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この世はすべてお見通し
 昨夜の「爆笑問題のニッポンの教養」は、『この世はすべてお見通し?』というテーマで、社会シミュレーション学がご専門の出口弘教授を訪ねていた。

 出口先生は、シミュレーションは新しい”言語”だと、コミュニケーションのツールだと言う。

 なんとか社会を語る言葉を作っていきたい。数学ではなかなか語りきれない。シミュレーションっていうのはやっぱり新しい言葉なんですよね。その言葉を使っていろんな事を語れる時代になってきた。
 しかも単に絶対的な事実を語るオラクル(神託)みたいなものを下すものではないんですよね。人間もやっぱり脳内で議論して、明日どうやろうとか数年後どういうシナリオになるとか、必ず頭の中でシミュレーションやりますよね。そうやって予想して、それを言葉でお互いにやりとりする。
  当たる当たらない問題じゃないんですよ。可能性の全体像みたいなものを理解するもの。

 私も卒論の題名に”シミュレーション”が入っていたほどで、昔は複雑な数式を作り上げてシミュレーションにあけくれていた時代もあった。だがそれは非常に断片的なシミュレーションでしかなく、結局実用的ではなかったなと今では思う。出口先生のお話を聞いていたら、私には全体像を理解する考えが欠けていたのだろうなと思った。

 医者は医学的知識しかないし、都市の専門家は都市のことしかわからないし、役人は役人の事しかわからない。それを全部つなぎ合わせて、総合的な像を提供することによって、何が問題なのか何がボトルネックなのかを対話できるような場を作り上げる ──っていうのが僕はシミュレーションをもっている非常に大きな意味だと思うんです。
 結局、コミュニケーションの道具だと考えたいんですね。

 これに対して太田さんは、シミュレーションの作り出すイメージと、実際に生きている人たちの動きとのギャップについて、どこまで先生を信頼していいの?と疑問を投げかけた。
 先生は『その通り』とうなずきながらも、こう言った。

 そういう意味ではシミュレーションっていうのは、当然偽物っていう議論はあるわけですよ。その意味では、シミュレーションって基本的に信頼ならんのですよ。
 ただそれを言ったら、我々が使う言葉も頼ってはいけないんだけれども、言葉こそすべて。我々の脳の中で動く唯一の言語ですから、それはすべてなんですよね。

 確かにその通りである。あれをしたいからこう言おうとか、これを言ったらどうなるとか、私たち個人個人の脳内シミュレーションによる結果である”言葉”。他人のそれをどこまで信用できるのかは、その人の、いかに相手に伝わりやすいように見える形で示すことができるかという、”言葉”の組み合わせ能力にもよる。

 今は誰でもインターネットの上で、もし賛同さえ得られれば、資源まで集めて大きなプロジェクトができる時代になってきた。そういう世界でおもしろいゲームをやって、まさに”創発(そうはつ)”がボンボン起きるような場所が、そこにはある。
 だが、社会の中で新しい言葉を投げ込む責任はものすごく重いし、その言葉を社会が受容して使いこなせるようになった時には、これを信じてはいけないと、先生は言う。

 歴史上を見ても、理想どおりに社会が進めるかどうか、失敗してものすごく悲惨なケースになるか、それはまさに紙一重。それをどうやって判別していくかが、社会科学者の腕の見せ所なのである。
 と同時に、あちこちから降ってくるいちいち”言葉”に踊らされずに、それを理解し判断する目を、我々一般市民も身につけたいものだと思った。

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