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過剰覚醒社会
2008.07.25 Fri 11:48 | こころ | 心と身体
 日本経済新聞の7月24日夕刊「シニア記者がつくるこころのページ」に、『失われる息抜き時間 野田正彰さんに聞く』という記事があった。

 関西学院大学の野田正彰教授(比較文化精神医学)は、お父上が外科医で、小さい頃から人の大病や死、そして遺族の嗚咽を見て育ち、”人の悲しみに過敏になった”と自ら語るヒューマニストだそうだ。
 その野田先生が、21世紀に入ってからの仕事場の変化に危機感を募らせているという記事であった。

 野田先生が問題視しているのは、労働時間の増加だけではない。職場で「ほっとする時間」 「息抜きできる瞬間」が消えうせて、過度な緊張状態が延々と続く働き方が問題なのだそうだ。

 その緊張が仕事が終わって、帰宅してからもほどけない人が目立つ。『あれをしなければならない。あー、この点が欠けている』などと頭の中を仕事のことがぐるぐると駆け巡り、やむことがない。これは職場での残業時間がどうかといった問題の域を超えている。私は過剰覚醒社会になったとみている。

なんだなんだ?これは私か?まるで、お風呂の中でも壁のタイルに回路図を描いていた、夢の中でも特許を書いていた、そんな昔の自分を見ているようだと思った。
 最近特にこんな人が増えていて、『とにかく寝かせてくれ、睡眠薬を出してくれ』と訊ねてくる患者さんが多いのだそうだ。その背景には、四六時中働く人を管理し、人がぼーっとする空いている時間をなくし、すべての時間を無駄にせず有効に使おうとする企業の姿勢があると、先生はいう。

職場でぼーっとしてすごす時間が、やはり必要だ。最も大事なことだと言っていい。ぼーっとすると意識が自由になる。いろいろなことがとめどなく頭に浮かんでくる。(中略) そういういことを通して人は生きることを味わう。余裕がまったくないと、何のために生きているかわからなくなる。

まったくその通りだと、会社を離れてみて今さらながら思う。その通りなのだが、企業の中で働いている人は、なかなかその事に気づかないものだ。それはもしかして、心を型にはめて楽にするいわゆる『マインドコントロール』状態なのかなとも思う。そしていつしか「心の病」になってしまう人が最近増えているのではないかと思う。
 だが、ひとくちに”自由になる”といえども、言うは易し、行うは難し。1人でもがいても限界がある。野田先生のおっしゃるように、『国のありかたも、経済大国志向はそろそろやめにして、大きくはなくても国民が幸せな国へと新しいプランを作るべきだろう』、というのも重要なことだろう。

 最後に、野田先生のこの言葉が印象に残ったので、引用しておく。

 やはり働き方には人間性が大事だということだ。普通の人間として生きられる生活、働き方。そもそも人は生活の質をよくするために働いているはずなのに、現実は必ずしもそうではない。

私はしばしば引用するあの格言を思い出した。

生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ ─ ソクラテス

生きることそのものが人生の目的なのだ。ただ生きていることを味わう幸せ。そういえば、もう何年もそんな事を思ったことはない。私の心が自由になるのには、もう少し時間がかかりそうだ。

ごめんねという癒し
2008.07.25 Fri 01:09 | エッセイ | 小説・文学
 遠方に住む姉と”スカイプ”で話をした。昨日メールをくれたのでそれに返信をして、急遽お話をすることになったのだ。私もここのところ孤独な気持ちを抱えていて、優しいメールをくれた姉と無性に話をしてみたくなった。

 姉は、私の返信メールの中の”ごめんね”に驚いていた。私はこんな事を書いていたのだ。

 お姉ちゃんの就職や退職の頃を思い出しちゃった。お姉ちゃんもいろいろ(母に)責められてたよね。一番苦しんでるのはお姉ちゃんなのにねって思ってたけど、全然助けてあげられなかったね。ごめんね。

姉が言うには、『そんな事もあったっけ』程度で、すっかり忘れていたという。『そんな事ばっかり気にしてるから疲れちゃうのよ。』と優しく笑っていた。
 けれども私にとってはそれは強烈な記憶で、毎日鬼の形相で姉を責めたてる母と、泣きながら言い返していた姉と、同じ場にいながら何も言えずにうつむいて黙っていた私。今でもその場面を脳裏に描くことができる。今から考えると、『ああ、あの時の姉は1人でつらかったんだろうなぁ。』と思ったから”ごめんね”と書いたのだが、本人が忘れていたとは。

