状がひどかった。
というのも、私の花粉症は非常にわかりづらいので、”これぞまさに『ザ・花粉症』!”などというアカラサマな症状が出ないのだ。
そもそも鼻水がほとんど出ないのがいけない。他人の同情がなかなか得られない。そのくせして鼻の穴はとても狭くなっているらしく、脳に酸素がいきわたっていないようだ。頭痛がする。ボーっとする。考えがまとまらない。眠い。これではうつ病の症状とあまり変わらないではないか。
だから私は、何の薬を飲むべきなのか悩む。昨日は頭が割れそうに痛かったので、頭痛薬を飲もうとしてふと、待てよ?と躊躇した。もしかしたらこれは花粉症なので、抗アレルギー薬を飲んだほうがいいのかもしれない。こんなときに、すぐに「あなたの今の症状は花粉症ですよ。」と教えてくれる親切な人はいないものだろうか。病院に行って何時間も待って血液を採取して、1週間後にようやく「あなたはあの時、花粉症でした。」とか言われてもこまるのだ。気象庁の梅雨明け宣言じゃないんだから。
花粉症もうつ病と同じで、その辛さに対して、発症していない人からはあまり理解の得られない病気の1つである。そもそも、花粉症で死ぬ人っているのだろうか。今のところ致死率0%かもしれない。それが「あらやだ、花粉症ですか?お大事に。ぷっ。」と、軽んじられる原因である。
そんな花粉症患者たちを救うべく、私は恥ずかしい告白をしなければいけない。私は花粉症のせいで死にそうになったことがある。その原因は、運転中に突然やってきたくしゃみだった。
花粉症のくしゃみは変だ。「ぶひゃっ、ぶひょっ、ぐひゃっ」などという恥ずかしいくしゃみが、いきなり何の前触れもなしに3~10連発でやってくるのだ。
ある時私のくしゃみ発作は、不運にも、高速道路の追い越し車線を運転中に起こってしまった。恥ずかしいから何とかこらえたいという理性と、そうはさせじと花粉を追い出しにかかる免疫とのハザマで、激しく揺れ動く私の体。こらえきれずに勢いあまって余計に大きなくしゃみになってしまった。そうなるともう「ぶひゃっ」という一つ一つの動きは、くしゃみの枠を超えた全身運動となり、もちろん目を開いている暇などない。幸い助手席の同乗者が「ちょっ!」と慌ててハンドルを支えてくれたので、私の車は事故という難を逃れたが、一人で運転していたらと思うと恐ろしい。
私はその時、確信した。そのうち「花粉死」という言葉も出るかもしれない。
日本には、既に2,000万人いると言われている「花粉症」。これだけ多いと、いろいろな病気、事件、事故に発展する可能性も見えてくる。
花粉症に悩んでうつ状態になってしまう「花粉うつ病」。花粉症を苦にして自殺する「花粉自殺」。花粉症を理由に会社をクビになる「花粉解雇」。花粉症の人は入場をお断りされる「花粉差別」。隣の植木の花粉が飛んできたと訴える「花粉裁判」。花粉症か花粉症じゃないかでケンカとなり、ついカッとなってやってしまう「花粉殺人事件」。なんでも花粉をつけてみると、ありそうで怖い。実際、もういくつかは本当にあるかもしれない。
逆にいいサービスもできればいいな。花粉症であることを証明する「花粉手帳」を見せると、公共施設が割引で利用できるとか。ないか。
というのも、私の花粉症は非常にわかりづらいので、”これぞまさに『ザ・花粉症』!”などというアカラサマな症状が出ないのだ。
そもそも鼻水がほとんど出ないのがいけない。他人の同情がなかなか得られない。そのくせして鼻の穴はとても狭くなっているらしく、脳に酸素がいきわたっていないようだ。頭痛がする。ボーっとする。考えがまとまらない。眠い。これではうつ病の症状とあまり変わらないではないか。
だから私は、何の薬を飲むべきなのか悩む。昨日は頭が割れそうに痛かったので、頭痛薬を飲もうとしてふと、待てよ?と躊躇した。もしかしたらこれは花粉症なので、抗アレルギー薬を飲んだほうがいいのかもしれない。こんなときに、すぐに「あなたの今の症状は花粉症ですよ。」と教えてくれる親切な人はいないものだろうか。病院に行って何時間も待って血液を採取して、1週間後にようやく「あなたはあの時、花粉症でした。」とか言われてもこまるのだ。気象庁の梅雨明け宣言じゃないんだから。
花粉症もうつ病と同じで、その辛さに対して、発症していない人からはあまり理解の得られない病気の1つである。そもそも、花粉症で死ぬ人っているのだろうか。今のところ致死率0%かもしれない。それが「あらやだ、花粉症ですか?お大事に。ぷっ。」と、軽んじられる原因である。
そんな花粉症患者たちを救うべく、私は恥ずかしい告白をしなければいけない。私は花粉症のせいで死にそうになったことがある。その原因は、運転中に突然やってきたくしゃみだった。
花粉症のくしゃみは変だ。「ぶひゃっ、ぶひょっ、ぐひゃっ」などという恥ずかしいくしゃみが、いきなり何の前触れもなしに3~10連発でやってくるのだ。
ある時私のくしゃみ発作は、不運にも、高速道路の追い越し車線を運転中に起こってしまった。恥ずかしいから何とかこらえたいという理性と、そうはさせじと花粉を追い出しにかかる免疫とのハザマで、激しく揺れ動く私の体。こらえきれずに勢いあまって余計に大きなくしゃみになってしまった。そうなるともう「ぶひゃっ」という一つ一つの動きは、くしゃみの枠を超えた全身運動となり、もちろん目を開いている暇などない。幸い助手席の同乗者が「ちょっ!」と慌ててハンドルを支えてくれたので、私の車は事故という難を逃れたが、一人で運転していたらと思うと恐ろしい。
