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先日、”新しい東京タワー”のネーミングが変だという記事を書いたが、そもそもなぜ新たにタワーを建てなければいけなくなったのかを聞いて、ちょっと考えてしまった。
東京タワーは元々観光名所でもなんでもなく、ただの電波塔である。正式名称を『日本電波塔』といい、地上アナログ・デジタルテレビやFM放送のアンテナとして電波を出力しているアンテナの集まりである。
それが今や、周りを高層ビルがぐるっと取り囲むように林立し、テレビが受信できない地域ができるなど、いわゆる電波障害が起きてしまっているのだという。仕方なく、比較的見通しの明るい別の場所へ、別の電波塔を建てる必要がでてきたのだそうだ。
ちょっと待てと私は思った。その周りの高層ビル群は、『東京タワーを眼下に望む』などといううたい文句で設計され建築され販売されたのではないか。たまたまかもしれないが、少しも考えなかったら嘘になるだろう。
でも何度も言うが、東京タワーは電波塔なのだ。関東エリアの半径100km圏に電波を出力するアンテナなのだ。一般住民のためには、『東京タワーの周りには高層ビルは建ててはいけない』ぐらいの規制のほうが大切なことだったのではないかと、私は思う。
一部の人の景観という利益のために、迷惑をこうむる大多数の人たち。都心の高層ビル群は、今の社会を象徴するような身勝手さだ。
新しいタワーも、観光名所にとの期待が寄せられているらしいが、またその周りをグルっと高層ビルが取り囲んだらどうするのだろう。もっと高く、より高くと、第三第四のタワーが次々に建てられるのだろうか。
そんな事を考えていたら、想像が膨らみすぎて、富士山の周りにぐるっと1000m級のビルが林立する未来図を想像してしまった。あぁ気持ちが悪い。そんな日本はビルの重みで沈んでしまえばいい。
東京タワーは元々観光名所でもなんでもなく、ただの電波塔である。正式名称を『日本電波塔』といい、地上アナログ・デジタルテレビやFM放送のアンテナとして電波を出力しているアンテナの集まりである。
それが今や、周りを高層ビルがぐるっと取り囲むように林立し、テレビが受信できない地域ができるなど、いわゆる電波障害が起きてしまっているのだという。仕方なく、比較的見通しの明るい別の場所へ、別の電波塔を建てる必要がでてきたのだそうだ。
ちょっと待てと私は思った。その周りの高層ビル群は、『東京タワーを眼下に望む』などといううたい文句で設計され建築され販売されたのではないか。たまたまかもしれないが、少しも考えなかったら嘘になるだろう。
でも何度も言うが、東京タワーは電波塔なのだ。関東エリアの半径100km圏に電波を出力するアンテナなのだ。一般住民のためには、『東京タワーの周りには高層ビルは建ててはいけない』ぐらいの規制のほうが大切なことだったのではないかと、私は思う。
一部の人の景観という利益のために、迷惑をこうむる大多数の人たち。都心の高層ビル群は、今の社会を象徴するような身勝手さだ。
新しいタワーも、観光名所にとの期待が寄せられているらしいが、またその周りをグルっと高層ビルが取り囲んだらどうするのだろう。もっと高く、より高くと、第三第四のタワーが次々に建てられるのだろうか。
そんな事を考えていたら、想像が膨らみすぎて、富士山の周りにぐるっと1000m級のビルが林立する未来図を想像してしまった。あぁ気持ちが悪い。そんな日本はビルの重みで沈んでしまえばいい。
実は昨日、両親につれられてとあるホテルのレストランにお食事に行ってきた。
私にとっては外出は一大イベントである。バッチリお化粧をして、お洋服を選んで、どうにかこうにか自分を励ましながら外に出た。「あら!とても病気の人とは思えないじゃない?」と母からほめられたのだが、そう言われると複雑な心境だ。顔ではニコニコ笑いながらも、”誰もわかってくれない”という、いつも心の底に抱えている傷がチクチク痛む。
