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ストレスの解決策
2008.06.30 Mon 01:47 | ストレス | 心と身体
 『人がストレスに押しつぶされる時』というタイトルに惹かれて「ライフライン」という番組を見た。見てみたら、キリスト教番組ということで若干怪しかったが、内容は本当に暖かいものだった。

 ゲストの藤掛明さん(臨床心理士)は、鑑別所や少年院の心理技官として非行カウンセリングを行ってきた経歴を持ち、絵を使った心理療法の研究もしておられる。(著書に『描画テスト・描画療法入門』など)

 絵を描いてもらってその人の精神的なコンディションやストレスの状況を探っていく手法は有名で、私もこれは知っている。その他にもう1つ”コラージュ療法”という、治療的そして教育的な療法を初めて耳にした。やり方は、台紙に雑誌の切り抜きを自由に貼ってもらい、自分のイメージを表現してもらうだけのシンプルなものだ。藤掛さんご自身も、月に1~2枚コラージュを作っていらっしゃるそうだ。
 そしてコラージュを作成したあとは、そのコラージュから自分の深いメッセージを感じ取っていく作業が”解釈”なのだそうだ。コラージュは自分の心を知るヒントであり、自分の姿を教えてもらうことができる。
 別にカウンセラーに見てもらわなくても、初心者同士が集まってお互いに素朴な感想を言い合うだけでも、いろんな連想が働いて発見があることで、効果があるという。

 私も試しに、適当にコラージュを作ってみた。

NEC_0205.jpg たまたま、写真で世界を知る雑誌『ナショナル ジオグラフィック』の別冊付録が手元にあったので、その中からピンと来た写真をジョキジョキと自由に切り取っていく。この作業そのものが、童心に返ったようで意外と楽しかった。

そこから何となくイメージを膨らませて、選んだ切抜きでできたコラージュがこれだ。

NEC_02062.jpg どういうイメージでこれを作ったかを説明しよう。
 どんよりとした厚い雲の下には、干からびて乾ききった大地が広がっている。その雲は、実は工場から出された煙だったというストーリー。そこに唯一、小さな小窓があいている。本当はその窓からなんとも愉快なアザラシの顔のぞかせたかったのだが、大きさがあわなかったので、大地の下でアザラシが押しつぶされて出られないでいる感じにしてみた。

 完成後、改めてこれを見た私の感想は、まず几帳面なA型らしく、あまりにもキッチリと縦横を合わせて貼り合わせているなという苦笑。そして、どうせ”私の心はこんなに乾いていて狭いです”とアピールしたいんだろう?という嘲笑。
 親切な方で、もしこのコラージュにお気づきの点があれば、ぜひコメントをいただきたい。

 さて、だいぶ横道にそれたが、番組は続く。とかく複雑になりがちな現代人の生活をシンプルにすることが、ストレスの解決策の1つだというお話をされていた藤掛さんが、”20対80の法則”というものを教えてくださった。これは、『大事なものを20%選んでやれば、効果においては全体の80%ぐらいをカバーしている』という法則である。つまりは、たくさんの物事をこなす事が大切なのではなくて、優先順位を冷静に判断することが大切だという意味だそうである。
 たとえば、1日に10個やるべきことがあったら、手のつけやすいものからやるのではなく、特に大事なものはどれかを考えて、大事なもの2個を集中してやる。極端な話、あとの8個はできなくてもいいのだと言う。
 また、シンプルになる上では、いざとなったらば休む事も、人に相談するのも必要だ。なかなかできないと本人は思っていて、立ち止まったら絶望が待っているという思い込みによるプレッシャーがあるが、実際に決断して実行してみると意外とそうはならない、むしろいい展開が待っているものだと、藤掛さんは教えてくださった。

