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2008.03.27 Thu 19:02 |
うつ病(鬱病)、メンタルヘルス |
心と身体
病院の帰り道、小川沿いを歩いてみたら、だいぶ桜が咲いていた。桜を見ていたら、自然と涙が出ていた。私は、昨年の今頃のことを思い出していた。
その頃の私は、失業保険をもらうために月一回ハローワークに通っていた。
早く社会に戻らなければと焦っていたのか、心療内科の先生に”働いてもいい”という診断書を書いてもらい、失業保険受給の手続きをした。だが、いざやってみると、隣町のハローワークに通うことすら大変だった。やはり私には仕事は無理なのかなと悩んでいた頃、ネト友から『桜がきれいに咲いてるよ』という話を聞いた。そんな小さなきっかけが私に外へ出る力を呼びおこし、期せずしてハローワーク近くにある桜並木を発見することにつながり、はしゃいで写真をパチパチ撮ったのだった。それがこの桜。
あの日はひどく感動して、mixiに書いたりネト友に見せたり・・・・少しの間だけでも楽しかった。
あれから1年、いったい私は何をしていたのだろう。何も変わっていない。みんなはそれぞれ、自分の道をしっかり歩んでいるのに、私だけが何一つ変わっていない。
ただ違うのは、私はあの頃から髪の毛を切っていない。ショートだった髪の毛も、おだんごにまとめられるほどまでに伸びた。そしてメガネを作った。昔の私を知っている人は、今の私とすれ違っても気がつかないだろう。中身は何も変わっていないのに、外見はすっかり変わっている。ここにいるこの人間は、一体誰なんだろう。
そんな事じゃない。私が思ったのはそんな事じゃない。
今日見た夕方の桜は、私を絶望の底へと叩き落した。なぜだかわからないが、「ごめんなさい。私と会わなければもっと幸せにやっていた全ての人々にごめんなさい。生きててごめんなさい。生まれてごめんなさい。生まれてしまったというこの罪を、私はどうやったら償えるのか。これ以上に、もっともっと苦しみ続けなければいけないのか。」そんな感情が一気に押し寄せた。あまりにキレイに咲く桜を見て、まるで社会の罪のすべてを一身に背負わなければいけないような感覚が私を支配したのだ。
日本人は”散りぎわの美学”を大切にしてきた人種だ。一番キレイな時にパッと散りゆく桜。夏のセミだってそう。準備期間にすべての力を注ぎ、それに比べてあまりに短いその結果発表だからこそ、それを知っているからこそ、いとおしく美しい。
それなのに私は、最も輝いていた時期をとうにすぎて、醜く汚らしく人に迷惑をかけて、それでもなお這いつくばって生きている。酸素を吸って二酸化炭素を吐き、電気をつけてエネルギーを無駄に消費し、三食昼寝付きの生活をダラダラと送っている。でも私がいくら泣いたところで、たとえ命をささげたところで、この罪は償いきれないほど大きい。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。やっぱり意味がわからない。

早く社会に戻らなければと焦っていたのか、心療内科の先生に”働いてもいい”という診断書を書いてもらい、失業保険受給の手続きをした。だが、いざやってみると、隣町のハローワークに通うことすら大変だった。やはり私には仕事は無理なのかなと悩んでいた頃、ネト友から『桜がきれいに咲いてるよ』という話を聞いた。そんな小さなきっかけが私に外へ出る力を呼びおこし、期せずしてハローワーク近くにある桜並木を発見することにつながり、はしゃいで写真をパチパチ撮ったのだった。それがこの桜。
あの日はひどく感動して、mixiに書いたりネト友に見せたり・・・・少しの間だけでも楽しかった。
あれから1年、いったい私は何をしていたのだろう。何も変わっていない。みんなはそれぞれ、自分の道をしっかり歩んでいるのに、私だけが何一つ変わっていない。
ただ違うのは、私はあの頃から髪の毛を切っていない。ショートだった髪の毛も、おだんごにまとめられるほどまでに伸びた。そしてメガネを作った。昔の私を知っている人は、今の私とすれ違っても気がつかないだろう。中身は何も変わっていないのに、外見はすっかり変わっている。ここにいるこの人間は、一体誰なんだろう。
そんな事じゃない。私が思ったのはそんな事じゃない。
