バッサリ切るつもりだったのだが、もうロングに近い長さになっていてせっかくなので、なじみの担当さんと相談して長さは残すことにした。
カラーリングしてもらっている途中で少しだけ気持悪くなったり、後半は眠くなって意識朦朧となってしまったりしたが、出来上がって合わせ鏡で見せてもらったら、思ったよりもいい感じに仕上げてもらっていて嬉しくなった。
「なんだか、おしゃれになりました~」と思わず言ったあと、私は、あまりのアバウトな表現に自分で笑ってしまった。担当さんも笑っていた。「おしゃれって・・・久しぶりに聞いたような気がします(笑)」
頑張って行ってみてよかった。
昨年の11月に、同シリーズ2回目の「ネットカフェ難民 見えないホームレス急増の背景」を見て記事を書いたが、今回は生活困窮者の支援活動をしているNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の活動に焦点を当てていたように思う。
特に、今年3月に見た番組「ハートをつなごう(1)」で知った、「もやい」スタッフの冨樫匡孝さんの活動には、本当に頭が下がる思いだ。
冨樫さんは、18歳の若さでネットカフェ生活と公園での野宿などを1年間つづけたヤスジ君(仮名)や、父親のギャンブルなどが原因で貧しい家庭環境に育ち中学から引きこもっていたタケル君(仮名)など、若者の支援を続けていた。ともに生活をしたり、ともに勉強をしたりしながら、彼らと同じ目の高さに立って、明日について生き方について一生懸命話をしていた。
冨樫さんは言う。
なぜそこまでとことん付き合うのか。実は冨樫さんが、1年前は生活に追い詰められホームレス寸前だったのだそうだ。首を吊って自殺しようとしたが、紐が切れて死に切れなかったのだと言う。今とことん付き合うぐらいしか方法が思い浮かばないから、とことん付き合ってやってるけど、一人や二人ならとことん付き合うけど、何百人もいたらそんなの無理っすよ。だけどでも、そういう人たちに何か補ってあげないといけない。
じゃあ俺に補えるのか?どうやったら補えるのか?わかんないけど、補ってあげないとどうしようもない。スタートしない。その気持はわかる気がするから。
やはり人として一番つらいのは、疎外感なのだ。孤独感なのだ。それを知っている冨樫さんだけに、誰よりもその辛さをわかるから、少し余裕のできた今、何かせずにはいられないのだろう。もう他にどうしていいかわからなかった。やっぱり居場所がないって感じることがすごくキツかったですね。追い詰められる感じ。誰にも受け入れられてないっていう感じ。
けれどもヤスジ君は時々機嫌を悪くして、自分の事を叱る冨樫さんにかみついてこんな事をいう。
そんな事を言われても、冨樫さんはヤスジ君を見捨てない。文句もすべて受け止めて、静かに話を聞いていた。俺が生活できていようができてなかろうが、そんなのお前らの知ったこっちゃねえよって話ですよ。「もやい」は俺が思うに、人を救ったと勘違いしている偽善者。
人を支援するとはいったいどういうことなのか。
寄付金頼みで予算は限られ、メンバーのやる気だけで支えられているNPO法人だけに、「もやい」スタッフ同士の話し合いの場でも、『生活保護で支えた後さらにどこまでやればいいのか?』という議論では、いつも結論は出ないと言う。
けれども冨樫さんは、スタッフ相手にも熱く語る。
人を支援する事が自分の居場所だと、冨樫さんはこのごろそう感じているそうだ。何人の人を生活保護につなぎました、って言っても、それを実績として認めてくれる人ってあんまりいないでしょ?だからそうじゃなくて、もうちょっとこう元気になりましたよってところを見せるためには、もうちょっとやらないと元気になれないんじゃねえかなーっと、すごく感じている。
私も最近、”うつ”のネト友の相談にのったりしているうちに、あまりにも頼り頼られて、どこまで責任を持てるのかわからなくなり、悩んでいたりした。調子よく話をあわせたりしているうちに、これは偽善なのではないかと思うこともあった。
けれども、冨樫さんの毅然とした”できるだけ付き合う”という姿勢。そしてまた、そこに自分の居場所を見つけて逆に救われているようなところ。それを見て、私も『これでいいんじゃないかな?もう少しがんばろうかな?』という気持になれた気がした。
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中西麻耶さんは、陸上短距離の日本新記録を持つ、北京パラリンピック代表選手である。
「あなたは自分を強いと思いますか?」の質問に「はい!」と笑顔で答える中西さんは、もともとソフトテニスの選手だった。高校時代は九州大会で優勝しインターハイに出場するなど、テニス漬けの毎日を送っていた。が2年前、仕事中に鉄骨が足に落ちる事故に見舞われてしまう。
そのとき中西さんは、とにかく早くテニスに復帰する道を選択したのだという。右足ひざ下の切断も、担当医が、「足を切断して義足にしたほうが退院が早い。」と言うのを聞いて「切ってください。」と自分で決めたらしい。
退院後すぐに義足で復帰したテニスだったが、いくら大会で予選を勝ち進んでもなぜか代表に選ばれなかったため、中西さんは陸上への転向を決意。そしていきなり日本記録を塗り替えた。
「嫌だとおもったことはない?」との川嶋さんからの質問に、中西さんはこう答えた。
なんと強い女性だろうか。普通の健常者の人が『もう嫌だ』とか言ったら『こらーっ』て言うじゃない?でも私が『嫌だ』と言ったところで、8割方の人がたぶん『もうやめといていいんじゃない?』って言うじゃない?