 さらに、キリスト教番組らしく、内面的な話もしてくださった。
 ひとつは、自分の力ですべてを仕切ろうとしないこと。とかく私たちは、自分の努力や思惑で、あれをしようこれをしようと際限なく思いがちである。そうしてしまうと、息切れが起きたり、絶対に自分の思惑通りになんか事は進まないわけで、どんどんストレスがたまっていく。『自分の力に頼らなくてもいいよ』などと言われても、『でも自分の力を使わなければどうなんだ!』って話になってしまう。そういう意味では、実は信仰はきれいにバランスをとってくれる面があると藤掛さんは言う。
 『自分の力だけではないんだ』と思って生きていくのが信仰。神様はいないんだっていう無宗教の人であっても、運命のようなもの、自分の思惑や人智ではとても及びがつかないような人生の大きな流れみたいなものを、きちんと見て受け止めていくことが、ストレスの解決には大事なのだそうだ。

 ふたつめは、100%純粋に喜びだけの世界とか、希望ばかりの世界は存在しないと認めること。自分の中に悲しみがあってはいけないんだと思わないこと。悲しみがあるんだということをまず認めて、悲しみがあっても喜びの部分も同時に体験できるんだということを認めなければいけないと、藤掛さんは言う。

悲しみの中に希望を見出す生き方が、究極のストレス解決策だと思っています。


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命の軽さ
 それは、ほんの些細な事がきっかけだった。

 だるくて床に倒れこんでみたら、目の前の床を私の大嫌いなタバコシバンムシが歩いていた。駆除しても駆除しても大発生するタバコシバンムシに、私はもはや、彼らを見るだけで全身が痒くなるようになってしまっていた。けれどもだるかったので、その時の私は見て見ぬふりをすることにした。
 顔をそむけて目を伏せたとき、左足に何かがモゾモゾと這って歩くような感覚を覚えた。また気のせいだろう。精神的にまいっているだけだ。けれどもチラっと足に目をやった私は、思わず「いやあああああ」と声を出してした。タバコシバンムシが一匹、私の素足の膝の上を歩いていたのだ。

 思わず私は起き上がって、タバコシバンムシを叩き落とした。床に落ちたそれをつぶした。ついでに、さっき歩いていた仲間もつぶした。

 全身が痒くなった。掻いても掻いても、痒いところに手が届かない。精神的なアレルギーなのだろう。どこを掻いても、気持ちがおさまることがなかった。
 そうしているうちに、私は何をしているんだろうという、いつもの罪悪感が襲ってきた。そもそも、タバコシバンムシは何も悪いことをしていないのに、なぜ私なんかに殺されなければいけなかったのだ。いなくなったほうがいい無用な生物は、私のほうだ。私さえいなくなれば、彼らだって死なずにすんだのに。私さえいなくなれば、私のこの痒みも消えてなくなる。すべてが丸くおさまるのに。

 消えてしまえ。私なんて消えてしまえ。気がつくと涙がとめどなくあふれていた。
 ようやく異変に気づいた彼が「どうしたの?」と問いかける。「虫をつぶしちゃったの。死ねばいいのは私の方なのに、その私が虫を殺してしまったの。」と私が泣くと、彼は困った顔をした。「虫と自分の命を比べるなんておかしいよ。冷静になって考えてごらん?」

 彼にはきっとわからない。冷静になって考えても、私には同じ結論しか浮かばないのだ。たぶん私は、彼の100倍以上の時間を費やして自分の存在価値について考えている。論争になったら、彼を論破してしまいそうな筋道の通った思考が私の頭の中にはある。けれども、彼はそれを「おかしい。」と真っ向から否定する。

 これ以上の説明をしても、私は彼を困らせるだけ。きっと彼は私を面倒くさく思うだろう。疎ましく思うだろう。けれども責任感の強い彼は、私を見放すことはできないのだろう。彼は苦しむのだろう。
 私は消えてしまいたかった。彼に気づかれないように、忽然と姿を消したかった。涙が止まらなくなって、嗚咽となった。

 私は彼に言われるまま、とんぷく薬を飲んで、パキシルを1錠多めに飲んで、頭の動きを鈍くして、バカになって寝た。

目の下のクマ
2008.06.28 Sat 11:18 | 情報番組 | テレビ・ラジオ
 昨夜の「解体新ショー」で『なぜ目の下にクマができるの?』という疑問を解体していた。
 私も普段から目の下にクマができやすく、持ち前の貧血もあいまって顔色が悪く、とくにここ数年は『死相が出てる!』などと彼から言われるほどであったので、興味津々で番組を見た。

