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2008.06.10 Tue 16:37 |
うつ病(鬱病)、メンタルヘルス |
心と身体
感情をコントロールできない人が増えてきた現代、このような言葉をよく耳にする。
さて。問題は、それは親子間には適応されるのかどうか?ということである。何度か書いているように、私はどうやらアダルトチルドレンらしい。うまく母親離れできていないというか、母親が子離れできていないというか。私はとにかく過干渉な母親から自由になりたくて仕方がないのに、けれども同時に見捨てられることを思うと、恐怖のあまり震えが止まらなくなる。
母は、私の事を心配するあまりなのか自己満足のためなのか知らないが、”うつ病”だという私に『気分転換に』と言って、なにか理由を見つけては外出をうながす電話をしてくる。もちろん”うつ病”に『気分転換』など存在しない。そっとしておいてほしい。何度も言っているが、それは母の持論ではないらしく、聞く耳を持たない。
私が居留守をつかって電話に出ないと、1日に何度もかけてくる。私が外出を断ると、たまにひどく叱られたり悪態をつかれたりする。そして次の日また何もなかったように電話をしてきたりする。
あまりにも断り続けると悪いので、5回に1回とか10回に1回とかは、私も重い腰を上げて外出をせざるを得ない。すると母はとても喜んでくれて『また誘っていいかしら。』と言う。『何度も誘えば出てきてくれるから、諦めないで誘い続けるわ。』と言う。
これは、親子でなければ、ある意味ストーカーなのではないか?そんな風に思ったこともある。また、親という地位を利用したパワハラなのかとか、ねちねちと悪態をつかれているときはモラハラなのではないかとか、そんな事を思ったこともある。
逆にもしかしたら、これら全ては私の被害妄想なのかもしれない。私の頭が固いから、ひょっとしたら何かに洗脳されているような状態みたいになっていて、そこから母が救い出そうとしてくれているのかもしれない。もはや何が正しくて何が間違っているのか、正常な判断ができない。
何よりも、実の親に対してこんな風にしか思えなくなっている自分が情けない。イライラとこんな事を一通り考えたあとにひどく落ち込む。大好きなのに、なぜ上手な距離がとれないのだろう。私が本当の自由を手に入れるのはいつなのだろう。
多くの場合は、加害者にその行為の自覚がなく、問題が表面化することが難しいとされる。被害者側にも被害を受けているという自覚がない場合、精神的に追い詰められて、うつ病やPTSDといった精神疾患を発症したり、自殺に追い込まれてしまう事も少なくないという。(wikipediaより)ストーカー行為 特定の他者に対して執拗につきまとう行為
パワーハラスメント 権力や地位を利用した嫌がらせ
モラルハラスメント 精神的な暴力、嫌がらせのこと
さて。問題は、それは親子間には適応されるのかどうか?ということである。何度か書いているように、私はどうやらアダルトチルドレンらしい。うまく母親離れできていないというか、母親が子離れできていないというか。私はとにかく過干渉な母親から自由になりたくて仕方がないのに、けれども同時に見捨てられることを思うと、恐怖のあまり震えが止まらなくなる。
母は、私の事を心配するあまりなのか自己満足のためなのか知らないが、”うつ病”だという私に『気分転換に』と言って、なにか理由を見つけては外出をうながす電話をしてくる。もちろん”うつ病”に『気分転換』など存在しない。そっとしておいてほしい。何度も言っているが、それは母の持論ではないらしく、聞く耳を持たない。
私が居留守をつかって電話に出ないと、1日に何度もかけてくる。私が外出を断ると、たまにひどく叱られたり悪態をつかれたりする。そして次の日また何もなかったように電話をしてきたりする。
あまりにも断り続けると悪いので、5回に1回とか10回に1回とかは、私も重い腰を上げて外出をせざるを得ない。すると母はとても喜んでくれて『また誘っていいかしら。』と言う。『何度も誘えば出てきてくれるから、諦めないで誘い続けるわ。』と言う。
これは、親子でなければ、ある意味ストーカーなのではないか?そんな風に思ったこともある。また、親という地位を利用したパワハラなのかとか、ねちねちと悪態をつかれているときはモラハラなのではないかとか、そんな事を思ったこともある。
