前にも、このブログで取り上げたことのある、NPO法人「もやい」事務局長の湯浅誠氏は、「貧困」についてこう語る。年収200万円以下の世帯数が1000万を突破。4世帯に1世帯は貯蓄がゼロ。若年層の2人に1人は非正規雇用。格差が広がる中で「貧困」に陥る人が増えている。なぜ貧困へと追い詰められるのか? 貧しさは自己責任なのか? なぜ努力してもなかなか抜け出せないのか?
(NHK番組案内より(本放送は2/25(月)))
お金がないのももちろん、頼れる人間関係が切れちゃう。例えばフリーターで収入が少なくても、実家に住んでて親御さんがちゃんと稼いできてくれたら、冷蔵庫あけたらなんか食べるものはあるじゃないですか。だから収入10万ぐらいでも、今日明日の生活に困るってわけじゃない。そういう意味で、そういう人間関係の豊かさみたいな、私は「ため」とか呼んでるんですけど、そういう「ため」がない状態。
あとは前向きになれないというか、自信が持てないと言うか、こういうのも精神的な「ため」がなくなっていくっていうことだと思うんですよね。そういう総合的な概念を「貧困」と呼んでいます。
番組では元ホームレスの鈴木武志さん(19歳)を取材していた。
鈴木さんは、幼い頃親と離れ離れになり身寄りがない。おととしの夏まで里親に育てられていたのだが、ある日突然、「もう一緒に住むことはできない」と告げられて、福祉施設に移らざるをえなくなった。だがその施設でも、18歳になったら出て行って欲しいと言われた。
鈴木さんは、郵便配達の仕事をして30万を貯金。施設を出てアパートを借りた。それからコンビニのアルバイトをしながら一人暮らしを始め、彼女もできた。しかし、やっとそんな新しい生活が始まろうとしていた矢先に、高校時代の知り合いだった札付きの不良につかまってしまう。部屋に居座られ執拗に恐喝され続けた。
荷物を持って夜逃げするように家を出た鈴木さんは、その瞬間、友達も親も彼女も居場所もなくなったのだ。公園や漫画喫茶で寝泊りする生活に落ち、所持金はすぐになくなった。
未成年で親もいない。身分を証明する者もいない。仕事はみつからない。鈴木さんを助けてくれる人は誰もいなかった。「結局は自己責任で死んでいくのかな。」そんな事を思いながら、公園などを転々とする生活を続けていたとき、ようやくNPOに保護されたのだった。
鈴木さんは悪くない。何も悪くないのに、一度「貧困」に落ちた若者は、二度と自分の力では立ち上がれなくなってしまうのだ。精神的にも泥沼に陥ってしまうのだ。鈴木さんは当時の心境をこう語る。
そして次第にその感情は、恨みから怒りに変わっていく。俺のせいじゃないのに彼女も俺から遠ざかっていく。はめられた人っていうのは、周りがみんな遠ざかっていくって、自暴自棄になりました。救ってくれる人はいないんだ。
街で寝てても誰も声かけてくれなかったし、警察なんて家がなくて2回も捕まってるのに2回とも”生活保護”を教えてくれなくて、「住み込み就職しないからホームレスなんだよ。」みたいに言われて。具合が悪くなって街中で倒れて救急車呼んでもらって、病院の人にいったら、病院の人も「うちは泊めておくことはできないから、とりあえずいろいろあるかもしれないけど頑張って。」とか言われて。施設にもう一回入れてくれって言いに行ったら「管轄があるからできない。」って言われて。
そこから視点が変わってきましたね。子供も大人もはめるやつははめるし、自分がよければOKなんだなあっていうのが社会なんだなあとか思いましたね。
だが、鈴木さんは人をだまして生きるほど落ちぶれることはできなかった。自分もそうやっていかないと、たぶん生きていけないんだなあと思いましたね。つぶすかつぶされるかだと思いました。だったら俺今つぶされているから、つぶす側に回ろうとおもって・・・。
