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ただいること
 昨日と今日とで、うつ病をわずらうネト友、数人とチャットをする機会があった。

 色々と話を聞けば聞くほど、うつ病って苦しい病気だなと思った。先に希望が持てず、勉強をすることも、働くこともできないのに、それでも生きて行かなければならないという現実。私なんて、ぬくぬくと彼の扶養家族に入ってペットのように暮らしているからお気楽なものだが、特に男性ともなるとその焦りたるや如何ばかりか。それを考えると、私の胸まで痛んだ。「私もうつ病なの。」とか言って知った顔をしているのが、申し訳ないような気さえした。

 大丈夫だよ、急がなくていいんだよ、今は貴重な経験をしているんだから無駄な時間なんかじゃないよ・・・必死にそんな話をしながらも、言ってて責任は誰が持つんだろうと思った。医師でもないし、社会福祉士でもない。恋人になってあげることも、生活をみてあげることもできない。なにが大丈夫なんだ。
 一人の人間として私に何ができるのか。限界を感じるのはすぐ先の事のような気がしつつ、それでも放っておくことのできない友のそばに、ただ”いること”だけが精一杯の気持ちだった。

 普通ってなんだろう。普通でいるってなんだろう。大多数の人がそうであることを「普通」というのだと思うが、普通である必要がどこにあるのか。
 弱い立場の人が泣かないような世の中に行きたい。強くなくても生きていられる世の中に。

 自然に涙が出た。

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人間関係の中で
2008.04.18 Fri 09:29 | エッセイ | 小説・文学
 周囲でいろいろなことがあって、ブログが書けない。
 時間的な事もそうだが、周りにいろいろあると、自分の事を考える心の余裕がなくなるようだ。

 いろいろあると言っても、外にも出ない私が現実の周りで起きていることと言ったら、フェレットの病気ぐらいなのだが、今はネットでできた友人たちの事が心配だ。
 ネットに依存している人の多くは、精神的な不安定さを抱えている。チャットではすごく明るくて元気そうに見えても、その心はもろくて傷つきやすい。だからこそ、ふざけたり、むちゃをやったり、そんな偽りの自分で殻を作ってガラスの心を覆い隠しているのだ。それが痛いほどわかるから、私はそんな友たちを放っておけない。

 だが、相談をうけたり、話をきいたり、そんな事がつづくと、だんだん自分が偉そうで傲慢な人間にも思えてくる。ふと気づくと、上から目線で人を見ているんじゃないかとか、そんな事を感じる瞬間もある。
 昔から、当事者たちから一歩引いて、客観的な冷めた目で人間関係をウォッチングするのが好きな少女だった。他人のことならいくらでも言える。いくらでも指摘できる。それが次第に、横からではなく、上からになってしまっているのではないか。

 自分の事は客観的に見れないくせに、偉そうな事なんて言えないはず。人の事を気にする前に、自分の人格形成が先じゃないかと思う。
 しかし、こういうお節介でどうしようもないところが、もはや”自分”そのものなのかもしれない。私はやはり、他人の中でしか自分を有効活用することができないのかもしれない。