横浜市健康福祉局障害福祉課から、郵便が来た。

 自立支援医療(精神通院医療)では、一定所得以上の「世帯」で受診者が「重度かつ継続」に該当する場合、現在、自立支援医療の支給対象(月額上限額2万円)としています。
 しかし、これは国が平成21年3月31日までの経過措置として定めたものであるため、平成21年4月1日以降は、一定所得以上の「世帯」の方は、全て、自立支援医療の対象外(原則、医療保険による3割負担)となります。

なんだかよくわからないが、彼が普通のサラリーマンでそこそこ収入があり、その扶養に入っている私は、現在1割負担の精神通院医療費が、来年の4月からは3割負担になりますよ、という通知らしい。

 ただでさえ高い抗うつ剤を飲んでいるのに、私は彼に対してますます肩身が狭くなる。来年の4月までに薬を飲まないですむようになるだろうか。うつ病で役に立たない私みたいな人間なんて、いなくなっちゃえばいいのに。申し訳なさでいっぱいだ。

2008.06.02 洗濯物
 洗濯物がたまっていた。
 今日から天気は下り坂だというのに、うっかりここまで洗濯物をためこんでいた私が悪い。それにしても、すごい量だった。重い体をひきずって、ベランダに洗濯物を干していたら、途中で気が遠くなりそうだった。干しても干しても洗濯物は減らない。むしろ増えているのではないかと思うほどだった。

 私は洗濯をするために生まれてきたのだろうかと考えたり、みんな毎日やっている事なのだからと言い聞かせたり、頭の中は変な思考の葛藤でいっぱいだった。いっそのことベランダから飛び降りてしまいたいぐらいだった。でも必死にこらえて一生懸命1枚1枚干した。泣きながら干した。たかが洗濯。されど洗濯。

 こんな感じで、私は”主婦”としての日常生活もままならない。

 昨日放送していた「課外授業〜ようこそ先輩〜」は、『バッテリー』で知られる作家のあさのあつこさんによる『わたしへのラブレター』という授業であった。

 あさのさんは、自分が中学生ぐらいのとき、コンプレックスの塊で自分のことがあまり好きではなかったそうだ。その時の惨めさや辛さを、未だにズルズルと引きずっているところがあり、だからずっと10代を小説に書いているのだと言う。そこで、今回の中学2年の生徒たちには、”自分が好きだよ”という思いをこめて自分へのラブレターを書いてもらおうというのだ。

 しかし初日、生徒たちの文章は硬い。他人の目をすごく意識して、自分の思いを出し切っていないようだ。『自分を表現しようとする時に、ちっちゃく閉じてゆくって、それはすごくわかります』、とあさのさんは言う。それが13歳のプライドなのだ。

 そこであさのさんは2日目の授業で、ラブレターの”書き出し”を変えてもらうことにした。

前略
○○○○さま
わたしはあなたがきらいです。
 :
でも(だけど)・・・すきです。
なぜなら・・・
 :

そしてなるべく一人になって自分の声をちゃんと聞いてみるように、生徒たちに指示した。

 あさのさんは話す。

 ”書く”っていう作業って、やっぱり自分の輪郭をはっきりさせる作業なんですね。どんな風に自分の事が好きなんだろうとか嫌いなんだろうとか、ってことで自分が何者なのか探る作業だし、さらに言えば、自分と社会とか世界とかとどうつながっていくかを確かめていく作業のような気がします。

 ”書く”という作業をしなければ、自分を嫌いとか好きとかっていうところを、ちょっとでも考えなかったと思うんですね。それによって生々しくなったというか。自分でもよくわからなかったものが、書くことでケバ立たせて糸口がみつかってくるみたいな。

確かにその通りだと思う。私も”書く”ことは大好きだし、それが自分の内面を明らかにしていく作業だと思っている。ここ最近では、このブログを”書く”ことで見えてきた自分というものもある。
 ただ、どうしても他人に見せる文章だと、中学2年の生徒たちのように、他人の目を意識してしまうところがある。良く見せてほめて貰おうとしたり、逆に悪く見せて自虐してみたり、弱く見せて同情をかおうとしたり、強く見せて頼ってもらおうとしたりする。

