fc2ブログ
甘えたい
 どうも今日は調子が悪いと思っていたら、昨日パキシルを(25mg)飲み忘れていたようだった。小分けした薬箱の昨日の分が残っていたので、さっきやっと気づいたのだ。
 パキシルの断薬症状は、(私の場合)かなりすぐに出る。夜ご飯を食べた後、体がだるくなってとつぜん床に倒れ、そのまま起き上がれなくなった。涙が勝手に溢れ出し、発狂しそうになり、嗚咽がとまらず、呼吸が苦しくなった。手が震えた。とにかく死にたかった。消えたくなった。

 薬をいつもより多めに飲んで、落ち着いた私は思った。
 私は勘違いをしていた。このブログのアクセス数が伸びていて、自分の文章の力に酔っていたのかもしれない。私は、対面する人間に面と向かって何も言えない弱虫であることが、悔しくて情けなかったのだ。ここに文句を一種の”表現”として書き連ねていれば、誰かが同情してくれる、誰かが私を助けてくれると思っていた。
 でも、自分で答えがわかりきっているプライベートな事を、無関係の他人に言いまわって何になろうか。何にもならない。それもわかっていた事じゃないか。

 メールボックスを開いたら、姉からメールが来ていた。私の事は何も聞かず、ただ姉の日々を淡々と書いてくれた。すごく暖かいメールだった。同じ母の元で育って苦労した姉。私の気持ちを一番わかってくれる人かもしれない。やっとおさまった涙が、また出てきた。

 でも私は、今とても孤独だ。あふれ出しそうな私の心の中。それを昇華させる方法に悩み途方にくれるよりも、何も考えないようにしてしまう方が楽なのだろうか。先生も夫も”病気だから”といった感じで、親身になって話を聞いてくれなかった。ネットの友達にも、鬱がうつるといけないから言えないと思った。今日ほど孤独を感じたことはなかった。

 姉に会いたい。会って思い切り甘えたい。
 いや、違う。本当は母に会いたいのだ。会って思い切り甘えたい。抱きしめて欲しい。

#そういう訳なのでコメントいくつかいただいてますが、お返事は明日以降にさせていただきますm(__)m

スポンサーサイト



精神安定剤
 精神科へ行った。

 「どうですか?調子は・・・」

と訊ねる先生に、私は夏休みの帰省を控えて憂鬱なこと、さらにその事で精神的に母と疎遠になっている最近の苦しい心境を語った。少しのことでイライラしたり、涙が出たり、ほぼ毎日『死にたい』『消えたい』と思っていることを話した。けれども現実は間違いなくやってくる。逃れようがない。だから薬を増やして飲んでいる事も話した。

 「ご主人には言ってみました?だって負担に思っている事は事実なわけで・・・」

 私は考えた。何を?こんなにしてもらっている夫に、これ以上何を要求するの?私だって、気まぐれな母の誘いに、1~2ヶ月に1回は夫をつき合わせている。世の中の人だってみんな、親戚づきあいとかぶっちゃけ面倒くさいなあと思いながらも、きちんとやっているのだ。そう、これは私のわがままに違いない。私は、母の顔色を伺っているだけのマリオネットなのだ。そんな事のために、夫にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
 昔、夫に『1人で帰省できないの?』と聞いたら、『仲が悪いのかと思われるでしょ!そんなの聞いたことないよ。』と怒られたことを思い出した。そう。夫にだって夫の事情があるのだから。

 「そんな事いえません。」

と私は答えた。先生は「うーん」と言いながら、頓服的に飲んでいた精神安定剤を毎日分処方してくださった。”これで乗り切ってくださいね”というメッセージと受け取った。
 所詮『レキソタン』、普通の安定剤だ。薬で嫌なことが忘れられるなら、それでいいではないか。こうして、私はまた減薬に失敗するのだろう。

朝の憂鬱
 今朝も寝起きから全身を疲労が襲う。貧血ぎみなのか、立ちくらみがひどい。何度かよろけて、体をドアの角にぶつけたりした。
 フェレットのトイレ掃除とエサやり、布団上げ、新聞の片付け、食器の片付け・・・そんな毎日決まった作業をこなすのでさえ私にとっては重労働なのだが、突発的にいつもと違う作業が入ると本当に身も心も混乱する。

 いつのまにか「疲れたぁ・・・本当に疲れたぁ」と声に出している自分に気がつき、「がんばれ・・・あとちょっとだぁ」と言い直してみる。呼吸すら忘れている自分に気がつき、「ふぅ・・・」と深呼吸をしてみる。
 こんなときは、フェレちゃんも何かを察するのか、あまり私に擦り寄ってこない。

 やっと一通りの作業が終わって、自分の朝食(といってもパンとコーヒーだが)を出してくる。ふと窓の方を見ると、外は今日もいい天気らしい。青空を見て思うこと・・・それは洗濯をしない自分。布団を干さない自分。なに偉そうにご飯とか食べてるの?とにかく今は、自分を責めることしか思いつかない。

どこから来たのか
 「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。今日のテーマは『どこから来たのか ニッポンのヒト』というもので、国立科学博物館人類研究部の篠田謙一先生を訪ねていた。

 細胞の中にあるミトコンドリアにあるDNA。その遺伝情報は母から子へとそのまま受け継がれていく。したがって母方の祖先を太古の昔にまで遡っていくことによって、人類は今までにない基準でヒトをグループ分けすることができるようになった。
(番組ナレーションより)

 そういえば昨年末に、「サイエンスZERO」という番組でも同じ事をやっていたなと思いホームページを見てみたら、この時のゲストも篠田先生であった。『日本人の大半は16のグループに入るということから、日本人は16人の母を持つともいえる。』という内容に、私は驚いたものだった。こちらのホームページにわかりやすい説明があるので、内容に興味のある方は、是非見ていただきたい。

 そういう訳で先生の研究内容については割愛させていただくが、後半の雑談部分で篠田先生がおっしゃった言葉に、思わず私は大きくうなずいてしまった。

 遺伝子で描くと、世界の人が全部つながっちゃうのが系図になるわけですよ。家系図って絶対どっかで切ってますよね。例えば”女は結婚したらもう入れない”とかってことで、無理やりまっすぐ作ったのが家系図で、実は本当の姿っていうのは、世界はもともと1つにまとまったものなんです。

いい事を言うと思った。女性のジェンダー問題にピリピリしている私だからなのかもしれないが、家系図やら戸籍やら、そんなたかが数百年程度の歴史を必死に守ろうとするのはナンセンスだと、改めて思った。

 それを裏付けるように、篠田先生は面白いことを教えてくださった。人類の歴史600万年を1年に例えてカレンダーを作ってみると・・・・

8月  人類の祖先が初めてアフリカを出る
12月25日 現代人の祖先がアフリカを出る
12月31日午後11時西洋文明が出来上がる

つまり歴史学と言うのは、人類の長い歴史の中の、日めくりの最後のページだけを言っているにすぎないのだそうだ。ましてや近代史など、除夜の鐘の”ゴーーーン”という音の間だけのことだ。

 国とか民族とか歴史とか、みんなが争ったり血を流したり命を落としたりして必死に守っているものは、一体何なんだろうと思った。