fc2ブログ
なみだいろ
2008.03.13 Thu 15:30 | YUI | 音楽
 ぶっちゃけYUIさんの詞は、前向きすぎてイマイチ共感できないものが多かった。声や雰囲気と、詞が合わない気がしていたのだ。でもこの曲は、イイ。この人には、もっとこういう心に暗い葛藤がある歌を歌ってもらいたいと思うのは、私だけだろうか。

YUI 「Namidairo」

Namidairo-YUI(2008.12.27)
Uploaded by uzi2007

Namidairo Music & Lylic by YUI

嫌われているような 気がしてた 帰り道
見上げた部屋の灯り 今 どんな気持ちでいるのだろう?
ケンカになればすぐ謝る よわくて アナタハ ズルイヒト
なみだいろ 声が聞こえない夜は 困らせてしまうほど わがままになりたい
だいじょうぶ そう言ってみたけど そんなはずないでしょ・・・

水たまりに映る 哀しい顔 見慣れている
ムリ 言わないつもり わかってるから 苦しくなるの
優しくされると泣けてくる やっぱり アナタハ ズルイヒト
なみだいろ 声が聞こえない夜は 困らせてしまうほど わがままになりたい
だいじょうぶ そう言ってみたけど そんなはずないでしょ・・・

あなたの前じゃ 嘘つきよ 気づいてほしいと 思っているの
そんなに強いわけじゃないからね アタシ
涙こぼさない 決めていたのに 困らせてしまうよね? わがままになれない
だいじょうぶ? なんてまた訊くけど そんなはずないでしょ・・・


スポンサーサイト



掃除をさぼる理由
2008.03.13 Thu 10:34 | エッセイ | 小説・文学
 今日は午後から、配水管清掃の業者さんが家に来るというので、憂鬱である。一ヶ月前にお知らせの紙がきたときから憂鬱だったのだが、ここへきて憂鬱はピークに達した。

 私の唯一の安らぎの場所である家の中に、見知らぬ他人が入るのだ。しかも水周りと言ったら女の命。汚い水周りを他人に見られるのは、化粧をしていない素顔を見られるより恥ずかしい。でも私には、掃除をする気力がない。一ヶ月間、葛藤をくりかえしては見てみぬふりをしてきたこの日が、ついにやってきた。

 それにしても、私の世間体を気にする体質にもほどがある。彼にも言われた。「別に汚くたって誰もなんとも思わないよ。」水周りを一番汚している張本人に言われて無性に腹が立ったが、それ以前に、私の中の何かが「いやいや。きれいでなければ恥ずかしい。」と、彼の言葉を受け付けない。
 小さいころから、母親がよく言っていた。「トイレを見れば、その家の程度がわかる。」と。トイレをきれいにしているかしていないかで、その家の女性が掃除をきちんとしているかしていないかがわかるのだと言う。プロの主婦が言うのだから、間違いはないのだろう。そう思って育ってきた。

 とは言え私も、頭の中では、『世間体を保つために掃除をする』のはおかしい事だと、わかってはいる。そもそも掃除はなんのため?そんな自問自答を繰り返す。
 そういう時に、必ず思い出すのが、俳優の中尾彬さんの言葉だ。

俺は女房に、家でこそ化粧をしていろと言ってますよ。俺の前できれいでいろと。魚屋のオヤジに一番きれいな顔をみせてどうするんだ。

こんなような意味の事を言っておられた。奥さんは、女優の池波志乃さん。さぞかし艶っぽいご夫婦なのだろう。ドラマのような晩酌シーンが、実際に毎晩行われているのだろうか。

 これは極端な例だと思うが、正論なのである。順番がちがうだろうと。一番大切な場面で努力を怠って、つまらない”世間体”のためだけに全身全霊をささげる。普通に考えたらおかしな事なのだ。わかってはいる。わかってはいるがやめられない。
 じゃあ逆にスッピンで外を出歩いて、「あの奥さん、ほんと身なりに構わない人よね。眉毛ぐらい描けばいいのに。」と街の噂になってもいいんですか?という話になる。男性は「別に構わないよ。」と言うかもしれない。だが、女性はそうはいかないのだ。一体これは何なんだ。考えてもわからない。そんな事を考えている時間があったら掃除をしろと思うが、理由がわからなくて掃除もできない。

 今日唯一の救いは、業者さんがたぶん男性だということ。目の肥えた女性でなくてよかった。汚い水周りを女性に見せて、ニヤニヤされる事ほど嫌なことはない。
 ・・・と書いていたら、ああ、わかった。つまり、女の敵は女なのだ。お化粧だって、魚屋のおじさんにきれいな顔を見せたいわけではない。近所の奥さんたちに、変なところを見せたくないのだ。あわよくば、勝ちたいのだ。

 ということで、今日の掃除はホドホドでいいや。

無意識のサイン
2008.03.13 Thu 00:48 | ネット依存症 | 心と身体
 勇気を出して、元いた”居場所”のチャットルームに入ってみた。実はあれから3回目。その2回とも、誰も声をかけてくれなくて、寂しくなって落ちていた。でも今日は誰かが声をかけてくれるかも。「久しぶり!」と喜んでくれるかも。「よく帰ってきたね。」と出迎えてくれるかも。月日の経過は、私にそんな妄想を抱かせていた。

 だが、みんなが突然そんなに変わるはずもない。
 当然、誰もが無言で出入りする。あの人にいたっては、声をかけたら無言で落ちた。無言は、時には拒絶をあらわす。無言は、時には敵意をあらわす。

 「あいさつぐらいしましょうよ。」そう言い続けて何ヶ月になるだろう。ようやく気がついた。説明も弁解もないし、行動はそのままの意味なのではないか。意識的ではないにしても、動物として共通の無意識のサインなのではないか。つまり私、嫌われてるんだ。というか、ただの頭のおかしい人だと思われているのかもしれない。あまり関わりたくないのかもしれない。実際、ただの頭のおかしい人だから仕方ない。こればっかりは私が悪いのだから、みんなのことも責めようがない。

 先日のドキュメンタリーで、作家の小田実氏が晩年の病床で、『世界は世直しを必要としている。』と話されていた。けれども小田さん、いまどきの日本では、『世直し』なんてとても無理みたいだ。小さな人間は小さな人間でしかありえないとつくづく思う今日この頃。私は明らかに弱くてもろい。

 晩御飯は、炊いた御飯の上にレトルトのカレーをかけて食べた。砂を噛むようだった。吐き気がした。胃が痛かった。どうして、私ばかりが居場所を求めたがるのだろう。私ばかりが暖かい人間関係を求めたがるのだろう。