 あさのさんが、授業の最後に生徒たちに送ったメッセージを聞いて、はっとした。

 ”13歳”は二度と戻ってきません。いくら君たちが立派になってお金持ちになったとしても、二度と”13歳”には帰ってこれないんですね。それを忘れて欲しくないな。今、13歳のこの日を、どうか楽しんでもらいたい。

これは13歳に限らない。30を過ぎたって40を過ぎたって、今という日は二度と戻ってこないんだな。

 私は今の自分が大嫌いだ。存在自体も私の生きた証拠も、すべて消えてしまえばいいと思っている。けれどそれではあまりにも、自分がかわいそうな気がした。初めてそう思った。
 私も自分へのラブレターを書いてみようか。

前略
どんぐりえさま
私はあなたが嫌いです。


2008.06.03 レジ袋
SIMG_1575.jpgレジ袋が大好きなどんぐりちゃん。
嗅ぎなれないニオイがすると
どこからともなくやってくる。
SIMG_1571.jpg新しいレジ袋発見!!!
あまりの嬉しさに
「きゃー( ゚∇゚)」
と、声なき声をあげる。
SIMG_1574.jpgおそるおそるもぐってみよう。
わずかに後ろ足に力が入る。
SIMG_1576.jpgほーら引っかかって出られなくなった。
毎度のことなのに学習がない。

ズルズルとバックしているうちに
どんぐりちゃんの興奮は最高潮へ!
しばらくの間は身をよじって
クッククックと大騒ぎである。

いったい何がそんなに楽しいのか・・・
フェレットは謎が多い。

 昨日の「爆笑問題のニッポンの教養」は非常に興味深かった。「愛と幻想の価値論」というテーマで、同志社大学の橘木俊詔教授(経済学)と、”ものの価値”について語り合うものだった。

 全体的に、爆笑問題の太田さんは、私の意見を代弁してくれていたような気がした。話がバブル景気の話題になったとき、太田さんはこう言った。

 バブルっていうのは、僕は決していいものだと思えない。見失ってる感じがする。ただとにかく、人間が気に入らなかったんですね。バブルの頃に儲けてる人間が。
 バブルの頃に価値があると思われていたものに、僕は価値を見出せなかったってことですよね。

そして当然ヒルズ族の話にもなる。懐かしい”村上ファンド”村上世彰氏のVTRも流れた。

「たぶんムチャクチャ儲けましたよ!何が悪いんだろう、それが!儲けることが!」

この発言について橘木先生は笑いながら言う。

 あれは、思ってても言わなければよかった。日本人には清貧の思想がある。そういうことを信じてる人を逆なでしたんですよ。
 いや、(ものの価値に)お金と言う基準を持つ人がいてもいいじゃないですか。気概のない人ばっかり日本の社会にいると、日本の経済が沈没する可能性がありますよね。やっぱりガッツがあって、なんとか生存しようという人がいないとうまくいかないから、私はそういう人がいていいと思うんですよ。

だがすかさず太田さんは、「金じゃなくてその先を目指すべきじゃないの?」と反論し、これには橘木先生も「それはその通りですけどね。」と同意をした。

 近代経済学の父、アダム・スミスは、”価値”を水とダイヤモンドで考えたそうだ。

水ほど大切なものはないが、水では何も買えない。(使用価値)
ダイヤモンドは何にも使えないが、多くの物と交換できる。(交換価値)

人はときおり、その区別がつかなくなる。最近のお金亡者の中には、お金そのものに”使用価値”があると思っている人すらいるように思える。なにかがおかしい。

 アダム・スミスは『道徳感情論』という著作の中で、こうも言っているそうだ。

市場参加者のモラル(道徳倫理)がないと、市場原理はうまくいかない。

アダム・スミスが言いたかった”倫理”は、『法律に反することはやらないように。』という事だったそうだが、太田さんは、もう一歩踏み込んだ倫理観が欲しいと力説しはじめた。

