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またオンラインゲームの話で情けないことなのだが、私はその”たかがゲーム”内のある出来事で、死にたいと思うぐらいの絶望のどん底にまで落ち込んでしまった。
ほんとうに、他の人にとってはどうでもいい事だと思う。
ゲーム内のある”狩り”を、一緒にやる仲間を募集している人がいた。誰でもいいからと10人の仲間を募集しているようで、うちの彼が先にその仲間に入れてもらっていた。だが人数が足りないらしく、「なかなか集まらないから一緒に参加してよ。」と彼が言うので、私は、自分のキャラクターの職業とレベルを募集主にチャットした。
だがチャットに慣れていないのか、その募集主からはウンともスンとも返事がない。そうこうしているうちに、9人までメンバーが増えていたらしい。早く早くと彼は言う。そう言われても返事がないものは仕方がない。
そして3分ぐらい経過した頃、やっとその募集主から返事があった。「回復役を募集しているので、今回はお断りさせていただきます。」
しかもその後、その人は周囲に大声で叫びだした。「どなたか回復役@1名いらっしゃいませんか?」 さらに数分後には、彼いわくメンバー内の一人が回復役をやると言ったようで、募集主はこう叫んでいた。「職業は問いません。@1名募集!」
私は、その前後のモロモロと、放っておかれたその間の孤独感と、その人のチャットの作法と、いろんなことが重なって、まるで全人格を否定されたかのようなショックを受けてしまった。私は要らない子なんだ。私は役立たずなんだ。そう思って、とてもゲームを続けることができなくなってしまった。消えてしまいたいと思った。死にたいと思った。
本当は、私も回復役だってできる。その時、それを自分から言えばよかったのかもしれない。だが、そんな代替案を聞いてもくれないで、一方的に断られてしまった事がなおさらショックだった。
大げさだと思われるかもしれない。けれども、うつ病ってこんなものなのかもしれない。きっと私の存在自体が迷惑なんだ。誰も私の内面なんてみてくれないんだ。そういう風にしか物事を考えられない。私はあまりのショックに、すべてを閉ざしてしまった。彼と口をきくこともできなくなってしまった。
私がその時ぼんやりと思い出したのは、一休さんがボロの衣をまとってお寺に入ろうとしたら断られた話だった。次の日、高貴な僧衣で同じお寺に行き手厚く迎えられた一休さんが、「大切なのはこの僧衣のようだ。」と、僧衣を脱いで置いて帰ったという痛快な話。
今の私もボロの衣をまとった僧だ。でも高貴な僧衣を持っていない。出直す気力もない。黙っていれば誰かが気づいてくれると思って、ボロの衣の服を握り締めてひざを抱えてすわっていても、石を投げられ、存在を無視される、そんな人間だ。
だから、みんなが自分の私利私欲にあふれている世界は嫌なのだ。自分からアピールする事もできず、誰の役にもたたない私なんか、この世界から消えてしまえばいい。
ほんとうに、他の人にとってはどうでもいい事だと思う。
ゲーム内のある”狩り”を、一緒にやる仲間を募集している人がいた。誰でもいいからと10人の仲間を募集しているようで、うちの彼が先にその仲間に入れてもらっていた。だが人数が足りないらしく、「なかなか集まらないから一緒に参加してよ。」と彼が言うので、私は、自分のキャラクターの職業とレベルを募集主にチャットした。
だがチャットに慣れていないのか、その募集主からはウンともスンとも返事がない。そうこうしているうちに、9人までメンバーが増えていたらしい。早く早くと彼は言う。そう言われても返事がないものは仕方がない。
そして3分ぐらい経過した頃、やっとその募集主から返事があった。「回復役を募集しているので、今回はお断りさせていただきます。」
しかもその後、その人は周囲に大声で叫びだした。「どなたか回復役@1名いらっしゃいませんか?」 さらに数分後には、彼いわくメンバー内の一人が回復役をやると言ったようで、募集主はこう叫んでいた。「職業は問いません。@1名募集!」
私は、その前後のモロモロと、放っておかれたその間の孤独感と、その人のチャットの作法と、いろんなことが重なって、まるで全人格を否定されたかのようなショックを受けてしまった。私は要らない子なんだ。私は役立たずなんだ。そう思って、とてもゲームを続けることができなくなってしまった。消えてしまいたいと思った。死にたいと思った。