 色々と特殊な装置で番組が調べた結果、クマができている目の下では、血液の流れが滞っていることがわかった。血液中の赤血球は、酸素を囲んでいるときは鮮やかな赤だが、酸素を細胞に渡すと色が黒っぽく変化する。その色が、特に薄い目の下の皮膚を通って見えているのだった。
 クマの正体、それは『大渋滞している黒っぽくなった赤血球』だったのだ。

 では、なぜ目の下の血流だけ渋滞してしまうのか?酷使した目の周りをMRIで調査したところ、目の下の脂肪が前に出っ張っていることがわかった。これが目の下の毛細血管を圧迫し、血液を滞らせてしまうのだ。
 ではさらに、どうして目の下の脂肪が前に出てくるのか?形成外科医の宇津木龍一先生によれば、眼球の周りの脂肪はすべて中でつながっているらしい。これは目の下の脂肪を骨の上に押すと、上のまぶたが動くことからもわかるという。そして目が疲れると、まぶたなど眼球の周りの脂肪が眼球の後ろから下にたれさがり、押し出されて前に飛び出してくるのだそうだ。

 先生によれば、クマを作らないために大切なのはこの2つだという。

  1. 休むこと。睡眠をとること。
  2. ホットタオルを目や首にあてる。リラックスする。

対策は、普通に眼精疲労を取る工夫と同じであったが・・・メカニズムがわかっただけでも新しい発見であった。

 なお、寝ても寝てもクマが取れない人は、睡眠環境を見直す必要がありとのこと。こういう表面に出る症状は健康状態のモニターである。クマそのものをお化粧などでカバーするよりも、その原因を元から断つ事が大切だそうだ。そりゃその通りだと思った。

笑顔で戻ったコート
2008.06.28 Sat 10:33 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨夜、NHKのドキュメンタリー「スポーツ大陸」で『笑顔で戻ったコート~クルム伊達公子~』を見た。
 今年の4月27日、11年半ぶりにプロのテニスコートに戻ってきた37歳の伊達公子さん。彼女から受けた感動は以前も記事にしたが、今回の番組は伊達さん本人の独占インタビューも満載で、さらに学ぶことが多かった。

 伊達さんは6歳でテニスを始めた。最初は、とにかくテニスコートの中で球を追いかけるのが楽しくて仕方がなかったという。高校卒業と同時にプロ入りしたのも、『毎日テニスがしたいから』という理由だったそうだ。
 そんな”テニス大好き少女”だった伊達さんを変えたもの、それは強くなる伊達さんにのしかかる日本中の注目や大きな期待というプレッシャーだった。海外遠征ではホテルにこもりきりでテニスだけに集中するツアー生活で、伊達さんが感じたのは”孤独感”だったと言う。

 楽しくなかったですね。何のためにテニスをやっているのかっていうことが、見えなくなってしまいましたね。もちろん最初は自分のためにやっていたはずのテニスっていうものが、期待に応えるためにやっているような気持ちになっていたり、パフォーマンスも常にいい状態でコンスタントに成績を残さなきゃいけないし、モチベーションも常に高いところでキープしていかなきゃいけないし。それを自分で奮い立たせてやることに疲れていたところはちょっとあったと思いますね。

試合中もイライラして、大声をあげたり審判に食ってかかったりする事もあった。
 そしてとうとう伊達さんは、絶頂期と思われていた1996年、26歳の若さで引退してしまった。テニスが嫌いになりかけていたのだ。

 引退後、しばらくテニスとは無縁の自由な時間を満喫していた伊達さんは、1年ほどたった頃、ある雑誌に載っていた”ラケットを持って楽しそうにしている小さな子供”の写真に目が吸い寄せられたそうだ。6歳でラケットを持って遊んでいた自分の姿とダブって見えたと言う。
 『テニスが大好きになっていった頃の自分を思い出して』、自分が最初に感じたその気持ちを味わってもらいたいと、伊達さんは1998年から子供向けのテニス教室を始めた。その活動を通して、どこへ出かけてもテニスを楽しむ子供たちの笑顔に囲まれた伊達さんは、背を向けていたテニスにようやく向き直ることができたのであろう。

