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恐竜は生きている?
 今週の「爆笑問題のニッポンの教養」は『恐竜は生きている?』というテーマで、国立科学博物館の真鍋真先生(古生物学)を訪ねていた。

 真鍋先生のお父さまは、SF作家星新一さんの挿絵などで知られる、未来画が得意なイラストレーターの真鍋博(故人)さんだそうだ。お父さまは亡くなる直前の病床で『地球のない時代を緑で描きたい』とおっしゃったそうだ。果たしてそれは、地球がないような遠い昔の話なのか?それとも地球がなくなってしまった遠い未来の話なのか?
 真鍋先生はそのとき、『それまで気づかなかったけれど、時間軸を何か見るという点では共通しているように感じた』と、親子の仕事の奇妙な共通点に気づかされたと言う。それもまた運命なのか、なんとも面白い話だ。

 古生物学の『ミッシングリンク』という言葉を知った。進化の不連続なスキマを生めるもの。
 たとえば、今では”鳥は恐竜が進化したものだ”という説は当たり前になっているが、それを裏付けるのが翼を持つ最古の生物”始祖鳥”や、2003年に見つかった前後4枚の羽を持つ”ミクロラプトル”の存在だ。小型になった恐竜が木の上に乗れるようになり、そのうち枝から枝へ飛び移れるようになって、やがて飛べるようになったのが鳥類の誕生なのだそうだ。
 言い換えれば、恐竜は鳥に変化してなお生き続けているとも言えるわけだ。
 今ある生物はみなギャップがあるように見えるかもしれないが、進化の段階の途中の生物は絶滅していないだけなのかもしれない。化石を調べて発見した『ミッシングリンク』は、いろいろな展開やパターンを人間に知らせてくれるのが面白いと、真鍋先生は言う。

 国内で次々に発見される恐竜の化石をコツコツと調べしらべつづけた真鍋先生は、アジアの小型羽毛恐竜が北米に渡り大型のティラノサウルスに進化したという「T-REXアジア起源説」を唱えて世界を驚かせ、現在ではこの説が有力視されているのだそうだ。
 あの獰猛なティラノサウルスの表面が、爬虫類のようなうろこではなく、羽毛だった可能性があるのだ。これには私も驚いた。思えば私が子供の頃の恐竜は、首が真っ直ぐ上に伸びてしっぽが地面についていた。”常識”なんていつどう変わるのかわからないものだ。

 『恐竜なんて絶滅した爬虫類の研究やってて未来があるの?』などと言われたこともある真鍋先生だそうだが、恐竜は研究をすればするほど驚かされることがたくさんあると言う。

 絶滅を免れて鳥として存続していることとか、子育てをするような恐竜もいることとかわかってくると、単純に「爬虫類だからどうのこうの」って言ってると、ほんとに本物がみえない。

すこし先の未来を考えるにあたって、今の地球や生物がどういう風にできてきたか、今までどんな事を経験してきたかを見ることも必要なのだ、と先生は優しい口調でおっしゃった。

 そうすることで、今を考えたりとかこれからを考えられるかもしれないんで。僕もいきなり恐竜と人間を比べるのは乱暴だとおもうけど、やっぱり”歴史は繰り返す”っていう事があって、そんな中から今を考えるっていうのは常にしているつもりなの。

未来を考えるにはまず過去を知れ、か。

 余談だが、先々週の『あいのり』で、メンバーの誰一人として日本の歴史を知らなくて、”温故知新”という言葉を知らなくて、ベナン共和国のゾマホン氏が激怒していた。

 あなた方教育をなんで学んでるのかわからないですよ!日本から出る前にちゃんと自分の国の歴史を身につけないと、外国の人にいろいろ自分の国聞かれたらあなた方どういう風に答える!

若いメンバーは、『歴史知ってたら立派な日本人になれんの?』などと逆に怒っていたが、こうして真鍋先生のお話を聞いても、やはり”故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る”ことには意味があるのではないかなと改めて思った。今の私が何故ここにこうやって存在しているのか。自分のルーツの『ミッシングリンク』を探していく事も”自分探し”には必要な事なのではないかと感じた。

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隣人祭り
2008.06.18 Wed 03:51 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨夜の「クローズアップ現代」でまた新しい言葉を知った。それは、ご近所同士食べて飲んで知り合いになろうという催し─『隣人祭り』である。

 『隣人祭り』のきっかけは、18年前、パリのアパートの一室で、70歳のおばあさんが孤独死したことだったそうだ。死後2ヶ月たった彼女を発見した隣人のアタナーズ・ペリファンさんは、著書『隣人祭り』の中でこう書いている。

僕はやるせない気持ちでいっぱいになった
アパートの壁の向こうには見えない苦悩が隠されている
孤独なお年寄り
絶望した失業者
みんなを外に連れ出さなければ──

こうしてペリファンさんの呼びかけで『隣人祭り(la fete des coisins)』が生まれた。これが今ではヨーロッパやアジアを中心に世界29の国と地域、1000都市で800万人が参加するムーブメントになっているのだそうだ。毎年一回、5月の第4火曜日に開催されるのだという。
 今年は日本でも、新宿と神戸で初の『隣人祭り』が開催されたそうだ。

 日本の都会では、ご近所の人と深く関わりたくない人や、顔を合わせても挨拶もしない希薄な隣人関係が多い。これはどうやらヨーロッパでも同じらしい。

アパートの廊下ではだれにも会いませんようにと願い
隣人から声をかけられないようにいつもうつむき加減でいる
そんなことをしていて何になるんだろう
ひきこもっていても幸せになれるわけじゃない

(『隣人祭り』より)

前半2行はまさに私のようで、苦笑してしまった。
 普段は一人でいたい。けれども何かあったときに頼れる人がいない事を考えると、ものすごい孤独感に押しつぶされそうになる。こんな気持ちを世界中の人々がみな一様に抱えているのだとしたら、とても寂しい世界だ。

 スタジオゲストで明治学院大学の辻信一教授(文化人類学者)は言う。

 つながる事がこんなに難しくなってる。集う事がこんなに大変になってる。それだけ人々がバラバラになって、不安で孤立感にさいなまれてるんじゃないかと思うんですよね。
 やっぱり人間っていうのは、一人で生きられないものじゃないですか。ですからもう一回集いの場を作り出そうという、これは隣人祭りもそうですし、世界中いろんな動きとして現れている。

今の世の中でつながる事が難しいのは、世の中のスピードがどんどん加速していることも原因だと、辻教授は指摘する。

 効率的な人間の付き合いってできないですよね。今まで豊かさを追い求めて、すべてを効率化しようとしてきた生き方をこの辺で反省して、本当の生きがいってのはなんだろう?幸せってのはなんだろう?っていうところに、大きくシフトしなければいけない時が来ているような、『隣人祭り』ってのはそういうこと示しているような気がします。

教授は、人間にはみな”つながりたい”という欲求があるから、きっかけさえあれば表に出ることができるとおっしゃる。本当にそうなのだろうか。

 おそらく今の私は、たとえポストに『隣人祭り』のビラが入っていても、出て行かないであろう。それでも諦めずに誘ってくれるような、親切な隣人はいるのだろうか。そして実はそんな隣人を待ち望んでいるのだとしたら、私はなんと高飛車でわがままなのだろう。