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ひとひらの想い
2008.03.05 Wed 18:34 | 心に沁みる曲 | 音楽
 音楽を聴いていたら、涙がポロポロでてきた。

 はじめは藍坊主の「ジムノペディック」というを、何度も何度も繰り返し聴いていた。最近いちばん好きな歌である。エリック・サティの「ジムノペディ」が静の中に動を感じる曲だとすれば、それをモチーフにしているこの曲は動の中に静を感じる曲。hozzyの低いのに高く澄みわたる声が胸にしみる。

この世界がふやけてしまうその前に、笑ってくれよ
そしたら僕は骨がバラバラになるくらい 風に吹かれて
もう一度君に会いにくるから

PVも大好き。でも貼らない。貼れない。

 それから次に入っていたのが、Every Little Thingの新曲「サクラビト」だった。それを聴いていたら、涙がポロポロこぼれてきてしまった。春なのに、とても寂しい曲だ。

Every Little Thing 「サクラビト」

しあわせを願う 今日もあなたを呼んでみる
この手に一片(ひとひら)の 尊い想いを抱いて 空へ託した

逢いたくても逢えない けれどあなたを守りたい
春の風に乗って 今日もあなたを想う

何一つとして 同じものなどはないから
この手に一片(ひとひら)の 尊い想いを抱いて あなたと共に行く

(Lylic by Kaori Mochida)


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見つからない目的地
 急に怖くなった。私はいろんな事から逃げている。いつまで逃げ続ければいいの?どこまで逃げ続ければいいの?

 私は、自分と違う考え方の人がいると、その場を乱さないように適当に合わせてしまう。自分のことをわかってもらおうとする努力すら、あきらめてしまう。だから多くの人から、いつも明るくて悩みなんてない能天気な人間だと思われている。でも私にとって、本当の心を打ち明けられる人なんてほんの一握りしかいないのだ。心を開くという行為は、私の闇の部分を見せること。ドロドロした汚いところも見せること。この人ならこんなダメな自分でも受け止めて理解してくれるかもしれない、と思えるような、よっぽどの信頼した人にしかできない行為なのだ。
 だけど、やっとの思いで打ち明けた心も、そうたやすく理解してもらえない。やっぱり私はおかしいんだ、ダメなんだ・・・。追いつめられてどうしようもなくなると、その場から逃げ出してしまう。そして後悔する。そんな自分を責める。そんな事でしか自分の存在を証明できない自分が嫌いになる。

 もう自分のことがわからなくなってきた。何が本当の自分なのかわからない。
 あれも違う、これも違う、あれもダメ、これもダメ。反対意見ばかりで審議をストップさせるどこかの野党のように、対案がない。じゃあどうすればいいのか、答えが見つからない。反対のための反対なのか。ダメだしのためのダメだしなのか。

 考えれば考えるほど、行き場がない。

連想検索エンジン
 昨夜の「爆笑問題のニッポンの教養」は「検索エンジンは脳の夢を見る」という話であった。先生は連想情報学の高野明彦教授。人間ならではの知性である”連想”と同じように情報をさがす「連想検索」という新しい検索システムを提唱する、次世代情報検索のニューリーダーである。

 いまや検索エンジンは、インターネットをたしなむ人間にとっては『検索なしには生きていけない(by 大田さん)』とまで思うほど、生活に必須の存在。
 私ももちろんそう。私は自分で自分の事を『検索王』だと思っている。検索するためのキーワード選びがうまいと自負しており、インターネットとパソコンさえあればわからない事はない、と思っている。だから、”次世代情報検索”と聞いてもピンとこなくて、そんなの検索エンジンが使えない初心者のためのツールじゃないの?と思っていた。
 ところが、それは違っていた。「連想検索」はこれまでの検索エンジンの概念を覆す、全く新しいものだったのだ。

 従来の検索エンジンは、世界中の400億とも言われるWebページを一通りながめて、そのデータを本の索引のように整理して1箇所に集めて持っており、ユーザーからの要求がきたら、手元にある索引をひいて検索結果を一覧で表示するものである。各サービス会社は、いかに速く探すかという部分でコンピューターの仕組みを工夫している。

 ところが、高野先生いわく、

毎日それをやってくると、「これで引けばいつでも思い出せる」となってだんだん情報を覚えなくなってくる。頭に索引情報だけ残していって、自分が検索エンジンみたいになっちゃう。そうすると、頭の中にとどめるものがすごい細切れで、文脈をもたないものになっているんじゃないかと、結構やばいんじゃないの?って思った。