 さらに伊達さんの気持ちが大きく変わったのは、2007年9月エキシビションマッチで、かつての女王シュテフィ・グラフさんと対戦したことだった。
 伊達さんは、グラフさんに一度だけ勝ったことがある。それは1996年の国別対抗フェドカップでの対戦だった。試合はフルセットまでもつれ、長く苦しいラリーが続いていた。しかしそのVTRは残っていた。ラリーの途中、伊達さんはグラフさんの鋭いショットに振り回されながら、なんと微笑んでいたのだ。

 その瞬間の駆け引きっていうことが、こんなに楽しいものなのかって。自分が出せば出すほどさらに上にいくグラフ。また自分もなんとか食らいついていきたいっていうふうに、それがどんどん膨れ上がっていって。しんどいからもういいって、気持ちの上でギブアップしたい気持ちもやまやまなんですけど、でも楽しいからやめたくないし終わりたくないなっていう気持ち。ああいう感覚はほんと最初で最後ですね。

エキシビションマッチでグラフさんと再び戦った伊達さんは、フェドカップで演じていた死闘を思い出し、テニスに対する情熱が再び湧き上がったという。『あの最高の瞬間をまた味わいたい・・・。』

 そんな伊達さんの思いを大きく後押しした人、それは夫のミハエル・クルムさんだった。

 彼なんかは、別に負けようが、人がどう思おうが、『自分が楽しけりゃそれでいいじゃない?それ以上の事何を考える必要があるの?』みたいな、至ってシンプルな考えなので、それよりも自分がチャレンジできる事があるんだったらそれやればいい、それ以上でもなければそれ以下でもないって言われると、『あ、そっか!』って思える自分もやっぱり出てきました。

今はもう孤独ではない。復帰初戦の試合には、コートの入り口までエスコートしてくれて、試合中も一緒になってドキドキしてくれて、試合後はコートの外で抱擁とキスで迎えてくれる、夫ミハエルさんがいた。

 いまの伊達さんの”のびのびとテニスを楽しむ姿勢”は、さっそく若い選手のよい手本となっていたようだ。復帰後すぐのトーナメントで伊達さんに敗れた、JTAランキング3位(当時)の中村藍子選手。次の大会の欠場も考えるほどショックを受けたそうだが、ちゃんと翌週には気持ちを切り替えてきていた。自分のテニスを取り戻した中村選手は、勝ち負けを超えた駆け引きを楽しむようなラリーで実力を出し切り、見事、伊達さんにリベンジを果たした。
 中村選手は言った。

 先週やってみて、伊達さんはやっぱりすごいっていうのを本当に感じたし、学ぶこともたくさんあったので、もう一度伊達さんとできて自分のプレーを出し切れたっていう事は、これからの自分にとってすごくいい経験だと思うし、本当によかったと思っている。


 現役時代はマスコミ嫌いで有名だった伊達さんが、番組のインタビューに『今は何をやってても楽しい』と笑顔で話してくれた。

 やっぱり、あの時にやめてるから今がある事を良かったかなと。たぶんあれが30ぐらいまでやってれば、今は反対にやる事はないと思って。二度楽しめてるみたいな(笑)

今は心の余裕ができた分、”冒険”をすることもできるようになったと笑う伊達さん。絶頂期でテニスを辞めてしまったことは、伊達さんにとって決して”挫折”ではないのだ。

 私は頭を打たれたような気がした。「~しなきゃいけない。」という考え方で身動きが取れなくなる苦しさは、こんな私でもよくわかる。私はいまだに、そんな”クリンチ”状態が続いている。けれども考え方を少し変えれば、「何をやってても楽しい」と言えるようになるのだと、伊達さんは教えてくれているような気がする。あの伊達さんですら、そう言えるようになるまでに11年半かかったのだ。
 私も気長に、自由な時間を満喫させてもらっていいのかもしれないと、少し自分を許せる思いがした。自分が本当に好きで、本当にやりたかった事を思い出すまで。会社をやめてよかったと思えるようになるまで。もう少し。