障害を持ってるっていうところで、甘くなっちゃうし甘くされちゃうところがあるから、私はそれが嫌で。常に逃げ道と隣り合わせっていうか、常に保険があってやってるような感覚があるから、それに頼るぐらいなら走るだけ。逃げ道をつくらない。
また「前向きにいられる秘訣とか方法とか考えたりする?」の問いには
そういって笑う中西さん。足がもうないのになんで生きてるんだろう、っていうのはやっぱり考える。足がないのに生きるはめになったっていう事に、何かが意味あるはずだ、生きてることに何かがあるはずだ、みたいなものを探してたんだけど、探したところでないものはないから、もう認めちゃう。
とにかく自分の弱いところも、できないところも、できるところも、私は認めてるのね。
実は川嶋あいさんは、16歳で親を亡くし天涯孤独の身となった生い立ちを持っていた。そのせいかどうしても周りを気にして、「私って一人ぼっちだし、いていいのかな?」と思ってしまうのだという。挫折を味わっても頼りにするものもなく、弱音を吐けないのだと言う。
私はまさに川嶋さんのような考え方の人間だ。もっと悲観的かもしれない。弱さを人にさらけ出すことができない。他人に助けを求めるぐらいなら、死んだほうがましだと思う。川嶋さんよりずっとずっと恵まれている境遇にも関わらず、だ。それがひどく情けなく思えた。私はね、”弱さ”の中に”強がり”があるんだよね。人に吐き出してしまえば楽になるのは絶対あるって思うんだけど、言えないんだよね。どう思われてるんだろうって気になってるところがまだあるし。
私はね、麻耶ちゃんとは違って、たぶん一生『私は強いです』って言い切る時はないと思ってる。弱さがある方が、そこにやっぱり自分自身を感じるし、自分の人生を生きていく意味を感じたりして、弱さを埋めてくために歌を歌ったりライブやったり・・・
最終日、中西さんは川嶋さんにこう言っていた。
真っ直ぐな強さで挫折を吹き飛ばす中西さん、悩んだり迷ったりしながら挫折を乗り越えようとする川嶋さん。どちらの女性も強いと思った。2人とも結局は、自分の弱さを自分自身として認めているのだから。人生にハンディキャップがあったほうが、私は全然強くなれると思うから。そのハンディを越せない人にはハンディキャップはないと思うのね。越せる人には越せるだけのハンディキャップも背負ってくると思うし。
夕食も作っていないのに、帰宅した彼の足元にゴロゴロ寝転がって話をしたりしていると、ふと思い出すことがある。
私には3つ年上の姉がいる。私たちは2人とも同じキリスト教系の学校に通っていた。
その学校では、”道徳”の授業のかわりに”聖書”という授業が週一回あった。聖書の話を読み、そこから倫理や道徳を学ぶ授業だった。
聖書で有名な話の一つに、『マルタとマリヤ』という姉妹の話がある。
この話を知ったとき、姉は私に言ったのだ。一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言葉(みことば)に聞き入っていた。
ところが、マルタは接待のことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。私の手伝いをするように妹におっしゃってください」。
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良いほうを選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
(ルカによる福音書第10章38-42節)
私は、マリヤが自分のようだとは思わなかったが、姉からしてみれば、「お姉ちゃんなんだから」と言ってなんでも我慢させられている自分と、「まだ小さいから」といって甘やかされている私とを、常日頃からこのマルタとマリヤのように感じていたのであろう。これってうちの姉妹みたいだよね。ぐりえちゃんはいつもママのご機嫌ばっかりとって何にも手伝ってないのに、それでも怒られないの。ただ単にサボってるだけじゃない。ずるい。それなのに妹の方が良いなんて言うイエス様はひどい。