私もそれは感じていた。だが、それはいい事だと思っていた。この”情報爆発社会”において、すべての情報を頭にいれておくなんて不可能だ。効率よく情報を整理するためには、インターネットに散らばる情報はすべて自分の外付けハードディスクのように使い、自分の脳の中には”ポインタ(データ本体がどこにあるか)”だけを持てば事足りる、それでいい、むしろそうしないとやっていけないと思っていたのだが。何が問題だと言うのだろう。

 高野先生は、従来のような『キーワード検索』だと、最初に表示された10件の中に答えはあるんじゃないの?と思うようになって、そこからもれている可能性をだんだん考えなくなるのが怖いという。

人間って言うのはそんなことなくて。僕らは意味のあるものだけを見ながら生活しているのかっていうと、そんなことないですよね。ほとんどが雑音で、情報が景色のように来ないとおかしい。

さらに『キーワード検索』で表示された件数がいっぱいあっても、それらをよくよく眺めるとそこにはある種の統一感があり、みな同じ情報源から発せられている事が多々ある、と先生は言う。同じ事を1000人言っているからといって1000人が独自に考えた言葉を使っているかは怪しくて、誰かが言ったことに反応していっせいに書き込みしただけかもしれない。噂話がワーッといつの間にか本物みたいになってくる。

”コピペ”で作られた情報であるということについて、僕らはあまり想像力が働かないと、それはみんなが言ってるんから本当だってなって・・・これはすごく危ない。

大田さんも「それすごく怖い!」と言う。

インターネットで、自分の悪口がうわーっと出てきたときに、これが全部だと一瞬想う。そいつは一瞬思っただけかもしれないのに、(同じような情報がたくさん出てくると)、100%こういうやつが世の中にいっぱいいるってイメージしちゃう。表情とか言い方とか声のトーンまで想像しちゃう。他の情報はとりこぼして、勝手においつめられる。

私も、自分の動画にただ非難的なコメントが何件か続いただけで、勝手に精神的においつめられたことがある。それを思えば芸能人なんてもっと大変なんだろうなと、お察し申し上げる。

 こういう『キーワード検索』をくつがえすシステムを考えた高野先生の趣味は、古本屋めぐりだという。神保町の古本屋街の約1000万冊の蔵書に潜む”知”の奥深さに惹かれるのだという。

ある意味で古本屋さんって言うのは、キーワード検索ではない面白さがそこにある。偶然の出会いもあるでしょうし、そこで思考することも、インスピレーションを得られるってことも、そういう楽しさみたいなものを体験できるんで。それと同じような興奮をウェブ上のサービスで再現できないか。

その思いが、新しいアイデアへの原動力となったようだ。

われわれ人間は、知性を持って自分で意思決定しながら生きていると想っていますが、脳科学の研究で言うと、自分の意識をどう振るかって言うのは、実はコンマ何秒か前に無意識のところで決まっていて、3つぐらい用意されている中から選ぶぐらいしか、自由意志はないとか言われている。自分のインプットにどれだけ広がりがあるかとか、どれだけ自由な発想でとりこめるかってことで、ほんとに自由意志でふれる幅がひろがっていく。

心の多様性、心の自由。まさに精神医学でいう”解放”と同じだ。心を”解放”することによって、自分で結論を出せる状況にもっていくことが「心の病」が治った状態だと、同番組のFILE015:「ひきこもりでセカイが開く時」でも言っていた。つまり、今の検索エンジンの使い方は、インターネット世界におけるひきこもりの発想なのかもしれない。

 でも高野先生は、人の発想は、このシステムだけでは完結しないと思うと最後に言った。

自分の中での物語みたいなものが必要で、他の人じゃない自分の物語だから頑張れる。そういうのを見つけるきっかけや手助けぐらいは電子でちょっとできるかもしれないけれど、本当にそれを育てていくのは、街に出たり人と会ったり、そういうくめども尽きぬものに出会って、初めて大きく育っていく。

感性を刺激するのは、やはり生身の人間じゃないと無理か・・・・。



連想検索システムのプロトタイプサイト

『新書マップ』 http://shinshomap.info/search.php
周りにでている言葉は、真ん中のテーマの中で目次に出てきたり説明文に出てきたりした言葉を拾っている。例えばユーザーの”検索”という問いかけに対して、きっとこの人はこういうのを頭に思い浮かべているな、それは言葉としては”メディア”なの?”デジタル”なの?”インターネット”なの?ってことをシステムが、ある種の連想ゲームみたいに返してくるシステム。

『想ーIMAGINE Book Search』 http://imagine.bookmap.info/imagine
異なるデータベースを横断して連想検索ができるシステム。

