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薬と人格
 薬を飲んで症状をおさえることはできる。嫌なことを考えないようにもできる。

 でもそれって本当に”私”なのだろうか?人とはちょっと違う精神構造を持つ少数派の人、それは個性と言うことも出来る。けれどもそれを”精神病”と定義しているのだとしたら、社会に適応するために、薬を飲んで一般的な人格に修正していくことが”投薬治療”なのだとしたら、なんとなく怖い気がした。
 それも”私”なのだろうか?それは誰?本当にそれでいいの?

 ああ、この感じ、昔もあったな。
 会社に就職してすぐの頃、毎朝の早起きと、研修の工場実習があまりにも大変で、『こんなのが一生続くなんてごめんだ。』とチラっと思って泣いた。けれども、すぐに私は自分を戒めた。『日本のサラリーマンになるなら、これぐらい我慢しないと。自分を殺してでも、歯車に徹する気持ちで望まないと、これから先やっていけないぞ!』
 そして3ヶ月間の研修を終える頃には、私はすっかり会社人間として出来上がっていたのだった。

 環境にあわせて、まるで違う自分を作り上げていくような感覚は、私だけが感じるものなのだろうか。一種の人格障害?一種の多重人格?よくわからないが、変化を迎える前は、自分の中で”自我を失う”という葛藤がある。けれども、過ぎてしまえばどうってことはない。昔の自分は消え失せているのだから、もう苦痛も何も感じない。
 それがいい事なのか悪い事なのかはわからない。たとえば会社人間に作り変えてしまった事は、今の自分の病気を呼び込んだ一因でもあるわけで・・・・。ということは、昔の自分は完全に消え失せてはいなくて、まだ心の中でもがいているのだろうか。

 考えがまとまらなくなってしまったが、今悩んでいるのは、パキシルを増やすかどうしようかということ。薬を増やすのは簡単だし、そうすれば鬱な気分が減って気分が上向きになるという。けれども断薬が難しいパキシル。これまでに3度も断薬に失敗している。
 いつかは子供も欲しいし、それまでにはパキシルを飲まないで生きていけるようにならなければ。今また増やしてしまうと、パキシルから離れるのはいつになってしまうのだろうと思うと、焦る。時間だけが無情にすぎていく。

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私の癒し
2008.07.24 Thu 10:19 | フェレット | ペット
私の癒し。フェレットのどんぐりちゃん。

SIMG_0521.jpg毛づくろい中に呼んだとき。
「ん?」

SIMG_0524.jpg小物をゴチャゴチャ置いてある中から
大好きなポケットティッシュだけを選んで
せっせと秘密基地に運んでいく。
もっとずる賢い表情をしているかと思ったが
案外めんどうくさそう。

こうしてみると、だいぶ目の腫れは引いたようである。
でも最近は暑さのせいか年のせいか、すぐにペッタリ伏せてしまう事が多くなった。それが心配。