私はその時、確信した。そのうち「花粉死」という言葉も出るかもしれない。
日本には、既に2,000万人いると言われている「花粉症」。これだけ多いと、いろいろな病気、事件、事故に発展する可能性も見えてくる。
花粉症に悩んでうつ状態になってしまう「花粉うつ病」。花粉症を苦にして自殺する「花粉自殺」。花粉症を理由に会社をクビになる「花粉解雇」。花粉症の人は入場をお断りされる「花粉差別」。隣の植木の花粉が飛んできたと訴える「花粉裁判」。花粉症か花粉症じゃないかでケンカとなり、ついカッとなってやってしまう「花粉殺人事件」。なんでも花粉をつけてみると、ありそうで怖い。実際、もういくつかは本当にあるかもしれない。
逆にいいサービスもできればいいな。花粉症であることを証明する「花粉手帳」を見せると、公共施設が割引で利用できるとか。ないか。
新聞を片付けていたら、ある見出しが目に飛び込んできた。
新聞記事には、ある有名な日本人ファンドマネージャーが、日本の投資信託会社をやめてイギリス系ヘッジファンドへ転職したという話が書いてあった。その人は、日本の投資運用会社には運用の専門家がそろっていない現状を憂い、運用のプロとして生きたいと念じ、「日本」から去ったという。はい、さようなら。
運用のスペシャリスト?お金を増やす腕を競い合う?そんな事を堂々と言ってて、恥ずかしくないのだろうか。何かがおかしいとおもいながら、記事のまとめを読んだ。
こんな話のときに決まって思い出すのが、村上世彰氏(村上ファンド)の涙目発言。
私がブツブツ文句を言っていたら、彼が「ぐりえちゃんの考え方は社会主義なのかな。」と言う。そんな事を言っているのではない。人と人とは共に助け合って支えあって、成長して生きていくものなのではないのかと言いたいのだ。人は自分の努力に見合った評価と報酬を得てこそ、生きがいを見出せるものなのではないのか。正直者がバカを見る世の中でいいのか。そんなのおかしくない?
世界の長者番付万年2位のウォーレン・バフェット氏に代表されるように、世界的な大富豪にはファンドマネージャーが非常に多い。元手さえあれば、特にアメリカでは、簡単にお金が増やせるのだ。
私は目を疑った。差をもって尊しとなす
日本経済新聞2008年3月1日(土) 1面コーナー記事「日本人とおカネ」より
新聞記事には、ある有名な日本人ファンドマネージャーが、日本の投資信託会社をやめてイギリス系ヘッジファンドへ転職したという話が書いてあった。その人は、日本の投資運用会社には運用の専門家がそろっていない現状を憂い、運用のプロとして生きたいと念じ、「日本」から去ったという。はい、さようなら。
運用のスペシャリスト?お金を増やす腕を競い合う?そんな事を堂々と言ってて、恥ずかしくないのだろうか。何かがおかしいとおもいながら、記事のまとめを読んだ。
この文章を書いた記者は「うまい事言った!」とご満悦なのだろうか。「和をもって尊しとなす」は、言わずと知れた、聖徳太子が十七条憲法の最初に掲げた言葉であり、日本人の性質そのものをあらわす道徳観といってもいい。こんなすばらしい言葉を変な風にもじらないでほしかった。私はとても悲しくなった。個人投資家にとっても市場で利益をあげるには、いかに多数派とは違った行動をとれるかがポイントだ。「『和』をもって尊しとなす」から、「『差』をもって尊しとなす」へ。根本的な発想の転換が必要となる。
(日本人とおカネ取材班)
こんな話のときに決まって思い出すのが、村上世彰氏(村上ファンド)の涙目発言。
いい悪いは、もう個人の価値観の違いとしか言いようがない。だが、お金を元手に、お金を増やしていくということは、その裏では必ず誰かを出し抜いて、誰かを損させているということだ。必ずどこかに泣いている人がいるということだ。お金に困っている人を食い物にする”貧困ビジネス”と何が違うのだろう。お金儲けって、そんなに悪いことですか?
私がブツブツ文句を言っていたら、彼が「ぐりえちゃんの考え方は社会主義なのかな。」と言う。そんな事を言っているのではない。人と人とは共に助け合って支えあって、成長して生きていくものなのではないのかと言いたいのだ。人は自分の努力に見合った評価と報酬を得てこそ、生きがいを見出せるものなのではないのか。正直者がバカを見る世の中でいいのか。そんなのおかしくない?
世界の長者番付万年2位のウォーレン・バフェット氏に代表されるように、世界的な大富豪にはファンドマネージャーが非常に多い。元手さえあれば、特にアメリカでは、簡単にお金が増やせるのだ。
そしてアメリカの”成功者”の多くは、家族の命を守るための戦争には大賛成だと聞く。全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう
:
6人が全世界の富の59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍
(世界がもし100人の村だったらより)
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