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朝のニュース番組『とくダネ!』で、2012年春の完成予定の”新しい東京タワー”のネーミング候補が、6案出揃ったというニュースをやっていた。
その6案を聞いて、私はずっこけた。
昨年末、その開発プロジェクト『Rising East Project』は、タワーのネーミングを一般公募したらしい。応募総数18,606件の中から、有識者10名による『新タワー名称検討委員会』が候補を6案に絞ったという。
だが実際に上記6案の中でランキングに入っていたのは、「みらいタワー」がかろうじて11位。あとは全くの圏外なのだそうだ。一般公募の上位5位を見ると・・・・
じゃあこの公募はなんだったんだ!?という話になるが、そこには色々と大人の事情があると、番組では伝えていた。
例えば、「5.東京スカイタワー」は「スカイタワー西東京」と類似しているからダメ。「4.日本タワー」はスケールが多すぎるからだめ。「3.さくらタワー」は「ザ・プリンス さくらタワー東京」と類似しているからダメ。「2.新東京タワー」は、これまでの「東京タワー」と類似しているからダメ。
そして公募1位の「大江戸タワー」は、なんと老舗のお菓子屋さんが登録商標している名称なのだそうだ。そのお菓子屋さんは森八本舗さん。たまたま企業イメージに合うので、そういう名前の新商品を作ろうとして登録商標したそうだ。
インタビューを受けた社長さんは「うちが邪魔しちゃったんですかね。」と複雑そうな表情だった。
しかし。新しいタワーの名称なんて何十年も使うものだし、外国にも知れ渡るものだし、その辺は話し合うとかどうにかならなかったものか。別に森八本舗さんだって儲けようとしてやった訳じゃないのだから、全く交渉もしないで諦めるってどうなんだろう。もう少し真剣に決めてもらいたいものだと思った。
なお、新タワーのネーミングは4月1日(火)から5月30日(金)の2か月間投票を受け付け、6月上旬には正式名称が発表される予定だそうだ。『新タワーネーミング』のページから投票ができるようになるらしい。
その6案を聞いて、私はずっこけた。
な、なんだろう、このセンスのない名前たちは。街の人の声を聞いても「えーこの中から選ぶの?」という声が多いようだった。1.東京EDOタワー
2.東京スカイツリー
3.みらいタワー
4.ゆめみやぐら
5.ライジングイーストタワー
6.ライジングタワー
昨年末、その開発プロジェクト『Rising East Project』は、タワーのネーミングを一般公募したらしい。応募総数18,606件の中から、有識者10名による『新タワー名称検討委員会』が候補を6案に絞ったという。
だが実際に上記6案の中でランキングに入っていたのは、「みらいタワー」がかろうじて11位。あとは全くの圏外なのだそうだ。一般公募の上位5位を見ると・・・・
確かにどれもいい。簡単で覚えやすい言葉だ。1.大江戸タワー
2.新東京タワー
3.さくらタワー
4.日本タワー
5.東京スカイタワー
じゃあこの公募はなんだったんだ!?という話になるが、そこには色々と大人の事情があると、番組では伝えていた。
例えば、「5.東京スカイタワー」は「スカイタワー西東京」と類似しているからダメ。「4.日本タワー」はスケールが多すぎるからだめ。「3.さくらタワー」は「ザ・プリンス さくらタワー東京」と類似しているからダメ。「2.新東京タワー」は、これまでの「東京タワー」と類似しているからダメ。
そして公募1位の「大江戸タワー」は、なんと老舗のお菓子屋さんが登録商標している名称なのだそうだ。そのお菓子屋さんは森八本舗さん。たまたま企業イメージに合うので、そういう名前の新商品を作ろうとして登録商標したそうだ。
インタビューを受けた社長さんは「うちが邪魔しちゃったんですかね。」と複雑そうな表情だった。
しかし。新しいタワーの名称なんて何十年も使うものだし、外国にも知れ渡るものだし、その辺は話し合うとかどうにかならなかったものか。別に森八本舗さんだって儲けようとしてやった訳じゃないのだから、全く交渉もしないで諦めるってどうなんだろう。もう少し真剣に決めてもらいたいものだと思った。
なお、新タワーのネーミングは4月1日(火)から5月30日(金)の2か月間投票を受け付け、6月上旬には正式名称が発表される予定だそうだ。『新タワーネーミング』のページから投票ができるようになるらしい。
朝、猛烈な春風が吹き荒れていた。雨も降っていた。今日は電車で会社へ行くという彼を車で駅まで送った帰り道、FMから流れてきた言葉に脳が反応した。
あとで調べた事だが、この番組は東京FMの「SKY」という番組。私が聞いたのはパーソナリティの石川實さんが、番組の最後にコラム的に意見を述べているコーナーだった。
その後も、話は続いた。
今の時代は、みんなが敵を探している。敵となるものを探している。それは、みんなが同じ事をしているから。みんなが同じ事をしていれば安心できるから。だから、自立している人を見るとよってたかって攻撃する。それは自分達が自立できていないから。