逆にもしかしたら、これら全ては私の被害妄想なのかもしれない。私の頭が固いから、ひょっとしたら何かに洗脳されているような状態みたいになっていて、そこから母が救い出そうとしてくれているのかもしれない。もはや何が正しくて何が間違っているのか、正常な判断ができない。
何よりも、実の親に対してこんな風にしか思えなくなっている自分が情けない。イライラとこんな事を一通り考えたあとにひどく落ち込む。大好きなのに、なぜ上手な距離がとれないのだろう。私が本当の自由を手に入れるのはいつなのだろう。
私はいまだに、”学ラン”を見るとドキっとする。いい年して、学生服の男子高校生がいると、チラっと見てしまう。ある種のフェチシズムなのかと思ったりしていたが、先日のテレビで作家のあさのあつこさんが話しておられた事を聞いて、なるほどなと思った。
あさのさんは、ご自身が10代の頃コンプレックスの塊で、自分のことがあまり好きではなかったそうだ。その時の惨めさや辛さを、未だにズルズルと引きずっているところがあり、だからずっと10代を小説に書いているのだと言う。
あさのさんと同様に私も、中学高校の頃はすごく暗かった。中高一貫教育のお嬢様学校に入学してしまい、友達との貧富の差にコンプレックスがあった。また歯並びが悪くて、容姿にもコンプレックスがあった。それに加えて父母から病的に男女交際を禁止されており、また親戚にも近所にも同年代の男性がいなかったので、実は生まれてこのかた、中学高校ぐらいの男子という生物と話をしたことがない。むしろ、いまだにない。
私はたぶん、その事をずっと引きずっているのだと思う。男の子を交えての、楽しい学生生活を遅れなかったことの悔しさを、ずっと心の片隅に持っているのだと思う。だから学ランをみたり、若いカップルを見たりすると、「いいなぁ」という嫉妬とも羨望ともとれる気持ちでと見てしまうのだろう。もしかしたら、私の恋愛に関する精神的な部分は、まだ中学生のまま止まっているのかもしれない。
何かに阻まれて実現できなかったことへの憧れは、夢をこえて妄想のような形になって、いつまでも心に留まっているような気がする。これは10代のことに限らず、人生そんな事の繰り返しなのかもしれない。
何事もあきらめてさえしまえば、そこで終わって消えるものではない。ずっと心の傷として残り、変な”妄想”が膨らむのなら、失敗してもいいから一歩踏み出して経験してみることが、その”妄想”を成仏させる方法なのだろう。わかっているけど、その一歩が踏み出せない。
ところで私の”学ラン”に対する憧れは、どうすれば成仏するのだろう。一回彼に”学ラン”でも着てもらってデートでもすればすむものなのだろうか。(変態になってしまう・・・)
あさのさんは、ご自身が10代の頃コンプレックスの塊で、自分のことがあまり好きではなかったそうだ。その時の惨めさや辛さを、未だにズルズルと引きずっているところがあり、だからずっと10代を小説に書いているのだと言う。
あさのさんと同様に私も、中学高校の頃はすごく暗かった。中高一貫教育のお嬢様学校に入学してしまい、友達との貧富の差にコンプレックスがあった。また歯並びが悪くて、容姿にもコンプレックスがあった。それに加えて父母から病的に男女交際を禁止されており、また親戚にも近所にも同年代の男性がいなかったので、実は生まれてこのかた、中学高校ぐらいの男子という生物と話をしたことがない。むしろ、いまだにない。
私はたぶん、その事をずっと引きずっているのだと思う。男の子を交えての、楽しい学生生活を遅れなかったことの悔しさを、ずっと心の片隅に持っているのだと思う。だから学ランをみたり、若いカップルを見たりすると、「いいなぁ」という嫉妬とも羨望ともとれる気持ちでと見てしまうのだろう。もしかしたら、私の恋愛に関する精神的な部分は、まだ中学生のまま止まっているのかもしれない。
何かに阻まれて実現できなかったことへの憧れは、夢をこえて妄想のような形になって、いつまでも心に留まっているような気がする。これは10代のことに限らず、人生そんな事の繰り返しなのかもしれない。
何事もあきらめてさえしまえば、そこで終わって消えるものではない。ずっと心の傷として残り、変な”妄想”が膨らむのなら、失敗してもいいから一歩踏み出して経験してみることが、その”妄想”を成仏させる方法なのだろう。わかっているけど、その一歩が踏み出せない。
ところで私の”学ラン”に対する憧れは、どうすれば成仏するのだろう。一回彼に”学ラン”でも着てもらってデートでもすればすむものなのだろうか。(変態になってしまう・・・)
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