 それから姉と『不思議なもんだね~』と、しみじみ話をした。十年以上たっているのに、特に大きな出来事でもないのに、今でもふと思い出す『あ~悪いことをしちゃったなあ』という気持ち。そんな思いが、姉にもあるという。
 姉はまず、小さい頃私にいろいろとひどい仕打ち(?)をした事を謝っていた。私にはまったく覚えのない事だった。それから姉は、高校時代のささいな事が突然夢に出てきた事で自分の失言を思い出し、その相手に電話をして謝りたい気持ちになったとも言っていた。『でもきっと忘れてるんだろうなあ。』と笑っていた。
 シークレットでコメントをくださった方にも、たまたまそんな方がいた。おそらく相手は何とも思っていないであろう事なのに、やけに自分だけ気になる後悔の記憶というものが、そんな小さな心の傷が、人間誰しもあるようだと感じる。

 私には、今謝りたい人が2人いる。その事を思い出すだけで、口の中に苦~い味が広がるような記憶がある。たぶんふとしたきっかけで思い出す”謝りたい人”は、これからもゴロゴロと出てくるのだろう。
 謝る事で自分の気が晴れるなら、相手が忘れていようが迷惑だろうが謝らせてもらいたいものだと、勝手ながら思ったりもする。もちろん、年月がたったことで水に流してもらえるという計算があるから言える事なのだろう。その場で謝れなかった自分を恥じつつも、誰かに赦してもらう喜びで癒されたいだけなのかもしれない。ある意味、自己満足なのかもしれない。

 が、今日姉から”小さい頃は本当にごめんね”と言われたとき、なんとも言いようのない暖かさを感じた。覚えていないなりに実はとても嬉しかった。自分の事を、自分が知らない間に思っていてくれた人がいたというその事実が、嬉しかったのだと思った。そういう事が、私が求めている本当の”コミュニケーション”なのかなと思った。

ちなみに、私の母のように『恨み』の記憶が強い人に唐突に『あの時はごめんね』と言うと、気分によっては突然いろいろ思い出して手がつけられないほど怒り出すことがあるので、注意が必要である。

薬と人格
 薬を飲んで症状をおさえることはできる。嫌なことを考えないようにもできる。

 でもそれって本当に”私”なのだろうか?人とはちょっと違う精神構造を持つ少数派の人、それは個性と言うことも出来る。けれどもそれを”精神病”と定義しているのだとしたら、社会に適応するために、薬を飲んで一般的な人格に修正していくことが”投薬治療”なのだとしたら、なんとなく怖い気がした。
 それも”私”なのだろうか?それは誰?本当にそれでいいの?

 ああ、この感じ、昔もあったな。
 会社に就職してすぐの頃、毎朝の早起きと、研修の工場実習があまりにも大変で、『こんなのが一生続くなんてごめんだ。』とチラっと思って泣いた。けれども、すぐに私は自分を戒めた。『日本のサラリーマンになるなら、これぐらい我慢しないと。自分を殺してでも、歯車に徹する気持ちで望まないと、これから先やっていけないぞ!』
 そして3ヶ月間の研修を終える頃には、私はすっかり会社人間として出来上がっていたのだった。

 環境にあわせて、まるで違う自分を作り上げていくような感覚は、私だけが感じるものなのだろうか。一種の人格障害?一種の多重人格?よくわからないが、変化を迎える前は、自分の中で”自我を失う”という葛藤がある。けれども、過ぎてしまえばどうってことはない。昔の自分は消え失せているのだから、もう苦痛も何も感じない。
 それがいい事なのか悪い事なのかはわからない。たとえば会社人間に作り変えてしまった事は、今の自分の病気を呼び込んだ一因でもあるわけで・・・・。ということは、昔の自分は完全に消え失せてはいなくて、まだ心の中でもがいているのだろうか。

 考えがまとまらなくなってしまったが、今悩んでいるのは、パキシルを増やすかどうしようかということ。薬を増やすのは簡単だし、そうすれば鬱な気分が減って気分が上向きになるという。けれども断薬が難しいパキシル。これまでに3度も断薬に失敗している。
 いつかは子供も欲しいし、それまでにはパキシルを飲まないで生きていけるようにならなければ。今また増やしてしまうと、パキシルから離れるのはいつになってしまうのだろうと思うと、焦る。時間だけが無情にすぎていく。

