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ねむい
2008.03.22 Sat 23:09 | 日記 | 日記
眠い。この眠さは尋常ではない。
パソコンの前でバタっと倒れてしまって、おでこにキーボード型のあざができた。
今日はそれだけ。

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これまでの財産
 昨日も実家から電話があった。
 いまや、私はテレホンカウンセラーのようだ。”不定愁訴”気味の姉と、攻撃的”境界性人格障害”的な母とが、かわるがわる電話口に出てきて日々の不満をこぼす。私は「それは大変だったねぇ。」などと聞いているだけだ。本当は私が誰かにカウンセリングしてほしいぐらいの状態なのだが、話を聞いているうちに電話口の相手の心が落ち着いてくるのが手に取るようにわかると、不思議と私にまで心の平安がもたらされる事に気づいた。だから考えようによっては「そこまで話をしてくれてありがとう。」とも思え、そうすると、前ほど電話の着信音が嫌いではなくなった。

 母に「ぐりえちゃんはどうしてそんなに優しくなったの?ぐりえちゃんなら否定しないで話を聞いてくれるってみんな言ってるわ。」と言われた。そう。わかっているじゃないの。私がやっているのは、ただそれだけなのだ。なるべく相手の気持ちを理解しようとし、理解できなくてもとにかくオウム返しに返事をする。ただそれだけなのだ。
 しかも、たぶんこれは離れて暮らしているからできる事。毎日毎日顔を突き合わせて、顔色を伺っていたらできなかった事かもしれない。

 「私も病気になって、いろいろと学んだ事があってねぇ。」などとイッチョマエに答えてみたら、母は「その教えはどこから?ぐりえちゃんの師は誰?」と聞いてきた。
 ハタと考えた。私は別に専門的な勉強をしたわけでもないし、誰かの本を読んだわけでもない。家から出たわけでもない。情報は全部テレビかインターネットの受け売りである。だが、そうした氾濫する情報を自分の中に取り入れるようになってきたのは、このブログを書き始めてからかなあと思う。考えを偏らせて固めてしまっているのかもしれない。でも、ふと思ったことや気づいたことをその場で書きとめ、その記事に対して色々な方々からコメントをいただいたり、拍手をいただいたり、訪問をいただいたりしていくうちに、ぼんやりとした思いを少しずつ脳にとどめておく事ができるようになった。これらは、ブログを書いていなかったら、見過ごしていた事だと断言できる。
 それが、自然に行動に出るようになっているのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。
 
 何が正しいとか何がおかしいとか、いまだにこの世は分からない事だらけ。
 でも何も考えないで漫然と生きていくより、意味もわからないなりに「なんでなんで?」と疑問を持ちながら考えて生きていれば、いつかそれは少しは自分の心の財産になるのではないかなと、改めて思った。だからきっと、こうして家にこもって悩み続けていた5年余も、無駄ではなかった・・のだと信じたい。(まだ当分外に出れそうもないけど!)