植木はジャマですか
2008.06.27 Fri 23:04 | 日記 | 日記
 母から電話があった。
 警察の総務課の人から連絡があり、実家の植木がスクールゾーンの標識を隠していると、PTA関係の人から苦情があったのだと、凹んでそして怒っていた。
 昨年も自治会長さんのところに同様の苦情があったらしく、母は植木屋さんに事情を説明して切ってもらい、市役所の土木課の人を呼んで確認までしてもらったのだ。かわいそうに、植木はその部分だけバッサリ凹んだ妙な形に切られてしまった。それからも母は、植木が外にはみ出ていないか神経質なほど気を使っていた。
 それなのにまた今年も・・・。警察の人が言うには、その苦情主は今年は自治会長や市役所には門前払いを食らったらしく、行くところがなくなって警察に連絡をしてきたのだという。

 世の中には面白い人がいるものだ。きっとその人は、スクールゾーンの標識を見回る仕事をおおせつかって、結果を出さなければいけない立場だったに違いない。成果主義の世の中だ。「特に何もありませんでした。」では評価されない世の中だ。「1件通報しておきました。」と報告をしてこそ、その人の存在価値が出るというものだ。そうとでも思わないと、やってられない。

 そういえば私がいた会社でも、暇な部門の人たちがいた事を思い出した。忙しい開発の居室を見回っては、誰の机が汚いだの、ゴミ箱のゴミが捨ててないだの、写真を撮っては通報してきた。そんなに暇だったら、ゴミぐらい捨てていってくれればいいものを、何一つ手はださない。証拠写真だけ撮って帰った。指摘された人の机は、確かに一般的に見れば汚かったのかもしれないが、実はその人なりに整理されていて、全部必要な書類だったのだ(と本人は言う)。
 後日、見回りの人から、『自分たちの呼びかけで職場環境の改善が行われた』と、写真つきの報告があった。そのせいで、開発が半日止まってしまった事には誰も触れなかった。成果主義なんてそんなものだ。誰かを犠牲にして、誰かが手柄をたてる。

 とにかく世間体を気にする母は極端に凹み、私に電話をしてきた。勢いあまって自治会長を逆恨みし、悪口までをも言い始めていた。黙って聞いていた私は精神的にまいってしまい、1時間の電話を切ったあと少し疲れて寝た。
 ただ、近いうちにわざわざ警察の人が来てくれるらしいので、『せっかくだから、”変な人に目をつけられて困っているんです”ぐらい訴えてやれ!』とだけ言っておいた。今はなんでも言ったもん勝ち、訴えたもん勝ちの世の中らしいから。

 それにしても、言いたいことがあるなら本人にやんわり言えばいいものを、なぜその苦情主はいきなり行政に訴えるのだろう。ご近所付き合いのトラブルは、いかに普段からコミュニケーションがとれているかが問題の根底に潜んでいるというが、顔が見えない匿名での苦情なんて、コミュニケーションも何もあったものじゃない。道を歩くすべての人が、もしかしたら我が家に敵意を持っているのではないかと怖くなってしまう母の気持ちもわかる。
 二十数年もの間、毎日早起きをして道路掃除を続けてきた母が、とても不憫に思えた。

生活保護の水準
2008.06.27 Fri 08:54 | エッセイ | 小説・文学
 ここ2~3日で、生活保護に関連するニュースを2つ見た。
 1つは北海道滝川市の”生活保護費詐取事件”。

北海道滝川市の生活保護費詐取、元組員に懲役13年判決 (2008年6月25日)
 北海道滝川市が2億円超の生活保護費などを詐取された事件で、詐欺罪などに問われた元暴力団組員、片倉勝彦(42)、妻のひとみ(38)両被告の判決が25日、札幌地裁であった。井上豊裁判長は「地方都市の予算を食い物にした未曽有の巨額公金詐欺事件で、生活保護制度のあり方に対する国民の信頼を大きく揺るがせた」として、片倉被告に懲役13年、ひとみ被告に同8年を言い渡した。

 判決によると、両被告は昨年11月までの約1年間に、介護タクシーで滝川市から札幌市内に通院した名目などで、生活保護受給者に認められている通院交通費など計約2億600万円を詐取。判決で井上裁判長は、片倉被告らが、詐取金を高級外国車や水上バイクなどの購入、女性との交際費、札幌・ススキノの高級飲食店での豪遊などに使った事実を認定し、「不正に利益をむさぼり、贅沢三昧の生活を送っていた」と断じた。