今日見た夕方の桜は、私を絶望の底へと叩き落した。なぜだかわからないが、「ごめんなさい。私と会わなければもっと幸せにやっていた全ての人々にごめんなさい。生きててごめんなさい。生まれてごめんなさい。生まれてしまったというこの罪を、私はどうやったら償えるのか。これ以上に、もっともっと苦しみ続けなければいけないのか。」そんな感情が一気に押し寄せた。あまりにキレイに咲く桜を見て、まるで社会の罪のすべてを一身に背負わなければいけないような感覚が私を支配したのだ。
日本人は”散りぎわの美学”を大切にしてきた人種だ。一番キレイな時にパッと散りゆく桜。夏のセミだってそう。準備期間にすべての力を注ぎ、それに比べてあまりに短いその結果発表だからこそ、それを知っているからこそ、いとおしく美しい。
それなのに私は、最も輝いていた時期をとうにすぎて、醜く汚らしく人に迷惑をかけて、それでもなお這いつくばって生きている。酸素を吸って二酸化炭素を吐き、電気をつけてエネルギーを無駄に消費し、三食昼寝付きの生活をダラダラと送っている。でも私がいくら泣いたところで、たとえ命をささげたところで、この罪は償いきれないほど大きい。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。やっぱり意味がわからない。
最近、通り魔的な少年または青年の犯罪が増えている。このような特異な事件は連鎖するようで、何件か固まって発生したりする。そしてテレビではお約束のように、コメンテーターらが「心理が分からない」と首をひねり、色々と想像でものを言う。近隣住民や同級生の情報をかき集めて、家庭環境を調べあげ、必死に問題点を洗い出したりする
そして、こうした特異な殺人事件に必ず出てくる言葉が「精神鑑定」「心神耗弱」「心神喪失」だ。
ただ、殺人を犯すほどの人が、その瞬間、行為の是非の判断ができる状態だったとは思えない。行動を制御できる状態だったとは思えない。こうした”一時的な精神障害”は、どう判断すべきなのだろうか。
そして私は、こういった報道が、ますます精神障害を抱えている人への差別を呼ぶのではないかと、少し憂いを感じる。沖縄の嬉野が丘サマリヤ人病院の田崎琢二医師によれば、実は精神障害者が事件を起こす割合は遥かに少なくて、一般の人の3分の1というデータもある。だが世間の偏見は今も根強く、精神障害者と犯罪が安易に結び付けられてしまうことも少なくないという。
その一方で、JR岡山駅で起きた”ホーム突き落とし殺人事件”の被害者のお父上、仮谷要さん(70)が、インタビューに答えて非常に立派なコメントを出されていたその言葉に、私は強く胸を打たれた。
だが、これこそが本当の『赦し(ゆるし)』なのだ。本当の赦しを受けたとき、人は心から反省し謝罪するようになるのではないかと、キリスト教教育を受けてきた私は思うのである。是非このコメントが加害者の少年に伝わり、いつかその本当の気持ちが理解できるようになる日が来ることを望む。きれいごとと言われればそれまでだが、このお父上の発言に胸を打たれた人は、実際多かったことと思う。
とかく最近は、何か自分に不具合な事があると、やれ学校がわるいやれ国がわるい、責任をとれ謝罪しろ賠償しろ、などと叫び狂って裁判を起こす人々を見るが、あまり気持ちのいいものではない。確かに心中はお察し申し上げるのだが、どうなるものでもない状況では、与えられたありのままの現状を受け入れなければいけない時も来るのだと思う。
「もし私が見知らぬ人に殺されても、マスコミのテレビカメラに向かってぎゃーぎゃー叫ばないでね。」と彼には言ってあるが、どうなることやら。例えばもし私が被害者の遺族の立場になったのなら、自分もどうなるかはわからない。
「少年、無言で肩押す JR岡山駅の突き落とし殺害」 - 中日新聞 2008年3月27日 朝刊
※リンクはなくなる場合があります
そして、こうした特異な殺人事件に必ず出てくる言葉が「精神鑑定」「心神耗弱」「心神喪失」だ。
「心神耗弱」だと刑が減刑され、「心神喪失」だと無罪になる、と刑法で決められているらしい。心神耗弱(しんしんこうじゃく)
精神機能の障害により行為の是非を判断する能力や行動を制御する能力がいちじるしく減弱した状態
心神喪失(しんしんそうしつ)
精神機能の障害により行為の是非の判断や行動を制御することができない状態
(三省堂提供「デイリー 新語辞典」より)
ただ、殺人を犯すほどの人が、その瞬間、行為の是非の判断ができる状態だったとは思えない。行動を制御できる状態だったとは思えない。こうした”一時的な精神障害”は、どう判断すべきなのだろうか。
