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ペシミスト
 みんなが私をつかまえて、もっと前向きに考えろと言う。なんでそんな考え方しかできないんだと言う。勝手に決め付けるなと言う。

 ごめんなさい。上手にふるまえなくてごめんなさい。
 私にもわからない。どうやったら前向きになれるのかわからない。どうやったら柔軟な発想ができるのかわからない。とても苦しい。涙が止まらない。

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私の愛したゴリラ(後)
 「爆笑問題のニッポンの教養」は、『私の愛したゴリラ(後編)』で、先週にひきつづいて山極壽一教授(霊長類社会生態学)との対談であった。

 900万年前に共通の祖先から分かれたゴリラと人類。その遺伝子は98%同じである。たった2%の違いなのだが、ゴリラは密漁や病気でその数を減らしつつあり、現在その数5~10万。一方人類は、約60億あまりまで数を増やし、地球を支配する。

 人間は謎だらけ。人間を知るには人間だけを見ていちゃだめ。
 ゴリラと人間は多少の誤解はあるかもしれないよ?だけれども持っている五感の能力ってほとんど一緒だ。ほとんど同じ世界でやっている。ちょっとそれがズレているわけだ。そのズレっていうのが、まさに人間性なんですよ。

山極先生は30年余にわたってジャングルに通いつめ、ゴリラが築き上げた社会や文化を探りながら、同時に人間とは何かを考え続けている。

 この先ゴリラが人間のようになることはあるんですか?という爆笑問題の質問に、山極先生は「人間のようには絶対にならない。」と断言する。

 進化ってみんな誤解してるんだけど、キツネザルが一番原始的でだんだん人間に近づいてくるって言ったけど、キツネザルが何百万年たったら人間になるわけじゃない。祖先は一緒だけど、キツネザルはキツネザルの道を歩んでそっちに行っちゃったわけ。同じ地点には絶対に立てないのね。

確かにそれはそうだ。時間軸にそって進んできた分かれ道には、二度と戻れないし、やり直すこともできない。隣の道にジャンプすることもできない。

 しかも、困ったことに人類は、身体の進化とは別に、それよりはるかに速いスピードで技術の進化をとげてしまった。たとえば、山極先生がこんな話をしてくださった。

 人間だって、本来はこんな都会に住むような感覚をしてるわけじゃない。コンピューターでキーボードを打つ能力っていうのは、キーボードを打つために進化したわけじゃない。小さなものをつまんだり、木の上にある熟した果実をうまく探し当てて安全に食べるために、指先の能力が進化したに違いない。それが今は違う目的に使われている。
 それをやりすぎると、ちょっと精神的におかしくなったり、普段にはない疲労感を覚えたりする。それはすごい無理をしているからだ。

 では、それを癒すためには何を必要なのか。それはやはり過去に戻って、人間の身体がどういう風に作られたのか、どういう環境に適していたのか、考え直してみないと解決策は出てこないのだ、と先生は言う。

 確かにそうだなあと、漠然と思う。1日中考え事をしながらパソコンを操作している私は、頭や心に身体がついていかない事をしばしば感じているが、これは逆なのではないか。正しい生命体としては、本当は身体にあわせた社会生活を送らなければいけないのではないか。なぜ自分がここにいるのか、自分に適した環境とは何なのか、そのルーツから自分を考え直さなければいけないのではないかという気がしてきた。

 話を聞いていた、太田さんが言った。

 いつかね、こういう都市を絶滅させて自然に帰るっていうんじゃなくて、進化した到達点としてみんなが、「いいだろう、これで・・・」っていうそういう時をね、人間は求めているような気がするんだよね。

ああ、いいなあその考え方。最近の人類はみな、あまりの急速な進化に疲れているような気がする。もういいだろう、って誰か言ってくれないかなと思う。思っているだろうと思う。
 山極先生も指摘する。

 人間の世界ってすごい過剰なんだよね。早い者勝ちの世界なんだよ。だから、先に行った方が有利ですよっていうことが優先されている価値観を、みんなが共有しているわけだ。
 ゴリラってね、そういう価値観を持ってはいないんだよね、先がすべてではないんだよ。

ああ、よくゲーム業界でいう、いわゆる『先行厨』というヤツだ。他人よりちょっと先にやったからといって、何が偉いのかと思う。何が楽しいのかと思う。
 私は、ゴリラの”泰然自若”(山極先生談:落ち着いていて物事に動じないさま)とした”構え”をまぶしく思う。たぶん人間はみな、本当はそう生きたいという気持ちをどこかに持っているはずだとも思う。それは理屈抜きの”美”だと思う。