YOMIURI ONLINE

詐取された2億円は、滝川市の生活保護予算の6分の1にあたるという。ベンツ2台を所有するこの元暴力団夫婦にどうスゴまれたのか知らないが、窓口のお役人も申請を却下することはできなかったのだろうか。なんとも謎の事件である。
 それにしても、生活保護で”介護タクシー代”が全額支給されるというのも知らなかった。意外と手厚いこの制度。それがこうした不正受給を生む結果につながっているらしい。

 生活保護制度を見直そうという動きもあるらしく、もう1つこんなニュースも見た。

生活保護の老齢加算、廃止撤回求める訴え棄却 東京地裁 (2008年6月26日)
 大門裁判長は「老齢加算を廃止しても、現実の生活条件を無視した著しく低い基準とまではいえず、保護基準の改定は厚生労働相の裁量の範囲内だ」と判断した。同様の裁判は、全国の7地裁でも起こされており、これらの審理の行方にも影響を与えそうだ。

 受給者側は、廃止により生活が困窮し、親族の葬儀に参列できなくなった、などと主張。「正当な理由なく削減することは、健康で文化的な最低限度の生活を保障した憲法に違反する」と訴えていた。
 一方、自治体側は、「一般の低所得高齢者世帯の消費実態を検証した結果、70歳以上の高齢者に老齢加算に相当するだけの特別な消費需要がない」と指摘。厚労相の決定は、「裁量権の範囲内」と反論していた。

asahi.com)

確かに困っているお年よりには不便だろうと思う。しかし、このニュースをテレビで見ると、私は少々疑問を感じてしまうのだ。インタビューを受けている”お年寄り”がこぼしている不満・・・それが「お芝居にも行けない」、「中国産の野菜しか食べられない」、「孫に会いに行けない」、「冠婚葬祭費が足りない」、「町内会を脱退した」などなど。私の意識では、生活保護を受けていない世帯でも、その辺を我慢している人は、いくらでもいると思うのだが。けれども訴えているお年寄りたちは、これらを奪われることで、”生きる希望”がなくなると言う。

 生活保護ってなんなんだろう。生活保護法をもう一度見直してみた。

生活保護法 (昭和二十五年五月四日法律第百四十四号)
第一章 総則(第一条―第六条)
第一条(この法律の目的)
 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に村し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
第二条(無差別平等)
 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という)を、無差別平等に受けることができる。
第三条(最低生活)
 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。
-以下略-

『健康で文化的な生活水準』の基準があいまいなのだ。

 朝の情報番組で、みのもんたさんが、「若い方々!お年寄りをこんな目にあわせたらいけない!あなたたちだっていつか自分たちがお年寄りになるんだから、もう一度考え直してください。」とコメントしていた。
 しかし働き盛りの若者も、自分たちの今の生活で手一杯というのが現状である。私が支援しているNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」の活動などを見ると、社会からはじかれ住む場所もない働くこともできず、”ホームレス”状態となって自立できないでいる若者がゴロゴロしている世の中である。
 さらに、日本の人口分布は逆ピラミッド。若者が『今のお年よりはまだイイんじゃないの?自分たちなんて・・・』と思ってしまうのは否めない。その絶望感をこれから何十年間も持ち続けて生きていかなければならない方が、私にとっては辛い。

 『お年寄りに生きる希望を!』もそうだが、年齢に関係なく『日本人に生きる希望を!』と私は言いたい。
 昨年の夏、北九州市で生活保護を”辞退”させられ、日記に「おにぎり食べたい」と書き残して孤独死した男性(52)がいた。『健康で文化的な生活』を維持する前に、一人一人の生命を維持することがまず先なのではないかと思うのだ。
 言ったもん勝ち、訴えたもん勝ち、スゴんだもん勝ち、弁護士がたくさんついたもん勝ち・・・そんな制度ではいけないと思うのだ。本当に苦しんでいる人は、自分が苦しみの中にいることにも気づかずに、誰とも話せず泣くこともできずに倒れている。