そして私は、こういった報道が、ますます精神障害を抱えている人への差別を呼ぶのではないかと、少し憂いを感じる。沖縄の嬉野が丘サマリヤ人病院の田崎琢二医師によれば、実は精神障害者が事件を起こす割合は遥かに少なくて、一般の人の3分の1というデータもある。だが世間の偏見は今も根強く、精神障害者と犯罪が安易に結び付けられてしまうことも少なくないという。
その一方で、JR岡山駅で起きた”ホーム突き落とし殺人事件”の被害者のお父上、仮谷要さん(70)が、インタビューに答えて非常に立派なコメントを出されていたその言葉に、私は強く胸を打たれた。
”罪を憎んで人を憎まず”という言葉があるが、ご子息を殺害されてなかなか言える言葉ではない。逮捕された少年への思いを尋ねられ「本当のことを言えば、はらわたが煮えくり返る思い」と憤る一方、「罪を償って、社会復帰したら世のためになる人になってほしい」とも。
「誰でもよかった」と供述した少年に、かけがえのない命を奪われた。要さんは「こんなことは、できれば息子が最後であってほしい」と声を詰まらせた。
(中日新聞より)
だが、これこそが本当の『赦し(ゆるし)』なのだ。本当の赦しを受けたとき、人は心から反省し謝罪するようになるのではないかと、キリスト教教育を受けてきた私は思うのである。是非このコメントが加害者の少年に伝わり、いつかその本当の気持ちが理解できるようになる日が来ることを望む。きれいごとと言われればそれまでだが、このお父上の発言に胸を打たれた人は、実際多かったことと思う。
とかく最近は、何か自分に不具合な事があると、やれ学校がわるいやれ国がわるい、責任をとれ謝罪しろ賠償しろ、などと叫び狂って裁判を起こす人々を見るが、あまり気持ちのいいものではない。確かに心中はお察し申し上げるのだが、どうなるものでもない状況では、与えられたありのままの現状を受け入れなければいけない時も来るのだと思う。
「もし私が見知らぬ人に殺されても、マスコミのテレビカメラに向かってぎゃーぎゃー叫ばないでね。」と彼には言ってあるが、どうなることやら。例えばもし私が被害者の遺族の立場になったのなら、自分もどうなるかはわからない。
「少年、無言で肩押す JR岡山駅の突き落とし殺害」 - 中日新聞 2008年3月27日 朝刊
※リンクはなくなる場合があります
フェレットは、ほとんどの時間を寝てすごす。1日20時間ぐらい寝ているかもしれない。その分、起きている時間は遊びの天才だ。特にうちのどんぐりちゃんはイタチのお友達がいないので、常に私を追いかけ回してウロウロしている寂しがりやさんだ。
そんなどんぐりちゃんの大好きな姿の1つ。
私が洗濯物を干そうとベランダに出ると、置いていかれたどんぐりちゃんは、ものすごく悲しそうな顔をして窓越しに私をジーっと見つめる。
こちらから「どんぐりちゃーん」なんて呼ぼうものなら、後ろ足で立ち上がって窓ガラスにへばりつくのが、またいじらしい。
洗濯物を干すのは、うつ病かつ花粉症の私にとってはとても辛い作業だ。でも、どんぐりちゃんのこの顔を見て心を紛らわせながら、私は1枚1枚一生懸命に干している。だから私は、どんぐりちゃんのこの行為を「お手伝い」と呼ぶ。
すべてを干し終わって部屋に入ると、「お手伝い」を終えたどんぐりちゃんがまた私の足元にまとわりついてくるので、ごほうびにおやつをあげる。フガフガと満足気におやつを食べるどんぐりちゃんを見ると、私も嬉しい。
ああ、彼はそのごほうびが欲しくて私にまとわりついているのかも知れないな。それでもいいや。
そんなどんぐりちゃんの大好きな姿の1つ。

こちらから「どんぐりちゃーん」なんて呼ぼうものなら、後ろ足で立ち上がって窓ガラスにへばりつくのが、またいじらしい。
洗濯物を干すのは、うつ病かつ花粉症の私にとってはとても辛い作業だ。でも、どんぐりちゃんのこの顔を見て心を紛らわせながら、私は1枚1枚一生懸命に干している。だから私は、どんぐりちゃんのこの行為を「お手伝い」と呼ぶ。
すべてを干し終わって部屋に入ると、「お手伝い」を終えたどんぐりちゃんがまた私の足元にまとわりついてくるので、ごほうびにおやつをあげる。フガフガと満足気におやつを食べるどんぐりちゃんを見ると、私も嬉しい。
ああ、彼はそのごほうびが欲しくて私にまとわりついているのかも知れないな。それでもいいや。
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