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山口県光市の母子殺害事件で、被告の元少年に死刑判決が出た。
昨年6月26日に開かれた第2回公判での被告の供述に、首をかしげるというか、苦笑いしてしまった人も多いと思う。
ただ被告本人は、本当の本当はどういう思いなのかと不思議で仕方がない。供述のように思っていたとしても思っていなかったとしても、人を2人殺してしまったことに変わりはない。その事実は認識しているはずだ。その事について、今になって何か思うところはなかったのだろうか。
被告の生い立ちを知ると、確かにそれには同情せざるを得ない。被告の実母は、被告が中学1年のときに自殺している。ともに父親からの虐待を受けていた被告は、実母へ精神的に深く依存していたというだけに、その『見捨てられ感』たるや相当なものだったと想像できる。
被告が人としてこの世に生を受けながら、深い愛情を受けて生きることも知らず、多くの人に惜しまれながら死ぬことができないのだとしたら、あまりにも不幸だ。あまりにも孤独だ。
人としていかに生きるか。いかに死ぬか。彼の命が絶たれてしまう前に、彼がそのことについて考える時間が少しでも取れますように。そして他人の存在に気づくことができますように。憎まれても、嫌われても、自分の事を真剣に見ている人は確かにいたという事に気づくことができますように。
彼が、この世に生まれた意味を知り、まだ死にたくないと思い、せめて後悔という感情を知ってから人生を終えることができなければ、いくら彼が死刑になったとて被害者の魂は救われないだろう。
【光市母子殺害事件】「魔界転生」「ドラえもん」…不可解供述どう判断?(iza)
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昨年6月26日に開かれた第2回公判での被告の供述に、首をかしげるというか、苦笑いしてしまった人も多いと思う。
この”やりなおし裁判”は死刑廃止論者に利用されているだけだという批判もあったが、法律の事はよくわからないし、確固たる意見があるわけではないので、私はそれについてここで多くを述べるつもりはない。「山田風太郎の『魔界転生』という小説に死者がよみがえる復活の儀式が出ていたから、弥生さんが生き返ると思った」
「夕夏ちゃんの遺体を押し入れの天袋に入れたのは、ドラえもんの存在を信じていたから。押し入れに入れれば、ドラえもんが何とかしてくれると思った」
(izaより)
ただ被告本人は、本当の本当はどういう思いなのかと不思議で仕方がない。供述のように思っていたとしても思っていなかったとしても、人を2人殺してしまったことに変わりはない。その事実は認識しているはずだ。その事について、今になって何か思うところはなかったのだろうか。
被告の生い立ちを知ると、確かにそれには同情せざるを得ない。被告の実母は、被告が中学1年のときに自殺している。ともに父親からの虐待を受けていた被告は、実母へ精神的に深く依存していたというだけに、その『見捨てられ感』たるや相当なものだったと想像できる。
被告が人としてこの世に生を受けながら、深い愛情を受けて生きることも知らず、多くの人に惜しまれながら死ぬことができないのだとしたら、あまりにも不幸だ。あまりにも孤独だ。
人としていかに生きるか。いかに死ぬか。彼の命が絶たれてしまう前に、彼がそのことについて考える時間が少しでも取れますように。そして他人の存在に気づくことができますように。憎まれても、嫌われても、自分の事を真剣に見ている人は確かにいたという事に気づくことができますように。
彼が、この世に生まれた意味を知り、まだ死にたくないと思い、せめて後悔という感情を知ってから人生を終えることができなければ、いくら彼が死刑になったとて被害者の魂は救われないだろう。
【光市母子殺害事件】「魔界転生」「ドラえもん」…不可解供述どう判断?(iza)
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