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バーチャル人間関係
2008.03.09 Sun 17:32 | ネット依存症 | 心と身体
 MXテレビでたまに放送している「ガリレオチャンネル」という番組で、『「ケータイ世代」の誕生 大人が知らないモバイル文化』というテーマを見た。

いまや最も身近なメディアとなった携帯電話。日本での契約台数は1億台を突破した。そして、こうした時代に登場したのが、「ケータイ世代」と呼ばれる若者たちである。
(番組ホームページより)

大人が知らない携帯サイトの世界」の著者でライター佐野正弘さんは、「ケータイ世代」をこう定義する。
  • 今の10代前半から20代前半までの若者
  • 子供の頃から携帯電話を持つようになった最初の世代

総務省によれば、インターネット利用端末は2005年の時点で携帯電話がパソコンを上回ったという。
  • 携帯電話:6,923万人(PHSも含む)
  • パソコン:6,601万人
そしてこの増加の中心となったのが「ケータイ世代」なのだ。

 最近の携帯サイトは、若者をターゲットに携帯電話で見るように作られており、サイトのセキュリティを守るためにパソコンからのアクセスを意図的に排除しているサイトも増えている。それが、大人がこうしたサイトに気づかない理由の一つにもなっている。
 大人は、パソコンのインターネットの世界はよく知っていて、検索さえすればどんなサイトにもたどり着けると思いがちで、携帯電話の世界に触れる大人は全くいない。実はインターネットには、パソコンと携帯という異なる2つの世界が出現し、それぞれ独自の発展を遂げていた。

 中でももっとも有名なのは「モバゲータウン」。会員数は若者を中心に900万人に上る。名前のとおり、モバイルゲームのサイトだが、人気の秘密はゲームだけではない。会員は自分のページで、プロフィールや日記質問コーナーなどがある掲示板を持ち、アバターでモバゲータウンを回り、他の人の掲示板に書き込みをしたりしながら、友達を増やしていく。
 こうした人と人とのつながりを促進するサイトをSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)と呼ぶが、mixiなどのパソコンにおけるSNSではユーザー同士が実際に出会う事もあるのに対して、モバゲータウンは携帯電話だけの世界にこだわった。モバゲーでは人間関係を実際の世界に持ち込むことを禁止しており、モバゲータウンの中だけで築かれる関係なのだという。
 しかし、サイト内でのやりとりだけという現実と離れたコミュ二ケーションで、『モバ友』だけでなく『モバ彼』や『モバカノ』といったバーチャルな恋人関係まで存在する。

 モバゲーを運営するDeNAポータルコマース事業部の畑村匡章さんは言う。

どちらかというと逆に、会わないですむコミュ二ケーションというか。実際の人たちが友達とつながっていて人脈を作っていく形の流れになっていくと、立ち振る舞いも現実に合わせていかなければいけないものが出てくるのかなと思います。そういったものではないものを目指そうと・・・。


 携帯を通じてバーチャルな人間関係を築く若者達。これをどう見るか。あまりにも希薄な人間関係に、憂いを感じたほうがいいのかもしれない。
 だが、私はうらやましい。近づきすぎず、束縛せず、それでいて心と心がつながったコミュニケーションがうらやましい。本当に実際の世界で会ってないかどうかは知らないが(特に男性は会いたがるだろう)、会わないですむコミュニケーションがうらやましい。いつでもどこでも連絡がつくコミュニケーションがうらやましい。なぜパソコンのインターネットの世界では、そういう関係が築けないのだろう。すぐ「会ってみたい」「もっと知りたい」「生身の人間が見てみたい」みたいな話になるのだろう。

 こんな風に思ってしまう大人は、人付き合いが苦手な私だけなのだろうか。人間の肉体を重視しない私だけなのだろうか。

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才能と努力の話
2008.03.09 Sun 12:28 | NHK教育 | テレビ・ラジオ
 久しぶりに「一期一会 キミにききたい!」を見た。

 昨年専門学校を卒業し、都内の美容院に就職した美容師見習いの齋藤まゆみさん(21歳)は、自分には美容師の才能があると思っている。専門学校時代には、友人達との違いを肌で感じてきたし、人を見た瞬間に自然にイメージが頭の中に沸くという。一日も速く、自分の才能を表現したくて仕方がない。
 だが、美容院では掃除やシャンプーばかりの下積みの日々で、なかなかカットさせてもらえない。若いうちは誰もが下積みをしなければならないことに、とても疑問を感じているまゆみさんに、番組はマジシャンの南海子(なみこ)さん(24歳)を紹介した。南海子さんは、レストランやイベント会場でお客さんの目の前で見せるクロースアップマジックが専門の、プロのマジシャンだ。