大人のいじめ
2008.03.05 Wed 02:22 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 クローズアップ現代で「もう職場に行きたくない~広がる大人のいじめ~」という特集を見た。職場でのいじめは、いじめられた側が精神的に不安定になり社会生活が送れなくなったり、また企業にとってもいじめによって人材が流出すると生産性が落ちるという、深刻な問題になっているのだそうだ。

 職場でのいじめ自体はそう新しい問題ではないが、厚生労働省によせられるいじめ嫌がらせの件数を見ると、平成14年と平成18年とではその数が3倍以上に急増している。また、いじめの種類も、異性間でおきるセクハラ、上司からうけるパワハラなどではなく、今は上司の目の届かないところで起きる同僚からのいじめが増えているのだという。昨年末、産業カウンセラーにアンケート調査を行ったところ、いじめの56%が同僚からのいじめだという答えが帰ってきた。

 番組では、特に多いケースとして、教育現場における教師同士のいじめ、医療現場における看護師同士のいじめ、さらに業種を問わず起こりうる非正社員同士のいじめの具体例をあげていた。東京都の労働相談情報センター課長補佐の関口広行さんは、職場をとりまく環境の変化が原因の1つとみている。

教育の現場では、親の干渉や子供が先生の話を聞かないという実態がある。医療の現場では、医療過誤の恐れがある。みな大きなストレスを抱えている。それが、同僚の弱者にいじめという形で向かっているのではないかと思う。


 スタジオゲストで、労働ジャーナリストの金子雅臣さんは言う。

同僚間のいじめは、なかなか表面化しづらいだけに大変です。どうしても、自分に問題があるんじゃないかとか自分を責めてうつ病になってしまったり、自分で辞めてってしまうってことがあるから、非常にやっかいですね。

そして、いじめを増大させているという職場環境の変化についてこう分析をされていた。

  • どこの会社でも非常に仕事が増えて、スピードが速くなり、ミスに対して厳しくなっている。特にミスに対して厳しい事が、いじめにつながる点だと思う。
  • 派遣、パート、嘱託、再雇用など、いろんな雇用形態の違う人たちが一緒に働いている。それぞれモチベーションが違うから、お互いの意思のコミュニケーションがうまくできないという問題がある。
  • 最近は成果主義能力主義ということで、どうしても個人的な評価が中心になる。人の事など構っていられない。悪くすれば、自分がよくなるためには他人の足をひっぱるようなことまで出てくる。

また、教育現場や医療現場でのいじめが多いことについては、なるほどと思う説明があった。

「いい人」でなければいけない現場は、世界的にも問題となっているんですが、仕事上感情をコントロールしながら働かなければいけない、いわゆる『感情労働(Emotional Labor)』の現場だと、同僚同士がストレスのはけ口になってしまう実情があります。


 対策も少しずつ進んでいる。前出の労働相談情報センターでは、”あっせん”という取り組みを行っているのだそうだ。いじめられた側、いじめた側、企業、それぞれに対して聞き取り調査を実施し、その上でお互いが納得できる和解案を無料で作成してくれるというのだ。
 しかし、私は思った。訴える覚悟ができている人は相当なものだと思うのだがいかがだろう。たとえば私も会社生活においてうつ病になってしまったわけだが、会社にはメンタルヘルス相談窓口など設けていたし、会社外にもそのような機関はあったのだが、どうしても相談できなかった。相談したら、情報がつつぬけになって、結局会社にいられなくなるのではないかと思っていた。うつ病といじめは違うだろうが、同じように泣き寝入りしている人は多いと思う。

 その辺も踏まえてなのか、労働ジャーナリストの金子さんは言う。

トップが人材の損失を生産性の低下だととらえて、トップダウンで取り組むのが大きな効果です。企業にとっては今、「職場環境配慮義務」という言葉が盛んに言われています。また、企業の中だけではなかなか解決しにくい問題で、いじめられている人が辞めてくれれば問題解決と思われがちなので、やはり”あっせん”、つまり第三者が間に入って調整をするのが効果的でしょう。

また、いじめに対する言葉、定義、法律が必要だとも言う。たとえば欧米では以下のような定義がされていて、特にフランスでは民法刑法の規定がされている。

イギリス : モッビング(mobbing) 集団でいじめる
フランス : モラルハラスメント(moral harassment) 精神的にいじめる
アメリカ : スパッタリング(sputtering) 差別的な

日本では何と呼ばれるようになるのだろうか。ただの『いじめ』では済まされないことのような気がしてならない。