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生きていればいい
 今日の「課外授業~ようこそ先輩~」は、全盲ろうという重複障害者でありながら東京大学の准教授である、福島智先生による『みんな生きていればいい』という授業であった。

 9歳で失明、18歳で失聴した福島先生は、1983年盲ろう者として日本で初めて大学受験を突破。そもそも最初は、盲ろう者というだけで大学受験すら認められなかったという。東京都立大学で教育学を学んだ福島先生は、2001年には東京大学の助教授に迎えられ、福祉や法制度や差別の問題など、障害者が社会のなかで壁を乗り越えてゆく研究をつづけていらっしゃる。
 この日の母校での授業は、お2人の指点字通訳者のつきそいで、子どもたちと会話をしていた。

 両目が見えず、右耳が聞こえず、左の耳も聞こえなくなってきた18歳の福島先生は、日記を書いた。

この点字タイプライターを打つのが疎ましく感じる。この金属製の音がモヤにかすむ。まるで白いベールの向こうから聞こえる。なんという情けなさ。
いつまで俺の苦しみは続くんだ。

 福島先生は子どもたちに自身の日記を読み聞かせたあと、『もしこれが自分だったら自殺を考えるかもしれないなあという人はいますか?』と尋ねた。子どもの中からチラホラと手があがる。実際、盲ろう者の中には、自殺の事を考えるという人は多いそうだ。さらにいうと、本当に自殺をしてしまう人もいる。

 先生は続けて聞いた。『じゃあその辛さ、悲しさ、しんどさの中身って何だと思う?』
 家族の顔がみられないこと?自分の顔がみえないこと?自分の声が聞こえないこと?子どもの時で記憶が途切れていること?人の感情がわからないこと?それもそうだが、先生は『友達とか家族とかと会話ととかできない』ことが一番しんどいと言った。

 ここに点字のトランプがあります。僕は全盲ろう者になってもトランプを指で触ればゲームはできる。だけどちっとも面白くないんですよ。なんで面白くないんかなってよく考えると、周りのみんなの反応がわからないから。『ワーッ』と言ったり『お前あほか』って言ったり『こんなカード出しやがって』って言ったり。
 瀬戸内海に沈む夕日が見えないとか、星が見えないとか、音楽ができなくなったのも辛いことだったけども、実は本当に根っこの部分で一番しんどかったのは、コミュニケーションができなくなったってことなんですね。

ここ何日もずっと私が考えていた、”孤独”、そして”コミュニケーション”。私が考えるそれは精神的な世界の話でしかなかったが、こんなにも現実の生活の中で永遠に続く”孤独”をのりきっている先生の力はなんなのだろう。私は涙が出た。

 『絶望のどん底にいた福島先生を救ったのは何ですか?』というスタッフの問いかけに、福島先生はゆっくり考えた後こういった。

 自分の人生にだって苦悩の意味があるんだろうと言うふうに、自分で自分に思い込ませたということですよね。どん底だからしんどいんだけど、無意味なんじゃなくて、将来自分の人生を輝かせるために、この苦悩を経験しなくちゃいけない。自分で自分に言いきかせていた。

『その苦悩の意味ってなんだと思いますか?』

 孤独
 僕はたまたま命が与えられているけれども、いつどうなるかわからない。で、基本的にはひとりぼっちなんだっていう、宇宙の中にひとりでいるんだっていう感覚。それが私にとっての苦悩の意味なんだろうと。だからこそ他の人とつながろうと思う。

授業の終わりに、福島先生が子どもたち向けて言った言葉は、おそらく今の悩める日本人全員が聞いておくべき言葉なのではないかと思う。

 僕たちはやはり、なにがなんでも生きていくべきだと思いますね。それはたとえ目が見えなくて耳が聞こえなくなっても同じこと。いろんな人生には難しいこと失敗があるけど、そんなことはすべて小さなことです。
 生きているっていうことがクリアされていれば、もう本当に80~90%以上、人生は成功してるんだっていうこと。それは僕が、自分が目と耳の障害をもって非常に強く感じました。

