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目の下のクマ
2008.06.28 Sat 11:18 | 情報番組 | テレビ・ラジオ
 昨夜の「解体新ショー」で『なぜ目の下にクマができるの?』という疑問を解体していた。
 私も普段から目の下にクマができやすく、持ち前の貧血もあいまって顔色が悪く、とくにここ数年は『死相が出てる!』などと彼から言われるほどであったので、興味津々で番組を見た。

 色々と特殊な装置で番組が調べた結果、クマができている目の下では、血液の流れが滞っていることがわかった。血液中の赤血球は、酸素を囲んでいるときは鮮やかな赤だが、酸素を細胞に渡すと色が黒っぽく変化する。その色が、特に薄い目の下の皮膚を通って見えているのだった。
 クマの正体、それは『大渋滞している黒っぽくなった赤血球』だったのだ。

 では、なぜ目の下の血流だけ渋滞してしまうのか?酷使した目の周りをMRIで調査したところ、目の下の脂肪が前に出っ張っていることがわかった。これが目の下の毛細血管を圧迫し、血液を滞らせてしまうのだ。
 ではさらに、どうして目の下の脂肪が前に出てくるのか?形成外科医の宇津木龍一先生によれば、眼球の周りの脂肪はすべて中でつながっているらしい。これは目の下の脂肪を骨の上に押すと、上のまぶたが動くことからもわかるという。そして目が疲れると、まぶたなど眼球の周りの脂肪が眼球の後ろから下にたれさがり、押し出されて前に飛び出してくるのだそうだ。

 先生によれば、クマを作らないために大切なのはこの2つだという。

  1. 休むこと。睡眠をとること。
  2. ホットタオルを目や首にあてる。リラックスする。

対策は、普通に眼精疲労を取る工夫と同じであったが・・・メカニズムがわかっただけでも新しい発見であった。

 なお、寝ても寝てもクマが取れない人は、睡眠環境を見直す必要がありとのこと。こういう表面に出る症状は健康状態のモニターである。クマそのものをお化粧などでカバーするよりも、その原因を元から断つ事が大切だそうだ。そりゃその通りだと思った。

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笑顔で戻ったコート
2008.06.28 Sat 10:33 | ドキュメンタリー | テレビ・ラジオ
 昨夜、NHKのドキュメンタリー「スポーツ大陸」で『笑顔で戻ったコート~クルム伊達公子~』を見た。
 今年の4月27日、11年半ぶりにプロのテニスコートに戻ってきた37歳の伊達公子さん。彼女から受けた感動は以前も記事にしたが、今回の番組は伊達さん本人の独占インタビューも満載で、さらに学ぶことが多かった。

 伊達さんは6歳でテニスを始めた。最初は、とにかくテニスコートの中で球を追いかけるのが楽しくて仕方がなかったという。高校卒業と同時にプロ入りしたのも、『毎日テニスがしたいから』という理由だったそうだ。
 そんな”テニス大好き少女”だった伊達さんを変えたもの、それは強くなる伊達さんにのしかかる日本中の注目や大きな期待というプレッシャーだった。海外遠征ではホテルにこもりきりでテニスだけに集中するツアー生活で、伊達さんが感じたのは”孤独感”だったと言う。

 楽しくなかったですね。何のためにテニスをやっているのかっていうことが、見えなくなってしまいましたね。もちろん最初は自分のためにやっていたはずのテニスっていうものが、期待に応えるためにやっているような気持ちになっていたり、パフォーマンスも常にいい状態でコンスタントに成績を残さなきゃいけないし、モチベーションも常に高いところでキープしていかなきゃいけないし。それを自分で奮い立たせてやることに疲れていたところはちょっとあったと思いますね。

試合中もイライラして、大声をあげたり審判に食ってかかったりする事もあった。
 そしてとうとう伊達さんは、絶頂期と思われていた1996年、26歳の若さで引退してしまった。テニスが嫌いになりかけていたのだ。

 引退後、しばらくテニスとは無縁の自由な時間を満喫していた伊達さんは、1年ほどたった頃、ある雑誌に載っていた”ラケットを持って楽しそうにしている小さな子供”の写真に目が吸い寄せられたそうだ。6歳でラケットを持って遊んでいた自分の姿とダブって見えたと言う。
 『テニスが大好きになっていった頃の自分を思い出して』、自分が最初に感じたその気持ちを味わってもらいたいと、伊達さんは1998年から子供向けのテニス教室を始めた。その活動を通して、どこへ出かけてもテニスを楽しむ子供たちの笑顔に囲まれた伊達さんは、背を向けていたテニスにようやく向き直ることができたのであろう。