だが、うつ病になってから、細々とした事ができなくなった私は、今まさにマリヤのようだなぁと思う。病気という大義名分をふりかざして、体はほとんど動かさなくなった代わりに、人の話を聞くことだけは上手になった。というか、それしかできない。
私も、この『マルタとマリヤ』の話を最初によんだとき、姉マルタに同情した。多くのことに心を配って思いわずらいして何が悪いのか。それに気づいてもらえず、感謝もされず、逆に叱られるとは、あまりにも報われないではないか。
だからこそ、今マリヤのようになってしまっている自分が情けなく、キライだ。あのとき言われた「ただ単にサボってるだけじゃない!ずるい!」という姉の言葉が、心に去来する。
と同時に正直に言えば、このイエス様の言葉を利用して、今の自分の状態でも『これは良いことなんだ』と正当化しようとしている、自分の中のその狡猾さが、もっとキライだ。
現代社会と言うのは、女性が自由で生きやすい社会のように思われていますけれども、実は女性にとっては、非常に厳しい行きにくい社会という風に考えられます。
昨夜はその第一夜。『制御不能な私』と題して、摂食障害に陥った女性たちの話を特集していた。摂食障害とは、拒食症や過食症に代表される”依存症”の一種である。拒食症と過食症はまったく正反対の病気のように感じるが、実はどちらも心の葛藤が原因で起きる同じ病気なのである。近年、患者数は増加傾向にあり、その多くは10代~30代の女性であるという。
その中の一人、千葉に住むリエさん(26)は、中学1年のときから現在まで、14年間で14回もの入退院を繰り返し、今でも食べることを拒み続けているそうだ。
初めは軽い気持で始めたダイエットだったが、着実に減っていく体重と、そのことで得られる達成感。リエさんにとってはその喜びにかえられるものなどなく、途中から水を飲むのも怖くなるなど、もはやダイエットと呼べるものではなくなっていた。154cmで47kgあった体重が、ひどいときには27kgにまで落ち込んでしまったという。
当時を振り返ってリエさんは話す。
摂食障害は単にダイエットの延長ではなく、制御不能な心の病なのだ。人間関係とか上手じゃないので、仲のいい友達とかできなくて、結構孤立してたことが多かった。痩せていて小さくなっていれば、一人でいても目立たないし、学校ではとにかく存在したくなかった。いなくなりたかった。
小さい頃から自分がなかった。摂食障害が私。自分のアイデンティティ。
じゃあ、病気じゃなくなったら私はどうなっちゃうの?
私も”うつ”という心の病を経験してみて、とてもリエさんに共感する。病気だけが自分のアイデンティティという考え方。治りたくないと思う気持ち。症状の形は違えども、制御がきかなくなってしまう自分自身という意味では、心の病はみな共通している何かを持っているように思う。
本当の原因はなんなのだろう?どうしたらその辛さが和らぐのだろう。
NPO法人『タンポポの会』の代表であり、カウンセラーであり、自らの長女も摂食障害に苦しんだ経験を持つ麻生洋子さんは言う。
それは長女の、命がけのメッセージだったのだ。(『娘の拒食症をこうして治した!食べられないという事がわからなくて、勝手に自分で食べなくしてるんじゃないか?私への嫌がらせで食べないんじゃないか?と思ってたんで、食べさえすれば治るって思ってました。
けれども入院先のカウンセラーに指摘されて、それはとんでもない間違いだと気づかされました。
3つ下の弟がいたのですが、弟がやんちゃで、いつも弟の方に目がいっていました。本当は甘えたくてしょうがなかった。お母さんこっち見てと言うメッセージを拒食症という形で表していたのです。
第一夜はこんな言葉で締めくくられていた。
摂食障害を理解することが、彼女たちを救う唯一の手立てなのかもしれない。