本当は、私も回復役だってできる。その時、それを自分から言えばよかったのかもしれない。だが、そんな代替案を聞いてもくれないで、一方的に断られてしまった事がなおさらショックだった。
大げさだと思われるかもしれない。けれども、うつ病ってこんなものなのかもしれない。きっと私の存在自体が迷惑なんだ。誰も私の内面なんてみてくれないんだ。そういう風にしか物事を考えられない。私はあまりのショックに、すべてを閉ざしてしまった。彼と口をきくこともできなくなってしまった。
私がその時ぼんやりと思い出したのは、一休さんがボロの衣をまとってお寺に入ろうとしたら断られた話だった。次の日、高貴な僧衣で同じお寺に行き手厚く迎えられた一休さんが、「大切なのはこの僧衣のようだ。」と、僧衣を脱いで置いて帰ったという痛快な話。
今の私もボロの衣をまとった僧だ。でも高貴な僧衣を持っていない。出直す気力もない。黙っていれば誰かが気づいてくれると思って、ボロの衣の服を握り締めてひざを抱えてすわっていても、石を投げられ、存在を無視される、そんな人間だ。
だから、みんなが自分の私利私欲にあふれている世界は嫌なのだ。自分からアピールする事もできず、誰の役にもたたない私なんか、この世界から消えてしまえばいい。
昨日見た「解体新ショー」は『痛み』と『かゆみ』に関する不思議を解体するものであった。どちらも、体の異常を脳が認知して起こる感覚であり、面白いことにその対策法も、最近では脳をどう制御するかという領域の研究が進んでいるらしい。もはや体の問題というよりは心の問題のような話であった。
私は昔、全身にひどいかゆみをともなった湿疹ができたことがあった。あまりのかゆさに気が狂いそうになり、そのうち体を傷つけ始めたことを覚えている。痛みならいくらでも我慢できる自信があったが、かゆみだけはどうしても我慢できなかったのだ。そんな心の意味もわかるような番組であった。
痛みについて
まず痛みはなぜ起こるのか。体の一部に刺激が加わると、その痛みは、抹消神経から中枢神経へと、神経伝達物質によって脳に伝えられる。
ところがその時、「いたいのいたいの、とんでけ~」とナデナデされると痛みが和らぐことがある。これにはきちんとした理由があり、臨床発達心理士の山口創先生によれば、それは『ゲート・コントロール』という理論なのだそうだ。ナデたりさすったりされると、その刺激は別の神経を通って脳に伝わる。すると脳はセロトニンという物質を放出する。セロトニンは、うつ病の私にはおなじみの脳内物質。ドーパミン(喜び、快楽)、ノルアドレナリン(恐れ、驚き)などの情報をコントロールして精神を安定させる作用があり、これが不足するとうつ病になるといわれている、私にとって非常に大切な物質だ。
このセロトニンには、末梢神経と中枢神経の間の門(ゲート)を閉じて、痛みの信号をブロックする働きがあるというのだ。それが『ゲート・コントロール』。したがって、痛みの周りを色々な方向から触ってなでることにより、痛みが飛んでいくのは本当の事なのだという。
もうひとつ、貴重な話を聞いた。リハビリテーションが専門の小山哲男先生は、脳科学の分野から痛みを取り除く研究を続けてきた。患者さんの中には、小さな刺激でも非常に痛がる人がいる。表現が大げさなだけなんじゃないかとも思われたが、どうやら本当に痛いらしい。
先生は、こうした”痛みの個人差”を知るべく、さまざまな強さの刺激(痛み)を被験者に与えて脳の反応を調べる実験をした。そのとき同時に、刺激の強さに応じたパターンの信号音を聞かせつづけた。すると、そうした体験を繰り返した被験者の脳は、実際には弱い刺激しか与えていなくても、強い刺激のパターンの音を聞いた時に強い痛みを感じる傾向が見られたという。
かゆみについて
まずかゆみはなぜ起こるのか。皮膚には『表皮』の下に『真皮』がある。かゆみの神経は、本来真皮の範囲にある。しかし表皮が水分を失ってかさかさになると、表皮から真皮にむかって神経成長因子が放出され、かゆみの神経が皮膚の表面まで伸びてきてしまう。そうすると、外からの刺激に対して敏感になるのだ。これがかゆみの原因だ。