今ここに私が生きている奇跡を、感謝しよう。そう思うようにしよう。

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同情はするな
2008.06.22 Sun 10:57 | エッセイ | 小説・文学
 日曜日の朝は、今週一週間におこったニュースについて語り合う情報番組が多い。
 私はどうしても、秋葉原殺傷事件、宮崎勤死刑囚の死刑執行、自殺者が10年連続30,000人を超えたこと・・・こんなニュースが気になってしまう。そしてそれに対するコメンテーターの意見の、無責任なこと。

 自殺と、社会に対する憎しみからの無差別殺人は、ある意味紙一重の行為だと思う。壊してしまいたい、消してしまいたい、何もかもなくなってしまえという衝動が、自分へ向かうのか他者へ向かうのかという違いだと思う。それは、感情がコントロールできなくなったときに、「オチ」てリストカットをしてしまう人と、「キレ」て周囲に当り散らす人がいるのと、同じ事だと思う。

 こうした事件について「他の人を殺すぐらいなら、勝手に自殺でもしろ」などと昔から言い続けているのは、テリー伊藤さんだっただろうか。この人はもともと、楽しければなんでもアリだと思っているところがある。本当に社会からはじかれ何の役にも立っていないと思いこんでいる若者など、死んでしまえばいいのだろうか。それですむのだろうか。死にたいヤツは勝手に死ね、それでいいのだろうか。
 その考え方をつきつめると、社会の役に立たない障害者も、私も、周りに迷惑をかけるぐらいなら死んでしまえ・・・そんな風に言われているように感じてしまう。精神が健全でお金を持っている人の考え方なんて、所詮そんなものなのかなと悲しくなる。

 先月だっただろうか。ダウンタウンの松本人志さんが、硫化水素自殺で問題発言をしたと、ニュースに流れたことがあった。『アホが死んだら別に俺はええねん』という”放言”だけが一人歩きしていたが、私は詳細をこのブログに書いて批判しようと思いたち、YouTubeで検索して放送を聴いてみた。
 前後を通して松本さんの発言を聴いた私は、不覚にも泣いた。



松本人志の放送室(2007年11月4日、抜粋)
 僕ほんま腹立つのは、一番悪いのは自殺することですよ。これを誰も言わないんですよ。もうみんなが『かわいそうかわいそう』ってやるじゃないですか。こんな報道の仕方してたら、自殺減らないですよ。『みんな味方してくれる』と思うもん。『僕が死んだら、みんなが味方してくれんねや』と思たら、自殺するやつどんどん増えますて。
 なんだかんだ言いながら、『自殺するヤツはアホや!』って誰か言わんと。いじめられて死んだ子の気持ちもわかる。でも一番罪深いのは自殺なんですよ。『それをやることは一番あかんのや!』って言わんと。社会が悪い、学校が悪い、いじめたやつが悪い、もちろん悪いですよ。でも言うじゃないですか。『一番罪深いのは親より先に死ぬことや』って。『自殺するヤツはバカなんや!』って言わなあかんねんて。

松本人志の放送室(2008年5月10日、抜粋)
 自殺も流行ってるでしょ。なんやあれ、硫化水素や。(ニュースで)やらんでええねん。ニュースがおもろがっとんねん。『今日は何件あった』とかやってるわけや。
 自殺なんて報道すればするだけ、あいつら寂しいヤツらやから、『俺も死のう』なんて思うヤツがいっぱいでてくんねん。あかんねんあれは。あれは煽ってるだけ。『こんなんで死んだやついっぱいおんねや』、『おもしろいもんなんもないし俺も死のう』みたいに思うヤツがいっぱい出てくるから。
 ある意味ね、ちょうどええ時期にアホが死んだら別に俺はええねんけど、でもね、これ以上増えないためにもやらんでええねんて。ヒント与える必要ない。(自殺っていう)選択肢を一個与えてるだけや。

私はこの文脈における、問題の箇所『アホが死んだら別に俺はええねん』は、まったく気にならなかった。むしろ自然に涙が出てきてしまったのは、本気で叱ってくれているような気がしたからだろうか。この人は痛みをわかってくれて、それでも生きろと言ってくれていると思ってしまったからだろうか。

 自殺するなんてアホだ。無差別殺人もアホだ。そんな事をしても、誰も同情なんてしないんだぞ!