どうでもいい事だが、「お食事」「お化粧」「お洋服」・・・全部『お』がついている。『お』がつかないものは、つくものとは全然違う。「お」がつくことで、ちょっとコジャレタ感じになり、ランクが一段アップするのだ。本当にどうでもいい事だ。
そのレストランでは「とちぎフェア」をやっていた。「とちぎ和牛」を味わうという名目だったのだが、これでもかというほど「とちぎ」物産が出てくるこだわりようだった。食器はすべて「益子焼」。ネギは栃木産。デザートのいちごは「とちおとめ」。
仲のよかったネト友が栃木にチラホラいて、よく話は聞いていたものの、実際にはあまり馴染みのない「栃木」。しばらく会わなくなってからこんなところでまた出会うとは。
食事を堪能しておしゃべりをしていたら、ボーイさんからアンケートの紙を渡された。料理や値段や接客について色々と聞かれた最後に、「栃木にお持ちのイメージをお書きください」という項目があった。
家族は「日光」などと観光のイメージを書いていたが、私は「ネト友」のイメージが強くて何も思いつかない。うーんと考えていたら、突然『つぶやきシロー』の顔がドーンと頭に浮かんだ。浮かんだらもう、頭の中は『つぶやきシロー』でいっぱいになってしまった。困った。レストランの感想に、「つぶやきシロー」とか書くわけにはいかない。そして次にひねり出した答えが「海がない」。これも違う。そんな地理的な事を書いてどうする。というか、知っているようで何も知らなかった事に愕然とした。
結局「自然が多い」という、どこの土地にも当てはまるような無難なイメージを書いて帰ってきてしまった。なんとなく消化不良だった。
やっぱり『つぶやきシロー』にしておけばよかった。
私にとっては外出は一大イベントである。バッチリお化粧をして、お洋服を選んで、どうにかこうにか自分を励ましながら外に出た。「あら!とても病気の人とは思えないじゃない?」と母からほめられたのだが、そう言われると複雑な心境だ。顔ではニコニコ笑いながらも、”誰もわかってくれない”という、いつも心の底に抱えている傷がチクチク痛む。
どうでもいい事だが、「お食事」「お化粧」「お洋服」・・・全部『お』がついている。『お』がつかないものは、つくものとは全然違う。「お」がつくことで、ちょっとコジャレタ感じになり、ランクが一段アップするのだ。本当にどうでもいい事だ。
そのレストランでは「とちぎフェア」をやっていた。「とちぎ和牛」を味わうという名目だったのだが、これでもかというほど「とちぎ」物産が出てくるこだわりようだった。食器はすべて「益子焼」。ネギは栃木産。デザートのいちごは「とちおとめ」。
仲のよかったネト友が栃木にチラホラいて、よく話は聞いていたものの、実際にはあまり馴染みのない「栃木」。しばらく会わなくなってからこんなところでまた出会うとは。
食事を堪能しておしゃべりをしていたら、ボーイさんからアンケートの紙を渡された。料理や値段や接客について色々と聞かれた最後に、「栃木にお持ちのイメージをお書きください」という項目があった。
家族は「日光」などと観光のイメージを書いていたが、私は「ネト友」のイメージが強くて何も思いつかない。うーんと考えていたら、突然『つぶやきシロー』の顔がドーンと頭に浮かんだ。浮かんだらもう、頭の中は『つぶやきシロー』でいっぱいになってしまった。困った。レストランの感想に、「つぶやきシロー」とか書くわけにはいかない。そして次にひねり出した答えが「海がない」。これも違う。そんな地理的な事を書いてどうする。というか、知っているようで何も知らなかった事に愕然とした。
結局「自然が多い」という、どこの土地にも当てはまるような無難なイメージを書いて帰ってきてしまった。なんとなく消化不良だった。
やっぱり『つぶやきシロー』にしておけばよかった。
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