いま、鈴木さんは、元の福祉施設職員の紹介でたどりついたNPO法人「もやい」の冨樫匡孝さんに出会い、相談にのってもらいながら生活を立て直す手助けをしてもらっている。生活保護の申請をすれば、アパートを借りるときに必要な一時金が借りられる事がわかった。連帯保証人は「もやい」が引き受けてくれたおかげで、鈴木さんは一人暮らしをする事ができた。さらに病院にかかることもできるようになり、鈴木さんが抱えている心の病もわかった。
まだ焦って働く必要はない。今の鈴木さんに必要なことは、衝動を抑えられるようになること、心の傷を治すことだと、冨樫さんは考えているそうだ。
私は、「その頃の孤独感はどうだった?」と聞かれた鈴木さんの言葉にショックを受けた。
孤独感はいつしか消えました。誰もいなくなった瞬間にもう孤独で、そのときはすごい最大のショックだったけど。自分のせいではないのに、じゃあ誰のせいだ?社会のせいだ、って僕は思ったんです。で、いつしか孤独というよりも、明日生きるか死ぬかみたいなそういう考えになりました。
「今日このまま夜寝たら、明日の朝もし起きれたら、それは神様が生きろと言っているんだなあ、よしっ。」 そんな感じでしたね。
私は今の自分を恥じた。屋根も食料もある暖かい家の中で、羽毛布団にくるまりながら「今日このまま夜寝たら、明日の朝二度と起きませんように。」と祈っている私を恥じた。鈴木さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。こんな私はぜいたく病なのだろうか。私のような人間こそ、地に落ちてしまえばいいのに。
鈴木さんが「自己責任で死んでいくのかな。」と思ってしまったのは、別に自分で自分を痛めつけて死にたいと思ったわけではないのだ。彼は私みたいに、そんな弱虫ではない。頼るところもない彼なのに、周りの大人たちによってたかって「住み込み就職しないからそうなるんだ。」と言われ、じゃあ僕が悪いのかなって、自己責任なのかなって思わざるを得なかっただけなのだ。周りの大人たちの責任逃れのはけ口になっていただけだったのだ。
私には家族もいて、頼る人もいて、環境は何も不自由ないのに、誰も何も押し付けないのに、勝手に何もできない自分が悪いって思いこんでる。変なの。私って変なの。本当に私ってバカだ。そして、なんでこうなるのかわからない。それが病気なのかどうかも、もはやわからない。
ちなみに私は「もやい」のサポーター会員なので、こういった活動で救われる人をテレビで見ると、少しだけうれしい。所詮自己満足で、偽善で、自分の手は何一つ動かしていないけれど、でもうれしい。
この回の再放送は2008/3/3(月)13:20~。第2夜は2008/3/4(火)13:20~。
それは神奈川県平塚市の県立神田高校野球部の話だった。神田高校は、市民から『平塚で一番悪い高校』『怖い』などと言われ、周囲の印象があまりよくない学校だった。
実は神田高校の野球部は、それまでの10年間公式戦で一度も勝ったことがない。そこへ6年前、監督として新人教師・松山大介先生が赴任してきた。松山先生は異色の経歴の持ち主で、大学卒業後いったん大手通信会社に勤めたが、26歳のとき高校時代に熱中した野球をもう一度やりたいと決心。30歳で神田高校へやってきたのだ。
その時の心境を、松山先生はこう語る。
けれども、選手達はそんな先生の期待にこたえるどころか、練習試合ですら簡単に負ける。その弱さはむしろ試合後、誰一人悔しさや反省の色を見せるものがいないというところに表れていた。24歳で結構いい生活のほうだろう、でも全然自分は満たされてないじゃないか、だったら明日死んじゃうかもしれないし、倒れたときに笑って死ねるような死に方ができれば人間は幸せなんだろうな、みたいな事を色々考え始めちゃって・・・。
