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耐え難い社会
 秋葉原殺傷事件の加藤智大容疑者(25)について、今日6月21日の朝日新聞朝刊記事よりメモ。

 加藤容疑者は事件に至る経緯について、「現実の世界でもネットの世界でも孤独になった。ネットの世界の人間に自分の存在を気付かせてやろうと考え、どうせやるなら大きな事件と考えた」と話しているという。
 日常的な書き込みについては、「現実の世界では嫌なことがあっても人に言えない。現実の世界から逃げてネットの世界にのめり込んだ。誰でもいいからかまってほしかった」と話している。

これについて精神科医のコメントが2つ。

精神科医・町沢静夫さんの話
 子どものときに形成した「完璧」な自尊心が、低下するのに耐えられなかったのだろう。ネット社会にどっぷりつかると現実感覚が希薄になる。そこにいる時は空想によって自尊心の低下を免れているが、犯行の書き込みがネット住民から無視されたことで一気に現実社会に引き戻された。頼りのネット社会でも孤立し、自尊心が維持できず、結果、犯行を引き起こしたのだろう。

野田正彰・関西学院大学教授(精神病理学)の話
 現実世界は耐え難いからネット世界で維持しようと思ったのだろうが、耐えられないから破壊して自分を消すことにしたのだろう。だが自殺する気はないから車で突っ込んだのではないか。70年代から子どもから社会性を奪う教育がなされ、狂気が社会に定着しつつある。20,30代が「生きていてもしょうがない。世界も消えてしまえ」と思っている。大変恐ろしい。

前にも書いたとおりこの事件を肯定する気はさらさらないが、このような心理がものすごく理解できる私は異常なのだろうか。

 私は、小さい頃から親の敷いたレールに逆らうことなく、真っ直ぐにその道を進んできた。親に従っていれば間違いはない、それだけが正しい事だと信じきっていて、知らないうちに変な『自尊心』の塊になっていたように思う。
 けれども現実はそう甘くなく、社会に出て待っていたのは、それまでの自分の常識では理解できないことばかりだった。どう抗ってもビクともしない社会の”不条理”に対して、自分の力の限界を感じてうつ病になってしまった頃から、弱い私はそんな耐え難い現実世界から逃げ出してきたのだった。ネット社会にどっぷりつかってきたのだった。それは、町沢先生がおっしゃるところの、『空想によって自尊心の低下を免れている』状態でしかなかったのだと思う。

 昔は確かに『ネットには社会システムがない』とまで言われ、そこはとても自由な場所だった。けれども、誰でも気軽にネットを使うことができるようになった今となっては、ネットの世界にも社会性が求められ、誰かとつながっていなければ激しい孤独を感じる世界となってしまっている。もはや逃げ場がない。

 幸い、今の私はブログを書くことができ、毎日閲覧してくださる方やコメントを下さる方がいるおかげで、なんとか自分の存在を確かめながら生きながらえている。もしこれが誰にも見てもらえず、相手にもしてもらえず、本当にただの大きな独り言になったらと思うと、絶望の崖がすぐそこまでやって来ているかのような恐怖を感じる。

 かまってもらいたい。認めてもらいたい。そんな欲求は、ある意味生物としての食欲、睡眠欲、排泄欲よりも強く、人間だけが持つ悲しい本能なのかと思う。

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