 「才能のない自分には努力しかない」という南海子さんは、同期の友人からも「マジック教室で素人さんより覚えも悪くて不器用だった」とお墨付きをもらうほど。

今やってることも、もしかしたら自分で気づかない部分で学んでるかもしれないし。
土台がしっかりしないままできあがっちゃうと、空洞みたいなものができちゃうかも。
せっかくのセンスも、努力しないと思い浮かばないようになっちゃうんじゃないかな。
元からなかったものが生まれる訳じゃなくて、隠れていたものをどんどん掘り起こす感じ。

などという南海子さんの言葉に、それでもイマイチしっくりこない様子のまゆみさんだった。

まゆみ 「才能のない人ってどこかで限界がくると思うの」
なみこ 「才能だけでやってきた人も、どこかで行き詰ったり、限界がくるんじゃないかな」

と、初日の2人の話は平行線のままだった。

 私はどちらの言い分もとてもよくわかる。若い頃は、周りにチヤホヤされて、自分には才能が満ち溢れていると自負していた私。でも、それにあぐらを書いていたら、いつのまにか打たれ弱くなっていた。伸び悩んで、挫折したときに、回復不能になっていた。もっともっと、苦労して努力していたら、少しぐらいの失敗でへこたれるような人間にはなっていなかったのかもしれないと思うと、悔やまれる。

 次に2人が会ったのは、南海子さんの自宅だった。南海子さんの家には、部屋、トイレ、お風呂など、あらゆるところにトランプが置いてあった。トイレには練習メニューを貼っていて、できたら『正』の字を書いていくチェック表もあった。その数、一ヶ月で4800回。
 南海子さんは、1年半の努力を積み重ねてやっと最近できるようになった技『ホットショットカット』を見せてくれた。左手だけでカードの山を2つに分け、真ん中のカードを1枚だけ回転させながら右手に飛ばす技だった。
 やり方を教えてもらったまゆみさんは、できないのが悔しくて30分以上も黙々と練習していた。

なみこ 「実は超努力家なんじゃないの?」
まゆみ 「負けず嫌いなだけ・・・」

私も思った。彼女は本当は努力家なのだ。自分で努力を努力と思っていないだけなのではないかな。

 2人が次に会うまでに、5日間の日が開いた。その間、まゆみさんは悔しくて、ホットショットカットの練習を、仕事の休憩中にもやっていたという。5日後、まゆみさんのホットショットカットは、まだ飛ばせるまでにはいかなかったものの、片手でトランプを扱いながら1枚だけはじくことができるようになっていた。驚くべき上達振りだった。

最初は少しの束から始めてできるようになって、次に上の束を増やしていくとまたできなくなって、そんな風に練習をするうちに、今の自分に足りないものに気づいたの。

と、まゆみさんは語りはじめた。

 今の私はこれぐらいの小さな束しかない。なんでもできる。でも、ちょっとだけ知識を増やしてやった場合は、またできなくなったり。何でかなって考えて、練習してみてやればできるんだなって。成長していく中でも、ちょっとだけ技術が増えるとそれを完璧にこなさないといけないし、そこで練習しないといけないし、努力もしないといけないし。そのくりかえしなんだ、人生ってって思ったの。
 そうしたら、仕事に対する熱意が変わった。自分が入ったシャンプーもマッサージも、絶対次に自分が指名してもらえるように、ぐらい一生懸命がんばった。これって気持ちの変化なのかな。

南海子さんも「練習してきてくれてびっくりした。」と驚きながらも嬉しそうだった。

 とにかく2人に共通していることがあった。それはやりたい事がある。夢がある。希望がある。それが、才能よりも努力よりも、なによりモチベーションになっているのだと思った。
 あぁ、若いっていいなあ。

外国人にはじめまして
 朝、「課外授業~ようこそ先輩~」を見た。今日の先生は、作家の戸井十月さんで「近所の外国人に「はじめまして!」」という授業であった。戸井さんは、オートバイで世界中を旅し、これまでに訪れた国は50カ国以上。その土地の空気や匂い、そして人々とのふれあいを感じてきた。

 戸井さんが生まれ育った新宿区大久保界隈は、15年ほど前から外国人が増え始め、韓国、中国、タイ、ミャンマーなどの外国人が、今では住民の3割以上にもなる多国籍タウンである。わざわざ遠くまで出かけなくても、世界の縮図みたいな風景がころがっている、と戸井さんは言う。そこで、子供達に、『この町に住む外国人と友達になる』という提案を持ちかけたのだ。