やつらにもよく言いますよね。どう生きるかだと思うよって。
大会10日前の練習試合で、相変わらず情けない試合をした選手達に、松山先生は、夏が終わるまでは言うまいと決めていた自分の去就を言わずにはいられなかった。実は松山先生は、この年で神田高校を去る事になっていたのだ。最後の夏だった。
そして思わずあふれる涙と鼻水をぬぐいながら、先生は言った。言うつもりはなかったんだけど、この夏が俺の監督の最後だったんだよ。『たった2年半だけど、俺達は選手だから6年間やってきた監督の松山先生より意識が上です』ってのぞんでくれないと困るんだよ。俺もお前らと一緒に勝負してるよ。だからむかつくんだよ、変な弱気な事されると。だから怒るんだよ。こんなこと・・・話さなかったらまとまらないんだったら、やってけないぞ。
この一言がナインの心に火をつけた。それから10日間、部員全員が自主的に夜間練習を始めたのだ。番組では何人かの生徒に密着していたが、その中で私の印象に残ったのは、ひときわ頑張る小柄な3年生、佐藤和成君だった。その小さな体ゆえ、一度も公式戦の打席に立ったことがなかった選手だ。負けんじゃねぇ・・・
わかったな・・・
佐藤君はキラキラした笑顔がとても印象的な子だ。「だたのやきゅうバカだよ。」と自分を笑う。実は佐藤君は、経済的な理由から高校2年生の修学旅行に行けなかったのだ。でもその事で親を恨んだりもしない。
とニコニコしていたほどだ。だって別につまんないもん。沖縄別に好きじゃないし。思い出なんて野球で作ればいいから・・・
そんな佐藤君は、夜間練習を終え自宅に帰っても、深夜までもくもくとバットを振っていた。なんでそんなに頑張れるの?とスタッフに聞かれると、佐藤君は相変わらずの笑顔でこう答えた。
そして運命の2006年7月16日市営秦野球場。そこには、全国高校野球選手権神奈川大会の初戦にのぞむ神田高校野球部がいた。9回2アウトランナーなし。3-5で2点負けていた神田高校。もう後がないこの場面で、松山監督はなんと佐藤君を代打に起用したのだ。野球が好きだからです!出てチームが勝ったらすごく嬉しいとは思うんですけど、その試合出れなくても、チームが勝ったら次の試合で出れるチャンスあると思うんで。
(野球は)人生そのものです!
公式戦初のバッターボックス。最後のバッターになりたくないと無心で振った佐藤君のバットから放たれた打球は、レフト前へ転がった。最後まであきらめない!公式戦初打席で放った佐藤君のヒットはナインを勇気付け、これをきっかけにして神田高校は大逆転。6-5で劇的な初勝利をおさめたのだった。10年ぶりの勝利の瞬間には、選手も応援席も優勝したかのような喜びようだった。感激の涙だった。
佐藤君は、笑顔で試合をこう振り返る。
キラキラした小鹿のような瞳に、おばちゃんメロメロである。また、番組の最後のナレーションが粋だった。人生で一番思い出深い夏ですね。やっぱあの夏をきっかけに、あきらめたらそこで負けなんだよ、あきらめなければ絶対勝てるって言う思いを、今すごく持てるようになりました。
先生の心からのメッセージをきっかけに、一生の財産となる仲間と思い出を作ったナインたち。これから、つまらない社会に潰されてしまいそうなどんな辛い場面に出会っても、奇跡を信じて『負けんじゃねぇ』と自分自身に言い聞かせることであろう。10年ぶりの一勝。それは偶然舞い込んだものではない。勝利の女神は、最後まであきらめなかった者にだけ、時々奇跡のようなごほうびをくれるのだ。
すがすがしい感動をありがとう。
私も大声で言ってみよう。人生はまだまだ長い。こんな病気なんかに 負けんじゃねぇ!!!