しかし”掻く”ことは、すなわち皮膚にダメージを与える行為。なぜ人間はそんな事をするのだろう?実は”掻く”という動作は、専門家でさえよくわかっていないのだという。一番有力な説は、皮膚の寄生虫に対する防御機能、つまり寄生虫を肌から掻き出すという動作なのではないかという説だそうだ。なんだか生々しい。
生理科学の柿木隆介先生は、かゆみはかゆい場所の問題だけではないと、脳に注目したかゆみの研究を続けてきた。
被験者の右手首に弱い電流(かゆみ)を流して、脳の反応を調べる実験をした。電流をながすと、脳波が乱れて変化が大きくなる。このかゆみをおさめるには何が有効か、いろいろな対策で脳波を調べた結果、その脳波の揺れ幅は以下のように変化した。
実験では、さらに反対側の手に氷枕をあてていた。
刺激が体の色々なところに同時に与えられた場合、それを全部感じると脳がパニックを起こしてしまうので、こういうときにはすごく重要な刺激だけを感じるように調節する機構が脳にはあるのだそうだ。たとえば、骨折、虫刺され、虫歯、水虫、などが同時に発生したら、骨折の痛みしか感じないようになる、などの例が挙げられていた。
なるほど。脳は刺激に対するハードルを調節して上げることができるのだ。
悩みやストレスもそうなのかな。番組を見ていたらそんな事を思った。私には、今さしあたって大きな悩みがないから、小さなことをいつまでもクヨクヨ考えつぶしているような気がする。もっと深刻な、生命に関わる悩みでも起こったら、悩みに対するハードルがあがって、「生きる意味ってなに?」とかつまらない事は考えないのかもしれない。
若いうちの苦労は買ってでもしろ、ってことかな。まあ、病気が治ってからにしよう。そうやって今日も逃げる私であった。
私は昔、全身にひどいかゆみをともなった湿疹ができたことがあった。あまりのかゆさに気が狂いそうになり、そのうち体を傷つけ始めたことを覚えている。痛みならいくらでも我慢できる自信があったが、かゆみだけはどうしても我慢できなかったのだ。そんな心の意味もわかるような番組であった。
痛みについて
まず痛みはなぜ起こるのか。体の一部に刺激が加わると、その痛みは、抹消神経から中枢神経へと、神経伝達物質によって脳に伝えられる。
ところがその時、「いたいのいたいの、とんでけ~」とナデナデされると痛みが和らぐことがある。これにはきちんとした理由があり、臨床発達心理士の山口創先生によれば、それは『ゲート・コントロール』という理論なのだそうだ。ナデたりさすったりされると、その刺激は別の神経を通って脳に伝わる。すると脳はセロトニンという物質を放出する。セロトニンは、うつ病の私にはおなじみの脳内物質。ドーパミン(喜び、快楽)、ノルアドレナリン(恐れ、驚き)などの情報をコントロールして精神を安定させる作用があり、これが不足するとうつ病になるといわれている、私にとって非常に大切な物質だ。
このセロトニンには、末梢神経と中枢神経の間の門(ゲート)を閉じて、痛みの信号をブロックする働きがあるというのだ。それが『ゲート・コントロール』。したがって、痛みの周りを色々な方向から触ってなでることにより、痛みが飛んでいくのは本当の事なのだという。
もうひとつ、貴重な話を聞いた。リハビリテーションが専門の小山哲男先生は、脳科学の分野から痛みを取り除く研究を続けてきた。患者さんの中には、小さな刺激でも非常に痛がる人がいる。表現が大げさなだけなんじゃないかとも思われたが、どうやら本当に痛いらしい。
先生は、こうした”痛みの個人差”を知るべく、さまざまな強さの刺激(痛み)を被験者に与えて脳の反応を調べる実験をした。そのとき同時に、刺激の強さに応じたパターンの信号音を聞かせつづけた。すると、そうした体験を繰り返した被験者の脳は、実際には弱い刺激しか与えていなくても、強い刺激のパターンの音を聞いた時に強い痛みを感じる傾向が見られたという。
小山先生は、『痛み対策は、まず痛みを理解してあげること。』と言う。心の痛みも体の痛みもおんなじだ。心の痛みと体の痛みは、そんなに単純に分かれるものではない。ただ、思い込みが極端に強い場合には、ほんとに全身全霊をかけて、痛みのことを考えて受け止めることが必要になってくると思います。
痛がる人は、その痛みをわかってほしいとすごく思っている。今までは痛がるけど仕方ないと思われていたが、痛がるその人の心を治療する医療がやっと注目されてきました。