私の癒し
2008.07.24 Thu 10:19 | フェレット | ペット
私の癒し。フェレットのどんぐりちゃん。

SIMG_0521.jpg毛づくろい中に呼んだとき。
「ん?」

SIMG_0524.jpg小物をゴチャゴチャ置いてある中から
大好きなポケットティッシュだけを選んで
せっせと秘密基地に運んでいく。
もっとずる賢い表情をしているかと思ったが
案外めんどうくさそう。

こうしてみると、だいぶ目の腫れは引いたようである。
でも最近は暑さのせいか年のせいか、すぐにペッタリ伏せてしまう事が多くなった。それが心配。

甘えたい
 どうも今日は調子が悪いと思っていたら、昨日パキシルを(25mg)飲み忘れていたようだった。小分けした薬箱の昨日の分が残っていたので、さっきやっと気づいたのだ。
 パキシルの断薬症状は、(私の場合)かなりすぐに出る。夜ご飯を食べた後、体がだるくなってとつぜん床に倒れ、そのまま起き上がれなくなった。涙が勝手に溢れ出し、発狂しそうになり、嗚咽がとまらず、呼吸が苦しくなった。手が震えた。とにかく死にたかった。消えたくなった。

 薬をいつもより多めに飲んで、落ち着いた私は思った。
 私は勘違いをしていた。このブログのアクセス数が伸びていて、自分の文章の力に酔っていたのかもしれない。私は、対面する人間に面と向かって何も言えない弱虫であることが、悔しくて情けなかったのだ。ここに文句を一種の”表現”として書き連ねていれば、誰かが同情してくれる、誰かが私を助けてくれると思っていた。
 でも、自分で答えがわかりきっているプライベートな事を、無関係の他人に言いまわって何になろうか。何にもならない。それもわかっていた事じゃないか。

 メールボックスを開いたら、姉からメールが来ていた。私の事は何も聞かず、ただ姉の日々を淡々と書いてくれた。すごく暖かいメールだった。同じ母の元で育って苦労した姉。私の気持ちを一番わかってくれる人かもしれない。やっとおさまった涙が、また出てきた。

 でも私は、今とても孤独だ。あふれ出しそうな私の心の中。それを昇華させる方法に悩み途方にくれるよりも、何も考えないようにしてしまう方が楽なのだろうか。先生も夫も”病気だから”といった感じで、親身になって話を聞いてくれなかった。ネットの友達にも、鬱がうつるといけないから言えないと思った。今日ほど孤独を感じたことはなかった。

 姉に会いたい。会って思い切り甘えたい。
 いや、違う。本当は母に会いたいのだ。会って思い切り甘えたい。抱きしめて欲しい。

#そういう訳なのでコメントいくつかいただいてますが、お返事は明日以降にさせていただきますm(__)m

精神安定剤
 精神科へ行った。

 「どうですか?調子は・・・」

と訊ねる先生に、私は夏休みの帰省を控えて憂鬱なこと、さらにその事で精神的に母と疎遠になっている最近の苦しい心境を語った。少しのことでイライラしたり、涙が出たり、ほぼ毎日『死にたい』『消えたい』と思っていることを話した。けれども現実は間違いなくやってくる。逃れようがない。だから薬を増やして飲んでいる事も話した。

 「ご主人には言ってみました?だって負担に思っている事は事実なわけで・・・」

 私は考えた。何を?こんなにしてもらっている夫に、これ以上何を要求するの?私だって、気まぐれな母の誘いに、1~2ヶ月に1回は夫をつき合わせている。世の中の人だってみんな、親戚づきあいとかぶっちゃけ面倒くさいなあと思いながらも、きちんとやっているのだ。そう、これは私のわがままに違いない。私は、母の顔色を伺っているだけのマリオネットなのだ。そんな事のために、夫にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
 昔、夫に『1人で帰省できないの?』と聞いたら、『仲が悪いのかと思われるでしょ!そんなの聞いたことないよ。』と怒られたことを思い出した。そう。夫にだって夫の事情があるのだから。

 「そんな事いえません。」

と私は答えた。先生は「うーん」と言いながら、頓服的に飲んでいた精神安定剤を毎日分処方してくださった。”これで乗り切ってくださいね”というメッセージと受け取った。
 所詮『レキソタン』、普通の安定剤だ。薬で嫌なことが忘れられるなら、それでいいではないか。こうして、私はまた減薬に失敗するのだろう。