 この世界っていうのは、いろんな価値観を持った人たちが住んでいて、あるところでは衝突したりいがみあったり、今でも戦争したり殺しあったりしてるところがたくさんありますけども、一番根底にあるのは、相手のことを知らないって事。知らないから殺したりできちゃう。
 相手の顔とか名前とか、その子には家族が何人いるとかお父さんなにしてるとか、そういうことを知ってる人をなかなか殺したりできないでしょう。顔も知らない名前も知らないから、平気で爆弾落としたりできる。少し極端かもしれないけれど、何も知らないって事が一番こわいことだし恥ずべきことなんだよね。


 戸井さんは、南米大陸一周に挑んでいた18年前、アンデス山脈で車のタイヤが外れそうになり、立ち往生してしまった時のことを、「それでも世界は美しい」という本の中に書いている。

 気温は零下。いよいよ死の危険を感じたとき、自動車修理工のある親子と出会った。
 乗ってきた車はさびた鉄の箱のようだし、薄っぺらなナイロンのジャンパーを着た親子は、痩せていて風に飛ばされてしまいそうに心もとない。

本当に心細く情けない親子で、「もうこりゃもうだめだな、この人たちが来ても結局なにもできないだろうな」と思っていた戸井さんだった。ところがその親子は、空き缶などありあわせの廃材を使って、見事にタイヤを直してくれたのだそうだ。風に飛ばされそうな親子が、その時ほどたくましく心強く思えたことはなかった。
 出会った人を少しでも知れば、些細な偏見を打ち破られる。数々の出会いを通して戸井さんは、知ることの大切さを思い知らされてきたのだ。そしてそれを、子供達にも味わってもらいたかったのだ。

 ところが、子供達は町に住む外国人を、「怖い」、「危ない」と思っている。わからないでもない。言葉も文化もしぐさも表情も違う外国人。怪しげとしかいいようのない人もいる。子供達は、『写真を撮ってくること』という課題だけをかろうじてこなし、ほとんど何も話さずに帰ってきていた。
 そこで戸井さんは、もう一歩踏み込めるように、『あなたにとって大切なものを見せてください』と言ってみるという課題を出した。結果はどうだったか?それは番組を見てのお楽しみ。再放送を見てください。(書くのが面倒になったわけではない・・・はず。)

 最後に、戸井さんがこんな事を言っていた。

 今まで以上に、いろんな国のいろんな人たちと一緒に生きてくということが必要となってくるし、日本人は日本人だけ凝り固まっているっていう時代じゃなくなってくるからね。最初の一歩はちょっと勇気がいるけれど、それを踏み出して握手したり、一声かけて名前を聞いたりすれば、その後はなんとかなるもんだ。


 私ごとだが、私も初めて外国人と個人的に話したときの事を鮮明に覚えている。友人達とオーストラリアに行ったとき、ツアーの他の友達とも仲良くなり盛り上がってしまって、夜ボーリング場に行った。ボーリングの設備は日本と全く同じなので、特に問題なくボーリングをしていたのだが、突然ボールがひっかかってマシンが止まってしまった。ボタンを押しても係員が来ない。みんな英語に自信がなく困っていたので、私は「よし、私が行って来る!」と勇んでフロントに乗り込んだ。その時私はかなり酔っていた。私だって英語が話せる訳ではなかったのに、なぜかものすごくペラペラな気になっていた。
 フロントには2人の怖そうなオーストラリア人のおばさんがいた。私が身振り手振りで『エクスキューズミー!レーンナンバーセブン、ストップしたのね~。チェックプリーズ!』などと訴えていたら、『OK!』とすんなり英語は通じた。さらに『Are you Japanese? (日本人ですか?)』とおばさん。『イエース。』というと、おばさんは長崎と神戸に行ったことがあると、懐かしそうに話をしてくれた。『オーリアリー?(ほんとに?)』
 それからなんだか話は盛り上がって、本当は半分以上おばさんの話す内容がわからなかったのだが、それまで難しい顔をしていたおばさんも、最後には大笑いしていた。実は少し怖いなと思っていた夜の外国のボーリング場が、その事だけで居心地のよい楽しい場所になったのだった。

 私にもそんな活発な時代があった。今となっては、日本人ですら知らない人に声をかけるのが怖いだなんて、あの頃の私が聞いたら信じられないと言うだろう。
 最初の一歩はちょっとだけ勇気がいる。でも意外となんとかなるもんだ。そうだ。確かにそうだった。