かゆみについて
まずかゆみはなぜ起こるのか。皮膚には『表皮』の下に『真皮』がある。かゆみの神経は、本来真皮の範囲にある。しかし表皮が水分を失ってかさかさになると、表皮から真皮にむかって神経成長因子が放出され、かゆみの神経が皮膚の表面まで伸びてきてしまう。そうすると、外からの刺激に対して敏感になるのだ。これがかゆみの原因だ。
しかし”掻く”ことは、すなわち皮膚にダメージを与える行為。なぜ人間はそんな事をするのだろう?実は”掻く”という動作は、専門家でさえよくわかっていないのだという。一番有力な説は、皮膚の寄生虫に対する防御機能、つまり寄生虫を肌から掻き出すという動作なのではないかという説だそうだ。なんだか生々しい。
生理科学の柿木隆介先生は、かゆみはかゆい場所の問題だけではないと、脳に注目したかゆみの研究を続けてきた。
被験者の右手首に弱い電流(かゆみ)を流して、脳の反応を調べる実験をした。電流をながすと、脳波が乱れて変化が大きくなる。このかゆみをおさめるには何が有効か、いろいろな対策で脳波を調べた結果、その脳波の揺れ幅は以下のように変化した。
- 何もしない状態 100%
- かゆいところの近くをゴシゴシこする 20%
- 冷たい氷枕をあてる 5%
実験では、さらに反対側の手に氷枕をあてていた。
- 反対側の手に冷たい氷枕をあてる 26%
刺激が体の色々なところに同時に与えられた場合、それを全部感じると脳がパニックを起こしてしまうので、こういうときにはすごく重要な刺激だけを感じるように調節する機構が脳にはあるのだそうだ。たとえば、骨折、虫刺され、虫歯、水虫、などが同時に発生したら、骨折の痛みしか感じないようになる、などの例が挙げられていた。
なるほど。脳は刺激に対するハードルを調節して上げることができるのだ。
悩みやストレスもそうなのかな。番組を見ていたらそんな事を思った。私には、今さしあたって大きな悩みがないから、小さなことをいつまでもクヨクヨ考えつぶしているような気がする。もっと深刻な、生命に関わる悩みでも起こったら、悩みに対するハードルがあがって、「生きる意味ってなに?」とかつまらない事は考えないのかもしれない。
若いうちの苦労は買ってでもしろ、ってことかな。まあ、病気が治ってからにしよう。そうやって今日も逃げる私であった。
ようやく、私のオンラインゲームへの精神的な依存は和らいできたように思う。諦めがつくまでに、半年ぐらいかかっただろうか。今となっては、冷たく突き放してくれたネト友たちにも、結果的には感謝をしなければいけないのかもしれない。本当に本当に苦しんだけれど、これでよかったのだ。きっとこれでよかったのだ。
最近は、彼と同じオンラインゲームで遊んでいる。キャラクターを作りこむこともなく、”私”が”彼”とリアルに『ただ同じゲームで遊んでいる』という感覚がわかってきた。
そして私たちは、とある大きなギルド(ユーザーで作る集団)に入れてもらった。別に出会いを求めていたわけではなく、見知らぬ人との交流を深めたかったわけでもない。そのゲームが、ギルドに所属することが必須のようなシステムであったためだ。ゲーム要素のひとつとして、利用してみただけだ。
そのギルドは、ゲーム内の男女比をそのままにほとんどのプレイヤーが男性なのだが、私は、チャットの様子や行動パターンで、実際に女性と思われるプレイヤーが3~4人いる事に気づいた。
オンラインゲームに常駐する女性は、自分でいうのも何なのだが、少々難のある人が多い。私が今までに出会った痛い女性プレイヤーのタイプは、大きく分けると以下の4つがあると思った。
そしてなんと、今所属しているギルドには、この4タイプの女性(?)プレイヤーがキッチリ1人ずついるのだ。困った。とても困った。例えば「姫タイプ」と「優等生タイプ」は、相性が最悪だ。お互いが全く違う種類の話をギルドチャットに垂れ流していて、今日などはあまりにも会話が交錯したチャット空間に、私は途方にくれて黙りこんでしまった。
そして、この戦いの場合、どちらかというと「姫タイプ」の方が弱いらしく、あまりみんなが相手をしてくれないと拗ねてゲームから出て行ってしまう。そして男性陣が心配する。反省する。あぁ、もう正直、こういう人間関係のいざこざには関わりあいたくない。
