あまりにも日中眠いので、パキシルを減らしてもいいですか?と聞いたら、先生にダメと言われた。だから私は反論した。
などとブツブツ言っていたら、先生に諭された。もう私、病気ウンヌンじゃなくて、こういう性格の人になったみたいなんです。病気になって、いろいろ考えて考えて考えた結果、だんだん考えが固まってきたみたいなんです。まあ結論としては人生に絶望しているわけですが、そういう考え方もありなのではないかと。
え、ちょっと待って。その結論の部分は、個人の自由なのではないのか。たまにはそういう考えの人がいたっていいじゃないの。私は「普通の人は、そういう風には考えないんですか?これは病気なんですか?」と思わず聞いた。ぐりえさんが、元々どちらかというと内向的というか、内へ内へと考えが深く入っていく性格だということはよくわかります。それは悪いわけでもなんでもない。けれども、今のぐりえさんは、不安定になると”死にたい”とか、そういうところに結論がいってしまうのは非常にマズい訳で・・・
先生はうーんとうなりながら
そうなのだろうか。普通の人間は、人生に絶望して生きている意味はないという結論にはならないものなのだろうか。そこに思想の自由はないのだろうか。私は人間として、動物としておかしいのだろうか。普通の人は、境界がはっきりしているんですよね。空想とかファンタジーとかの世界で、そういう事を考える人はいるけれども、現実が現実としてしっかり認識できていればそれでいい。けれどもぐりえさんの場合は、それと現実とがあいまいになってしまっている。やはりこれは病気と捕らえるべきです。
最後に先生が言った。
私は、少し泣いた。ぐりえさんが、ひきこもっていようが、家事ができないでいようが、そういったことは一向に問題はないのです。そんな事はどうだっていい。それより、一番悲しい結果になる事だけは避けなければ。
- アウトサイダーアート
- 正式な美術教育を受けていない人の芸術。
舞台は、大阪にある「アトリエ・インカーブ」という障害者福祉施設だった。自閉症や知的障害など知的なハンディのある24人が、自宅から通いながら芸術作品の製作をしている。
ここでは施設利用者を”クライアント”または”アーティスト”と呼んでいて、『スタッフは筆の握り方も絵の具の溶き方も一切言わない』というルールがある。アトリエで過ごす時間に決まりはなく、アーティスト達は思い思いのスタイルで製作をしている。
施設長の今中博之さんは言う。
そんな今中さんご自身も、生まれつき体に障害がありながら、空間デザイナーとして数々の賞を受けてきた。だが、あるときふと気づいたそうだ。日本の言う”障害者アート”っていわれる部分っていうのは、どうしても社会参加を目的にされるんです。障害者の方が作るものはよくがんばったねって言うふうな作品。バザーで売られてゆく。それで生計立てられるすべも何もない。非常にもったいないお話なんですけども・・・。
そしてたどり着いたのが”アウトサイダーアート”というジャンルだったという。正式な美術教育を受けていない人、知的障害や精神疾患のある人の描き出す独創的な世界。その、常識や規制の概念にとらわれない作品は、欧米では60年前から評価されているそうだ。オリジナルって何なのかなってところにぶちあたりまして。オリジナルって、我々教育を受けた者には、なかなか作り出すことは難しいんではないかなって事に気づきましてね。
今中さんは、5年前に「アトリエ・インカーブ」を立ち上げた。以来、ニューヨークで年に一回開かれる"outsider art fair"には、「アトリエ・インカーブ」のコーナーが出来るほどの人気で、時には100万円単位の高値で取引され作品もあるという。
しかも、私が驚いたのは、「アトリエ・インカーブ」では、このように作品が売れた場合は個人の収入になることだ。今までの日本の福祉施設にないやり方だ。私は、これこそまさに障害者の自立支援のスタイルだと思った。
日本国内でも、ようやくアウトサイダーアートというジャンルが認知され始めてきたそうだ。サントリーミュージアム(天保山)で開かれた「アトリエ・インカーブ」の作品展示には、12日間で6000人を越える人が訪れ、美術の専門家たちのパネルディスカッションも行われた。今中さんはこう語る。
日本の美術業界というのが、今”クライアント”が”アーティスト”が作っているこういう作品を、色めがねなしにどう評価していくかっていうのは、逆に美術業界に対する問いっていうのができたと思います。
だがこうした盛り上がりの一方で、一部の福祉関係者からは、障害者を表舞台に出すことが”猿回しだ”と批判的な声も上がっているのが現実だという。
もちろん「アトリエ・インカーブ」にとって表に見える活動は全体のごく一部であり、大切なのはアトリエの日常だと今中さんは言う。
僕自身もスタッフにも言い聞かせているのは、8割~9割は日常の安全と、クライアントといかに笑いあえるかっていうのが僕らの仕事です。残りの1割2割で展覧会をしたり、マスコミの方にご協力をいただくっていうがあるんであって。
傷つきやすく、精神のコントロールが不安定な障害者と向き合うことは難しい。障害者に自立を促すことは難しい。でも今中さんらの活動は、確かに回答の1つだと思う。なによりも、施設に通う"クライアント"達の目が輝いていた。楽しいと言っていた。
同情や哀れみではなく、一人の人間として存在を認めてもらえること、そしてそれに伴う評価があって、初めて生きがいにつながるのだなあと思った。この点だけは、健常者も障害者も全く同じなのだと、改めて思った。
ニューヨークで特に評価がたかい”アーティスト”の寺尾勝広さん(48)、湯元光男さん(29)、新木友行さん(26)。この3人はいずれ日本を代表するアーティストと呼ばれるようになるかもしれない。覚えておこう。
私はうつ病になってから、とにかく物忘れが激しい。なんでもかんでもすぐに忘れてしまうので、病院の予約を入れたら、すぐにカレンダーに書き込むようにしている。そしてあとは、そのカレンダーだけを頼りに日々をすごしている。今週は病院に行く日だな・・・と何日も前から憂鬱になったりしながら、外に出る心の準備をしてすごしている。
ところがどういうわけか、今月は心療内科の予約日を書き忘れてしまっていたらしい。
診察券を取り出して、予約欄を見て驚いた。そこには3/5(水)と書いてあった。3週間も前の予約ではないか。心療内科には2週間に1回通っているので、前回から一ヶ月以上も行っていないことになる。
当然3/5は、予約をぶっちぎったわけだ。いったい私は何をしていたのだろう。思い返しても記憶がない。そもそも最後に病院に行った時の記憶がない。なぜカレンダーに予定を書き込まなかったのかも記憶がない。3/5の記憶がない。それから3週間の記憶がない。
漫然とすごしていた1ヶ月余。集中力がないと言われればそれまでなのだが、この事実は私をひどく落ち込ませた。無断で予約を休んだという罪悪感にもさいなまれた。次に先生に会ったら、何と説明すればいいのだろう。
忘れていたという事は、もう病気がよくなってきている証拠ともとれる。このまま病院に行かなくなって、「めでたくうつから生還しました!」と言ってもいいのかもしれない。でも、今のこの状態は、本当は薬で元気を保っている状態なのだ。断薬がむずかしい”パキシル”という薬を飲んでいる私は、薬剤依存症とまではいかないが、薬がないと生きていけない体なのである。
自分を責め続けても仕方がないので、今日、薬をもらいに病院に行ってこようと思う。