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忘れるという死
死んだらこの苦しさをわかってもらえるのかな。
よく『死ぬぐらいなら相談してくれればよかったのに』と言う人がいるが
言っても本気で聞いてくれなかったんじゃないのかな。
気休めの慰めとか励ましとか欲しいのはそんな事じゃないんだ。
死んでみせる事でしか自分を表現できなくなってきているような気がする。

でも私には『絶対に死なないから』って約束した人がいる。
死ぬことすら自由にできない状態なんだ。
だったらどこか隔離病棟にでも入れてくれないかな。
そんな形で死んだと同じことにしてくれないかな。

もうみんな私のことは忘れてくれていい。
私も忘れるから。
そしてすっかりあきらめがついた頃に
ひっそりと”千の風”になって大切な人のそばにだけいたいんだ。

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夏がきらい
2008.07.16 Wed 18:51 | アダルトチルドレン | 心と身体
 そろそろ夏のすごし方を考えなければならない時期が来た。なんとなく慣例的に、(彼の)夏休みは彼の実家へ帰省することになっている。その間、私はフェレットのどんぐりちゃんを私の実家へ預けなくてはならない。そして帰省から帰ったら、母の誕生日というイベントが待っている。『あちらの家ばっかり・・・』という母のちょっとした不満を解消するためにも、私は母のご機嫌をとらなければならない。
 色々と連絡をしたり調整をしたり機嫌を伺ったり、掃除をしたり支度をしたり片づけをしたり、長距離の移動をしたり久しぶりの親戚に会ったり、どんぐりちゃんと離れ離れになったり。この時期だけは病気を押し隠してやらなければならないことが山積みで、何もかもが平凡な日常とは違いすぎて、今から頭の中がパニックだ。

 しかもここ1~2週間ほど、私は実家の母への連絡を怠っていた。母からの連絡もそういえば珍しくない。なにか怒らせてしまったのではないだろうか。陰で私の悪口を言っているのではないだろうか。気がつかないふりをして面倒なことから逃げていたら、どんどん連絡しづらくなって、今はもう電話が怖くて怖くてしかたがない。昨日から食欲がなく、眠れなく、胃がきりきりと痛んでいる。

 夏休み・・・いやだなぁ。夏はきらいだ。



<追記>
 意を決して母に電話をしてみた。機嫌は良いようで、フェレットを預けることは快諾してくれたが、いろんな言葉が嫌味に聞こえてならなかった。

「旅行に行けるぐらい元気でよかったよかった。」
「連絡もないから具合が悪くて倒れてるのかと思ってたわ。」
「あなた調子悪そうだから『今年は帰省なんて無理ね』と思ってたのに。」
「やっぱり男の子はしっかりしてるのね。」
「行くのはいいけど後で倒れないようにしなさいよ。」
「私のことは誰も面倒見てくれないからしょうがない。」

そんな事を繰り返し言われた。とくに「旅行に行けるぐらい元気でよかったよかった。」は、話の合間にいちいち言われた。電話を切る直前にまで言われた。そのたびに私はめまいがした。

 私が彼の実家へ帰省をするのは、無理を押して意に反してのことなのだ。けれどもそんな事は言えなかった。私はおそらく帰省から帰って1週間ぐらいは倒れるであろう。けれどもそれも隠さなければならないと思った。愛情に飢えている母の頭の中には、『そんなに元気なら私に構ってほしい。』とか、『自分を一番に見てほしい。』という気持ちが常にある。母がその気持ちのコントロールを失ったとき、誰にも手がつけられなくなる事はわかりすぎるほどわかっている。どんな風に爆発するのか想像しただけで怖い。離れて暮らしているのに、いまだに怖いのだ。

 やっぱり夏はきらいだ。

伝えること伝わること
 毎週見ている「爆笑問題のニッポンの教養」。今週は先週にひきつづき、東京藝術大学の学長である宮田亮平先生を訪ねての『アートのハート』という対談であった。
 先週までのところ、宮田先生の明るい語り口とあまりにもピュアなご意見に、『それで大丈夫なのか!』などと大きな口をたたいていた私であった。けれども、今週最後まで番組を見たら、先生に対するイメージが少し変わった気がした。

 今週の話題の中心は、”伝えること伝わることとはちょっと違う”という内容だったと思う。それがいい事なのか悪い事なのか。太田さんと宮田先生の間で、捕らえ方が少し違っていたようだ。

 何も漫才やらなくたって絵書かなくたって、伝える手段なんていくらでも持ってますよ。それなのに、伝えたい事ってどんだけ伝えづらいかって常に感じる。すごい難しいじゃないですか。ってか一回もないよ、伝わったことって!

とツバを飛ばしながら苦悶する太田さんに対して、宮田先生は『若い頃はそんな時代もあったけど、あるとき吹っ切れた』と語る。

 違うふうに伝わってもいいやって思うようになったんだよね。
 Aを伝えたいと思って作品作るとするじゃない?でも出来上がった作品というのはもう僕の手から離れるわけだよね。もう彼は生命もってるから。彼が動いていったときに、見る人がBって感じたとするじゃない?それをいつも僕がそばに行って『いやこれはAです』って言わなくていいよね。

それでもしつこく『絶対に嫌でしょ!伝わらないことは許せないじゃないですか!』と食いつく太田さんであったが、『今いくつだっけ』と聞く宮田先生は、43歳という太田さんに微笑みながら言った。

 20年上なんだね。そうするとその20年の中にね、結構あるんだよ。

そういうものなのかなあ。まだまだ先は長いなと思った。

 そして流れた宮田先生の単独インタビュー。その表情がとてもやわらかく、何か悟ったような表情だった。

 考えるのは後からでいい。まずやる。まずつくる。理屈が先にあってその後に物を作ろうとするとね、それを伝えよう伝えようとするから、余計もういっぱいいろんなもんくっつけて、シンプルじゃなくなってくるんだよね。そうすると自分がわかんなくなるんだ。

この言葉と先生の表情に、私はすこし涙が出そうな思いだった。理屈で考えて動けなくなっている私に、”そんな事は後から考えなさい”と言われているようだった。自分が思っている以上に、現実はシンプルなのかもしれない。私は、自分と自分でないものとの境界線がよくわかっていないのかもしれない。
 自分の手から離れたものは、もはや自分ではないと認識すること。そこを切り離す潔さも必要なのだろう。ましてや、他人の考えなど制御できるものではない。理解できるものでもない。それを忘れないようにしなければ・・・。
 さかんに先生に食いついていた太田さんも、実はその辺をよくわかっていたようで、結局こうまとめていた。

 伝えたいものが、その人の解釈で変化していいじゃないか。その変化こそがその人なわけでしょ?


 つまり、昨日の記事の読書感想文の話ではないが、ものごとの感じ方に”これが正解”なんてものはないのだ。そしてその感じ方の多様性こそが”個性”なのだ。人と違うことを恥じることはないし、批判されることもないのだ。
 完ぺき主義で、”これだけ理屈が通っているのだから、すべて自分が正しいはず”、とどこかで思っている私には、少々耳の痛いお話となった。