| Home |
7月11日の日本経済新聞(夕刊)の社会面に、気になる記事があった。
私はふと、読書感想文をコンクールに出すことになった小学生の時の事を思い出した。なぜか私は、提出した感想文の手直しを母親や担任に求められ、ハイハイと直していくうちに複数の大人たちの意見を取り混ぜざるを得ない状況になり、しまいには最初に書いた自分の感想などみじんもない、ありきたりな感想文をコンクールに出したのだった。当然、評価はもっとも低い”佳作”であった。
そもそも、”感想”がひとつでなければいけないというのもおかしなものだ。感じ方に正解などないはずなのに、むしろ他の人が『そうだろうか?』と思うような問題提起だって必要なはずなのに。子供のうちから人の意見の受け売りを当たり前の事として覚えてしまうと、自分の発想を自由にする力が失われてしまうのではないかと心配でならない。
心の自由が失われ自分で結論を出せる状況でなくなること・・・それは(以前精神科医の斎藤環先生もおっしゃっていたが)、『心の病』の状態そのものではないか。読書感想文のコピペはモラル以前の、人格形成にかかわる大変な問題だと思った。
大学のレポートのコピペと言えば、私が学生だった頃はレポートは手書きでなければならなかったものの、当時もやはり『過去レポ』なるものが出回っていた。私も実験のレポートを、翌週に同じ実験をする友人に頼まれて、コピーして渡したりしていた。
ところが、この友人がとても字がきれい。しかも、困ったことにほとんど一字一句変えずに書き写すのでタチが悪かった。私のレポートは何度も書き直してやっと出来上がったものだったので、文字間がつまったりひらいたり、消しゴムの使いすぎで紙が黒くなっていたりしていて、決して見栄えのいいものではなかった。後輩たちにその『過去レポ』がわたる頃には、その友人のレポートが完璧だと評判になっていたのだが、元は私のレポートなのにと少し複雑な心境だった。
感想文もレポートも、もちろん、参考資料として他の人のものを読むのは構わないと思う。いろいろな情報のひとつとして利用するのは、悪い事ではないと思う。けれども、それに対して自分はどう思ったか、誰かの受け売りではない自分の意見をしっかりといえるように訓練しておかないと、将来私のように心の多様性を失う『心の病』になってしまうかもしれないよと思った。
なんでも、著名な文学作品の感想文のサンプルを並べたサイトが複数あるらしいのだ。模範解答とでもいうのだろうか。小学生も感想文 コピペ
パソコンの画面の文章を複写して別のファイルに張り付けるコピー&ペースト(コピペ)の横行が教育関係者を悩ませている。昨年、小学生の説く書感想文でもコピペが発覚。大学生の間では日常的に横行しているとも指摘されており、盗用が疑われるリポートが半数を超えた大学医学部も。
私はふと、読書感想文をコンクールに出すことになった小学生の時の事を思い出した。なぜか私は、提出した感想文の手直しを母親や担任に求められ、ハイハイと直していくうちに複数の大人たちの意見を取り混ぜざるを得ない状況になり、しまいには最初に書いた自分の感想などみじんもない、ありきたりな感想文をコンクールに出したのだった。当然、評価はもっとも低い”佳作”であった。
そもそも、”感想”がひとつでなければいけないというのもおかしなものだ。感じ方に正解などないはずなのに、むしろ他の人が『そうだろうか?』と思うような問題提起だって必要なはずなのに。子供のうちから人の意見の受け売りを当たり前の事として覚えてしまうと、自分の発想を自由にする力が失われてしまうのではないかと心配でならない。
心の自由が失われ自分で結論を出せる状況でなくなること・・・それは(以前精神科医の斎藤環先生もおっしゃっていたが)、『心の病』の状態そのものではないか。読書感想文のコピペはモラル以前の、人格形成にかかわる大変な問題だと思った。
大学のレポートのコピペと言えば、私が学生だった頃はレポートは手書きでなければならなかったものの、当時もやはり『過去レポ』なるものが出回っていた。私も実験のレポートを、翌週に同じ実験をする友人に頼まれて、コピーして渡したりしていた。
ところが、この友人がとても字がきれい。しかも、困ったことにほとんど一字一句変えずに書き写すのでタチが悪かった。私のレポートは何度も書き直してやっと出来上がったものだったので、文字間がつまったりひらいたり、消しゴムの使いすぎで紙が黒くなっていたりしていて、決して見栄えのいいものではなかった。後輩たちにその『過去レポ』がわたる頃には、その友人のレポートが完璧だと評判になっていたのだが、元は私のレポートなのにと少し複雑な心境だった。
感想文もレポートも、もちろん、参考資料として他の人のものを読むのは構わないと思う。いろいろな情報のひとつとして利用するのは、悪い事ではないと思う。けれども、それに対して自分はどう思ったか、誰かの受け売りではない自分の意見をしっかりといえるように訓練しておかないと、将来私のように心の多様性を失う『心の病』になってしまうかもしれないよと思った。
2年ほど前に、FC2ではない別のサイトにブログを書いていた。そこを久しぶりに覗いたら、自分では覚えのない面白い記事もいくつかあった。
その中に、すぐ忘れてしまうから書き留めておきたい文章があったので、ここに転載しておく。
久しぶりに聖書など開いてみました。
中学高校がキリスト教系の学校だったので持ってました。
しおりが挟まってた場所に書いてあった言葉です。
なんか自分的にタイムリー^^
その中に、すぐ忘れてしまうから書き留めておきたい文章があったので、ここに転載しておく。
久しぶりに聖書など開いてみました。
中学高校がキリスト教系の学校だったので持ってました。
しおりが挟まってた場所に書いてあった言葉です。
なんか自分的にタイムリー^^
自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また、何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。
(ルカによる福音書 第6章32-35節)
| Home |