 さらに伊達さんの気持ちが大きく変わったのは、2007年9月エキシビションマッチで、かつての女王シュテフィ・グラフさんと対戦したことだった。
 伊達さんは、グラフさんに一度だけ勝ったことがある。それは1996年の国別対抗フェドカップでの対戦だった。試合はフルセットまでもつれ、長く苦しいラリーが続いていた。しかしそのVTRは残っていた。ラリーの途中、伊達さんはグラフさんの鋭いショットに振り回されながら、なんと微笑んでいたのだ。

 その瞬間の駆け引きっていうことが、こんなに楽しいものなのかって。自分が出せば出すほどさらに上にいくグラフ。また自分もなんとか食らいついていきたいっていうふうに、それがどんどん膨れ上がっていって。しんどいからもういいって、気持ちの上でギブアップしたい気持ちもやまやまなんですけど、でも楽しいからやめたくないし終わりたくないなっていう気持ち。ああいう感覚はほんと最初で最後ですね。

エキシビションマッチでグラフさんと再び戦った伊達さんは、フェドカップで演じていた死闘を思い出し、テニスに対する情熱が再び湧き上がったという。『あの最高の瞬間をまた味わいたい・・・。』

 そんな伊達さんの思いを大きく後押しした人、それは夫のミハエル・クルムさんだった。

 彼なんかは、別に負けようが、人がどう思おうが、『自分が楽しけりゃそれでいいじゃない?それ以上の事何を考える必要があるの?』みたいな、至ってシンプルな考えなので、それよりも自分がチャレンジできる事があるんだったらそれやればいい、それ以上でもなければそれ以下でもないって言われると、『あ、そっか!』って思える自分もやっぱり出てきました。

今はもう孤独ではない。復帰初戦の試合には、コートの入り口までエスコートしてくれて、試合中も一緒になってドキドキしてくれて、試合後はコートの外で抱擁とキスで迎えてくれる、夫ミハエルさんがいた。

 いまの伊達さんの”のびのびとテニスを楽しむ姿勢”は、さっそく若い選手のよい手本となっていたようだ。復帰後すぐのトーナメントで伊達さんに敗れた、JTAランキング3位(当時)の中村藍子選手。次の大会の欠場も考えるほどショックを受けたそうだが、ちゃんと翌週には気持ちを切り替えてきていた。自分のテニスを取り戻した中村選手は、勝ち負けを超えた駆け引きを楽しむようなラリーで実力を出し切り、見事、伊達さんにリベンジを果たした。
 中村選手は言った。

 先週やってみて、伊達さんはやっぱりすごいっていうのを本当に感じたし、学ぶこともたくさんあったので、もう一度伊達さんとできて自分のプレーを出し切れたっていう事は、これからの自分にとってすごくいい経験だと思うし、本当によかったと思っている。


 現役時代はマスコミ嫌いで有名だった伊達さんが、番組のインタビューに『今は何をやってても楽しい』と笑顔で話してくれた。

 やっぱり、あの時にやめてるから今がある事を良かったかなと。たぶんあれが30ぐらいまでやってれば、今は反対にやる事はないと思って。二度楽しめてるみたいな(笑)

今は心の余裕ができた分、”冒険”をすることもできるようになったと笑う伊達さん。絶頂期でテニスを辞めてしまったことは、伊達さんにとって決して”挫折”ではないのだ。

 私は頭を打たれたような気がした。「~しなきゃいけない。」という考え方で身動きが取れなくなる苦しさは、こんな私でもよくわかる。私はいまだに、そんな”クリンチ”状態が続いている。けれども考え方を少し変えれば、「何をやってても楽しい」と言えるようになるのだと、伊達さんは教えてくれているような気がする。あの伊達さんですら、そう言えるようになるまでに11年半かかったのだ。
 私も気長に、自由な時間を満喫させてもらっていいのかもしれないと、少し自分を許せる思いがした。自分が本当に好きで、本当にやりたかった事を思い出すまで。会社をやめてよかったと思えるようになるまで。もう少し。