為末選手は、『侍ハードラー』というニックネームがつくほど、”ハードル道”を極めている求道者である。私は世界選手権で銅メダルを取ったときの為末選手を見て、そのオーラが修行僧のようだなあと思った。
為末選手のハードリング技術は世界一とも言われているが、為末選手は専属のコーチもつけず、技術をたった一人で磨き上げてきたのである。
そんな風に笑う為末選手だが、やはりそれは常に孤独との戦いでもあるようだ。なにしろ、彼がやろうとしていることは前例のない試みで、確信をもってアドバイスを送れる人物はこの世に存在しないからだ。なにしろ一番面白いとこですからね。何か結果が生まれて、それを後から考えて、良かったのはなぜなのか、悪かったのはなぜなのかっていうのは、一番スポーツの面白いとこだと思うんですよね。居酒屋の野球論議だってそうじゃないですか。スポーツの一番面白い部分を、人にやらせたくないっていうのもあるかもしれないですね。
技術的なものが、たぶんかつていろんな人が考えたことのないような所に行っていて、それが正しかったら僕はすごい偉業を成し遂げるんでしょうけど、間違えてたら”最後おかしな技術にはまってダメになった選手”になるんだと思うんですけど、その境目にいるんで。
どっちだと思う?って人に相談しても、たぶん相談されたほうも困りますし。だから結局、競技の事に関して言うと、すごい孤独になることが多くなってきましたね。特に技術的なものに関しては、ほぼ理解しあえるところはあまりないですね。
実は為末選手は、北京オリンピックで金メダルを取るために、1年以上ハードルを飛ぶのをやめて、走りを磨くことだけに専念してきた。そんな試行錯誤の結果がまだ出ていない焦りと不安の中、北京オリンピック代表は6/27の日本選手権で決まることになっていた。
この1~2年は、若手選手の激しい追い上げも受けている。中でも注目は185cmと長身の成迫健児選手だ。成迫選手は上り調子で、今シーズン国際大会で3度の優勝を飾っていた。一方の為末選手は4月に左右のふくらはぎを故障し、さらには6月に左のアキレス腱までも痛めてしまった。
練習パートナーさえいない状況を好み、自分の世界に一人で没頭している為末選手。コーチのいない為末選手は、はやる気持ちに自分でストップをかけなければならない。
さらにこんな事まで言っていた。いかに自分と切り離して考えるかっていうのは、辛かったですね。苦しい僕とは別として決めないと。ただ、いざって言うときにみんなが救いを求めているところに、コーチがあるっていうのを見てて、羨ましいななとは思いますね。
彼は本当に孤独と戦って戦って戦いぬいたのだ。1日1回背筋が寒くなる瞬間があって、今日なんか井上康生君が引退する会見とか見て、別に僕がそっち側に回ってもおかしくないんですよね。痛いまま一ヶ月いたら、たぶんオリンピック出れないでしょうから。
運命の6/27、400mハードル決勝で、為末選手はスタートと同時に猛然と飛び出した。
最後までもつのか?誰もが為末選手の失速を予想した最後の直線、歯を食いしばって先にフィニッシュしたのは、為末選手だった。それは、誰も予想することのできない結果だった。ありえない力だった。実況:「為末がずいぶん飛ばしています!」
実況:「成迫も後半もともと強い選手です!」
試合を振り返って為末選手は笑った。
いつもは自他共に認める『理屈っぽい』為末さんが、この日だけは”感情の勝利”と言い切った。スタートの前は極端な話、世の中の人がみんなダメだって言っても、自分だけはいけるつもりでいようって素直にそう思えたんで、それは大きかったですね。たぶんスタンドも含めてあの中で、ほんとに優勝するなんて信じてたのは、僕だけだったんじゃないかなと思うんで。
そういう理解できない”人間の思い”が物事を動かすことがあるんだなって、今日はすごく実感しましたね。最後まで諦めないっていうのは、すごく大事かなって思いました。
けれどもその源は、孤独になって考えに考え抜いたことから来る確固たる『自信』から来ているのだろうと、私は思った。自分が自分を信じてあげる。世界中が自分を敵に回しても、自分だけは自分を裏切らない。その強い気持ちを、私も少し見習いたいと思った。
私は先生が番組でおっしゃった言葉に、とても救われた。
この言葉は、なかなか社会に適応できず自分を許すことができないでいた私を、とても楽にしてくれたのだ。『自分の力だけではないんだ』と思って、運命のようなもの、自分の思惑や人智ではとても及びがつかないような人生の大きな流れみたいなものを、きちんと見て受け止めていくこと生きていくことが、ストレスの解決には大事。
そんな気持ちをこめてお礼のコメントをしたところ、お返事にさらにすてきな言葉をいただいた。
今の私には、まさに目からウロコが落ちたような一言だった。カウンセラーも、カウンセリングを自分の力でしようと思うと、うまくいかないです。相手(クライアント)が勝手に成長し、治っていくんだという側面を絶えず意識しながらいることがけっこう大切なように思います。
いつもいつも、自分のことよりも他人に対して気を使いすぎている私である。家族や友人、ネットの友人について、一度相談に乗ってしまったら一生面倒をみなければいけないのではないかとか、なんとか元気にしてあげたい、自立させてあげたい、最後まで見届けたい・・・・勝手に色々な責任感で押しつぶされそうになっていた。それなのに心がついていかなくて、後悔したり自分を責めたり、突き放してみたり急に優しくしてみたり。そして途中からは、誰に課せられたわけでもない義務感でがんじがらめになってしまうのが常であった。
そうか。人はそんなに弱いものではないのだ。少しだけ話を聞いてあげて、背中を押してあげれば、”勝手に成長し治っていく”生き物なのだ。そして私も、きっとそういう能力を持っているはずなのだ。それを意識しないと、私も母と同じように過保護で依存型の人付き合いしかできなくなってしまうのだろう。
心に留めておきたい大切な言葉が、またひとつふえた。