でも気がつけば、その何もしていない大多数の力で、社会だけはおかしな方向へどんどん変わっていく。自分は何もしていないのに・・・・。誰のせいだ?誰のせいでもない。敵はどこだ。敵をさがせ。
聞きながら、その通りだなぁと思いながらも、じゃあどうすればいいんだろうと思った。なんでこんな世の中になっちゃったんだろうと思った。人口が増えすぎたのがいけないんじゃないの?などと、トンチンカンな事を考えたりもした。ぬぐってもぬぐってもぬぐいきれない無力感と空虚感。これは私のうつ病ウンヌンだけではなく、現代人が共通に持つ、なにか根本的な問題なのかもしれない。
家に着く頃、FMのコーナーも終わろうとしていた。
千万の敵は言い過ぎかもしれないが、たとえ周りが敵だらけでも、自分が信じる道は曲げずに突き進むような人間でありたい、という石川さんの意見であった。
本当にその通りなのだ。私も、そう強くありたいのだ。でも叩かれるのは怖い。大多数の力は怖い。それに負けない力は、どうやったら手に入れられるのだろうか。
自立・・・これもまた私の永遠のテーマだ。
たしかそんなような言葉だった。自分1人じゃどうせ何も変えられない。そんな無力感の方が、むしろ僕は心配な事だと思う。
あとで調べた事だが、この番組は東京FMの「SKY」という番組。私が聞いたのはパーソナリティの石川實さんが、番組の最後にコラム的に意見を述べているコーナーだった。
その後も、話は続いた。
今の時代は、みんなが敵を探している。敵となるものを探している。それは、みんなが同じ事をしているから。みんなが同じ事をしていれば安心できるから。だから、自立している人を見るとよってたかって攻撃する。それは自分達が自立できていないから。
でも気がつけば、その何もしていない大多数の力で、社会だけはおかしな方向へどんどん変わっていく。自分は何もしていないのに・・・・。誰のせいだ?誰のせいでもない。敵はどこだ。敵をさがせ。
聞きながら、その通りだなぁと思いながらも、じゃあどうすればいいんだろうと思った。なんでこんな世の中になっちゃったんだろうと思った。人口が増えすぎたのがいけないんじゃないの?などと、トンチンカンな事を考えたりもした。ぬぐってもぬぐってもぬぐいきれない無力感と空虚感。これは私のうつ病ウンヌンだけではなく、現代人が共通に持つ、なにか根本的な問題なのかもしれない。
家に着く頃、FMのコーナーも終わろうとしていた。
石川さんは、こんな言葉を引用していた。これは孔子が孟子に言った言葉だそうだ。現代語に訳すと、「自らを省みて、正しくないとわかれば、たとえ相手がとるにたらないものでも私は恐れる。しかし自らを省みて、正しいと思うのであれば、私は千万の敵であろうと恐れることはない。」となる。自ら反りみて縮からずんば、褐寛博といえども、吾惴れざらんや。自ら反りみて縮かれば、千万人といえども、吾往かん。 -孟子
千万の敵は言い過ぎかもしれないが、たとえ周りが敵だらけでも、自分が信じる道は曲げずに突き進むような人間でありたい、という石川さんの意見であった。
本当にその通りなのだ。私も、そう強くありたいのだ。でも叩かれるのは怖い。大多数の力は怖い。それに負けない力は、どうやったら手に入れられるのだろうか。
自立・・・これもまた私の永遠のテーマだ。
突然だが、こんな”伝説”を思い出した。むかし長嶋(茂雄)さんは、試合中に後ろに行ってイメージトレーニングの素振りをしたら、もう試合が終わったと思ってお風呂に入って帰っちゃったらしいんですよ。
「爆笑問題のニッポンの教養『スポ根なんていらない』」の回で、スポーツ心理学の高妻容一先生が言っていた”伝説”だ。
自分が思い込めば、作り話でも本当に体験したかのうように思えるといういい例だ。それほど人間の脳はだまされやすい。記憶なんて危ういものだ。
また、この前やはりテレビで知ったことだが、認知症ぎみの人は嘘をつくのが症状の1つだという。べつに人をだまそうと思っているわけではない。病気のせいで記憶が欠落してしまった部分を、無意識に脳が補間して話を作ってしまうのだそうだ。自分でも気づかない間に。
今、私が持っているさまざまな記憶。どれが本当で、どれが作り話なのかわからない。親に嘘をついて行った旅行なんて、写真もないし、嘘の記憶の方が大きすぎて、早くもどっちが本当の記憶なのかあいまいになっていたりする。それってすごく悲しい事だと思った。
そういう風に自覚していればまだいいが、つい昨日の出来事だって、自分ではちゃんと覚えているつもりなのに、それが本当に起こった事だという保証はどこにもない。他人の記憶だって当てにならないし、それを証明するものは何もない。
過去のできごと、すべてが嘘のように思えてきた。そんな不確かな過去にすがって泣いたり悔やんだりしていることが、とても無意味なことに思えてきた。
人間は、今、この目で見てこの手で触れるものだけを信じるしかないのかもしれない。そして、自らの力で切り開いてゆく未来を信じることしかできないのかもしれない。まあ、キレイごとだけど。
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