 人間が、生物として道をガラっと変えるときは、いつか来るのだろうか。みんなが「もうこれでいいじゃない?」って思うときが、早く来てほしい・・・。

ネットの闇
2008.05.21 Wed 10:30 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨日の「ガイアの夜明け」は『ネットの闇~有害サイトから家族を守れ』というテーマだった。

 いまやインターネットは、私たちの生活に欠かせないものであることは、誰もが認める事実である。しかしその一方で、闇サイト、学校裏サイト、出会い系サイト等々、インターネットや携帯電話サイトを悪用した事件が相次ぎ社会問題となっている。
 以前にも「ガリレオチャンネル」という番組で『大人が知らないモバイル文化』を見たが、最近の携帯サイトは若者をターゲットに携帯電話で見るように作られており、大人がこうしたサイトに気づかない。

 子供なら知らない人がいない、会員数が1,000万人をほこる携帯サイト「モバゲータウン」。100種類以上のゲームが無料で楽しめ、日記や掲示板を通じてネットでの交流が楽しめる。モバゲータウンでは、サービス開始当初から、出会いにつながる行為や出会い目的の書き込み等は一切禁止している。しかし、昨年11月、青森で女子高生が無職の男に絞殺されるという事件がおこった。2人はモバゲータウンを通じて知り合っていたと報道されている。
 
 モバゲーの運営会社DeNAの社長・南場智子さんは言う。

未成年の出会いの場であってはいけないと思う。それに関しては我々の姿勢はクリアだと思うのですが、ルールを守らないユーザーさんがいる。

DeNAでは、365日24時間体勢でチェックする『サイト不正監視センター』を、4月からはこれまでの4倍420人に増強し、日本最大規模の監視体制をしいた。
 しかしユーザーたちも”隠語”を使ってどうにかメールアドレスや電話番号を交換しようとしている。

わらわ=090(090のキー配置のひらがな)
英雄=au 
やわらか銀行=ソフトバンク

こうした、出会いにつながる可能性のある書き込みは次々と削除していくのだ。大人と子供、そして子供を利用しようとする悪い大人のいたちごっこのようだ。

 私はネット大国・韓国の事例を見て驚いた。売り上げが3年で10倍になったヒット商品『iHomeDoctor』。これを使えば、自宅にいる子供たちがパソコンをつけると親の携帯に通知がくる。親は家のパソコン画面をほぼリアルタイムで確認することができ、携帯からの遠隔操作によりパソコンを強制終了させることもできる。子供が使えるパソコンの時間を設定することも可能だ。
 子供たちは嘆く。

まったく統制だよ・・・
まるで映画の世界だよ・・・

 さらに韓国では、誹謗中傷の悪質な書き込みを苦にする自殺者の増加が社会問題化している。この対策として、韓国政府は昨年7月、大胆な政策を打ち出した。

本人確認制度
ネット接続時に氏名と住民登録番号の提示を義務化(年齢を問わず全国民が対象)

ああ、これ私がいた会社と同じである。なにもやましいことがなければ全く問題はないのだが、見知らぬ他人に常に行動を監視されているような居心地の悪さがどうにも納得できなかった。どこまでが表現の自由で、どこまでが規制化されるべきところなのだろうか。

 これに対して、日本のインターネット法規制は、まだまだ先になりそうだ。
 現在、自民党の高市早苗議員を中心に、国が有害性の基準を決定する法案が提出されているが、ネット大手5社(DeNA、ネットスター、マイクロソフト、ヤフー、楽天)はこれに真っ向から反対する。ごく一部で起こっている問題にたいして、ありとあらゆる関連事業者に規制がかけてしまうと、業界全体が萎縮して不況に陥ってしまう、というのが業界の言い分だ。

 しかし私は、子供たちのいじめや不登校などの問題に取り組んでいる組織『全国webカウンセリング協議会』の安川雅史さんが話しておられた、実際のネットを使ったいじめの例を聞いて、恐ろしくなった。

 「なりすましメール」というものがあるんです。みなさんのメールアドレスを勝手に使って、全然別な人にメールを送れるんです。この携帯のメールアドレスなんて使わなくていいんですよ。
 クラス全員のメールアドレスを一人の男の子が知っているんですね。その男の子がクラス全員のメールアドレスを使って、自分の気に食わない子に5分おきにメールを送ったんです。「キモイ」「ウザイ」「学校もうくんな」「死ね」みたいなことを5分おきに送ったんです。
 全部クラスメイトのメールアドレスです。本人は「ああ、俺もうクラス全員から嫌われているんだ。もう学校なんて行けないや。」ということになって不登校になった子がいます。

やり方が簡単にわかるだけに怖い。顔が見えないだけに怖い。こんな事をされて、「たかがネットだ!気にするな!」なんて一言ではすまないだろう。

 現実ではない気軽なネットの自由さを満喫している私でも、やはりなんらかの法規制が必要なのではないかと、初めて思った。