女性が複数そろわなければすごく居心地のいいギルドなのに、とても残念だ。たまたまタイプの違う女性同士が鉢合わせると、どうにもギクシャクした空気がながれる。非常に居心地が悪い。(チャットログを読まない私の彼は、全くその空気に気づいていないようだが。)
現実社会の人間関係の面倒くささから逃れようとゲームの世界に入っても、結局人と人のすること。何をしても同じような社会が作られてしまうことに変わりはないのだろうか。
もう私は、オンラインゲームにチャットとかいらない。簡単なコマンドで意思疎通ができればそれでいい。キャラクターも1つの顔、1つの性別でいい。個性とかいらない。いっそのこと、きもちわるい妖怪とかでいいんじゃないの?そうすれば、キャラクターに感情移入しすぎて期待することもないし、裏切られることもない。
ただ、オンラインゲームに真剣に「出会い」や「コミュニケーション」を求めている人もいるわけで、実は内心そういう人が結構多そうなわけで。ゲーム運営会社としても、そういうユーザーを取り込まないと経営が成り立たないわけで。まぁ、私みたいなのは少数派なのだろう。
※参考:オンラインゲームプレイヤーの属性データ
最近は、彼と同じオンラインゲームで遊んでいる。キャラクターを作りこむこともなく、”私”が”彼”とリアルに『ただ同じゲームで遊んでいる』という感覚がわかってきた。
そして私たちは、とある大きなギルド(ユーザーで作る集団)に入れてもらった。別に出会いを求めていたわけではなく、見知らぬ人との交流を深めたかったわけでもない。そのゲームが、ギルドに所属することが必須のようなシステムであったためだ。ゲーム要素のひとつとして、利用してみただけだ。
そのギルドは、ゲーム内の男女比をそのままにほとんどのプレイヤーが男性なのだが、私は、チャットの様子や行動パターンで、実際に女性と思われるプレイヤーが3~4人いる事に気づいた。
オンラインゲームに常駐する女性は、自分でいうのも何なのだが、少々難のある人が多い。私が今までに出会った痛い女性プレイヤーのタイプは、大きく分けると以下の4つがあると思った。
- 自分が中心になって男性プレイヤーにちやほやされたい「姫タイプ」
- すぐに落ち込んだり心配しすぎたり発想がネガティブな「メンヘルタイプ」
- ゲームに対して真面目で自慢が多く冗談の通じない「優等生タイプ」
- 広く浅く交友をもってフラフラしている「八方美人タイプ」
そしてなんと、今所属しているギルドには、この4タイプの女性(?)プレイヤーがキッチリ1人ずついるのだ。困った。とても困った。例えば「姫タイプ」と「優等生タイプ」は、相性が最悪だ。お互いが全く違う種類の話をギルドチャットに垂れ流していて、今日などはあまりにも会話が交錯したチャット空間に、私は途方にくれて黙りこんでしまった。
そして、この戦いの場合、どちらかというと「姫タイプ」の方が弱いらしく、あまりみんなが相手をしてくれないと拗ねてゲームから出て行ってしまう。そして男性陣が心配する。反省する。あぁ、もう正直、こういう人間関係のいざこざには関わりあいたくない。
女性が複数そろわなければすごく居心地のいいギルドなのに、とても残念だ。たまたまタイプの違う女性同士が鉢合わせると、どうにもギクシャクした空気がながれる。非常に居心地が悪い。(チャットログを読まない私の彼は、全くその空気に気づいていないようだが。)
現実社会の人間関係の面倒くささから逃れようとゲームの世界に入っても、結局人と人のすること。何をしても同じような社会が作られてしまうことに変わりはないのだろうか。
もう私は、オンラインゲームにチャットとかいらない。簡単なコマンドで意思疎通ができればそれでいい。キャラクターも1つの顔、1つの性別でいい。個性とかいらない。いっそのこと、きもちわるい妖怪とかでいいんじゃないの?そうすれば、キャラクターに感情移入しすぎて期待することもないし、裏切られることもない。
ただ、オンラインゲームに真剣に「出会い」や「コミュニケーション」を求めている人もいるわけで、実は内心そういう人が結構多そうなわけで。ゲーム運営会社としても、そういうユーザーを取り込まないと経営が成り立たないわけで。まぁ、私みたいなのは少数派なのだろう。
※参考:オンラインゲームプレイヤーの属性データ
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