そのままフワフワと歩いていたら、信号が赤になった。私は電信柱に寄りかかりながら、死ぬことについて考えた。正確に言うと少し違う。すでに死んだ私が、この世に残した人たちの事を考えていた。フェレットのどんぐりちゃんの事を考えていた。
みんなは、私がいなくなったら、少しの間だけ寂しいかもしれない。少しの間だけ泣くかもしれない。けれども健康な人たちは、そのうちなんとか立ち直って、なんとか普通に生きていくのだろう。「生きたい。」そういう本能がある限り、なんとか生きていくのだろう。
こうやって『死』の事ばかりを当たり前に考える私は、やはり生き物として不完全なのだろう。
そう思って番組に応募してきたのは、就職活動の真っ最中の大学4年生、茅野良太君(21)。だが就職活動にいまひとつ気が入らない。会社人間になりたくない。就職しても自分らしく生きる方法ってなんだ?
というのも、小学4年生からドラムを始めた茅野君は、仲間とバンドを組み音楽に打ち込んでいるときが一番充実していると感じているからだ。その一方で、社会人になってからギターをまったく弾けなくなってしまった兄を見たりすると、就職すると会社人間になってしまい、仕事にしばられて好きな音楽を楽しむ時間が減るのではないかと、恐れているのだ。
そんな茅野君に、番組は、NTT西日本の営業マンであり、トライアスロンアジア選手権(U-23)で3年連続銅メダルに輝いた経歴をもつ、東野翔さん(23)を紹介した。東野さんは、今も仕事の傍ら社会人のアマチュア選手として、トライアスロンの大会に出場しているすごい人だ。
東野さんは、茅野君に自らの経験を語った。どっちつかずで就職活動も中途半端になったら結果も中途半端にもなるし、それは不本意だったので、とりあえず大学3年生のときのトライアスロンの成績で将来を決めようと、自分に区切りを作ったのだそうだ。東野さんが大学3年の目標に選んだのは、世界のトッププロがあつまるワールドカップへの参加だった。しかし初めて挑む世界大会で、世界のトップとの力の差を感じた東野さんは、サラリーマンの傍らトライアスロンを続ける道を選んだと言う。
そしてなぜ茅野くんが、そんなに就職を”タイムリミット”と考えるのか、逆に疑問を投げかけてきた。それに対して茅野君は答えた。トライアスロンというスタイルを継続しつつも、就職っていう仕事を基盤にして、その基盤なしでは何もはじまらないので、仕事をしてなおかつ自分の好きなトライアスロンを、ずっと死ぬまで生涯現役選手としてやっていきたいって選んだんです。
この返事を聞いて、昔の私みたいな子だなぁと思った。会社って、入ると人生の100%を会社に捧げなければいけないような風潮があるんじゃないかって感じちゃって。周りの目ていうんですかね。『働いてるんだからけしからん』みたいな事とかってのがあるとしたら、すごいそれが不安なんですよね。
私も入社式の前日、昼間の陽の光を全身に浴びながら、『あぁ平日の昼間外に出られるのは、これで最後なんだ・・・』と自分に言い聞かせたものだった。入社して半年続いた実習で疲れ果て、『私は会社の歯車になったのだから、感情なんて持っちゃだめだ。』と布団の中で泣いた。
何事もまじめに、極端なまでに完ぺき主義なのだ。きっと茅野君も、まじめなんだろうなと思った。
とういう東野さんのアドバイスも、どこか素直に受け入れられない様子だった。あくまで仕事をするのが本職。自分自身がいかに仕事に対して熱意をもってやっているか、そういうところやっぱり上司の方は見ているので、仕事を一生懸命やっていればとやかく言われる事はないんで。
負の要素がまったくなくて、全部プラスしかあの人の中にはなくて、あそこまで完璧な人間っているのかなって。それはすごく幸福なことだから、普通の人には真似できないかなって思ちゃいます。
だが、翌日東野さんの自転車と水泳トレーニングを、そしてその翌日はNTTの営業活動を、2日間にわたって行動をともにして見学させてもらった茅野君は、『仕事』に対してまったく違う印象を持った。
東野さんの顔が、アスリートとしてやってる時と営業マンとしてやってる時で変わらないなって、近くで見て思いました。2つとも同じ姿勢でやってらっしゃるなってすごく感じて。自分の中で、仕事はそれほど嫌なものじゃなくなりましたね。
今までは会社に入ってその中で仕事をするってことは、自分の個性を殺して会社のために奉仕する、暗いイメージしかなかった。でも、営業マンにもひとりひとり個性があって、働き方にも個性があるんだなって意外でした。こういう生き方をするのも自分の中でアリかなって思いました。
人生には、必ず判断を悩むときがやってくる。幼い頃は、誰かに決めてもらっていた道も、いつかは自分ひとりで決めなければならないときがやってくる。
茅野君が最後に笑いながら言っていた言葉が、その不安を物語っていた。
初めての大きな決断。がんばれ!俺はたぶん弱くて、後押しをして欲しかっただけなのかもしれない。背中をポーンと。
ナレーションが言う。
そうか、宇宙は黒いんだ。私は改めてそれに気がついた。「宇宙は黒い。」
私たちが見上げる空は水色に見える。けれどもそれは大気があるからで、本当の宇宙は果てしなく広く、光を反射するものがなにもないため、吸い込まれそうなほど真っ黒だ。本当に何もない「無」。
よく、人の心の中は宇宙のように広いという。けれども、私の心の中は、障害物がいっぱいで、それぞれから伸びた紐がこんがらがって、とてもまっすぐ進めない。
クレーターの凹凸以外は何もない月面を見て、真っ黒な宇宙を見て、すごくそこに行きたくなった。本当に何もないところへ行きたくなった。自由になりたかった。解放されたかった。自然に涙が出た。
だが次の瞬間、地球が見えた。

黒とグレーだけの世界に、毅然とした”色”を持つ地球。それは、画面に不釣合いなほどに美しくてまぶしくて、そして遠かった。私はこれ以上涙がでないように、なんとなく目を背けた。