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金切り声
2008.05.08 Thu 14:52 | アダルトチルドレン | 心と身体
 昨日のことだ。マンションのどこかから、女の人の金切り声が聞こえた気がした。私は咄嗟に体を硬くした。誰かがひどい夫婦喧嘩をしていると思ったのだ。だが耳をすますと、それは子供がはしゃいでいる嬌声にすぎなかった。

 どうして私は、誰かが喧嘩をしていると思ったのだろう。そのとき脳裏に浮かんだのは、小さい頃の思い出だった。そういえば私の母は、一ヶ月に一回は、ひどいヒステリーを起こす人だった。こめかみを震わせて全力で出す大声と、それでも感情がおさまらないときに投げるお皿、父を叩く掌。そして、その後1週間は続く家族無視。
 実家を出た今はすっかり忘れていたが、私は何十年もそんな母と付き合ってきたのだった。

 当時は、普通とは思わないまでも、多かれ少なかれどこの家の母親もそういうものなのだと思っていた。けれども今は、あのいつも母の顔色を伺ってオドオドしていた日々は、一体なんだったんだろうと思う。そして、昨日の叫び声を聞くまでは、その事をすっかり忘れていた。というか、忘れたかったために、記憶に蓋をしていたのかもしれない。

 そういえば、私がよく見る夢に、”人がものすごい喧嘩をしている夢”がある。夢の中での私は、おせっかいにも必ず仲裁に入る。道化に徹して、場を和ませようとする。そんな夢を見た日は、決まって寝起きが悪く、朝から身も心も疲れている。

 さっき、母から電話があった。フェレットの手術を心配してくれた優しい電話だった。そう、母はとても気が利いて優しい。何かのスイッチが入って豹変するまでは。

 母はゴールデンウィーク中、東京国立博物館で開かれている『平城遷都1300年記念「国宝 薬師寺展」』に行き、国宝の『日光・月光菩薩立像』を見てきたそうだ。薬師如来像には”病気平癒”のご利益があるからと、私にも行くようにすすめてくれた。”気分転換”はうつ病の治療にはならず、むしろ負担になるという事を何度も言っているのだが、母には理解できないらしい。

 こんな母のおすすめ話は、私にはどうしても「行きなさい!」という命令に聞こえてしまう。そして、言いつけを守れなかった私は、悪い子だから罰が当たるのではないかと思ってしまう。期待にそえなくてごめんなさいと思ってしまう。

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脾臓摘出手術
2008.05.08 Thu 12:38 | フェレット | ペット
SIMG_1502.jpg フェレットのどんぐりちゃんを、病院へ預けてきた。今日は、肥大した脾臓の摘出手術の日。なんでも先生によれば、脾臓摘出は簡単な手術なので、明後日には退院できるだろうとのこと。
 それでも、やはり不安だ。朝から大好物のおやつやバイトをたくさんあげ、追いかけっこをし、おもちゃで遊び、あわてて時間を取り戻そうとした私がむなしかった。いつもパソコンにかまけて遊んであげなかったことを、今さら後悔している。
 そろそろ手術が始まる頃。どうか無事に終わりますように・・・・

感情にふたをして
 以前も書いたが、私は最近オンラインゲームで、救助隊員さんと知り合った。救急救命士でもあるその彼とすこし話をしていると、現実の厳しさを思い知らされる。
 その彼は、惨事ストレスによるパニック障害をわずらっている。

 「助けを求める被害者、現場の光景がフラッシュバックする」「悲惨な夢を見続ける」・・・池田小事件や歌舞伎町ビル火災などで現場の救助にあたった消防、救急隊員が「惨事ストレス」とよばれる深刻な症状に見舞われていることが明らかになってきた。
 救えなかったという苦しみがストレスとなり、志気の低下、不眠、頭痛、放心状態など様々な症状を引き起こすと見られている。

クローズアップ現代2002年5月20日(月)バックナンバーより)


 なにかと人命救助に興味のある私が、「人の命を救う仕事なんてすごいね!」と心からほめても、「それはちがう。」とその人は言う。「本当に救わなければいけない命を救えたことなんて、一回だってないんだよ。」と言って落ち込む。それでもその人は、薬を飲みながら1日おきに過酷な労働現場へと向かう。

 私は、尊敬している人命救助最前線の人が、本当はそんな辛い気持ちを持ったまま仕事をしているという事実に驚いたし、悲しかった。てっきり、「俺たちはすごいんだぜ!」と誇りを胸に、意気揚々と働いているのかと思っていた。

 弱音を吐くことが許されない人命救助の現場では、自分の感情にすべてふたをしなければ、自分の精神がまいってしまうと聞く。(救命の優先順位より)
 また、これとは少し違うかもしれないが、以前やはりクローズアップ現代で知った、教育現場や医療現場など仕事上感情をコントロールしながら働かなければいけない”感情労働”という言葉も思い出す。感情労働の現場では、同僚同士がストレスのはけ口になってしまう実情もあるという。

 いま、なぜ人のために自らを犠牲にして働いている人たちが、そんなに苦しまなければならないのだろう?そういう人たちこそ、世の中から尊敬され賞賛されてしかるべきなのに、無責任に彼らを責め立てる人が多すぎる。自分の権利ばかりを主張する人が多すぎる。
 福祉的な公共サービスは、税金さえ払えば何でもかんでも受けて当然とでも思っているのだろうか。決してコンピューターがそういったサービスをしているわけではない。その最前線には、私たちと同じ生身の人間が、感情を殺して一生懸命働いているということを、もう一度考え直すべきなのではないかと思った。

 そして私はそんな立派な彼らに対して、何もしていないのに勝手にうつ病になった自分を、恥ずかしく思い、情けなく思う。