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シークレットコメント
2008.07.06 Sun 14:29 |
 最近、シークレットでコメントを下さる方が増えています。ひっそりと励ましてくださる方や、違った角度からのものの見方を教えてくださる方、また今日あった事を聞いてほしいという方など、さまざまです。私としても、正直に心のこもったお話をしていただけるのはとても嬉しいので、その感謝の気持ちだけでも反応をお返ししたいのですが、私からのコメントはシークレットに書けなくて少し困っています。アバウトな返信しかできなくて、当たり障りのない程度の内容になってしまいます事を、お許しください。

 なので、少し考えました。
 シークレットのコメントを下さる方で、もしお返事を公開されたくない、もしくは具体的な話を聞きたいとお望みの方は、コメント内にメールアドレスを記載くだされば、後日私からメールをお出しすることも可能です。
 ただし、ブログのコメントは一両日中にお返事するように心がけていますが、メールとなりますと私の義務的負担を減らしたいという思いもありまして、お返事がかなり遅くなる場合がありますのでご了承ください。また、私自身もともとメールが苦手でして、そんな私の身勝手な都合から、メールのみのやり取りはご遠慮させていただきます。なにぶん私も体調がまだ不安定なもので、申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。

 もちろん、これまで通り、『ただちょっと言いたいことがあっただけです~』という場合は、メールアドレスの記載は不要です。私のほうも、コメントにて思ったことだけ返信させていただきます。

 今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

P.S. ごく一部の友人で、『携帯から書き込むと、どうしてもシークレットになってしまう!』という人がいましたが、それは知りません^^

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私の死亡記事
 深夜にやっていた『天国へのシナリオ』という番組を見た。

 自分はどのように死にたいか?自分の死ぬ日の姿を想像したシナリオを作り、ショートドラマ化。それを見ながら“自分がいかに死にたいか=いかに生きたいか”を語り合う、新しいスタイルのトークバラエティー番組。(NHK番組表より)

夏木マリさんと立川志の輔さんの理想の死に方を見て、”自分が好きなことをして死ぬのが一番の贅沢”なのだなと感じると同時に、”そううまく思い通りには死ねないんだよね”というお話に大きくうなづいてしまった。

 そんなわけで、私には番組の中盤に流れていた”私が書いた私の死亡記事”というコーナーがとても印象に残った。その名の通り、何人かの著名人が自分の死亡記事を想像して書き、それをアナウンサーが朗読しているだけのコーナーである。けれども、どの記事にも少しずつ笑いの要素がちりばめられていて、”死”なんて意外とあっけなく、これぐらいマヌケなものなんじゃないかなと思ったのだ。

 『体がどんどん小さくなり死亡した。』と書いたのは、コメディアンの石井正則さん。

 最後は急速に縮んでゆき、「『死』というより『消滅』じゃな」と言いながらドットのようになり、文字通り人生のピリオドとなった。

思わず「うまいっ!」と声を出して笑ってしまった。誰が面白いことを言えと・・・。

 『ヒマラヤ山中で裸の遺体が発見された。』と書いたのは、ミュージシャンの細野晴臣さん。

 なお、裸の遺体の近くに着衣は発見されず、奇妙なことに普段着ている服は、誰も訪ねて来ない自宅の風呂場に、溜められた水とともにそのまま脱ぎ捨てられていた。まるで入浴中にヒマラヤへ飛んでいったかのような謎の失踪に、関係者は首をかしげている。

ワープして好きな場所で死亡というのもいいものだ。けれども死因は凍死ではなく、栄養失調だそうだ。

 『介護施設で頭部を強打したことによる脳内出血で死亡』と書いたのは、俳人の坊城俊樹さん。

 以前から好意を寄せていた女性をエスコートしようと腰に手をまわしたところ、その手が激しく震えて臀(でん)部をさすってしまい、突き倒された際に後頭部を強打した。

そんな自嘲気味なオバカな死に方もいいかもしれない。坊城さんが想像した辞世の句は、108歳での死亡を予想してこんなものだった。

煩悩の 数に降りやむ 春の雪      俊樹

 番組に触発されて、私もなんとなく自分の死亡記事を書いてみたくなった。色々と考えてみたのだが、どうしても今の私が書くと、自殺あるいは事故による悲惨な死亡記事になってしまいそうなのだ。上のみなさんのように、気の利いた最期が書けない。
 もう少し、元気になったらいつか書いてみたいと思った。他人に見せられるだけの最期を想像できるような、自由な発想の頭になりたいと思った。