 ちょっと足りないな。そこに倫理って言ったらね、生き様じゃないですか。
 画家だったとしますよ。紙と鉛筆が自分にとってはものすごい価値のあるもの。いい作品ができたとする。自分にとって価値は、この絵自体に移るんです。今度は絵の具を買って、価値は絵の具に移る。また絵を描く・・・っていうふうに、物の価値が本当にすごいスピードで変わっていく。
 じゃあ僕がピカソのようになって何億で売れるというときに、俺の中で一番価値のあるものってなんだろうと思うと、このオレの頭の中にある、絵の才能ですよ。金でもなんでもなくなっちゃう。
 そういう価値の移り変わりって、自分でしっかり意識しておかないと、その商売に夢中になっちゃって、ラクガキみたいなものを描いてどんどん売っていく。そうすると感動するものが描けたっていうことが本当の価値だったのに、金の価値になっちゃう。
 そこを見失うじゃないですか人間って。倫理っていうのはそこじゃないかと思う。

私はこの太田さんの力説に、拍手を送りたかった。きれいごとかもしれない。太田さんいわく”青臭い”かもしれない。けれども、本当に大切なものはお金では買えないんだよということを、ここまで純粋に主張する人がいることを嬉しく思ったのだ。

 ちなみに橘木先生がおっしゃるには、売った買ったとマネーゲームのようなことをしている人にも、お金以外の価値の基準があるという。

 そういう人たちは、成功したときの満足感、お金よりも、自分が『多くの株をいま売る』と決断したときの、自分のすばらしさに快感があるわけですよ。
 ギャンブルないしリスクをかける人生というのは、たとえ儲けたとしても、そのとき自分の論理は正しかったなと満足する人もいるわけです。それは価値として認める人もいてもいいわけですよ。

太田さんも言っていたが、自分は何をやろうとしてるのかわかっていれば、それでもいい。けれども、その自覚もなく、ただ儲かると聞いただけでやってくる人々ばかりの世の中になると、訳のわからないことになる。

 現に、このところの穀物価格の高騰などを見ると、ただの需要と供給によって決まる市場価格ではない、そら恐ろしいものを感じる。投資マネーが商品相場の高騰をよぶ要因になっているという現実。そしてそれによって直撃を受けるのは、決まって貧困層である。
 自分にとって本当に価値のあるものは一体何なのか?豊かで恵まれている社会に生きる今だからこそ、私たち先進国の人間一人一人が、もう一度考え直すべきなのではないかと思う。

 昨夜、体調が悪かった私は、不覚にもかなり早い時間に寝てしまった。
 そして夜中の12時半、ふと目を覚ますと・・・カウンターキッチンの上においてあったサンスベリア(虎の尾)の植木鉢が、倒れているではないか!株は床に叩きつけられ、あたり一面土まみれ。
 犯人はそう、うっかり放し飼いのままにしていたフェレットのどんぐりちゃんだった。そもそもフェレットは土が大好きな生き物である。

原産はヨーロッパで、もともとは草原で穴を掘ってネズミやウサギなどを捕って生活していた。欧米では狩りに使われたりしている。細いものを見ると入りたがるため、ブラシをつけて煙突掃除に使っていたとも言われる。
はてなダイヤリーより)

小さい頃さんざん土堀りをされたので、念には念をいれてどんぐりちゃんの決して届かない場所に植木鉢を移動してあったのだが。どこからよじ登ったのか、どんぐりちゃんはカウンターでサンスベリアを引き倒し、そこからキッチンへと悠々闊歩したようだった。

 泥遊びもしたことだし、今朝はどんぐりちゃんを手術後はじめてシャンプーしてみた。水場は好きなくせに相変わらず水は怖いようで、ジタバタしていたどんぐりちゃんだったが、シャンプーを終えたらこんなにきれいになった。

SIMG_1582.jpgふわふわモコモコの毛並みがよみがえった。
全体的に白くなった感じ。

SIMG_1581.jpgあまりの白さにまぶしくて光っちゃう!!
(嘘です。)