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最後の生存者
2008.05.06 Tue 06:46 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 5月4日に放送していた「NNN ドキュメント'08」『最後の生存者 JR脱線事故 旅立ちの春』を見た。

 3年前の4月25日、107人が犠牲になった”JR福知山線脱線衝突事故”。事故発生から22時間後に救出され、最後の生存者となった林浩輝さん(22)が、事故で失ったものと向き合う3年間を追っていた。

 林さんは、折り重なった乗客の下敷きになりながら聞いた声を、淡々と語った。

 「おい運転手!どういうことやねん!」と運転手に呼びかける人もいれば、取り乱してしまって「痛い痛い痛い」としか叫ばない人もいましたし、「あー、もうだめなんじゃないかな」と独り言のようにおっしゃる人もいましたし。

そうか、最初は多くの人が生きていたんだ。そしてみなが死にゆく空間で、呼吸をともにしていたんだ。なんという地獄絵図。その精神状態は、想像にあまりある。

 発生から15時間、救出のメドはたたないまま、林さんの限界は近づいたという。救出前の段階から
点滴や酸素吸入をほどこす、”がれきの下の医療”を施していた中山伸一医師は、こう証言する。

 午前4時過ぎだったとは思うんですけども、弱音をはかれたときがあるんですね。”みなさん、お世話になりました”と。やはり精神的な葛藤の中で、これはだめかなと思われた瞬間があったんだと思うんですけども。

その時のことは、林さんもハッキリ覚えているそうだ。

 そのとき手を握ってくださった方は、”なに言ってんねん!絶対助け出してやるから!”と手をグッと強く握り出してくれて、強く握り返せみたいな感じで、すごい励ましてくれていたんです。

 そして22時間後の午前7時過ぎ・・・救出。その瞬間、林さんは意識を失った。2週間後、意識を取り戻した林さんを待っていたのは、すでに壊死していた両足の切断という、受け止められない現実だった。
 主治医の高松純平医師は、その頃の林さんの様子をこう振り返る。

 夜中とかに部屋に行ったりすると、すごく落ち込んで、泣いてる場面なんかもありましたけどね。ご両親に対して、せっかく五体満足で生んでくれたのに、自分のせいではないんだけれども、そうやって足を無くしてしまった、それが申し訳ないとは言ってましたね。

自分の将来を悲観してだとか、JRが憎いとかで泣いたのではないのか。

 林さんはこう話す。

 なんで自分がこういう目にあわなきゃいけないのか、そしてまた、僕がこうなってしまった姿を見て、家族をはじめとして周りの友達が悲しむ姿を見ること自体が、僕にとって、それはそれでまた辛いことでしたし。
 いっそのこと事故で電車の中で死んだほうが楽だっただろうなあ、であったり、すべてダメなほうに考えてしまいましたね。
 そういう辛そうにしてる自分自身を見て、悲しんでいる顔が見たくないから、そうさせないためにも、前を向いていかないといけないなっていう思いにもなれましたし。

私には、この気持ちの切り替えの方法がわからない。どうしたら、そんな前向きに考えるようになれるのか。それはやはり、あの地獄の22時間を乗り越えたという経験が、彼をそうさせているのだろうか。

 今年3月、友達と一緒に大学を卒業したいという念願がかなった林さんは、同級生と四国へ2泊3日の卒業旅行へ向かっていた。急な上り坂でもはしゃぎながらダッシュで車椅子を押してくれる、民宿の階段を笑いながらおんぶして上ってくれる、そんな気の置けない友人たち。
 林さんが、自分の存在が負担をかけていないか悩んだとき、友人は言ってくれたそうだ。

 誰にでもできないことはある。林は林だから。

そんな何気ない友人の一言が、林さんの支えになったそうだ。

 両足の切断という選択をせまられた父は言う。

 二者択一じゃなくて”切る”しかなかった。でもそれぐらいなら、浩輝だったら絶対に立ち直れる、絶対に大丈夫やっていう確信があったから、できたんやねぇ。
 その確信は何かって言うたら、やっぱりあの現場に閉じ込められて、22時間最後の生存者になるまで生き耐えたっていう事は、そんだけの根性あるから。足切断してでもやっぱり、生き残らせないけないと思った。

たしかに、林さんはしっかりした青年で、もともと精神力や生命力が強かったのかもしれない。だが、それだけではない、救助隊員、医師、両親、友人、多くの人に支えられてきたことは確かだ。そこで何を見て、何を感じてきたのか。
 いつも笑顔の林さんが、インタビューの話の合間に時折目を腫らしているのが、心の奥底にある深い傷はまだ癒えていないのだということを物語っていた。余計なお世話かもしれないが、あんまり一人で頑張りすぎないでと、テレビのこちらから祈った。

 だが前向きになるためのヒントを、また別の日のインタビューの中にすこし見たような気がした。

 (事故から3年やってきたことは)自信も当然そうなんですけど、すっごい積極的になりました。
 なんでやろ?いつ何があるかわからないから?思い立ったら悔いのないようにやっとかなあかんっていうのが、強いんでしょうねぇ。

つまり林さんは、命には限りがあるということを、あまりにも近く、現実のものとして知ったのではないだろうか。両足と引き換えに、1分1秒を大事に過ごすという能力を得たのではないだろうか。

 林さんは、”亡くなった人”と”生きている自分”、それを心に刻むため、事故現場には毎年訪れることを決めた。

 生かされた命だからこそ、その人たちの分までとは、そんな大それた事はよう言えないですけど。ほんとに自分自身がくだらないような、しょうもないものにしたくないですし、納得のいくような道を歩めたらいいなと思ってます。
 思ってますっていうか、そうするつもりです。

 今年の4月25日を、就職先の東京で迎えた林さん。その日は初めての給料日だった。林さんは、もらった初任給で、家族をお寿司屋さんに連れて行くつもりだそうだ。

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